20
実際のところ、『断罪の剣』の村への侵入を最初に気付いたのは、ダンカン率いるトラッシュの兵士達だった。
アルト村は、トラッシュから王都へ向かう街道から、少し南に外れた脇道沿いにある村。南北に走る通りの両側に、五十軒ほどの家屋と穀物庫や農機具を納める倉庫などが建ち並ぶ。王国内では地方に行けば、どこにでもある人口二百人ほどの小さな村。
そこに、村の人口に近い兵士達が転がり込んで来たのである。
アルベール侯爵が自ら率いる騎士達が百人ほど――彼らはドメス伯爵など、貴族院の中でもの反侯爵の姿勢を顕にする貴族達の領軍に急襲されたのだ。その際、ユラや産まれたばかりの侯爵家嫡子トマスを逃がすため、当初は二百人以上いた騎士達が半数にまで減らす激烈な退却戦を行ったのである。辛うじて死地を脱したものの、侯爵自身も重い傷を負いアルト村に辿り着いた時には、身動きが取れなくなるほどであった。そのため、仕方なくアルト村を拠点とし、各方面に使者を発し援軍を要請したのである。
そんな状況の中、村に現れたのがガウエン達であったのだ。
元からいた侯爵家の騎士達に加え、別行動をとっていたジェイクや騎士達二十人ほど。それにダンカン達、トラッシュの兵士達四十人が仲間に加わったのである。
だが、急遽の合流であるため、元より騎士団とトラッシュの兵士達では上手く連携がとれるはずもなく、深夜の警備についても騎士団が村内を、ダンカン達トラッシュの兵士は南北の村の入り口付近を厳重に警戒していた。
とはいっても、アルト村のような小さな村には塀や堀が有るわけでもなく、侵入しようと思えば周囲のどこからでも入れるのだが。
深夜も遅く、日ノ出まであと数刻。その僅かな時間を惜しんでか、夜の闇に潜む虫たちが一際高く鳴き声を、村内に響かせていた。
もうそろそろ歩哨の交替の刻限かと、ダンカンが寝床から起き出し軽く伸びをしていると、この村の村長であるベンが待ちかねたように近寄って来る。
さすがに、騎士達と同じ教会で休息するのを躊躇ったトラッシュの兵士達は、村長宅の居間に於いて交替で休息をとっていたのだ。
「ダンカン様……少しご相談が……」
「ん?」
――またか。
ダンカンはそっとため息を吐き出す。
夕刻過ぎに、村長宅に落ち着いてからずっとこの有り様だった。村長と挨拶を交わしてからというものの、付きまとわれ続け愚痴を聞かされ閉口させられていたのだ。
――ま、それも分からないでもないが……。
深夜も遅く、日ノ出まであと少しとなったこの時刻までと、さすがに陽気なダンカンも少々うんざりとしていた。
確かに、この辺りも王家の直轄地から侯爵領に変わり善政が敷かれると、随分と以前よりは裕福になった。その事に関しては、侯爵様に感謝もし敬愛さえしている村長である。しかし、突然現れた侯爵と騎士達に、戸惑い困惑するのは仕方ないものだった。ましてや、侯爵自身は大怪我を負い、護衛する騎士達までも自慢の煌びやかな鎧は泥に塗れ傷付き、半死半生の様子で村に辿り着いたのだ。村長が、不安を覚えるのも当然の事であったろう。
しかし、まさか侯爵家の騎士に懸念や不安を吐露する訳にもいかず、勿論、侯爵本人にも恐れ多く話し掛ける事さえ憚られるのは言わずもがなである。そこに現れたのが、ダンカン達トラッシュの兵士。トラッシュの衛兵達は適性検査は有るものの、騎士とは違って、一般の領民から志願した者がほとんどだ。中には農民の次男や三男等が、衛兵へと職を求めたりする事から、村長としても話し掛けやすかったのである。
「侯爵様は、何時まで御滞在するので御座いましょうか」
「そうだな……その辺は俺にもよく分からんな」
不安を滲ませた様子を隠そうともしない村長に、うんざりとしながらも邪険にする訳にもいかず、軽く受け答えるダンカンであった。
「そのぉ……私共の村は、小さな村でございますので……」
「ん、どうした」
「……これだけ人数が増えますと、そのぉ……賄うだけの食料事情が些か……」
あぁ、そういうことかと、ダンカンは納得する。確かに、この小さな村ではそれほどの蓄えもあるはずが無いのだからと。
「まあ、そんなに心配するな。あの侯爵様の事だ、その辺りは抜かりなく手配してるだろうさ」
「はぁ……」
「明日にも、侯爵様に聞いといてやるから」
にこやかに笑い飛ばすダンカンだったが、内心では同じく困惑していた。街育ちのダンカンにとって、そこまで考えを巡らしていなかったのだ。
――この状況が、いつまで続くか分からないからなあ……。
そんな思いなどおくびにも出さず、ダンカンはにこやかに笑う。しかし、それでも村長はまだ物憂げな表情を浮かべ、何か言いたげである。
「まだ、何かあるのか」
「……やはり、戦になるのでしょうか?」
それは村長、いや、このアルト村の村民、全ての不安であった。もし、この村か或いはこの近辺で戦になれば、村が巻き込まれるのは 自明のことだからだ。
今も村民達は、若い健康な者が戦に駆り出されるではと、恐れているのである。このアルト村は小さな村。もし、戦で働き手を失う事にでもなれば、後は衰亡していくのみ。いやそれ以上に、二百人ほどの小さな村では村民皆が家族のようなもの。戦に巻き込まれ誰かが命を落とす事になれば、耐え難い悲しみに村は包まれてしまうのだ。
だから、侯爵家には感謝をしているが、不安を隠せないでいるのであった。
「ふむ……」
これには、ダンカンも答えに迷ってしまう。
トラッシュの街で衛兵として働くダンカンは、いわば職業軍人。いざとなれば、それだけの覚悟もある。だが、彼ら村の人達はただの農民。侯爵様に感謝を覚えても、命を掛ける気にはなれないだろう。しかし今の侯爵家の状況では、たとえ農民といえでも、協力してもらいところだろうなと、そんな事を考え、ダンカンはどう答えようか言い淀む。
そんな風に村長を前にして、ダンカンが思い悩んでいると、
「隊長、どうにも妙な……」
首を傾げながら居間に入って来たのは、村長宅の玄関前で歩哨に立つダンカンの部下だった。あまり自信が無いのか、言葉の最後は宙にかき消えた。
「どうした、何かあったのか?」
敵の襲撃かと慌てて身構えるダンカンだったが、部下の様子に困惑した目を向けた。
「……いえ、何かを見たわけでもないのですが」
その部下の男は、ダンカンが治安局に勤めるようになってから数年後に入隊した後輩。何かと目端の利く男で、日頃からダンカンも目を掛け、小隊の中でも最も信頼していた部下だった。だから、何かの異常を感じているのかと思い、言葉を濁す部下に促されるようにダンカンは外へと向かう。その後を、不安げな様子で村長も後を追いかけた。
――既に、敵の侵入を許したかも知れないな。
村は街と違って、塀や堀で囲われてる訳ではない。侵入しようと思えば、四方の何処からでも侵入出来る。密かに忍び寄ろうとする、それらの敵を全て察知するのは難しい。ましてや、勝手の知らぬこの村では、さすがのダンカンたち治安局の衛兵も、村内への侵入すべてを警戒するのは不可能に近かった。それに、ガウエンに聞いた話では、相手は国内の不満分子を闇から闇に葬る特殊部隊だという。そのような部隊の侵入を防ぐのは無理なのではと、ダンカンは危惧していたのだ。
入り口から一歩外へと踏み出すと、扉横で歩哨に立っていたもう一人の部下が目礼を送ってくる。その部下も、どこか不安な表情を浮かべていた。それに軽く頷き、周囲を見渡すダンカン。
「ん……静かだな」
ダンカンの口中から、誰に言うともなく呟きが漏れ出た。そう思うほど、村内は異様な静けさに包まれていた。
月明かりの下、村長宅前では煌々と篝火が焚かれ、時折、バチリと炎が爆ぜる。それ以外の音――先ほどまで聞こえていた虫の声や夜行性の鳥獣の鳴き声が、まるで周囲の闇に吸い込まれ消失したかに、ダンカンには感じられたのだ。
村の中央に目を向けると、遠く微かに、侯爵が宿泊する教会前で焚かれる篝火の明かりも見えた。何事もなく平穏無事に見える。
だが、ダンカンは眉根を寄せ、僅かに首を傾げ――と、その時、得体の知れぬ寒気が背中をぞくりと走り抜けた。ダンカンはぶるりと体を身震いさせる。それは、夜になって冷えたからではない。闇の中、何者かの気配を、視線を感じたような気がしてならなかったのだ。
「おい、皆を起こして来い」
ぼそりと背後に立つ部下にそう言うと、もう一度、辺りに目を向けた。
――気のせいであれば良いが……。
と、ダンカンが思ったその時、遠くに見える教会前の篝火の炎が、ゆらりと大きく揺らめく。次の瞬間にはその炎が、ふっとかき消えた。それと同時に、教会の建つ方向から「ガシャン」と、何かが砕け散る大きな物音が聞こえてくる。
「あっ!」
驚いて、音がする方向へと首を巡らしたその刹那、鋭い風斬り音がダンカンの頬を掠めた。
それは条件反射。
頭が理解するより先に、体が反応したのだ。日頃の訓練の賜物か、はたまた偶然なのか、僅かに首を振った横を凶風が走り抜けたのだ。ダンカンの頬を掠めたもの、それが扉横の壁に「ダンッ!」と、音を鳴らして突き立った。闇のなか飛来したのは、矢羽根まで漆黒に塗りつぶされた矢柄。
「ひいぃぃぃぃぃ!」
扉近くにいた村長が言葉にならぬ悲鳴をあげる。その悲鳴は辺りの静寂を切り裂き、尾をひいて鳴り響いた。
それが切っ掛けとなったのか、凶悪な風斬り音が次々と飛来する。
「伏せろ!」
ダンカンが叫び、背後にいた村長を強引に引きずり倒す。
――タンッ、タンッ、タンッ!
その後を追い掛けるように、漆黒の矢柄が壁に地に突き立った。
「グワァ!」
部下のひとりが、呻き声を上げて踞る。反応が遅れたのだ。その右肩に漆黒の矢柄が突き立っていた。
「大丈夫か!」
「くっ、はい。肩を少し……が、があぁぁぁ!」
返事をする部下だったが、次の瞬間には体を震わせ苦しみだした。
――ちっ、毒か、それも即効性の!
「笛を、警笛を鳴らせ!」
ダンカンの怒鳴り声に、もう一人の部下が慌てて笛を口にくわえた。
「ピイィィィィィィ!」
甲高い笛の音が辺りに鳴り響く。
しかし、その笛の音が合図となったかのように、今度は飛来する矢柄の変わりに、目の前に建つ家屋にぼぉっと炎が立ち昇った。しかもそれは、その家屋だけではなかった。村内の数ヵ所で同時に火がついたのだ。
――こいつら、村を火の海にするつもりか。
そこではっと息を呑むダンカンが、侯爵家の一行が宿舎にしていた教会の方に目を向ける。
「侯爵様は……すぐにも侯爵様を救出に行かなければ!」
ダンカンがさっと身を起こし、駆け出そうとしたが――村長が、そのダンカンの足にしがみついた。
「む、村を、ダンカン様、村の皆をお救い下さいませ!」
「くっ!」
即座に顔を歪めるダンカン。騎士団の騎士たちは、己れが仕える主を守るのが本分。だが、治安局の衛兵、その本来の職分とは当然の如く民を護ること。そのことに誇りを持って、仕事をこなしてきたダンカンである。村長の願いを、無下に振り払うことが出来なかったのである。
――侯爵様も、我がことより、民を優先させるお方。だから……。
ダンカンが振り返ると、騒ぎに気付いたトラッシュの兵達が、飛び出して来るところだった。
「我らはこれより、村民の救出を最優先とする。村の入り口を警戒する兵と合流し、敵を排除せよ!」
ダンカンは怒鳴り声をあげながら、もう一度、教会の方に目を向ける。
――ガウエン、侯爵様を頼むぞ……。
◆
アルト村への襲撃が開始される半刻ほど前。近くの樹木の陰から、村内を窺う黒装束の怪しき集団があった。
「皆の配置はまだか?」
集団の中でも一際背の高い男が、隣で潜む男に声を掛けた。
この背の高い男こそ、ガウエンが敵と思い定める近衛軍武術師範筆頭にして、『断罪の剣』の首魁マルコムであったのだ。
「もう間もなくかと……」
答える配下の言葉の最後が、微妙に変化をした。それに気付いたマルコムが、鋭く詰問する。
「何か?」
「はっ、それが……ゲイル様やマルク様、それにヨウラン様まで、姿が見えませぬ。他にも姿が見えぬ者が何人か……」
「むっ、先走りおったか」
「恐らくは……」
マルク、ゲイル、ヨウランの三人はマルコムの息子と娘であった。まだ年若い三人は、逸る心を抑えられず、既に村へ侵入したと考えらたのだ。
「未熟者め……」
我が息子達とはいえ、あまりにも考えの無い行い。もういっそのこと見捨てて、放っておこうかとも、マルコムは考える。
――だが。
本来は明け方に、奇襲を掛ける予定であったのだ。その策戦すら台無しにしかねない。それに、これまで任務とはいえ、非情ともいえる仕事をこなして来たマルコムだったが、家庭内では正反対に愛情を注いでいたのだ。
――馬鹿者め……連れて来なければ良かったか。
しかし、今回の任務は一族の、組織の浮沈に関わる大事。だから、組織総出で来たのである。
――元はといえば、あの男のせいで……。今回は何の因果か、あの男の弟子まで関わっておる。
「侯爵も、あの男の弟子も、まとめて全て葬ってくれよう」
マルコムの激情が、知らず知らずの内に、口中から迸り出ていた。
「これより突入する。皆に伝えよ!」
「はっ!」
配下の黒装束の男達が、方々に散って行く。
「くっくく、どちらにせよ、逃げ延びることなど出来ぬ。たとえ、我等の爪牙から逃れようともな」
闇の中、マルコムの含み笑いが響き渡る。




