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 ガウエンの父親が亡くなったのは、ガウエンがまだトマスと呼ばれていた六つの時だった。

 父親はその頃、トラッシュの政庁内で下級官吏として働いていた。それは軍属としてでは無く、算勘さんかんの才を買われて文官として雇われていたのである。


 その当時、アトラン王国は隣国であるベルン王国と、国境をめぐる紛争を度々おこしていた。それは、国境にまたがる小山、ガラル山の領有をめぐる争いでもあった。

 ガラル山には、サラテン染料の原料となるガジルの樹が大量に生えていたからだ。その売買から得られる金銭は莫大であり、国に与える経済効果も計り知れないものがあった。それ故に、両国はガラル山の領有を主張し、一歩も譲らぬ構えをみせたのだ。

 そして遂に、両国がガラル山のふもとにて、軍を対峙させるに至った。

 事の重要性を感じたアトラン王国は二万もの兵を発し、その帥将は王弟でもあるアルベール侯爵が当たる事となった。その時まだ、弱冠二十歳であったアルベール侯爵であったが、王弟でもある彼が帥将となる事で、アトラン王国の不退転の決意を内外に示す狙いがあったのだ。

 当然、侯爵領であるトラッシュの街からも、兵が徴集される事となった。

 そして、運悪くその時、トマス(ガウエン)の父親は治安局に出向していた。それは、経理について間違いがあるということで赴いていたのだが、その流れのまま、輜重しちょう隊の出納係りに組み込まれてしまったのである。

 なんとも間の悪い事だったが、「なぁに、別に戦闘に参加する訳でないから」と、父親は笑って出掛けて行ったのだ。

 だが、長の対陣に倦む軍が、相手の糧道を絶つのはいくさの常道。ベルン王国の別動隊が夜陰やいんに乗じて、アトラン王国の陣の後方に位置していた補給地に急襲を仕掛けたのである。

 その戦いにいて、トマス(ガウエン)の父親は敢えなく命を落とした。

 いつの時代も、いくさで泣かされるのは、一般の領民だ。上に立つ者の思惑でトマス(ガウエン)の父親も、嫌も応もなく、命ぜられるまま戦に駆り出されて命を落としたのだ。

 まだ幼かったトマス(ガウエン)は、釈然としない悔しさを覚えたものだ。

 しかも、トマス(ガウエン)の不幸はまだ続いた。

 その半年後に、今度は母親が亡くなったのだ。

 父と母は、それは本当に人も羨むような、仲睦まじい夫婦だった。そのため、父親が戦地で亡くなったと聞くと、その衝撃から食が細くなってしまい、遂には喉を通らなくなり食物を受け付けなくなってしまったのだ。最後は、骨と皮だけという悲惨な姿と成り果て、静かに息を引き取ってしまった。

 それだけ、父親を深く愛していたのだろうが、まだ幼いトマス(ガウエン)には大きな動揺を与える事となった。

 結局母は、母親である前に女である事を選んだのだ。ひとり残されたトマス(ガウエン)は、まるで母親に捨てられたかのように感じてしまう。

 父と母の死は、少年であったトマス(ガウエン)の心奥に深く傷跡を残し、それから数年は笑顔を見せぬ、少々偏屈な少年へと変えてしまった。特に、同年代の女性には鬱屈した想いを隠さず、側に近付けようともしなかった。

 ただひとり、妹となったユラを除いて……。




「おい、トマス。どうだ凄い美人ばかりだろ」


「……うん」


 近所に住む友人のダンカンが問い掛け、それにトマスは気のない返事で答える。

 両親を幼い頃に亡くしたトマスは、父方の遠縁に引き取られ、既に十年の月日が流れている。そのトマスも来年には、アトラン王国で成人と認められる十八歳になろうとしていた。


 そんなトマスと、同い年のダンカンの二人は樹の枝に登り、近くにある邸宅の庭を眺めていた。

 その邸宅はトラッシュの街中でも高台になった場所、裕福層が住み暮らす北区にあった。そこは侯爵家の別宅であり、アルベール侯爵がトラッシュの街を視察に訪れた際に宿泊する屋敷であった。


 アルベール侯爵は十年前に起きた隣国との紛争に於いて、結局は勝敗は着かなかったものの、戦い自体は終始優位に進めた。そのお陰で、停戦後の条約に於いてガラル山の約三分の二以上をもぎ取り、国境線を定める事に成功した。

 その功やその後のそつなく振るう政務などで、今では王国内でも尊敬を集め重きを成す存在となっていた。

 そのため、貴族達がこぞって自分の縁に繋がる、見目麗しい娘を侯爵の身近に差し出していた。もし侯爵の手が付くと、それだけで姻戚となり一族の隆盛へと繋がるからである。

 その結果、数多くの美しい女性が集まり、侯爵の周りは常に華やいだ様相を呈していた。

 その侯爵が、数日前からこのトラッシュの別邸に訪れ、連日のように庭園で茶会が開かれていたのだ。


「うへぇ……すげぇな」


 ダンカンが、庭園で繰り広げられる茶会の華やいだ雰囲気に目を奪われ、感嘆の声を上げる。

 見たこともない豪華な料理や什器が、テーブルに並べられいるのだ。そして何よりも、都市内ではついぞ見掛けた事も無いような、あか抜けた美しい女性達にため息を溢す。

 邸宅の直ぐ近くには背の高い樹林があった。トマスとダンカンの二人は、その中の一本に登り塀越しに庭園を眺めていたのである。

 しかし当然、侯爵が滞在中は、この樹林にも一般の民は立入禁止となっていた。

 だが、そこはまだ大人になり切れない、後先の事を考えぬ向こう見ずな十代。興味の半分以上が異性に向く年頃でもあり、噂の美女達を一目見ようと覗きに来ていたのだ。

 もっとも、女性に興味があるのはダンカンだけであった。母親の死から女性に複雑な思いのあるトマスが、誘われるまま付いてきたのは、国中で英雄視される侯爵本人を一目みてやろうと思惑があったからだ。

 トマスの父親の命を直接奪ったのは、確かに隣国の兵なのだが、侯爵が父をいくさに連れていかなければ自分に不幸は訪れなかったという思いがある。

 トマスにとって侯爵は、恨みにも思う相手でもあったのだ。それは逆恨みに近い感情なのかも知れないが、そう思わなければ、まだ幼かったトマスは心の平衡を保てず生きていけなかった。

 しかし、だからといって何かをしようと思ったわけではない。

 ただ、どんな男なのか、その姿なりを確めたかっただけだったのである。


 ダンカンがしきりに感嘆の声を漏らす横で、トマスは目を凝らして庭園を見詰める。

 その時、庭園から華やいだ歓声が上がった。

 侯爵その人が、庭園に姿を現したのだ。


 長身の甘い顔立ちをした侯爵が、金色の髪を風に靡かせ片手を上げると、朗らかに笑う。

 たちまち、侯爵の周りに人が集まりだした。

 女性陣は少しでも侯爵の目に止まろうと、男性陣は少しでも会話に加わろうと侯爵の周りに集う。それは、砂糖に群れ集う蟻の如しであった。



 ――よく、見えないな。


 ただでさえ遠目でよく見えないのに、その人垣に邪魔をされ、侯爵の姿をはっきりと確認する事が出来ない。

 れたトマスは、その身を枝から乗り出すようにして庭園を眺めた。


「おいトマス、見つかるぞ!」


 慌てたダンカンが声を掛ける。

 彼ら二人は、樹葉の陰に隠れて眺めていた。トマスはれるあまり、その樹葉の陰から身を乗り出していたのだ。

 緑一色に覆われる樹葉の中、人の白い顔は意外とよくえ目立つ。

 案の定……。


「衛兵! あの樹林に誰か隠れてるぞ!」

「侯爵様をお守りしろ」


 庭園のあちこちから警戒の声が上がり、茶会の場は大騒ぎとなった。


「やばい、見付かった! トマス、逃げるぞ!」


 ダンカンが焦りの声を上げて、枝から飛び降りる。トマスも大急ぎでその後を追い掛け飛び降りるが、この樹林の中にも警戒中の衛兵達がいるのだ。二人は直ぐに発見されると、誰何すいかされる。


「何者だ!」

「待てぇ! 怪しいやつらめ!」


 二人は何とか抵抗して逃げ出そうとするが、そこは何の訓練も受けた事もない街中で暮らすただの少年。直ぐに、あっさりと捕まってしまった。


「離せよ、知らなかったんだよ! 俺達はただ木の実を取りに来てただけだ」


「嘘をつけ! この樹林の周りにも警備の兵がいたはずだ。気付かないわけがない」


 何とか言い逃れをしようとする二人に、衛兵は厳しい目を向ける。


「まだ子供じゃないのか」

「いや油断は出来んぞ。もしかすると、ベルンの少年兵かも知れん」

「そうなると、狙いは侯爵様か?」


 他の衛兵達も油断のない目を二人に送ると、槍の穂先を向ける。


「そんな訳ないだろう」

「俺達はこの街の住人だ」


 二人は焦って言い立てるが、衛兵達は「ふん」と鼻を鳴らすだけで、聞こうともしない。

 そして、にやりと笑うと……。


「どっちにしろお前らは、良くて強制労働おくり。下手すれば……」


 二人の目の前にいる衛兵が、手のひらで首を絞める真似をする。


「そ、そんなぁ……」


 ここにきてようやく二人は、事の重大さに気付いた。トマスとダンカンの二人は、お互いの顔を見合わせ青くなる。

 そうこうしてる間に、今度は邸宅からも、騎士が率いる一隊が駆け付けてきた。


「うむ、どうやら上手く捕まえたようだな」


 その騎士が、少しほっとした安堵の表情を浮かべると、周りの衛兵達に、他にも怪しい者がいないか調べるようにと指図する。

 そして、トマス達を睨み付けた。


「お前達を、今からお屋敷まで連行するが……」


 そこまで言いさした騎士が、苦虫を噛み潰したような表情をみせる。


「恐れ多くも我が主である侯爵様が、直々に取り調べるとの仰せだ。くれぐれも礼を失せぬように。もし、侯爵様の前で礼を欠く真似をするようであれば、その時はお前らの素っ首を……」


 騎士の男がそこまで言うと、腰に吊るした剣の柄をぽんぽんと叩く。

 そして、険しさの増した表情でトマス達を睨み付ける。


「分かったな!」


「は、はい……」


 騎士が放つ殺気混じりの雰囲気に当てられ、生唾をごくりと飲み込み、がくがくと頷くしかない二人であった。

 その後、後ろ手に縛られた二人は、引きずられるようにして屋敷へと連行される事となった。


 屋敷に連れてこられた二人は、先ほどまで茶会が開かれていた庭園に引き据えられる。

 そこは既に、女性達や若い貴族達も姿を消し、物々しい姿をした兵達に代ると、華やいだ雰囲気から一変、殺伐とした場に変わっていた。

 その中で、アルベール侯爵だけが優雅に椅子に座り、にこやかに微笑みを浮かべている。


 その前に、衛兵達に地面に押さえ付けられる形で、ダンカンとトマスの二人は引き据えられたのだ。

 既に、衛兵と騎士に脅されていた上に、この場の雰囲気である。ダンカンはひきつらせて顔を伏せると、がくがくとその身を震わせていた。

 だが、トマスは……。


 ――この男が、父をそして母までも死に追いやった侯爵なのか。


 ダンカンとは逆に、挑むように昂然と顔を上げ、燃え盛る瞳を侯爵に向けていた。恐怖を感じる以上に、侯爵に対する憎しみの方がまさっていたのだ。


「お前、頭を下げろ! 侯爵様の前で無礼であろう!」


 侯爵の側で控えていた、先ほど脅し文句の言葉を吐いた騎士が、怒鳴り声を上げた。

 そして、押さえ付けてた衛兵も、慌ててトマスの頭を無理矢理地面に押しつける。それでもトマスは、首を捻り視線だけは侯爵に向ける。

 それを見た騎士は、「むう」と唸り声を出しつつ、剣の柄に手を掛けトマスに迫ろうとした。

 その時……。


「ジェイク、構わぬ。すておけ」


 侯爵が片手を上げ、騎士に制止する声を掛けた。暫くトマスを睨み付けていた騎士は、不承不承ながらも頷き元の位置に戻った。


「ふむ、あなた達は何者なのですか? 私を害する目的で放った他国の間者なのですか?」


 侯爵は王家に連なる者らしく、柔らく品のある声を響かせ、ちょっとした所作も優雅なものである。そして、端整な甘い顔立ちに、時折、若々しい凛々しさをみせ、何とも人を魅了させずにはいられない青年であった。

 だが、そういった事柄すらも、トマスには逆に憎々しさを感じてしまう。

 無言のまま睨み続けるトマスの横で、ダンカンが歯をカチカチ鳴らしながらも代わりに答える。


「と、とんでもない。この街で暮らす、ぼ、僕はダンカン。こいつはトマスです」


 侯爵は「ほぅ」と声を漏らし首を傾げると、横にいるジェイクと呼んだ騎士に目を向ける。


「はっ、道すがら軽く尋問をおこなった所、そのダンカンと申す者は低所得者地区に住む日雇い人夫の息子……」


 侯爵は騎士の報告を聞きながら、様子を確かめるように二人に目を向ける。


「その生意気なトマスと申す者は、露天の雑貨商を営む男の養い子のようです。一応、部下に確認のため二人の家に走らせていますが、この者達の様子から、まずは間違いないかと」


 侯爵は「ご苦労」と騎士に声を掛け、改めて二人に目を向けた。そこでおやっと、片方の眉を上げる。ようやく、トマスの瞳の中で燃え盛る、憎しみの炎を認めたのだ。


「ふむ……私はこれまで領民には心をいてきた積りだが、何やら含むところがあるようだ。言いたい事があるなら申せ」


「お、お前が僕の両親を死に追いやったんだ! だから僕は……」


 トマスの心の叫びが、不遜ふそんな物言いとなって表れる。それが周りにいた衛兵達や騎士には傲岸ごうがんな態度と映り、一気に周囲の者は色めきたつが、またしても侯爵が片手を上げてそれを制する。


「死に追いやったとは、聞き捨てならんな。私には身に覚えのない事だが……」


 侯爵は怪訝な面持ちであごに手をやると、考える素振りを見せる。


「十年前、お前が父さんをいくさに連れていかなかったら……父さんも、そして母さんも死なずにすんだのに!」


「……そうか、あの戦争に、そなたの父親は従軍していたのか……しかし、母親は?」


「母さんは、父さんの死を悲観してその後を……」


 トマスは両親の事を思い出したのか、その瞳に涙を浮かべて訴えた。


「ふむ、そういう訳か……」


 侯爵はそれで納得がいったのか、軽く頷くと、痛ましいものを見るかのようにトマスを眺めた。

 かつてのいくさの折り、多数の死傷者を出していたのは侯爵も知っていた。

 その死傷者には幾ばくかの金銭が与えられたのみで、その後の家族への心のケアなど、無論なこと行うはずもない。いちいち、そのような者達に対応していては、アトラン王国の政体そのものが成り立たなくなるからだ。

 だが、その時の侯爵は、戦死した者の家族にはもう少し手厚く施そうとしていた。しかし、王家に連なる者とはいえ、まだ若かった侯爵の意見は、中々取り入れられる事は無かったのだ。

 現在も常にあの当時の事を思い出す度に、今の私ならばもう少しやりようがあったはず、といった思いがあった。

 侯爵もまたあのいくさに於いて、悔悟かいごの念をその心奥しんおう深くに刻んでいたのである。


「……トマスといったか。あのいくさはこの国の未来のため、そして、この国で暮らすその方らのような民やその子、その孫が何不自由なく生きていくためにも必要なものであった。だが、その戦の所為で父親が命を落としたのも事実。そして、確かに私もその責任の一端を担っている」


 そこまで言い差した侯爵が、ひたりとトマスの瞳を見詰める。そして……。


「許せ」


 と、ひとこと言うと頭を下げた。

 途端に、その場に居た者達、衛兵や騎士が驚いてざわつく。

 それは王族でもある侯爵が、一般の民に頭を下げるなど、有り得ないことだからだ。

 トマスも一瞬、何が起きたのか分からず、憎しみも忘れて呆けにとられる。


「こ、侯爵様! 領民に頭を下げるなど、有ってはならぬ事です。お優しいのは分かりますが、もっと毅然とした態度で……」


 側で控える騎士が、慌てて苦言を呈する。が、その言葉の途中を侯爵が遮る。


「まあ、良いではないか。謝る時は素直に謝る。人の上に立つ者は本来はこう有るべきだと、私は常々思うのだが」


「そのような事ではこの先、陰謀を企む貴族達などを相手に立ち回るのに思いやられますぞ」


「ふっ、その時のために、ジェイク、お前のような臣がいるのだろう。これからもよろしく頼む」


 今度は騎士が、ぐっと一瞬、言葉につまる。しかし、直ぐに「こほん」と空咳をひとつして言葉を続ける。


「またそのような甘い言葉で……ですが、今度は騙されませんぞ。今回は今後の警備にも関わること。昔のいくさの事は、それはそれとして。この者等は、警備の隙をついてお屋敷内を覗き見しておったのですぞ。警備の担当者は勿論、この者等にも厳重なる処罰をお与え下され」


「相変わらず、ジェイクは手厳しいなぁ……」


 侯爵は苦笑して言うと、どうしたものかと腕を組む。


 そんな侯爵と騎士のやり取りを、トマスは呆けた表情のまま眺めていた。


 ――侯爵とは、このような人であったのか。


 思っていた人物像とは違い、まともな、いや、それ以上に優れた人物だと思われ、その事がトマスを戸惑わせる。

 或いは、逆にもっと峻烈な人となりをしていたならば、感情の持っていきようもあったのだが。

 今は、更に複雑な感情を抱える事となってしまったようであった。


 その後も、トマスとダンカンへの聞き取りは続いたが、元より二人はただの領民。新たな事実が有るわけでもなく、小一時間もすると、侯爵と騎士は与える処罰について議論をしていた。


「本来は縛り首にしてもよいのですが、侯爵様の温情を他の領民にも示すため、鉱山での強制労働が妥当かと」


「温情も何も、それでは厳し過ぎる。どうだ、街中で何か無料奉仕でもさせれば」


「それは余りにも甘過ぎますな。ですが侯爵様がそこまで仰せになるのであれば、百叩きの上で領外追放などはどうでしょうか」


「うぅむ、それでもまだ厳し過ぎるような」


 騎士が言葉を発する度に、「ひっ」とダンカンは声を漏らし、侯爵が言葉を発する度に、今度はほっとため息を漏らす。

 その横でトマスは、未だ自分の感情をもて余していた。


 そんな時に、ひとりの衛兵が騎士に駆け寄り何か耳打ちした。騎士は頷くと、直ぐに侯爵に伝える。


「うむ、ならば直ぐにこの場に通せ」


 侯爵の指示に暫くすると、衛兵に伴われた数人の男女がトマス達の元にやって来る。


「この馬鹿息子がぁ!」


 その中のひとりの男性がダンカンに駆け寄ると、その頭を思いっきり殴った。


「いてぇぇ! いてぇよ父ちゃん」


 ダンカンが頭を抱えて転げ回る。

 そうなのだ。この場に連れて来られたのはダンカンの両親と、トマスの面倒をみている遠縁の夫婦。そして何故か、ユラまでが……。


にい様、トマスにい様!」


 ユラはトマスの元に、瞳に涙を浮かべてトマスに抱き付く。ユラの両親も、側に来ると心配そうにトマスを見詰める。


 ダンカンやトマスを押さえ付けていた衛兵達は、困ったような顔を侯爵に向けた。


「もうよい、離してやれ」


 侯爵の衛兵が、トマス達から距離をとると、親達はダンカンやトマスを抱き締め涙する。


「さて、どうするジェイク」


 侯爵が笑いを浮かべて発したげんに、騎士ジェイクはむっとした顔を見せると、皆に声を掛ける。


「そのほう共が、ここに呼ばれた訳は分かっているな」


「へい、うちの息子が大層な粗相そそうをしたようで……」


 ダンカンの父親が、恐る恐るといった様子で答え、その横では母親が不安そうな表情を浮かべる。


「まだこの子らは子供。何とぞ、お許しのほどを」


 ユラの両親も声を震わせ答えた。


「お許しというが、そのほうらの息子はおそれ多くも、このお屋敷内を盗み見ておったのだぞ。侯爵様に対しての不敬罪は、縛り首を持って妥当とするのが従来の慣例である」


 騎士ジェイクの言葉に、皆が「ひぃっ!」と悲鳴を上げる。


「そこを何とぞ……」


 皆の涙混じりの訴えに、騎士ジェイクは腕を組み思案げな表情を浮かべる。


「うぅむ、しかし他の貴族の方の手前……」


 その時、ユラが表情を強張らせたまま、すっくと立ち上がった。


「侯爵様に申し上げます。侯爵様は慈悲深い方と聞いています。何とぞ寛大なる処置をお願い致します。それが叶わぬというなら、兄トマスに代わって、この私が罰を引き受けます」


「ユラ! 何を言う!」


 トマスは驚きの声を上げる。

 ユラはトマスより二つ年下。今は十五歳の美しい女性へと変貌していた。長い黒髪は綿毛のように軽く風に靡き。人形のように整った顔立ちに、まだ成長しきっていないほっそりとした体形が相俟あいまって、まるで絵本の中から飛び出してきた妖精のような美しさであった。

 この庭園で催される茶会に集まる貴族の見目麗しい娘と遜色のない、それどころか、それ以上の美しさを備えていた。

 貴族の娘達が、衣装や化粧で人為的に作られた美しさであるならば、ユラの場合は内面の美しさがにじみ出る自然な美しさ。その上、今は兄トマスのために自分を投げ出す覚悟により、きりりとした清浄なる雰囲気が上乗せされ、更なる美しさを引き出す。

 それはもう、神々しいほどの美しさを周囲に放っていた。


 周囲にいた衛兵達はぽかんと口を開け、「ほぉ」とため息を溢す。

 美女を見慣れている侯爵でさえ、目を大きく見開き驚きの表情を浮かべる。

 騎士ジェイクに至っては、その神々しさに「むむ」と唸り声を上げて後退るほどであった。


「ははっ、ジェイク。どうやら、勝負は決したようだな」

「な、何を仰います侯爵様……」


「ははっ、この神々しい美女を前にそれ以上何か言うと、天罰がくだるぞ」


 そう言うと、周囲に侯爵の爽やかな笑い声が響き渡る。


 結局、ユラのお陰でトマスもダンカンも、その日は家に帰らされる事となった。


 ――ユラにはいつも、助けらてばかりだな。


 初めてユラの家に迎えられた時、トマスは口数も少なく笑顔を見せない少年だった。いわば、魂のない抜け殻のような状態だったのだ。

 そんなトマスを、いつも応援して励ましたのがユラだった。

 最初は兄が出来たと喜ぶユラを、邪険に扱い相手にしなかった。だが、生来の性格なのか、それでもめげずにユラは、明るく邪気な無い笑顔をトマスに向け続けた。

 いつしかトマスは、その笑顔に救われ、ユラにだけは心を開くようになっていたのだ。

 確かに、ユラの両親も我が子のようにトマスを気にかけ育ててくれた。しかし、それはありがたいと思うが、立ち直った大部分はユラのお陰だと最近は思うトマスだった。

 ユラに出会わなかったら、もしかすると父母の後を追っていたかも知れないとも、トマスは思っていたのだ。


 ――ユラには幸せになってもらいたい。


 いつもユラの世話になりっぱなしのトマスは、切実にそう思うのだった。

 だから、家に帰ってからユラに対して文句を言ってしまう。


「ユラ! 何故、あんな事を言ったんだよ。ユラに何かあったら僕は……」


「トマスにい様に何かあったら、ユラも生きていられないもの」


 ユラは庭園での姿が嘘みたいに、家に帰ると子供のように口を尖らし言い返す。

 そんな二人を、父親がほっとした表情で微笑ましく見詰め口を開く。


「それにしても、一時はどうなるかと思ったが、大事に至らなくて良かった。トマスも、来年には十八だ。もっと大人になってもらわないと」


 そして父親に続いて、母親も安堵した表情で二人に話しかける。


「そうですよ。来年、あなた達には一緒になってもらって、トマスも本当の息子になるのです。もう少し自重してもらわないと」


「おじさん、おばさん。心配をかけてすみませんでした」


 トマスは申し訳なさそうに頭を下げた。


「あらあら、もうお母さんと呼んでくれても良いのに」


 そう。来年、トマスが十八歳になると、ユラと結婚する事が決まっていた。それは奇しくも、幼い頃にユラが宣言した通り、現実になろうとしていたのだ。

 ユラはトマスの事を追い掛け、トマスも満更でもない事に気付いていたユラの両親が、どうせ婿を迎えるなら、息子同然に育てていたトマスで良いだろうと決めたのだ。


「まあ、来年には私達の事を父さん母さんと呼んでくれるだろうさ」


 父親が笑顔をみせ、母親と顔を見合わせると、二人して笑い声を上げる。

 そのやりとりに、ユラは顔を真っ赤にして下を向いてしまう。

 トマスは、そんなユラやその両親を眺め、ようやく幸せを噛み締める。


 ――侯爵を覗き見しに行くなんて、僕は何て馬鹿な事をしたんだ。ここに、僕の幸せがあったのに。


 トマスは侯爵と顔を合わせ、心の中にあった感情を吐き出した事に寄って、幾分かは心持ちが軽くなった。そして何よりも、侯爵が思っていたより好人物だったことが、ある程度トマスの尖った感情を緩和した。

 まだ、侯爵を許した訳でもなく、憎しみや恨みに思う感情は渦巻いているが、ようやく過去の呪縛から脱け出そうとしていたのだ。


 しかし、母親は少し不安そうな顔で呟く。


「でも、大丈夫かしら。この後、何もなければ良いけど」


「なぁに、大丈夫さ。侯爵様の様子を見れば、トマスは何のお咎めも無しにすむだろうさ」


 そう言うと、父親は楽観して笑い飛ばしていたが……。


 数日後、侯爵家から使いの者が来ると、思いがけない事を口にした。


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