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 地方都市トラッシュ。その中央に都市の心臓部ともいうべき、市庁舎などの都市を運営する施設が建ち並ぶ。

 普段は一般の民も立ち入らぬ地区。そんな区画の一角に、その広大な邸宅はあった。


 高い塀に囲まれたその敷地内には、沢山の樹木が生い茂り、まるで都市の中に森が出現したかに見える庭園が広がる。

 そして、その門構えは両脇に監視所の櫓が組まれ、重々しい鉄製の門扉にはぜいを凝らした様々な意匠の装飾が施されている。

 門扉でさえ、そんな装飾が成されているのだ。門の外からでは見えぬ屋敷も、どのようなものか想像も付こうというものだ。都市の外から訪れた者なら、この屋敷を見て領主の館だと勘違いすることだろう。


 しかし、その固く閉ざされた門前で、ちょっとした騒ぎが起きていた。


「おい、ダンカン。こんな朝早くから、何のつもりだ」


「……いや、俺は……あの……」


 ダンカンが十人の部下を引き連れ、その屋敷に押し掛けていたのだ。その横には、ガウエンの姿も見える。


 それに相対して、短槍を手に持ち身構えるのは、ダンカンと同じく治安局の兵士が二十名ほど。しかも、ダンカンより役職が上の中隊長。この兵士達は邸宅の周囲を巡回し警戒するためにと、治安局から寄越された者達だった。


 ガウエンは強引にダンカンに案内させると、治安局の局長ダンブルの屋敷へとやって来ていた。下っ端とはいえ、同じ治安局の小隊長。ダンカンに話を通してもらい会うことさえ出来れば、後は出たとこ勝負でと考えていたガウエンだった。しかし、屋敷の門前で、ダンカンと同じ治安局の連中に足止めされていたのである。


 狼狽えて応対するダンカンの横から、ガウエンが口を挟む。


「俺達は、ダンブルに少し話を聞きたいだけだ」


 だが、その中隊長は不審もあらわに眉根を寄せてガウエンを睨む。


「誰だ、こいつ。ダンカン、ここに変な野郎を連れて来るな」


「あっ、そうっすね…… 」


 ぺこぺこと頭を下げあっさり引き下がるダンカンが、駄目だこれはといった様子でガウエンに顔を向ける。


「まっ、そういうわけだ。ガウエン、分かっただろ。取り敢えず、今日のところは引き上げようぜ」


「そういう訳も、こういう訳もない。俺はどうしても、ダンブルに会って問い正さなければいけない事がある」


 ガウエンの一歩も引かない様子を見て、ダンカンは「はぁ」とため息を溢し、また中隊長に向き直る。


「こんな感じなんですけどぉ……やっぱ、駄目っすかね」


「ダンカン……お前、馬鹿だろ」


 中隊長は呆れた顔をしていたが、直ぐ横にいるガウエンを睨み付け、またダンカンに声を掛ける。


「ダンカン、まだここで騒ぐようなら、例えお前が治安局に所属してようが、一緒に引っ括るぞ」


「うへぇ……あぁ、ガウエン?」


 ダンカンがちらりと、横にいるガウエンを見ると、鬼の形相で中隊長と睨み合っていた。それを見たダンカンは「あぁうぅ」と、言葉にならない呻き声を上げている。

 そんな様子を眺める、ダンカンの後ろに控える部下達は……。


「俺達の隊長、大丈夫かよ」

「はぁ、情けねぇ」


 とか、ため息混じりに囁き合っている。

 後ろにいる部下達をじろり睨み、さすがにこれ以上は不味いと、ダンカンがガウエンの肩に手を置いた時。


 ぎしぎしと軋む音を鳴らして、ガウエン達の目の前にある門扉が左右に開き出した。

 開いた門の向こうには、その門以上に派手な装飾が成され無駄に豪華な馬車と、それを囲むダンブルの私兵二十人ほどがいた。

 その私兵の中のひとりが、ガウエン達の前へ進み出てくる。


「何だ、お前達は?」


「はっ、私は中央区警備担当の中隊長を拝命するカシムであります」


 真っ先に答えたのは、屋敷の周りを巡回中だった中隊長のカシム。だが、その私兵の男は見下すようにカシムを眺め、薄ら笑いすら浮かべる。


「ふんっ、治安局の兵隊か。お前達の主、ダンブル様の出勤時間。邪魔だ。さっさと退け」


 そのぞんざいな口調に、中隊長のカシムは顔を強張らせ、他の兵士達もむっと、その表情に怒気をみなぎらせる。それは、ダンカンやその部下も一緒だった。


 彼等は別に、ダンブルの臣下ではないのだ。治安局内の立場上、敬意を払ってるだけである。

 しかも、相手はその私兵。そんな男に偉そうにされる筋合いはない。

 皆の気持ちを代弁して、文句のひとつも言ってやろうとカシムが男に向き直ったとき……。


「何をしておる。さっさとその者らを追い払わんか!」


 その当の本人ダンブルその人が、馬車から降りて来たのだ。

 まるで樽のようにでっぷりと肥え太らせた体を揺すらせ、よたよたと馬車から降りてくる。そして、派手な衣装にじゃらじゃらと沢山の装飾品を身に付けたダンブルは、も 臣下を睥睨するが如く、カシムやダンカン達に視線を向ける。

 配下が配下なら主も主である。いや、主がそのような驕慢な態度をを取るから、配下の私兵も驕った様子を見せてしまうのだろう。

 或いは、馬車からわざわざ降りたのも、門前に屯する者達が治安局の連中だと漏れ聞き、己れの権力を周りに誇示したいがためなのだろう。そんな思惑が見え隠れする。

 ダンブルとはそのような男であった。


 治安局の者達が、内心はどうあれダンブルの登場に、一様に頭を垂れる。

 その中、ガウエンひとりだけが気炎を吐く。


「ダンブル! 領主にでもなったつもりなのか。十年前はもう少し増しな男に見えたが、何とも情けない姿になったものだな」


「なにっ! 誰だお前は」


 十年前のあの日を切っ掛けに、片や、トラッシュの軍事部門のトップに登り詰め贅の限りを尽くし、その間、ガウエンは塗炭の苦しみの中、鍛練に励み鍛えに鍛え抜いてきたのだ。

 二人の姿形を見れば、その生きざまは明らかだろう。


 ずいっと前に出るガウエンから、凄まじい気が放射されると、ダンブルの抱える私兵達はその迫力に思わず後ずさる。

 それは、人の気配とは呼べぬ、野性の獣にも似た気配。

 周りにいる者は、突然、肉食の獣と行き合ったかに感じたことであろう。



「赤子を何処へやった。それに、今回の一件がどういったものなのか、詳しく聞かせてもらおうか」


「赤子? な、何を言っておる」


 答えるダンブルは、明らかに動揺の色を見せて後ずさる。


「ダンブル、お前は昨日の夕刻、黒覆面の怪しい連中を指図して、赤子を抱いた女性を殺害しただろう。覆面で顔を隠していたが、その声、確かに聞いた」


「お、お前はあの時の……いや、知らん、何も知らんぞ。何を訳の分からんことを……」


 また、ガウエンがずいっと一歩前に出る。周りの私兵達は、ガウエンの本気の気合いに威圧され動けず、ダンブルに至っては馬車の取っ手に寄り掛かり、嫌々するように首を振る。

 治安局の兵士達は、突然の事の成り行きに、唖然として二人を傍観していた。

 そして、ガウエンが更にダンブルを問い詰める。


「そして昨夜半に、俺達の泊まる宿を襲撃し、赤子を拐かした黒装束の怪しい連中とも繋がってると見たが、どうだ」


「知らん知らん。赤子などこの屋敷にはおらんし、見たこともないわ」


 何も知らないと白を切り強弁するダンブルは、助けを求めるように私兵や治安局の兵士達を見渡す。


「お前ら、何をしておる! 怪しい男がわしを害そうとしておるのだぞ。さっさと捕まえろ!」


 その声にようやく我に返り、私兵達がガウエンに向かおうとする。治安局の中隊長カシムとその配下の兵士達も、短槍の穂先をガウエンに向ける。


 だがその時。


「ホギャアホギャア……」


 それは、泣き止まぬ赤子をあやすために、バルコニーにでも連れ出していたのだろうか。

 何ともダンブルには間の悪いことに、馬車の後方、屋敷のある方向から折からの風に乗り赤子の泣き叫ぶ声が響いてきたのだ。


 語るに落ちるとは正にこの事――


 赤子の声が響くと同時に、ダンブルは「げっ」と呻くように声を上げ、ガウエンは……。


「押しとおぉぉる!」


 高らかに宣言すると、太刀を抜き放ち、天に届けとばかりに剣気を噴出させた。

 ざわりと、一気にその場の緊張が高まる。


「馬鹿、何を考えてるガウエン!」


 直ぐ後ろにいたダンカンが、必死にガウエンを止めようとする。


「ダン、お前は誰の臣下だ」


「えっ、何を今更……」


 ガウエンの言葉に、慌てて腕を掴み止めようとしていたダンカンの動きが止まる。


「それにお前は、ユラの口利きがあって今の自分があると言っていたな。ならば、俺に協力しろ」


「何を、どういうことだ」


「あの赤子は、ユラの子供。侯爵家の嫡男だ!」


「えっ……」


 ガウエンは懐から一房の赤い組み紐に結ばれた鈴を取り出すと、驚くダンカンにそれを見せる。


「これが、その証拠。この鈴は俺がユラに渡した物。これを、あの赤子は握り締めていた」


「ま、まじか……」


 その鈴を見たダンカンは一言呟くと、目を剥き絶句する。

 ダンカンは、幼き頃のまだトマスと名乗っていたガウエンやユラとの幼馴染み。鈴の由来やその想い、そして二人の関係は良く知っていた。

 だから、天を仰ぐように顔を空に向けると、「あぁ」と両手を頭に乗せ髪をかきむしる。


 だが、それはほんの数瞬の事。直ぐに顔を戻すとその表情は、先ほどまでのへらへらとした情けないものではなく、引き締まった武人の顔付きへと変わり、部下の兵士達を見渡す。

 ダンカンの部下達も、さっきまでの小馬鹿にしたような態度を改め、緊張した顔付きに変わっている。その事から、何だかんだ言いながらも、いざという時はダンカンも部下達から、頼られ信頼されてる事が窺えた。


 そして、短槍を掲げたダンカンが叫ぶ。


「我ら、外縁部警邏隊所属第三小隊は、これより侯爵家御嫡子救出のため、ガウエン殿と行動を共にする!」


 そこで言葉を区切り、ダンブルの私兵達をじろりと睨み付け、振り上げていた短槍の穂先を私兵達に向けてまた叫ぶ。


「突入せよ!」


「おおぉぉぉぉ!」


 途端に喚声上げ、ダンカンの部下達は勇躍して、私兵達に躍り掛かった。

 彼等も、昨夕からの一連の出来事は分かっていた。ダンカンとガウエンが、久し振りの再会を果たしたその場にもいたのだ。だから、ガウエンが侯爵家の関係者だとも知っている。

 それに、先ほどの私兵達が自分達に向ける見下した態度にも腹に据えかねていた。だから、勇んで私兵達に飛び掛かるのも当然だったのだ。


 突然始まった、ガウエン達とダンブルの私兵達との乱戦。


 これに仰天して驚いたのは、ダンカンと同じく治安局に所属する中隊長カシムと、その配下の兵士達。


「ちゃ、嫡子だと……な、なんの話だ、ダンカン」


 ダンカンの言葉に驚くも、相手は自分達が所属する治安局のトップ。確かな証拠が無ければ動くわけにもいかず、手を出しかね右往左往するだけ。それは、配下の兵士達も一緒だった。


 そして、ダンブルも体を震わせガウエンを指差す。


「お、お前は誰だ!」


 ガウエンが目の前にいる男の剣を弾き、その男を蹴倒して答える。


「まだ分からんのか。十年前に、ダンブルお前のその良く回る舌を、引っこ抜いてやると言ったな。今日こそ、本当に引き抜いてやる」


「お前はまさか……」


 ダンブルが目を見開き驚いたように固まる。

 そのダンブルに向けてガウエンが叫ぶ。


「俺の甥っ子、返してもらうぞぉ!」


「ひ、ひいぃぃぃ……」


 ダンブルは悲鳴を上げると、周りの男達に命ずる。


「や、やつを、あの男を引き留めておけ。屋敷から応援を呼んでくる」


 そう、私兵達に言い残し、肥え太った体をよたよた揺すらせ屋敷へと駆け戻っていく。


「待てぇ、ダンブル!」


 ガウエンが声を張り上げ追い掛けようとするが、その前に数人の私兵達が立ち塞がった。


「幻音のガウエンか、相手にとって不足なし」


 この場から逃げ出すダンブルの様子に、動揺の色をみせ顔を見合わせていた私兵達だったが、どうやら、数人は護衛士が混じっていたようであった。その中のひとりが、ガウエンの太刀に括られる鈴に気付き、声を掛けたのだ。


「俺は護衛士の、陽炎のマードッ……」


「知らん!」


 目の前の男が余裕を見せ名乗りを上げようとするが、ガウエンは構わず太刀で斬り付ける。

 男は慌てて、大きく後ろに飛び退き怒声を放つ。


「おっ、お前は礼儀も知らんのか!」


 お互いが名乗りを上げて斬り合うとか、ガウエンにとっては馬鹿げた話である。

 男が飛び退く引き足に、構わず付いて行き、容赦の無い斬撃を浴びせた。


 真剣での斬り合いにいて、相手の勢いに押され考えもなしに退くのは愚策である。相手の攻勢が更に増し、受け手に回ったが最後、攻勢に転ずる余裕がなくなってしまうからだ。


 その護衛士の男も、ガウエンの斬撃を捌くのに精一杯。最初に余裕のあった表情も、引きつった蒼白なものと変わり、もはや肩で息をする始末。


 そこで、ガウエンが一歩後ろに下がると、男は誘われるように一歩前へ、そして、手に持つ剣を降り下ろす。

 それと同時にガウエンも、上段から太刀を真っ向から降り下ろす。


 男の剣は既に、気も乗らず鋭さもない勢いに欠けた死に体の剣筋。それに対するガウエンの太刀は、十分に気も乗った勢いのある剣筋。


 その結果は、火を見るより明らかであろう。


 同時に繰り出された剣と太刀は、途中の交差した瞬間に太刀のしのぎに剣は弾かれる。そのまま太刀は勢いを殺されることもなく、男を真っ向から存分に斬り裂いた。


「うぎぃ!」


 男は断末魔の叫びを上げると、血飛沫を撒き散らして地に転がる。


 端から見ると、同時に繰り出された剣は、それほどの差があるようには見えない。しかし、その僅かな差が、刹那の瞬間に生き死にを決める剣士には重要な差なのだ。その僅かな差を埋め、越えるために、剣士は血を吐くような鍛練を行う。

 そして、その差こそが、一流と二流の剣士を分ける差でもあるのだ。


「囲め! マードックが殺られたのは卑怯な手を使っただけ。ガウエンといえど、俺達とそれほどの差はない」


 残りの護衛士と思われる男達が、ガウエンの周りを囲もうとする。

 その差が見えぬこの男達も、二流の護衛士といえるだろう。


 ガウエンは、ゴーグが昔いっていた言葉、「周りから認められて、初めて一人前の護衛士だ」を思い出す。

 この男達はガウエンにとって、とても護衛士とは認められるものではなかった。


 だが、ガウエンは「ちっ」と、舌打ちして男達を見渡す。その男達の背後に、既に庭園の樹木の陰に見えなくなりそうな、ダンブルの背中があったからだ。


 ――こいつらに時間を掛けてる場合ではない。


 ここでダンブルを逃がす訳にはいかないのだ。そう考えて、歯噛みするガウエンの前にその時……。


「ガウエン、ここは任せろ! お前はダンブルを追い掛けろ!」


 ダンカンとその部下達が、ガウエンを囲もうとしていた男達に襲い掛かっていた。


「大丈夫か、ダン」


「おう、それよりダンブルを逃がすなよ。それに赤子も……さすがに、俺達もやばいからな」


 ダンカンがにやりと笑った顔を、ガウエンに向ける。


「分かった、必ず赤子は救出する!」


「ここを片付けたら、俺達も後を追い掛ける。だから、早く行け!」


 ガウエンはそれに頷くと、ダンカン達が斬り開く道を駆け抜け、ダンブルの後を追い掛けて行く。


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