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 朝陽に空が白み始める頃、ガウエン達が泊まっていた宿の周囲は騒然としていた。


 夜半に、黒装束の怪しき集団に襲われたのだ。その集団は、火焔玉を用いて宿に火を付けようとさえする危ない連中。ガウエンの活躍もあり、襲撃してきた集団を何とか撃退したものの、その際、赤子を拐われてしまったのである。


 朝の明るさの中で見ると、離れにある別館の外壁は黒く煤ぼけ半焼の態を成していた。

 そのため、泊まっていた商会の連中は勿論、宿の本館からその片付けのために、従業員達が集まってきている。それ以外にも、近隣の物見高い住人なども集まり、さながら祭りのような混乱ぶりを呈していた。


 少し離れた場所に立つガウエンは、呆然とした思いを抱え、それらの騒ぎを眺めている。

 あの襲撃の後、もしやと思い皆にも尋ねゴーグを探し回ったが、やはり赤子と共に、その姿は宿からかき消えていた。

 だから……。


 ――何故、ゴーグが。


 そんな思いが、何度も何度も、心の内でこだまのように繰り返されていたのだ。

 ゴーグとは、護衛士として一人立ちする前からの付き合い。時には、その雑な物言いから腹立たしいこともあるが、概ね信頼し兄貴分とも頼む男なのだ。

 だから、何か訳がと、ガウエンは未だに信じられない思いでいた。

 もしや一緒に拐われたのではとも思うが、それはあり得ないことなのだ。


 ゴーグは、護衛士の間では『鉄壁』と異名をとるほどの男。周りに気付かれず、拐っていくなど考えられることではない。


 昨日、ゴーグはガウエンと一緒にトラッシュに到着したばかり、それまでは何時もと変わりはなかったのだ。だから、ガウエンは訝しむ、何故と。


 それ以外にも今回のこの一件、不審に思う事が多々ある。


 ユラの子供だと思える赤子。それは、侯爵家の嫡男となる赤子のはず。それが、周りに侯爵家の者を従えずに、あの女性に抱かれてこの街にいたのもおかしな話なのだ。


 それに、その女性を斬った黒覆面の怪しき男達。中には、騎士らしき男も混じっていたが、それらを指図していた男の少し耳障りな甲高い声に、ガウエンは聞き覚えがあるような気がしてならないのだ。


 そして、昨夜半に襲撃してきた者達。あれは明らかに、そこらの野盗とは一線を画していた。この数年の間にガウエンは何度も、野盗の類いと戦ってきた。

 だから、分かるのだ。

 あの集団の統率された戦いぶりもさる事ながら、黒く塗り潰された漆黒の矢に剣。月夜の薄暗がりの中、ガウエンを目で追うのではなく、気配を読んで立ち回っていた。

 それは、ガウエンが師ローエンと行った、闇稽古と同じような鍛練を行っていた事を意味する。

 闇夜の闘争を想定して訓練を受けた集団。そのような集団、ガウエンには想像もつかない。

 いて考えるとするなら、国の軍部に所属し、特殊な訓練を施された部隊。それぐらいしか、ガウエンには思いつかない。


 それと、侯爵家内での揉め事となると、真っ先に思い浮かぶのは嫡子を巡るお家騒動ぐらいだろう。しかし、侯爵家には、今まで子供に恵まれたといった話も聞いた事がない。それどころか、侯爵自身に、ユラ以外のそれに類いする、浮いた話すら聞いた事がないのだ。

 そうなると、あの赤子がユラの産んだ赤子なら、侯爵家待望の嫡男となる。お家騒動など、起こりようがないはずなのだ。

 それに、侯爵家内のお家騒動であるなら、何故そんな特殊な部隊が侯爵家に絡んでくるのかも分からない。


 それと、ガウエンにはもうひとつ気掛かりなことがあった。それはこの都市、トラッシュの治安局の妙な動きだ。

 ガウエン達の監視も兼ねた警備の兵士を、治安局が寄越していたはずだが、襲撃の前後には居なくなっていた。それはまるで、襲撃に呼応したかのようにも感じてしまうのだ。


 そんな様々な疑問が浮かび、ガウエンにはますます訳が分からなくなり途方にくれる。元々、情報らしいものを何一つ持たないのだ。悩んでも、ガウエンには答えなど出る筈もない。


 だが、ゴーグの事もあり、何より赤子の身が心配なガウエンは動くに動けず、じりじりと、焦りにも似た気持ちに苛まされる。


 ――もはや、一刻の猶予もない。致し方ないが、ここは一切合切を話して、ハンス殿の助力を仰ぐしかあるまい。


 そう、結論づけるガウエンだった。


 今回ガウエンが護衛した商隊は、アトラン王国でも指折りのエゴ商会が運営し、交易のため他国にまで足を伸ばす集団。それを率いるハンスは、エゴ商会の会頭の次男。エゴ商会は、国の中枢は勿論、侯爵家や王家にまで密接な関わりを持つ商会なのだ。

 それ故に、ハンスなら何らかの情報を知ってるのではないかと、ガウエンは考えた。

 実際、昨日も治安局の分所からの帰り道、馬車の中でそれとなく聞いたところ、侯爵家の内情をある程度は掴んでいる様子だと、ガウエンは感じていた。結局、その時には赤子が騒ぎ、宿に着いてからも赤子の面倒を見るのに大わらわとなり、ハンスには詳しく聞けなかったのだ。


 ハンスから現在の侯爵家の内情を聞き出そうと、ガウエンは宿の周囲に目を向ける。しかし、先ほどまで皆を集め、陣頭指揮を取っていたはずのハンスの姿が見えない。建物の中へと入ったのかとガウエンは思い、野次馬で混雑する人混みを掻き分け歩き出そうとする。

 そんなガウエンに、背後から声を掛けた者がいた。


「トマ……ガウエン、無事だったか」


 ガウエンが振り返ると、幼馴染みのダンカンが心配顔に走り寄ってくるのが見える。その背後には治安局の兵士達も続いていた。


「もしやと思い、心配したぞ」


 ガウエンの無事な姿を認めて、ほっとした顔を見せるダンカンだった。だが、ガウエンは慍色うんしょくも顕に、なじるように答える。


「賊の襲撃を受けてから随分と経つが、治安局はまたえらく勿体ぶった、ゆっくりとした登場だな」


「まぁ、そう言うな。此方にも色々とあったんだよ」


 ガウエンの皮肉混じりの口調に、ダンカンはばつが悪そうに苦笑いを浮かべた。

 立ち話を始めた二人を残し、他の治安局の兵士達は慌ただしく建物の方に駆けて行き、早速、野次馬達の整理を始めていた。

 そんな中、ダンカンをじろりと睨み付け、ガウエンは更に険しさの増した口調で言葉を続ける。


「おい、ダン。何故、兵士を宿から引き上げさせた」


「うぅん、その事なんだが、俺にもよく分からん。昨晩は、大規模な怪しげな集団が北門近くに現れたとかで、非常招集が掛かってな。その絡みで、ここにいた連中も呼び戻されたんだろう」


「怪しげな集団だと?」


 ここを襲撃した連中の事かと、ガウエンは一瞬思うが、北門とここではかなりの距離がある。この都市内では、ほぼ真反対の位置になる。その事に、首を傾げるガウエンであった。


「あぁ、結局がせだったみたいで、空振りに終わったがな。朝方まで捜索したが、そんな集団の姿形すらなかった。そんなことで、ここに駆け付けるのも遅れたって訳だ」


 ダンカンは訳が分からんといった様子で、首を振り肩を竦める。

 しかし、ガウエンは治安局のその動きに、ますます怪しいと疑念が膨らむ。


「おい、ダン。それは、どこからどういった経路を辿って、お前達に出された命令なんだ」


「……それは、さすがにぺらぺらと話すわけにはいかないな」


「おいおい、それは無いだろ。こっちは死傷者も出てるんだ。ちょっとぐらい教えろ!」


 ガウエンは怒りに任せ、ダンカンの肩を掴み激しく揺らし詰め寄る。その剣幕に押され、ダンカンは顔をしかめ渋々といった感じで口を開く。


「分かった……分かったから落ち着けよ。上からの命令だ」


「上からだと。ダン、それはお前の上司からの命令ということか」


「いや、もっと上……うぅん、まぁ、いいか。ガウエンは、この地を治める侯爵家の関係者だしな……俺達、治安局のトップ、局長からの直々の命令だったのさ」


「治安局の局長?」


 思いがけない人物に肩から手を離し、ガウエンは唖然となる。治安局の局長ともなると、この都市トラッシュの軍事部門を預かるトップだからだ。


「あぁ、だから、今回のがせ情報に踊らされて出動した事に、誰も文句も言わねえ」


 そう言うと、ダンカンは不満そうにまた肩を竦める。


 ――今回の件に、局長クラスまで関係してるのか。いや、まさか……。


「ダン、その局長ってのは、どういった人物なんだ」


「……ここだけの話だが、これがまた、かなりいけ好かない野郎でな。元々が、この都市どころか、侯爵領の出身でもない」


「ほう、そんな男が良く局長まで、登り詰める事が出来たな」


「まぁな、ここはお前も知っての通り、元々王家の直轄領だしな。それに、局長になるまでに周りに色々と、ばらまいてたようだ」


 ダンカンはも嫌そうに顔を歪め、暗に局長が欲得ずくの人物だと評する。


 ダンカンが言ったように、この都市トラッシュは元々が王家の直轄領。侯爵家自体が、王弟であるアルベール侯爵を当主に据えて新たに興された家柄であった。その際、割譲されたのがトラッシュの都市。

 だから、少し複雑な政体を抱える。

 元からが、交易路の中継地となっていたが、アルベール侯爵が領主となり優れた政治手腕を発揮すると、更なる発展を遂げる事となった。だが、交易路の中継地という側面を持つため、未だ市庁舎の半数の役人は、王都から出向という形になっている。さすがに、上級幹部クラスは、侯爵家の直臣に替わっていたのだが。

 この治安局の局長も、元々は出向組であった。元は王都の下級貴族の三男坊。出世のために、侯爵家の直臣に鞍替えしたのだ。



 ガウエンはダンカンの話に、そうだったかと、首を傾げる。まだ、少年だった事もあり、その頃は低所得地区に住み暮らしていたガウエンには、あまり関わりもなく、都市の内情などよく覚えていなかったのだ。

 そのガウエンの様子に、ダンカンが呆れた顔をした。


「それでな、その局長、名前はダンブルというのだが、出世の切っ掛けとなったのが……」


 そこで言いしたダンカンが、ぽんと手のひらを叩く。


「おぉ、そうだ。ガウエン、お前も知ってるはずだぞ」


「ん?」


「ほら、ユラ様の件で、お前んちに使いに来た男。あの頃はまだ、役所で俺達の地区の担当だった男だ」


「……あっ!」


 それはあの時、ガウエンと取っ組み合いまでした、全身を緑の衣装で纏った男。名前までは知らないが、ガウエンには不幸をもたらした男としてはっきりと覚えていた。


「だから、あの件が切っ掛けで、上の覚えもめでたく、とんとん拍子に出世していったのさ」


 続けて話すダンカンの言葉を、ガウエンは聞いてなどいなかった。

 何故なら、疑問に思っていた事柄のひとつが、その瞬間に氷解したからだ。


 ――あの男、間違いない。あの時の……緑の男。


 そう、赤子を抱えた女を斬り捨てた、黒覆面の者達を指図していた男の声と、緑の男の声がそっくりだったのだ。

 あの当時の事は、何度も夢にまで見た。今でこそ、もうあまり夢にまで見ることはなくなったが、時々はふっと思い出すこともある。だから、緑の男のにやついた顔から吐き出される、少し甲高い猫撫で声は耳奥にこびり付いていた。

 とはいっても、それは十年も前のこと。

 昨日の夕刻に聞いた黒覆面の男の声に、何か引っ掛かりを覚えつつも、上手く十年前の声と合致することが無かった。だが、ダンカンに教えてもらう事によって、それがぴたりと当て嵌まったのだ。


 ――あの男……またしても、俺達の下に不幸を運ぼうとしているのか。


「今度こそ、赦さん!」


 ガウエンの腹立たしい想いが、思わず声となって吐き出されていた。


「ガウエン?」


「……いや、何でもない。それで、そのダンブルとかいう局長は今、どこにいるんだ」


 きょとんとした顔をするダンカンに、少なくともこのダンは局長とは繋がっていないなと感じ、ガウエンはその局長の居所を尋ねた。


「あぁ、まだ朝の早い時間だからな。この時刻なら本部に出勤する前、自宅にいるだろうって、ガウエン、何をするつもりだ」


「決まってるだろ。今から乗り込む。ダン、悪いが案内してもらうぞ」


「う、嘘だろ。出来るわけが、マジかよ……」


 ダンカンはごくりと喉を鳴らして後退りする。ガウエンの眼差しが怒りに燃え、抑えきれない殺気が漂い出ていたからだ。

 もあろう。

 局長ダンブルは過去に因縁があり、今回も、ユラの産んだ赤子を抱えた女性を斬り殺し、昨夜の襲撃の一味に加担していると思われるのだ。

 しかも、ここに来て初めての手掛かり。

 ガウエンが殺気を漂わすほどに、気合いが入るのは無理からぬことであったろう。


     ◇


 四方は、見渡すばかりに腰の高さまで生い茂る草花に覆われ、その赤茶けた地面すら見えぬ草原地帯。その草原に、初夏の涼しげな風が吹き抜け、草花を優しく揺らしていく。


 何とも長閑のどかな風情を醸し出すその草原の中央には、一台の豪奢な馬車が停車していた。


 その馬車の周囲には、重々しい金属製の鎧に身を包む十人ほどの騎士が、軍馬に跨がり辺りに目を光らせている。馬車の周りで、油断なくゆっくりと軍馬を巡らすその騎士達の姿からは、かなりの警戒ぶりが窺えた。


 そして、その馬車は周りの長閑な風情とは真逆に、相当な凶事に晒されていたのが見てとれる。


 整備された街道から離れ、整地もされていない草原に乗り入れたためか、後輪を支えるべき車軸は折れ曲がり、車体を大きく傾けていた。それに、上部の車体自体にもあちらこちらに穴が開けられ、横に伸びる鋭く引っ掻いた傷痕など、破壊の跡が生々しく残されている。屋根に至っては、多数の矢柄がまだ突き刺さったままになっていた。

 それはまるで、今さっきまで、野盗にでも襲われていたかのような有り様であった。


 その馬車の横には、周りの騎士達同様に全身を金属製の鎧で包む男が、苛々とせわしなく体を揺すらせ立っている。その男だけが、他の騎士達と違い兜を被らず、その口髭豊かな素顔を晒していた。

 歳の頃は四十代の壮年。気難しそうに口許を引き結び、不機嫌な眼差しを馬車の下に向けている。

 そこには、御者らしき男が馬車の下に潜り込んでいたのだ。


「ジェイク様、こいつはもう駄目ですぜ」


 車体の下から這い出して来たその男が、顔をしかめながら馬車の横に立つ男に話し掛けた。


「……やはり駄目か。応急措置を施してもどうにもならぬのか?」


「へい、車軸が完全にへし折れちまってまさぁ。こいつはもう土台ごと替えねえといけねえようです」


「ふむ、どうしたものか」


 ジェイクと呼ばれた男が、腕を組み考え深げにため息をこぼす。

 だがその時、透き通るような綺麗な声音が響き渡る。


「ならば、馬で参りましょう」


 その声には、どこか憔悴しょうすいした疲れを感じさせるものでもあったが、それでも尚、澄んだ凛とした調子を崩してはいなかった。


 そして、馬車の扉が開き、侍女ひとりを従えた妙齢の女性が降りてくる。


 身にまとう淡い青色のドレスは、派手な装飾はなされずどちらかといえば簡素。見た目よりは、動きやすさを重視した装いに見える。そして、その頭部は白いベールに包まれ、その素顔、表情までは分からない。

 しかし、そのほっそりとした体つきながらも、成熟さも感じさせる体形。自然と体内から溢れ出る華やいだ気品さ。そして、ベールの下からこぼれ落ちる、艶やかな長い黒髪が陽の光にきらきらと輝き、その女性を相当な美女だと思わせる。


 馬車から降りる際、疲れからなのかその女性は少しよろめくが、横にいた侍女がそっと支えた。


 御者の男は慌てて跪き頭を下げる。そして、馬車の事を気にしてか、「申し訳ねえです」と呟いていた。その横で、ジェイクと呼ばれていた騎士が、眉を寄せ顔をしかめたまま女性に声を掛ける。


「奥方様、危のうございます。今しばらくは、馬車の中に」


「でも、もう馬車は駄目なのでしょう。それなら、何も迷う必要ないのでは?」


「……いや、しかし」


 騎士ジェイクは、周囲に目を向ける。

 辺りは丈の高い雑草が生い茂る草原、この中に胡乱うろんな者が潜み矢を向けられた場合、とても護りきれるものではない。その事を懸念していたのだ。


「これでも、一応は旦那様に教えて頂き、一通りは乗馬もこなせすようになっています」


 騎士ジェイクは、その言葉に苦笑いを浮かべつつ、馬車が辿って来た方向に顔を向ける。それに釣られる形で、奥方様と呼ばれた女性もそちらに目を向け心配そうに呟く。


「旦那様は大丈夫でしょうか?」


 ジェイクは自分の不用意な仕種で、余計な不安を与えた事に気付く。

 そして、「こほん」と空咳ひとつすると、「これは申し訳ありません」と謝り。その場の雰囲気を変えるため力強い声で言葉を続ける。


「我が騎士団の中でも精鋭の者達がお護りしております。何も、心配はございません。我が主、侯爵様は直ぐにも、我らに追い付く事が出来るでしょう」


「……そうですね。私達はそれを信じて先に進みましょう。そして早くあの子を……」


 奥方様と呼ばれる女性も、騎士に気を使ってか、つとめて明るい声で答えていた。しかしその途中で、周囲を警戒していた騎士のひとりが、その跨がる軍馬を近付けて来る。


「団長、斥候に出ていたアルフとマイクの二人が帰って来たようです」


 その声にジェイクが西の彼方に目を向けると、土煙りを上げ騎乗した二人の騎士が駆け寄って来るのが見えた。


「あの者達が良い報告を持ち帰ってくれると良いのですが……」


 女性が物憂げに呟き、ジェイクもむすっとした表情で無言で頷く。


 しかし、遥か彼方まで見通せる草原地帯。遠くに見えた土煙りは、中々近付いてこない。例え軍馬とはいえ、それは仕方の無いことなのだが……。


 しばらくして、ようやく辿り着いた騎士二人が、取り急ぎとばかりに軍馬から飛び降り、ジェイクと女性の前に跪く。

 しかし、ジェイクが開口一番、「遅い! 何をもたもたと……」と叱声が飛び、騎士二人は目を白黒させていた。


「ジェイク殿、もうそれぐらいで、それよりどうでしたか?」


 女性の取り成しで、ジェイクも小言をを言うのを止めるが、まだ口の中でぶつぶつと文句を呟いている。その様子に、恐々(きょうきょう)としながらも、騎士二人は気を取り直し報告を始める。


「やはり、若君はカリナ嬢がお連れしたようです。我々の追跡を振り切り、どうやらトラッシュの街に逃げ込んだと思われます」


「ふん、若君を拐った女に嬢と敬称を付ける必要もない!」


 ジェイクが苦々しく吐き出すように言う。だが直ぐに、「トラッシュとはまた厄介な」と、困ったように顔をしかめる。


「あのは、私が旦那様の側に上がった頃より付き従っていた侍女。何故、こんな事に……」


「確か、あの者はドメス伯爵の縁者でありましたな。今は、貴族院の中でも我らが主、侯爵様に仇なす一派の中心におられるお方ですぞ。大方、伯爵家から何らかの指示が出ておったのでしょう」


「あのに限って……」


 ジェイクの非情な言葉に、衝撃を受けたように女性はよろめく。それを横にいた侍女が必死に支えていた。


「ふむ、こうなっては仕方がない。人数は少ないが、二手に別れ、一方は奥方様をどこぞに隠して護り、もう一方が若君救出に向かうしかないか……」


 ジェイクは周りの騎士達に言うともなく呟き、その人選をしようと騎士達に視線をめぐらす。

 しかし……。


「私も参ります」


 女性がきっぱりと宣言して、ジェイクは大いに慌てる。


「いや、しかし……あそこは領内といっても、少々特殊な状況なのです。必ずしも、我らに味方するとは、もしやすると敵対する可能性の方が高いかと。奥方様が、姿を見せるとあまりにも危険。我らも護りきれるか分かりませんぞ。ここは我らに任せてもらいます。相手も今すぐ若君もどうこう致さぬでしょう。我が主…………」


 ジェイクはそこで言いし、続きの「侯爵様が生きてご無事な間は」との言葉を慌てて飲み込む。そして、自分達が辿って来た後方をちらりと一瞥して身震いする。改めて、侯爵家の未来が自分の双肩に掛かっていると思い、武者震いと共に覚悟を決めたのだ。

 若君は命に換えても救い出すと。


「ジェイク殿、それでも私は参ります。あの子は私がお腹を痛めて産んだ子。どこの世界に、我が子を救うために自分の命を顧みる母親がいるでしょうか。あの子、トマスを救うためなら、私はどのような危険もいとわないつもりです。それに、あの街は私の生まれた街でもあるのです。まだ、知り人も沢山いるはず。必ず役に立ってみせます。だから……」


 女性がよろめかしていた体を、背筋を伸ばしぴしりと立て直す。そして、半ば懇願、だが、毅然とした態度で言い放つ。


「……ふむっ、そうですな。奥方様、ユラ様はあの街のご出身でしたな」


 ジェイクが過去を思い出したのか、少し遠い目をすると、諦めにも似たため息を「ふぅ」と吐き出す。ジェイクにも、この二十にも満たぬ人数を、二手に別ける愚かしさは分かっていた。

 そして、トラッシュの街は奥方様の出身地。

 ならばと、決断する。


「分かりました。それでは皆で、参ると致しましょう」


 そこで言葉を一旦区切ったジェイクは、目の前で跪く騎士二人や、周りで軍馬に跨がる騎士達を見渡す。


「良いか! 我ら一同、命に換えても若君を救い出す。いざ参らんトラッシュへ!」


 ジェイクが剣を抜き、天高く掲げる。すると、周りの騎士達も剣を抜き、同じく一斉に剣を掲げた。

 そして……。


「おおぉぉぉ……!」


 騎士達の雄々しい鬨の声が、長閑な草原地帯に響き渡っていた。




 そう、その女性は名はユラ。かつて、ガウエンの妹であり想い人であった女性。


 奇しくも兄と同じ名前トマスを我が子に名付けたユラと、かつての名を捨て今はガウエンと名乗るトマス(ガウエン)。


 皮肉な運命の女神に導かれ、かつて、二人を分かつ事となった地トラッシュの街で、再び巡り合うべく二人の運命の糸は交差しようとしていたのであった。



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