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 周囲の景色を茜色に染め上げる夕刻、アトラン王国内にある地方都市トラッシュの街並みも茜色に染まり、通りに面した建物の影が石畳に長く伸びていた。

 その地方都市トラッシュの外壁門を、数十台の商隊の馬車が「ガラガラ」と音を鳴らしてくぐった。商隊の馬車群は都市内に入ると速度を落とし、仕事帰りの人が行き交う街中の通りをゆっくりと進む。暫くすると、先頭を走る馬車が、一軒の宿屋の前に辿り着く。すると、御者台の両脇にいた二人の男も、ようやくその表情を緩めた。


「ふぅ、やれやれ。やっと着いたか」


 御者台の右側にいた大柄の体躯をした壮年の男が、いかにも疲れたといった様子で呟くと、御者台から飛び降りる。そして、スキンヘッドの厳つい顔を乗せた太い首を、コキコキと関節音を鳴らして回していた。

 左側にいたもうひとりの男は、まだ二十代に見える青年であった。中肉中背の引き締まった体に端整な顔立ちであったが、右目の横に小さな傷があり、それが近寄りがたい雰囲気をかもし出していた。

 その青年が御者台からしなやかに、すっと降り立つ。その際、腰に吊るした剣の柄に、赤い紐でぶら下がる鈴が「チリン」と、涼やかな音を鳴らす。それが、青年の雰囲気を一変させ、何とも風雅な人を引き付ける印象へと変える。

 そしてその青年は、後ろに流して縛ってある長い黒髪をさっと撫で付けると、物憂げな表情を浮かべて周りに視線を投げ掛けていた。

 そんな二人に、御者の男が「御苦労様です」と声を掛けていると、後ろの馬車から降りた若い男が、二人に歩み寄って来た。


「ゴーグ様、ガウエン様、お二人ともお疲れ様でした。これより十日はこの街に滞在致しますので、十日後にまたお願いいたします。後は、専属の衛士が居りますので、お二方はのんびりとしていて下さい」


 若い男はどこか疲れた表情をしていたが、街に無事に到着した事に気が緩んだのか、ほがらかに微笑み白い歯を覗かせていた。


「了解ですぜ若旦那。お言葉に甘えて、次の出立まで俺たちは、のんびりと羽を伸ばさせてもらいますぜ」


 ゴーグと呼ばれた大柄な男が、相好を崩して答える。もうひとりのガウエンと呼ばれた青年も、無言のまま軽く頷く。

 その様子を見ていた若旦那と呼ばれていた若い男は、「それではまた後ほど」と二人に頭を下げ、周りの馬車に指図するため、足早にその場から立ち去った。


「さてと、どうするかな。先ずは……近くで軽く一杯引っ掛けるか?」


 ゴーグが破顔すると、右手でコップを持つ格好を見せて、クイッと飲む真似をする。


「……いや悪いが、俺はひとりでこの辺りを一回りしてくる」


 ガウエンは物憂げな表情を浮かべたまま軽く右手を上げると、ゴーグに背を向け歩き去っていく。


「おいおいガウエン、何処に行く気だ。まだ、宿の部屋も……あ、たくっ!」


 そのまま遠ざかるガウエンを眺め、ゴーグが舌打ちと同時に肩をすくめた。


「ガウエンの旦那は、どうしちまったんですかね」


 近くで馬をねぎらっていた御者の男が、心配した様子でゴーグに声を掛けていた。


「うぅむ……そういや、前にガウエンから、この辺りの生まれだと聞いた事があったな……」


 ゴーグが答えながら眉をひそめる。


「そうなんですかい。それにしちゃあ、生まれ故郷に帰ってきたにしては、浮かない顔をしてましたねえ」


「……俺達、護衛士なんぞやくざな商売をしてる者は、色々と事情を抱えてるのさ。ガウエンもまた……」


 ゴーグはどこか達観したおもむきで答えると、遠ざかるガウエン背を眺めた。その横で御者の男も首を傾げて、離れ行くガウエンに視線を向ける。二人はガウエンの姿が見えなくなるまで、その背中を眺めていた。


     ◆


 地方都市トラッシュは、アルベール侯爵家が治める領地内にある都市ではあったが、侯爵家の本邸のある、所謂いわゆる領都と呼ばれる都市ではなかった。だが、王国内のほぼ中央に位置するため、交易路を結ぶ要衝でもあったのだ。そのため数多くの商隊が行き交い、交易路の中継地として大いに栄え発展していた。

 ガウエンが護衛士として付き従っていた商隊もまた、その中のひとつでありアトラン王国でも五本の指に入る大店、エゴ商会の商隊であった。

 そしてガウエンやゴーグなどの護衛士とは、契約に基づき人や商隊等、あらゆる物を守護する事を生業とする者達を総じて、人々からそう呼ばれていた。国や傭兵団、或いは商会等の決まった団体に属さず、あくまで個人で仕事を請け負う者達が、護衛士と呼ばれているのである。

 その護衛士に成るには、これといった資格があるわけでなく、今日から俺は護衛士だと名乗れば誰でもなれるが、おいそれとは仕事が貰える訳でもない。そこはやはり、実力や長年の経験と実績がものを言う世界であった。有名な護衛士が護っていると噂になるだけで、盗賊などの難から逃れることが出来る事から、依頼をする際にはおのずと、名を成し信用できる者に依頼が集中してしまうのは世の道理である。

 そしてガウエンもまた、この護衛士の世界に飛び込んでから十年の月日が経ち、そこそこに名を売り信用できる者に成っていたのである。

 今回の仕事、港湾都市アレッサルから王都アマラスまでの商隊の護衛も、エゴ商会から直接請け負った仕事であった。エゴ商会にも専属の衛士はいるが、商隊の格を上げるためフリーの護衛士を数人雇っているのである。

 ガウエンもまた、その中のひとりであり、既に今まで数回、エゴ商会の仕事をこなしているガウエンにとって、今回の仕事は気楽なものでもあった。


「あれから十年か……」


 ガウエンは目を細め呟くと、感慨深げに街並みを眺め通りを歩く。


 ――何も変わっていないな……。


 そう、この街トラッシュは、ガウエンが生まれ育った街であった。十年前、家出同然に飛び出して以来の、久方ぶりの帰郷だったのだ。細かい所は確かに変わっているのだろうが、大きな物、例えば建物や街並みは十年前と何ら変わっていない。街並みのあちらこちらに視線を飛ばして懐かしく思うと同時に、苦々しい思いが心の底から込み上げてくるのを、ガウエンは押さえる事が出来なかった。

 ガウエンにとってこの街は、苦い思い出のある場所でもあったのだ。それ故に、長い間この地に訪れる事もなかった。


「ふぅ……」


 ガウエンはため息にも似た短い息を吐き出すと、左右に首を振りつつ通りを歩く。

 その動作に剣の柄にぶら下げた鈴がまた「チリン」と、清浄な音を響かせる。その音にふと足を止めるガウエン。視線の先を、剣の柄にぶら下がる鈴へと向ける。


 ――お前も慰めてくれているのか。


 しかし直ぐに、物言わぬ鈴に問い掛けていた自分に自嘲し苦笑いを浮かべると、ガウエンはまた歩き出す。だが、幾分かは気持ちが和らいだのか、その表情を僅かに緩めていた。


 暫くしてガウエンは、通りの外れにある大樹の前で足を止める。その大樹にはたわわと真っ赤な実がなり、夕陽を浴びて輝いていた。


 ――まだ、このアドリアの樹もあったのか。小さい頃はこの周りで……よく遊んだものだったが……。


 ガウエンは、大きく外に張り出した太い枝を眩しげに見上げて、幼き日々に思いをせる。


   ◇


「トマスにい様! にい様ばかりずるいです。私にもアドリアの実を!」


 幼き日のガウエンは太い枝に体を乗せ、周りに実ってるアドリアの実をもぐと、口の中へ放り込みその甘さに顔を綻ばしていた。その様子を樹の下で眺めていた妹のユラが、頬を膨らませて文句を言っていたのだ。


「何だ、ユラも欲しいのか?」


「だって、兄様が美味しそうに食べてるもの」


「ユラは俺と似て食いしん坊だな、ははは」


「それは、兄妹だから……」


 樹の下では妹のユラが、少し恥じらいを見せはにかんでいた。しかし直ぐに、ガウエンの側に行こうとして「んしょんしょ」と、アドリアの樹を登ろうとする。


「おい、危ないぞ。ユラにはまだ早い」


「だって、ユラも兄様と一緒の景色が見たいもの」


 そんな健気な事を口にする妹に、ガウエンは思わずはっとして顔を綻ばせる。


「もう仕方ないなぁユラは……」


 ガウエンは優しげな眼差しを向けると、声を掛け手を伸ばす。

 ユラがガウエンの手を借り枝の上で隣に腰を下ろすと、ガウエンはいたずらっぽい笑みを浮かべた。そして、近くに実るアドリアの実をもいでユラに渡す。

 ユラは「ありがとう」と、小さな両の手のひらでそれを受け取り、嬉しそうに早速かぶり付いた。

 しかし……。


「……すっぱぁい!」


 途端に、口をすぼめて顔を歪める。


「はっははは、まだ熟していなかったようだな」


「兄様の意地悪! 知っててわざとやったでしょう!」


 隣で大笑いするガウエンを、ユラが口を尖らして睨んでいる。


「はっははは、ごめんごめん。まさかこんなに簡単に引っ掛かるとは。はっははは」


「ユラは何時でも、兄様の事を信用しているのに……兄様の馬鹿! もう、知らない!」


 ガウエンが謝りながらユラの頭を撫でようとすると、怒ったユラは身を捩ってそれを躱そうとする。が、その拍子に体を枝から滑らせ落ちていく。


「あっ、ユラ!」


にい様!」


 慌てたガウエンは手を伸ばしてユラの体を抱き締めるが、樹の枝から二人して真っ逆さまに落ちてしまった。ユラを庇うため、自らを下にして先に地面に落ちたガウエンが、ユラの下から声を掛ける。


「……ユ、ユラ、大丈夫か?」


「はい、ユラは兄様のお陰で。兄様は……えっ!」


「僕も……」


 そう言って身を起こすガウエンだが……。


「大変! 血が出てるわ!」


 ガウエンの右の目尻の横からだらだらと頬を伝って血が流れ、顎先からぽたぽたと雫がこぼれ落ちていたのだ。


「……これぐらいの傷、つっ!」


 傷口を手のひらで押さえるガウエンが、その痛みに顔を歪める。本来は痛みと流れ出す血の多さに驚き、泣き喚きたいところだったが、ユラの手前、それをじっとこらえ耐えていた。

 反対にユラの方が「兄様、兄様」と叫びながら、ガウエンにしがみついている。


「でも、兄様のお顔に傷が……」


「こんな傷ぐらい、男の勲章だ」


 強がるガウエンを、ユラは涙混じりの瞳で心配そうに見詰める。そしてユラは責任を感じたのか、突然突拍子もない事を言い出す。


「……大人になったら……ユラが兄様のお嫁さんになったげる」


 本来は子供の戯言ざれごとと聞き流す突然のユラの宣言に、ガウエンは痛みも忘れ驚き戸惑ってしまう。何故なら、ユラとは兄妹といっても、血の繋がらない兄妹だったからだ。

 ガウエンの父親は隣国との争いにかり出され、その戦地で亡くなってしまい、母親もまたその心労から父親の後を追うように亡くなった。残されたガウエンは、父方の遠縁にあたる夫婦に引き取られ育てられたのだ。ユラはその家のひとり娘だった。

 とはいっても、ガウエンもユラもまだ十にも満たぬ幼き子供。ガウエンも照れからなのか、諾とも否ともとれぬ妙な返事を返してしまう。


「ユラに何かあった時は、僕が必ず駆け付け助ける!」


 それを聞いたユラが嬉しそうに、ぎゅっとガウエンに抱き付いていた。


     ◇


 ――その後、いつまでも流れる出る血に驚き、二人して大声を上げて泣いていたなあ……。


 結局は近所の人がその泣き声に驚いて駆け付け、大事には至らなかったが、サラの両親であるおじさんやおばさんに、後でこっぴどく叱られたものだ。

 その事を思い出したガウエンは、表情を緩めて苦笑いを浮かべる。

 しかし直ぐに、淋しげな表情に変わると、目尻の横にある傷跡を指先でそっと撫でさする。

 そして大樹の向こう奥にある、少し離れた場所に建つ家屋に目を向ける。その家屋こそが、ユラ達一家が暮らしていた場所であり、ガウエンがこの街から飛び出すまで、共に暮らしていた家でもあった。だが、その家屋は長い間人が住まなかったためか、半ば朽ち果て廃墟と化していた。


 ――もう久しく誰も住んでいないのか……。


 その家屋に近付くガウエンの心に、一抹の寂寥感が去来する。


 ガウエンを引き取ったユラの両親は、実に面倒見の良い夫婦であった。ガウエンに対しても我が子の如く接し、ユラとは本当の兄妹のように分け隔て無く慈しみ育ててくれたのだ。

 親を亡くし鬱屈うっくつしていたガウエンが立ち直ったのは、ユラ達一家のお陰であった。


 ――俺はこの地で、もう一度幸せを取り戻せると思っていた。そう、あの十年前のあの日まで……。


 いつの間にか陽は沈み、ガウエンが見上げると、頭上の夜空には真円に近い月が浮かんでいる。

 満月の月明かりは意外と明るい。といっても、昼間とは比べるべくもなく、辺りは仄暗い明るさになっていた。その月明かりにほのかに浮かび上がる家屋を眺めると、どうしても感傷的になってしまうガウエンであった。


 だがその時、家屋に歩み寄るガウエンの耳に、何かを叩き壊すような物音が聞こえてくる。それは前方の、かつて住み暮らしていた家屋の中から聞こえてくるようであった。

 ガウエンは歩みを止めると、眉根を寄せて怪訝けげんな面持ちで家屋を見詰める。すると今度は、「しゃあっ!」と誰かが発した気勢が届く。それと同時に何者かの闘争の気配が濃く漂い出てくるのである。


「むぅ……これは」


 思わず剣の柄に手をかけ身構えるガウエン。すると目の前にある家屋の玄関口から、扉を突き破るようにして若い女性が走り出てきた。その両腕には、布で包まれた大きな物を抱えているのが見えた。

 しかもその後からは、黒覆面に顔を隠した数人の者達が、女性を追い掛けるように飛び出してきたのだ。

 その中のひとりが女性に追い縋り様に、手に持つ剣でその背中を斬り裂いた。


「くぅっ!」


 女性は呻き声を上げると、血飛沫を撒き散らしてその場に倒れる。その際、手に持つ包みが余程大事なのか、我が身を挺して庇うようにして地に転がった。

 黒覆面の男はその女性にとどめを差そうと、尚も剣を向け突き入れようとしている。


「ユラ!」


 ここに妹のユラがいるはずもなく、まったくの見当違いであるのだが、過去の想いに囚われていたガウエンには、その斬られた女性があたかもユラであるかのように感じてしまっていたのだ。そのため、激情にかられたガウエンは女性の元へと駆け出し、腰に吊るしていた剣を鞘走らせる。と、「キンッ」と音を鳴らして、覆面男の剣を下から掬い上げるように弾いていた。


「何者だ! 邪魔立てすると命を落とす事になるぞ!」


 一番最後に家屋の中からゆっくり現れた、同じく黒覆面をした男が甲高い声を発した。

 その声に我に返ったガウエンは、剣を構えながらちらりと倒れる女性を一瞥いちべつする。


 ――やはり、ユラではなかったか。何をやってんだ俺は……。


 ガウエンは「ちっ」と舌打ちしながら、事情も知らず割って入り、尚且つ剣を抜いてしまった自分に毒づく。


 既に覆面をした男達は、ガウエン達を囲むように散開している。


 いまさら剣を引くこともできぬと、咄嗟に覚悟を決めるガウエン。油断なく、周囲にいる覆面の男達に視線をわす。


 ――相手は、十人か……。


「構わん! その男諸共斬り捨てぇい!」


 賊達の後方に位置する男から、もう一度甲高い声が発せられた。すると、覆面の男達は剣を連ねて、その囲む輪をじりじりと縮めてくる。

 それに対しガウエンは、「ちりん」と鈴音を鳴らして手に持つ剣を、くるりと回して鞘内に納めた。そして体を半身に開き、右の手のひらを剣の柄に添えて腰を落とす。その姿勢は、右肩を前に突き出すように前屈みとなる奇妙な構えであった。

 その所作に周囲の覆面の男達は、戸惑うように動き止める。


「気を付けろ。その男、鞘走りの技を使うぞ!」


 先ほど甲高い声を発した男を護るかのように、その横にひょろりとした背の高い男が立つ。その男がくぐもった低い声で警戒の声を発した。

 その刹那せつな、周囲の男達がその声に注意向けた隙を逃さず、ガウエンが瞬速の動きを見せる。

 一歩、前へと踏み出すと。


「シャン! シャン!」


 鈴のが鋭く鳴り響き、月明かりに煌めく刀身が夜の闇を切り裂き二度閃ひらめく。


「ぐっ!」


 途端に、ガウエンの前にいた二人の男が、その手から剣を取り落し手首を押さえて呻き声を上げた。ガウエンの放った瞬速の斬撃が、男達の手首を切り裂いていたのだ。

 ガウエンはその勢いのまま、男達の横を駆け抜け囲みを脱すると、すぐさま転身して背後から襲い掛かる。


「シャンシャン!」


 薄闇を、鋭く鈴音が切り裂く度に、男達の呻き声が上がる。

 薄暗がりの闘争にいて、多数が絶対的有利だとは限らない。同士討ちを怖れまごつく相手の間を駆け回り、ガウエンは的確に相手の手首を切り裂き、戦闘不能へと追いやる。

 存分に切り裂くのではなく、軽く剣を振るう飛燕の如き動きを、薄暗がりの中では中々捉えられるものではない。

 相手は暗闇での戦闘に不慣れなようであったが、ガウエンにとっては手馴れたものであった。


「何をしている! 相手はたかがひとり、押し包んで討ち取れぇ!」


 首魁と思しき覆面の男が、その甲高い声を枯らして叫ぶが、最早ガウエンの動きは止まらない。

 小気味良い鈴のが、薄闇の中、拍子を刻む。その拍子に誘われるかのように、男達はガウエンの前に体を投げ出し、簡単にその刃で斬り裂かれる。

 人とは不思議なもので、音によってリズムを刻まれると、自然とその拍子に合わせて動いてしまう。それを逆手に取り、鈴の音によって相手の動きを操り斬り捨てる。

 これぞ、ガウエンの秘剣【鈴音の剣】であった。


 たちまち、周囲の男達は全て、手首を斬り裂かれて呻いていた。


 残るは首魁の男と、その男を護る背の高い男の二人のみ。


「これ以上まだ争うというなら、次は命を絶つ!」


 ガウエンが高らかに言い放つと、二人を気合いのこもった眼差しで睨み付ける。


「おのれぇ……」


 首魁の男は憎々しげに発する言葉とは裏腹に、既に腰は引けガウエンの迫力に後退さる。

 だが……。


「妙な剣を持ち、妙な技を……面白い。女をひとり斬るのに駆り出され腐っていたが……このような所で、お前のような男に出会うとはな、くっくくく」


 もうひとりの背の高い男は、ガウエンの気合いにも動ぜず、逆に愉しげな様子で陰に隠った含み笑いを漏らす。

 その男はすらりと腰の剣を抜き放ち、体の前で中段に構えると、するすると前に出てきた。


 ――厄介な、本格的に修練を積んだ剣か。


 ガウエンは、驚嘆と共に目の前の男を眺める。

 男のどっしりとした構えには、一分の隙も見いだす事が出来ないのだ。

 ブロードソードと呼ばれる両刃の大剣を体の前で真っ直ぐ構え、ガウエンにゆっくり近付いてくる。そのゆったりとした所作には、正式に剣の修行に励んだ者だけが持つ並々ならぬ修練の後が窺えた。

 それに相対するガウエンの手に持つ剣は、男が妙な剣と言うようにこの辺りでは見かけない、りの強い片刃の剣。東方の国で鍛えられた大太刀と呼ばれる物で、嘘か真実まことか、天から堕ちてきた星を鍛えて打った神刀“天雲あまくも”と呼ばれる太刀。天に掛かる暗雲を切り裂き、陽の光を導くと云われる謂れのある太刀。

 ガウエンに剣を教えた師が世の中から隠遁する際、ガウエンに餞別代わりに贈って寄越した太刀でもあった。


 その太刀を「ちりん」と鈴の音を鳴らして、またしても鞘内に納める。

 そして、ガウエンは先ほどと同じく、前屈みに半身の構えをとる。


「ふんっ、確かにこの薄暗がりの中での鞘走りの技は避け難い。が、不意打ちならいざ知らず、そのような小賢こざかしい技、この俺には通用せんぞ」


 男はガウエンを迎え撃つかのように、頭上高く上段に構えを変えると、周囲を圧するか如く烈火の気を発して迫る。

 月明かりの下、双方一撃必殺の構えで対峙し、男がじりじりとガウエンに近寄り、剣の間境まざかいを越えようとした時に……。


「ちりん」


 再び響く鈴に音。

 ガウエンが腰に差した太刀の柄頭を、「とん」と軽く叩いたのだ。

 その鈴音に男がぴくりと反応する。僅かに揺らぐその隙に、ガウエンの瞬速の剣が横薙ぎに伸びる。

 咄嗟に、男は「ちっ」と舌打ちして後ろに飛び退き、辛うじてガウエンの斬撃を躱す。が、先程までと違い、大きく体勢を崩していた。

 そこに、ガウエンの掬い上げるような二の太刀が、下から襲い掛かる。

 その太刀を、男は身をよじり躱しながら剣を強引に降り下ろす。その剣撃に、ガウエンもまた大きく体勢を崩した。

 互いが相手の斬撃を辛うじて躱すと、その横をすり抜けその身を入れ替える。そして、二人がほぼ同時に転身し、振り向き様の斬撃を繰り出す。


「ギィン!」


 乾いた音と共に火花を散らして、お互いの剣を弾き返す。

 二人は、これもまた同じく、ほぼ同時に大きく後ろに飛び退き距離を取る。


「ふぅ」


 二人は短い呼気を吐き出すと、さっきと同じ構え、男は上段に、ガウエンはまたしても納刀して腰を落とした。

 男の額には薄く傷が走り、黒覆面が捲れ微かに血を滴らす。しかし、ガウエンもまた右の二の腕を浅く傷つけられ血を流していた。

 お互い浅傷あさでを負い、技量は伯仲するかに見えたが……。


鈴音すずねを上手く使うようだが……そのような騙し討ち、二度目は通用せぬ。所詮は我流の邪道の剣。正式な剣の前には児戯じぎに等しい」


 男が「ふんっ」と、鼻で笑って言い放つ。


「……我流かぁ……これでも一応は師がいるのだがな」


 ガウエンが、ふてぶてしくも苦笑いを浮かべて答える。


「ほぅ、師がいるのか。そのようには見えなかったが……その師は余程、教えるのが下手だとみえる」


「まあ、下手というか……だが、そこそこに名の通った師ではあったのだが……」


「ふむ、有名とな……師の名は何と?」


 二人は剣を向け合ってるとは思えぬほどの軽い調子で、まるで長年の知己と世間話するかの如き態であった。だがそれは、次の斬撃に全てを決するため、お互いがその間に気息を整えていたのだ。


「我が師の名はローエン」


「剣獣ローエンか!」


 その名を聞いた男は、僅かに身動みじろぎ、少し後退さる。しかし直ぐにまた鼻を鳴らして、言葉を繋ぐ。


「……道理で、品の無い野獣のような剣」


「確かに、野人のようなお人だったが……」


 ガウエンは何かを思い出すかのように苦笑するが、直ぐに言葉を続ける。


「剣に付いて教わったのは三つ。遅巧より拙速、速さは全てに優る。実戦では卑怯もない、勝つ者が全てだ。そして最後に、斬り覚えよとだけ」


「ククッ、斬り覚えよか。剣獣ローエンらしい……」


 男の何かを知っているかのようなその物言いに、ガウエンはおやっと不審を覚えて首を傾げる。


「師を知っているのか?」


「……いや、知らぬ。ただ、何度か見掛けた事があるだけ……その実戦に裏打ちされた剣を見せて貰おうか……」


 そこまで言い差した男が、「もはや頃合い」と、一気に気勢を上げる。


「はあぁぁぁ!」


 気合いを発する男の殺気がのし掛かり、ガウエンを圧する。

 それを払い除けるかのように、ガウエンは「シッ!」と、短く呼気を発して柄を持つ手に力が隠る。

 二人の気が満ち、互いが斬撃を繰り出そうとした時……。


「ピィィィィィ…………」


 夜の静寂を破り、笛の音が長く尾を引き街中に響き渡った。


「お前ら、そこで何をしている!」


 龕灯の明かりを手に持つ数人の男達が、「バタバタ」と石畳に靴音を響かせ駆け寄ってきていた。その男達は揃いの制服を身に付け、明かりを持つ男を先頭に各々が短槍を手に持っている。


「むっ、治安局の連中か。不味い……退けぇ! 退けぇい!」


 それまで推移を見守っていた首魁の男が退け時の声を上げ、その身をひるがえして夜の闇の中に退いていく。周りで手首を押さえ呻いて男達も、よろよろとその後を追いかけて行く。


「どうやら、邪魔が入ったようだな」


 ガウエンと対峙していた男も、走り来る警備兵達にちらりと一瞥をくれると、上段に構えをとったままじりじりと後ろに退がる。

 そして、ガウエンからある程度距離を取った所で、身を翻して闇に融けるようにその姿を消すした。


「この先、また出会う事となりそうだな。それまで、勝負は預けておくとしよう。くっくくく」


 闇の中から、男の含み笑いを伴う声だけが、ガウエンに届いてきていた。


 トラッシュの治安を預かる警備兵達は「待てぇ!」と大声を上げて、その後を、闇に消える黒覆面の男達を追い掛けて行く。

 その騒ぎの中ガウエンは、ようやく「ふぅ」と安堵の溜め息を吐き出した。


 ――あの男、恐るべき使い手であったが……あの剣筋は、国の騎士団等で教える正式な剣術……一体、何者なのであろうか?


 男が消えた闇を見詰めるガウエンに、背後から「うぅぅぅ」と人の呻く声が聞こえる。

 振り返ると、覆面の男に斬られたはずの女性が苦悶の声を上げ、這いながらもこの場から逃げ出そうとしていた。


「安心いたせ、既に賊は逃げ去った」


 安心させようと声を掛け、ガウエンはその女性に歩み寄る。が、その女性はきっとまなじりを上げ、余程大事なのか大きな包みを抱え込み、ガウエンを睨み付けると懐剣の切っ先を向けてくる。


「俺は怪しい者ではない。今日この街に着いた商隊の護衛士だ。名をガウエンという」


「……護衛士の方……」


 苦笑を浮かべるガウエンに女性は震える声でそう呟くと、力なく懐剣を握る手が下に落ちる。


「まずは傷の手当てを先に……」


 ガウエンはそうは言ったものの、女性の背中に受けた傷はかなりの深傷ふかで。流した血の量からも、もはや女性が助からぬと判じる。

 だが、それでも叱咤する声を掛けた。


「後少しの辛抱だ。直ぐに医者の元に……」


 しかし、女性の顔色は見る間に蒼白に変わり、息も絶え絶えにまぶたを閉じる。


「おい、しっかりしろ! 気をしっかり持つのだ!」


 ガウエンの叱咤しったに、ようやく瞼を開けた女性が、今度はすがるような眼差しをガウエンに向けた。そして、胸に掻き抱く包みを、ガウエンに押し付けるように渡してくる。


「……こ、この子を……五日……いえ、三日も守護……さすれば必ずやきっと……」


 ガウエンは、そこで初めて包みに目を向けた。

 そこには毛布に包まれた、真っ赤な頬をした可愛らしい赤子がすやすやと眠っていたのである。


「……護衛士の方、どうか、三日の間この子を……どうかお願い致し……」


 それは己れの死期を覚った女が、最後に一縷いちるの望みをガウエンに託そうとしているかのようであった。

 だが、そこまで言い差した女性の首が、そこで力尽きたのか、がくりと落ちる。


「おい、しっかり致せ!」


 ガウエンは慌てて女性に声を掛けるが、すでに息絶え物言わぬむくろと化していた。


 ――参ったな……。


 それが今の、ガウエンの正直な感想であった。

 女性の今際の願い、そう無下にも出来ず引き受けてやりたいが、流石に事情も知らず赤子を預かる訳にはいかない。

 そう思いつつ女性に手を合わせ、赤子を抱き上げ眺める。

 赤子は、母御かも知れぬ女性が身罷みまかった事を知らぬのか、気持ち良さそうに眠っていた。


「ふっ、これだけの騒ぎの中で眠るとは、何とも豪胆な赤子だなぁ」


 少し表情を緩めたガウエンが、赤子の頬を指先で軽くつつく。

 途端に、赤子がむずかり首を嫌々するように左右に振る。と、その拍子に、「ちりん」と鈴の音が鳴った。


 ――ん、今のは……。


 その鈴の音はガウエンの剣からではなく、赤子の握り込まれた手の平の中から聞こえた。

 不審に思ったガウエンは、赤子の手のひらを開ける。

 そこには、赤い紐に括られた鈴が握られていたのだ。しかもその鈴は、ガウエンの持つ鈴と全く同じものに見える。少し色褪せているが、赤い紐も鈴の大きさも形も全てが同じ魔除けの鈴。

 ガウエンの持つ魔除けの鈴は、元々二つでひとつであった。あの日、ひとつであった鈴を二つに別けてひとつはガウエンが、もう片方は……。


 ――ユラ、お前なのか。まさか、この子はお前の……。


「おい、そこの男! 大人しく武器を捨ててばくにつけ」


 赤子の鈴に動揺していたガウエンは、いつの間にか衛兵達に囲まれていた。元より、ガウエンも流石に治安局の兵に抵抗する気はない。

 だが、女性の亡骸が転がり、その前で動揺した様子を見せる男が立っているのだ。兵達はかなり殺気立ち、短槍の穂先をガウエンに向けていた。

 ガウエンは深呼吸をして心の動揺を静めると、落ち着いた声で答える。


「待て、俺は今日この街に着いたばかりの護衛士のガウエン。たまたま、通り掛かって巻き込まれただけだ」


「……護衛士のガウエン? あの幻音げんねのガウエンなのか?」


 幻音のガウエンとは、護衛士仲間の中で呼ばれている通り名であった。いつも鈴の音を鳴らして剣を振るう姿から、そう呼ばれていたのだ。


「本物なのか?」

「見ろ、噂通り剣に鈴が括られてる……」


 囲んでいる兵達がざわつく。それと共に、剣呑けんのんな雰囲気が弛緩しかんする。それどころか、兵達は畏敬の眼差しをガウエンに向けていた。

 その衛兵達の様子に、怪訝な顔をするガウエン。


「護衛士の話は、よく治安局の中でも話題になるのさ」


 不審を覚えるガウエンに、目の前にいる若い兵が苦笑して答えてくれた。


「……俺も有名になったものだな……」


 ガウエンは何ともいえぬ、複雑な表情を浮かべる。


「なぁに、俺達は非番でな。さっきも、そこの俺の家で仲間達と飲んでる時に、最近の護衛士の中で誰が一番強いのかなんて話題になってな。ちょうど、あんたの話が出たところで、近所の者がここの騒ぎを知らせに来て、それで駆け付けという訳だ。だからな……」


 そう言った男は、ガウエンとさして歳がかわらぬ若い男であった。その若い男は根が陽気な質なのか、短く刈り込まれた茶色い髪を照れたように掻くと、朗らかにニヤリと笑う。

 ガウエンが衛兵達を見回すと、確かに今まで飲んでいたのか、皆、顔に赤みが差し少し酔っているようであった。


「……それは、楽しみの最中に迷惑を掛けたようだ」


「まあ、それは良いが、一応は武器を預からしてもらうぞ。それと、近くの詰め所で事情を……」


 その若い衛兵は、言い掛ける途中で何かを思い出したのか、眉を寄せて押し黙る。そして、ガウエンの顔をじろじろと眺め、背後の廃墟となった家屋を見詰めると、「ぽんっ」と手を打ち破顔する。


「おい、お前……トマスだろ? いや、絶対そうに違いない。その目尻の傷は、そこのアドリアの樹からおっこちて出来た傷跡だろ?」


「ん?」


「俺だよ、ダンカンだ。ほらっ、そこの角の家の次男坊だった、ダンカンだよ!」


「……ダンなのか?」


 ダンことダンカンは、少年時代のガウエンの数少ない友人のひとりだった。


「おぉ、思い出したか。俺は今、この街の警邏隊の小隊長をしてる。といっても、昇進したばかりだけどな。今日も、その昇進祝いに集まって飲んでた所に、この騒ぎだ。まったく……」


「そうか小隊長に……そいつはおめでとう……」


 どこか歯切れの悪いガウエンの口調に気付かず、ダンカンは嬉しそうにガウエンの肩に手を回すと、周りで不思議そうな顔をしている衛兵達を見渡す。


「皆、驚くなよ。こいつは俺の幼馴染みで、何と、そこの家に住んでた」


 ダンカンが廃墟となっている、かつてガウエンが暮らしていた家屋を指差した。途端に衛兵達は、「えぇぇ!」と驚きの声を上げる。


「隊長、そこの家は……」


「おう、そうよ。そこはあのおユラ様の生家。そしてこいつは、そのおユラ様の兄上トマスだ。どうだ、驚いただろ」


 衛兵達は慌てて槍の穂先を下げると、揃って頭を垂れる。


「……俺には関係ない話だ。偉くなったのはユラであって、俺はただの護衛士……」


 ガウエンは苦々しい思いでぼそりと呟く。

 緊張の色をみせざわつく衛兵達が、怪訝な面持ちで声を落としてダンカンに尋ねる。


「しかし……この方は、先ほどガウエン殿と……」


「そういえば、そうだな。おい、トマス?」


 ダンカンは首を捻り、物問いげな視線をガウエンに向けた。


「……トマスの名は、十年前に棄てた。今は剣の師に名付けてもらった、ガウエンという名を名乗っている」


 ぶっきらぼうに言うガウエンに、きょとんとしたダンカンだったが、直ぐに何かを思い出したのか、無言のままガウエンの肩を軽く叩いた。


「そ、そうか、それにしても、久し振りだな。トマスは、いや、今はガウエンか……この街に帰ってきたのか?」


「……たまたまだ……」


 少し顔を歪めて言い淀むガウエンは、背後にある家屋に視線を送って言葉を続ける。


「商隊の護衛で、たまたま寄っただけだ……」


 そこまで言うとガウエンは、夜空に浮かぶ真円に近い月を見上げる。


 ――あの日も、雲ひとつない月夜だったな。


 そして、胸に抱く赤子が握り締める鈴に目を落とす。

 ダンカンが昔を懐かしみ、嬉しそうに話し掛けてくる横でガウエンは、適当に頷き受け答えする。

 だが、その心内では……。

 久し振りに訪れたこの街でかつて名乗っていたトマスの名を呼ばれ、心底慄いていた。それは、心の奥深くに固く封印していた想いが、その固い表層を押し破り溢れだしてくるのを、抑える事が出来ずにいたからだ。



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