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第五話

 

「何が僕の味方だ。廃嫡宣言を受けた途端手のひらを返したように態度を変えたのはお前じゃないか。それまでは婚約者であることを取り繕う程度にしか口出ししてこなかったくせに」

 ヨシュアは肩を怒らせ、すっかり日の昇った廊下をどかどかと進む。時折、仕事の為に登城してきた貴族達とすれ違い、その度に値踏みするような視線を受け、ヨシュアの苛立ちは増すばかりだ。

「最初からあの女の戯言を鵜呑みにした僕が間違っていた。ふん、まあいいさ。どちらにしろ縁を切るんだ。これ以上あの醜い顔を見なくて済むと思うと清々する。……おい!ヴェルナベッタとアイリスを呼べ!それから食事の用意を!」


 やっと自室にたどり着き命令をくだす。一人がけのテーブルに座り待つヨシュアの元にしばらくして料理は運ばれてきたが食べ終わっても女たちが部屋に来ることはなかった。

「なぜ、僕が呼んだのにどちらも来ないんだ!もういい!誰でもいいからここに呼べ!」


 ヨシュアは頬杖をつき苛立たしげに指でテーブルを打ち鳴らす。けれど待てども待てども女は誰一人ヨシュアの前には現れず、用事があるので行けませんと素っ気ない伝言が届いただけだった。


 太陽は中天に昇り、窓の外には絵画のように色鮮やかな世界が広がっている。突き抜けるような青い空。瑞々しい光を反射する緑葉。燦然と存在を主張する真紅の薔薇たち。ヨシュアはそれを眺め、部屋に目を戻すと忌々しそうに顔を顰め乱暴に立ち上がった。

「どいつもこいつも!どこまで僕を侮辱すれば気が済むんだ!どうして僕ばかりこんな思いをしなければならない?僕が何をしたというんだ!!?……どうして」

 ヨシュアの怒りは一瞬で沸点に達し、瞬く間に鎮火する。熱い息を吐き出すとよろよろとベットに向かい、そのまま倒れこんだ。

 柔らかなベットに包まれ、自身を守るように体を丸めると、目を閉じ、耳を塞いだ。

 彼を排除しようとする世界を自ら遮断するかのように。


 体が重い。頭には霞がかかったようにぼんやりとする。押さえつけていた感情が奔流となって溢れ出し、浮き彫りになる。





 ヨシュアの母は野心家だった。

 ヨシュアを次代の国王とし、自身が国母となるために心血を注いだ。

 世間が見れば、跡取りはヨシュアしかいない。けれどイザベラの心には妄執が取り付いていた。

殺したはずのカトレアの子供が帰ってきて、王座を奪っていく、と。

 国王はカトレアを深く愛し、イザベラを省みることは一度としてなかった。カトレアが死に、イザベラが王妃となっても、ヨシュアがただ一人の王子となってもそれは変わらず。イザベラは一層王位に執着した。出来の悪い息子を叱咤し、王に相応しい人間となるべく育てた。

 ヨシュアは母の期待に答えようとした。国中の期待に答えようとした。凡庸な自分に鞭打ち、努力を重ねた。

 そんなヨシュアにも国王が目を向けることはなかった。

 死んだ息子を思い、後を追うように死んでしまったカトレアを思い。思い出の中に身を埋め、悲しみを紛らわすように政務に励んだ。


 努力してやっと人並みにこなし、血反吐を吐いても優秀な者に肩を並べる事すら出来ない。

 そんな彼を人々は嗤う。

 “あの方が王となれば国は滅びるだろう”

 “この国もお終いだ”

 “他に王となるに相応しい方はいないのか”

 “陛下にご兄弟はおらんし、王家の血筋であるヴィーズリー公爵家も今はオスカー公ひとりだ。あの方も六十を過ぎているし、後継は望めないだろう”

 “ヨシュア様がどんな方でも我らはあの方を王にするしか道がないのだ”

 “いや、王の権限など取り上げてしまえばいい。自身が操り人形になろうと愚昧な王子は気づくまいよ”

 “それはいい考えだ。ヨシュア様には玉座に大人しくお座りいただいて我らがランベールの更なる発展のために尽力しようではないか”

 声を潜め、国の未来を憂えて眉を寄せ、口元には隠しきれない笑みを浮かべて。


 王になるのが当たり前。努力するのが当たり前。出来なければ、母から叱責が飛び、貴族たちが嘲笑う。

 無能だと蔑まれ、仕方ないとため息をつかれ。

 それでも彼に流れる血が彼を王へと担ぎ上げる。


 ヨシュアは必死に期待に答えようとした。よく頑張ったねと母が笑って褒めてくれるかもしれない。努力し続けたら父が振り向いてくれるかもしれない。

 これまでの日々が報われる時が来るかもしれない。


 けれど、ヨシュアが抱いた淡い望みは決して叶うことはなかった。


 母は最後までヨシュアを見ようとはせず、妄執と悲願を胸にこの世を去った。父はイザベラの死にただただ色濃い疲労を滲ませ、過去の幸福の中に閉じこもった。

 貴族たちはそう遠くないうちに降ってくる宝を拾うための準備を始め、国民は近づいてくる破滅の音に身を震わせた。



 ヨシュアは母の死を前に思う。

 今まで一体なんのために努力してきたのだろう。努力しようとしまいと、王に相応しくともそうでなくとも、結局は王になるしかないのだ。ランベールの王となる資格があるのはヨシュアだけで、母が疎ましく、いや恐れていた黒髪の悪夢だってどこにもいない。

 無能だろうとヨシュアがヨシュアでなかろうと王の息子である彼の未来はすでに確定している。


 胸中を虚しさが満たす。打てども打てども手応えはなく、還るものは一つもない。

 果てしなく空っぽの心が広がるばかりだ。


 誰もヨシュアを見ようとしないなら、足掻こうと何も変わらないのなら好き勝手に振る舞うだけだ。


 だから、ヨシュアはすべてをやめた。努力することも、王子らしくあることも。

 未来の王妃の座を狙って寄ってくる女どもを片っ端から受け入れた。腹の中に何を抱えているか知らないが女たちは存外心地よかった。鼻腔をくすぐる匂いは甘く、妖艶な唇が紡ぐ言葉は蜜のように脳髄をとろけさせる。抱き締めれば羽のように柔らかくヨシュアはあっという間に女たちの熱に溺れていった。気づいた頃には女狂いとまで揶揄されるまでになっていた。


 その結果がこの様だ。

 不変だと思っていた未来を自らの手で壊してしまった。

 母が恐れていた悪夢は舞い戻り、ヨシュアは王の座を失った。

 本当はヴァレットに真実だのと今さら言われなくとも分かっていたのだ。ヨシュアの価値はただひとつ。国王の唯一の跡継ぎであるということ。

 それがなくなれば潮が引くように人々はヨシュアの元を去っていくだろう。

 中途半端に賢しい自分は見たくもない現実を目前に見ないふりをしていた。

 分かりたくなどなかった。この手には何もないのだと思い出したくもなかった。

 愚かなままの方がずっとずっと楽だった。


 なのに、ヴァレットはこんなタイミングでヨシュアの心中を引っ掻き回す。端から持ってなどいないものを取り戻せと言う。

 悔しくないのかと、これでいいのかと、ヨシュアに疑問を与えとっくの昔に枯れた心に無理やり水を注ごうとする。


 そのくせヨシュアをせせら笑い屈辱を植え付けようとする。

 ヨシュアにはヴァレットのすべてが理解できなかった。

 けれどーー……



「……もう、すべてはどうでもいいことだ。どうなろうと僕の知ったこっちゃない」


 ヨシュアは思考を振り払い、心を閉ざす。しばらくして訪れた眠気に身を任せれば、真っ暗闇がヨシュアを取り込もうとする。

 ヨシュアにはそれだけのことがただただ心地よかった。

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