第四話
コンコン。
返事を聞く前に扉を開ける。部屋の主はノックの音で誰が来たのか分かるらしく、ヴァレットがノックしても応対しようとしないからだ。
「おはようございます。ヨシュア様。お目覚めの時間ですよ。いつまで惰眠を貪っておられるおつもりですか?」
手に持っていたランプを入り口に置くとヴァレットはずかずかとベットまで歩み寄り、掛布をはぎ取った。ヨシュアは呻きながら目をこじ開けると、窓の外を見てからヴァレットを睨みつけた。
「……お前は陽の光も見えない夜明け前を起床時間というのか?」
「時間は限られていると申したはずです。体を休める以上の眠りなど不要。ヨシュア様は十分休息をとっていたのですから問題ないでしょう」
彼女の後ろからは侍女たちが遠慮がちに入ってきていた。身支度のために顔を洗う桶や、着替えを準備し始める。
「朝食の前に昨日言っていた剣の稽古を開始しましょう。三年間、剣にはまったく触れていないでしょうから大分腕がなまっているはずです。基礎の基礎からやらなくては」
「……そんなものに何の意味がある。王になったとしてもどうせ役には立たない。やるだけ無駄ではないか」
往生際悪くベットにしがみついていたヨシュアは敢え無くヴァレットに引き剥がされた。
ぽいと侍女に投げ渡し『身支度を』と簡単に指示するとヴァレットは扉に向かう。
「おい!なんだその態度は!私を誰だと思っている!!」
ヨシュアはぞんざいな扱いにいきり立ったがヴァレットは歯牙にも掛けずこう言い置いてさっさと部屋を後にした。
「あまりの不甲斐なさに廃嫡を言い渡された女狂いの駄目王子です。汚名返上したいのなら、目を覚まして第二訓練場に来てください」
ヨシュアは屈辱に顔を歪ませ、拳をきつく握り締める。
作業していた侍女達はヴァレットのあまりの言い草に顔を真っ青にして思わず手を止めた。
王太子を廃嫡されると言っても本決まりではなく、王子という身分に変わりはない。ヴァレットが王家の次に権威を誇るヴィルヴァラン家の令嬢でありヨシュアの婚約者だとしても立場を弁えた分別のある言葉を用いるべきだ。
それに何よりヴァレットへの怒りが我が身に降りかかってきたら。八つ当たりを恐れた侍女達だったが意外にもヨシュアは無言で身支度を始めた。
次女達も慌てて準備を手伝い、窓から淡い陽光が漏れ出した頃、ヨシュアはヴァレットの後を追い第二訓練場へと向かった。
「ちょうど空も明けましたし、さっそく素振りから始めましょう。基本の型は覚えておられますか?」
ヴァレットはヨシュアが来たのを横目で確認すると訓練場の隅に何本も立てかけてある刃を潰した練習用の剣を指し示した。
「まさかお前が剣術の稽古をつけるのではあるまいな?」
ヨシュアは不審げに周囲を見渡すが他には誰もいない。いつもは近衛兵が鍛錬をしていたりするが、ヴァレットが事前に人払いをしてあるため早朝でも比較的賑やかなこの場所にはヴァレットとヨシュアの二人しかいなかった。
「後ほどクレーヴ師に頼もうと考えておりますが彼も暇ではありません。不肖、私がヨシュア様の実力を見極めてから話を進めようかと」
「お前がだと?……人を馬鹿にするのも程があるぞ。昨日からおとなしく聞いていれば言いたい放題。お前は何様だ?いつから王子である私より偉くなった?」
ヨシュアは剣を二本手に取るとその内の一本をヴァレットの前に放り投げた。弾みで刀身が半分飛び出し、朝日を受けて鈍く光を反射する。
ヨシュアもまた剣を鞘から抜きさりその切っ先をヴァレットに向けた。
「見極めると言うのなら、さぞ剣の腕に自信があるのだろう。素振りよりも剣を合わせた方がよほど実力が分かるというものだ。そうだろう、ヴァレット?」
嗜虐的な笑みを貼り付けながら瞳の奥には隠しきれない憤激がありありと浮かんでいた。
ヴァレットは無言で屈み、剣の柄を掴むとそのまま鞘を抜き払い構えをとった。左足を下げて、左手を後ろにまわし、切っ先を正面下に向ける。
「よろしいのですか?剣を交えることをお許しいただけるのなら手っ取り早くて助かります」
ヴァレットは余裕の笑みを浮かべる。そんな彼女に対しヨシュアは更に激昂し、剣を持つ手がぶるぶると震えた。
「どこまで僕を愚弄するか!」
ヨシュアはヴァレットに突進し、勢いのまま剣を振り下ろす。カン!と鈍い音が鳴った後には雌雄が決していた。
「…………クッ!!」
ヨシュアは痺れる右手を庇い、憎々しげにヴァレットを睨んだ。
ヴァレットは側に落ちていた鞘を拾って自身の持っていた剣を収めると、ヨシュアに向き直り、静かな眼差しをひたと据えた。
「ご理解いただけましたか?あなた様には今、何の力もございません。たったの一撃で剣を手放してしまうほどに。以前のヨシュア様でしたら女相手にこんな無様な負け方などなさらなかったでしょう」
「…………何が最善を尽くすだ。本当は廃嫡した僕を嘲笑いたいだけなのだろう」
ヨシュアはぎりぎりと歯噛みし、こう吐き捨てた。ヴァレットは首を横に振り言葉を続ける。
「私はヨシュア様を軽んじているわけではございません。すべてが終わった暁には数々の失言、平伏してお詫び申し上げます。
けれど今、ヨシュア様にもっとも必要なのは真実です。貴族の大半が上辺では笑顔を取り繕い、内心で蔑んでいることでしょう。ヨシュア様を支持している貴族達ですら手のひらを返し、さっさと見限るかもしれません。
そうならないために、まずは我慢することを覚えてください。感情に身を任せるのではなく、その憤りを原動力にしてください。
私は信じています。ヨシュア様ならば何事も成し遂げられると」
ヴァレットは手に持っていた剣を捧げるように両手で差し出した。その様は騎士が主に忠誠を誓うようにも見える。けれどヨシュアは無言のままそれを見つめ、力任せに振り払った。
剣はがしゃんと惨めな音を立てて、あっけなく地面に放り出される。
「……お前の戯言などうんざりだと言ったはずだ。もう二度と私の前に姿を見せるな」
ヨシュアは踵を返し、足早に去っていく。その後ろ姿を引き留めることなくヴァレットはただその場に立ち尽くした。