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歪みきった恋の歌  作者: 水澤しょう
5/7

仮面 ~5~

「みっちー放課後に呼び出されてるんでしょ? 松木に」


 そんな話題が飛び出したのは、気まずいことがあってから一週間ほど後の、昼休みのことだった。


 如月みちるは摘まんでいたおかずを弁当箱の中に取り落とした。彼女にしては珍しく動揺している。


「――うっそやだーっ! なんで知ってるのー!」


 それでも、きららかな笑顔を崩すことなく対応する辺り、もはやプロ根性としか言い様がない。


「松木がめっちゃ言いふらしてるよ! 『頑張る! 俺!』とか言って」

「それガチな奴じゃーん!」

「ちょっとみっちーも頑張ってよー?」

「そんなんじゃないってばーもう!」


 如月みちるは飽くまで笑っているが、素性を知っている人間からしたら、見ていて痛々しいほど辛い場面である。


 男子全般が嫌いでも、まだ憎からず(?)思う相手なら救いはあった。しかし如月みちるは、人気票だけでクラス委員になった、委員としては頼りにならない松木を唾棄しているのだ。そいつに放課後呼び出されて、そしてそれがクラスに広まっている。


「ねねね、どこに呼び出されたの?」

「ぜーったいに教えない! どうせ何人かで見にくるでしょ?」

「じゃあー松木に訊こ!」

「あれ、松木は?」

「中庭じゃね?」


 噂のもうひとりの中心人物は、いつもどおり友達とともに太陽の下だ。きっと放課後への意気込みでも語っているのだろう。


「あんまり邪魔しないほうがいいんじゃん? 告白なんだし」


 助け舟のつもりか、はたまた素だったのか、のんびりとした雰囲気を持つひとりの女子がごはんを食べつつ言う。それもそうかー、と賛同者が増えてくると、如月みちるはほっとしたように息を吐いた。


 人気者は楽じゃない。と俺は教室の右斜め後方で思った。自分ならごめんである。そもそもなれないが。


 ぼんやりとそう考えていた俺は、ふと如月みちると目が合った。


 一瞬だけ向けられる、不安げな瞳。


 俺だから向けてくれたんじゃない。俺が彼女の素性を知っている人間だからだ。誰か無難な人に少しでも感情を吐露したくて、知ってほしくて、俺をその捌け口に利用したに過ぎないこと。


 すぐに視線は逸らされる。クラスの誰も、この遠距離交信に気が付かない。


 秘められた刹那の逢瀬のよう――という自分の考えを急いで振り払う。こんなことを考えるのは、直前が古典の授業だったからだろうか。自分で自分が気持ち悪い。如月みちるにあの目で気持ち悪いと見下されるのは好きかもしれないが、自分のことを自分で気持ち悪がるとなると、少し違う。


 俺が欲しいのは、あの目だ。あの目がこちらに向いている瞬間が、たまらなく好きなのだ。


 あの目以外は欲しくならないし、あの目が他人に向けられるかと思うと――反吐が出る。


 基本的に闘争心のない俺が珍しく覚えた嫉妬の感情が、まさかこんな形で現れようとは。俺は机に肘をつくと、誰にもわからないように、こっそり自嘲した。


    ★


 言っておくが、期待するのは浅ましい、と自覚はしている。そのうえで浅ましいことをしているのだから、誰も突っ込まないでほしい。俺はがらりと引き戸を開けた。


 相変わらず埃っぽくて殺風景な演習室Cには、人の姿はなく、俺は静かに溜め息を吐くしかない。

 期待するのは浅ましい。しかし、それでも期待してしまうのは、なぜか。恋か。まさかの恋か。


 足取り重く、演習室内に歩を進める。

 如月みちるはHRが終わるや否や、誰からも話しかけられないうちに教室を飛び出していった。数人がにやにやしながらその後ろ姿を見送り、時間を置いてから今度は松木がクラス中に応援されながら去っていった。


 窓を開け、室内の空気を入れ替える。ふたりでこの演習室に頻繁に駄弁りにくるようになれば、埃くらいは取り除いたほうがいいかもしれないと先週まで思っていたが、そんな必要はもうないような気もする。


 夕方になって風が出てきたのか、冷たい空気がひやりと頬を滑る。もうすぐ合服期間も終了だ。そしてあっという間に冬が来る。うう、と俺は身を縮めた。


 かさり、という微かな音に気付けたのは、彼女が来るかもしれない、とまだ期待していたからだ。俺は弾かれたように振り返った。誰もいない。しかし――


 風に煽られて、教室後方の机の上で動いている紙片が目に入った。


 落っこちてしまう前に、慌てて手を伸ばす。紙片をつかんでから気が付いたのだが、そこは如月みちるの手を無理やり取った席だった。


「――マジ」


 紙片は、松木から如月みちるに宛てたメモだった。今日来てほしい場所、時間が書いてある。


 彼女だ。彼女がこれを、ここに置いていったのだ。俺は演習室を飛び出す。

 期待は半分だけ応えられたらしい。

 場所は西校舎裏。

 時間は、すでに少し過ぎている。


    ★


 何回も転びそうになりながら階段を一階まで駆け下り、下駄箱で靴を履き替え、昇降口から外へ飛び出す。生徒が何人か俺を奇異の目で見たが、まったく気にならなかった。


 しばらく走って西校舎の裏に滑り込むと、


「だからね、松木くん」


 控えめな話し声が聞こえてきた。ぴたりと立ち止まり、近くの壁に身を隠す。辺りに他の生徒の姿はない。幸運だ。松木もひとりなのである。


「松木くんとは、そういう関係になれないっていうか……あんまり考えられないっていうか」


「考えられなくて当然だよ。如月っち、男と付き合ったこととかないっしょ?」

「ないけど……ね」


 委員長にしても、素顔にしても珍しく、如月みちるの歯切れが悪い。初めてというわけでもないだろうに、上手く断りきれていない。しつこいのだろうか。


「松木くん、かっこいいんだし、もっと可愛い子のほうがお似合いだと思うなあ」


 一ミリも思っていないことを口に出すのはいかがなものかと。俺はブレザーのポケットに手を突っ込んで、息を整えながら苦笑した。


 素顔を見せてしまえば、『仮面』を剥いだなら、松木の心を離すことは格段に楽になる。そんなことは、如月みちる本人もわかっているはずだ。


 それでも、それをしないのは、やはりクラスメートに素性が知れるのが怖いからなのだろう。


「如月っちだって可愛いよ。それに、委員長同士とか、すげーお似合いじゃん」

「えっと」

「だーいじょーぶ」


 松木が如月みちるの手を取る。彼女の肌が粟立っていくのが、遠目からでもなんとなくわかる。同時に、むか、とダマになった不快感が、胸の中に落ちていくのが感じられた。


「俺がいろいろ、教えてあげられるからさ」


 如月みちるがその手を振り払ったのは、その時だった。ぎっ、と視線を上げた彼女は、すでに委員長の顔をしていなかった。


 心底気持ち悪いものを見つめているような、嫌悪感の込められた、目。その視線の真っすぐ先には、拒絶されて驚く松木。


 その時の俺は、どれほど暗い目をしていただろうか。

 ブレザーのポケットから手を出す。


 ああ――反吐が出る。


 如月みちるの視線が松木に向けられていることも、彼女が手に入って当然だと思い込んでいる松木のことも、こんなにも彼女に執着している自分のことも。



 でも、今、本当の意味で一番反吐が出そうになっているであろう人物は――

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