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歪みきった恋の歌  作者: 水澤しょう
4/7

仮面 ~4~

「如月さん」


 帰りのHRが終わった。相変わらず女子に囲まれて笑顔を振りまく如月みちるに、俺は無遠慮に声を掛ける。周りの女子が訝しげにじろじろと見てきた。あたり前だ。いつも教室の右斜め後方で静かにしている空気が、いきなりクラスのマドンナに話しかけたら、何事かと思うだろう。


「ちょっといい?」


 それらの視線を振り切り、輪の真ん中にいる如月みちるを誘う。

 彼女は迷っているようだった。えっと……と目を伏せる。


 しかし、これ見よがしにブレザーのポケットに手を突っ込むと、彼女は諦めたように小さな溜め息を吐いた。




「坂元があたしを呼び出すとか生意気」


 彼女がそう言ったのは、階段を上り始めてからのことだった。


「一応四月二日生まれなんだけど」

「生まれ順の話じゃなくて」


 うんざりしたような返答を後ろに聞きながら、五階へ到達。相変わらず人の気配はなく、遠くに三年生たちの声が聞こえるだけに留まっていた。


「で、なんか用? それともからかいに連れてきただけ?」


 演習室Cに入り、窓をひとつ開ける俺の背後で、如月みちるが後方の席に着き、椅子の前脚を浮かせる。


「俺が誘わなくてもここには来たんじゃないの?」

「否定はしないけど超むかつく」


 如月みちるは不機嫌そうな溜め息を吐くと、自らの震える身体を抱き締めた。


「胴を触られるのはきつい?」

「高一の初期なら家帰ってから吐いてた」

「吐いてたんだ」


 意外な事実に目を丸くする。如月みちるは肯定しようとして「――待って」と俺をびしっと指差した。


「スマホ、出して電源切って」

「別に今日は録音してないよ」

「いいから切れっ!」


 さすがに昨日の嫌がらせが堪えたらしい。俺は肩をひとつ竦めてみせると、ポケットの中からスマートフォンを取り出し、電源を切って、窓際の机の上に置いた。


 顔は怒ったままだが、如月みちるは満足げに鼻を鳴らして、ぷい、と前を見た。


 ふと、疑問に思っていたことを尋ねてみる。


「……どの程度までなら、平静を保てるの?」


 俺の唐突な質問に、しばらくの間を置いてから、如月みちるは「はあ?」と柄悪く返してきた。


「だから、どこをどのくらい触られたら『誰もに好かれる委員長』的スマイルが崩れるのかなって」

「……知らないよ。ほんとは指一本でどこ触られたって、その手を叩き落してやりたいくらいだし」

「そっか」


 俺はスマートフォンを手に取ると、窓の傍を離れた。演習室の後方にいる如月みちるに近付く。


「ちょっと測ってみようか」

「え? ――なに?」


 顔を上げ、近くに寄ってきた人影にようやく彼女が反応した時には、俺はすでにすぐ傍まで来ていた。


 思わず逃れようとした彼女の左手を、俺の右手で机の上に押さえつける。


 ひっ、と喉の奥から息のような悲鳴が漏れるのが聞こえた。


「ここに『誰もに好かれる委員長』はいないから……そうだな、如月さんが本気でこの手を振りほどくのを限界だとしようか」

「離し」


 コン。と固い物がぶつかり合う音で、如月みちるの言葉を遮る。見せつけるように、左手でスマートフォンを机の上に置くと、彼女は大人しくなった。


 押さえつけた彼女の手も、肩も、長い髪の毛先も、かすかに震えている。

 以前の俺なら、女子のこんなところを見たならば同情のひとつもしただろう。


 しかし――


「っ!」


 逃げるように宙を惑っていた右手も、がっちりと手首から捕まえる。両手でしっかり繋がった俺たちは、端から見れば何事かと思うほど、互いに戦々恐々とした空気を醸していたことだろう。


「……ねえ、如月さん」


 囁くような声で、ゆっくりと名前を呼ぶ。顔を上げるように促したつもりなのだが、彼女は反応しなかった。


「如月さん」


 さっきよりも毅然とした声音で呼びかけながら、両の手に少し力を込める。如月みちるはびくりと身体を震わせると、


「……この外道」


 ぎっ、と強い目で睨んできた。

 知らず、こぼれ出る笑み。

 この目に睨まれる感覚を憶えてから、俺は彼女にただ同情することは出来なくなっていた。


「……すごい顔」


 俺が彼女の嫌悪的な視線を好きだと知ったら、どんな目をするだろうか。

 きっとまた、気持ち悪いものを見るような目をして、俺を悦ばせるだけなんだろうな。そう考えると、いろいろおかしくて笑えてくる。


「……なに」

「いや、ね」


 口元が緩みすぎるのを抑え、じっと如月みちるを見つめ返す。男子との接触で、視線は有効か否か。


 答えは有効で、彼女は頬を朱に染まらせて、歯を食いしばった。しかし、目は決して逸らさない辺り、生来の気の強さを感じる。


「……いつか如月さんが男子にキスなんかされた日には、一体どうなるんだろうね」

「してみれば」


 憤った声で返される。


「あんたの制服にゲロ吐いてやる」

「……ぷ」


 思ってもみなかった言葉に、小さく吹き出して笑う。彼女らしいといえば、まさにその通りだ。いかにも本気な辺り、とか。


「如月さんさ、怖いもの見たさって知ってる?」

「制服汚れるよ」

「逃げるよう善処する」

「やめて」


 如月みちるは俺の手を振りほどこうと藻掻いた。が、そこはやはり男女の差。俺の手が緩むことはない。


「離して。お願いだから」

「やーだよ」

「ほんっとに――」


 それは、調子に乗った罰だった。



 あ、と思う間もなく、



「――」


 如月みちるの下瞼に、透明な液体が乗っかる。


 表面張力。この状況で、なぜかそんな言葉を思い出した。


 でも、そんな力が働いていたのは、ほんの少しの間のことだ。ダムは瞬く間に決壊し、それは頬と机に転がり落ちる。

 重すぎる沈黙が、演習室を襲う。これは明らかに俺が悪い。彼女をからかいすぎたことも、彼女の頬の筋から目を離せずにいることも。


「……ごめん」


 ゆっくりと、彼女の両手を解放する。自由になった彼女は、手の甲でごしごしと目元や頬を拭った。


「…………もう行ってもいい?」


 目の周りを赤くなるほどこすった後、ようやく如月みちるは口を開いた。俺は頷くほかない。

 如月みちるは最後にもうひと睨みしていくと、席を立ち、足早に演習室を去っていった。鼻を啜る音が、やけに響いて聞こえた。



 机に残る水滴を見つめる。静かでがらんとした演習室内において、唯一そこだけが彼女のいた形跡のようで、妙に浮き上がって見えた。


 ――なんだか、未だかつてなく舞い上がっていたのが、嘘のようだ。


 彼女の涙が塩分だけを残して乾いてしまっても、俺はその場から動けずにいた。


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