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歪みきった恋の歌  作者: 水澤しょう
2/7

仮面 ~2~

「お前、なんでそんな鬼気迫ったような顔してるの」


 本鈴が鳴る一分前に教科書を返した友人から、向かい合った瞬間にそう言われた。おかげでなるべく平常心を装ったまま、自分の教室に戻ることが出来た。


 五限は英語だった。如月みちるが素晴らしい発音で長文を読み上げ、教室中の拍手喝采を受けた。彼女に読ませると一番流暢なため、先生が面倒くさがってわざとしょっちゅう当てている感は否めない。


 周りの礼賛に笑顔を返しながら、如月みちるは席に着いた。

 冒頭でも言ったとおり、俺は教室の右斜め後方から、彼女の完璧人間然とした姿を見ていて、いつも思うことがある。


 彼女は、誰に対しても本気で笑わない。


「よく読めてたぞ、如月。他の奴らも読む練習しろよ。音読大事だからな」


 毎度お決まりのこの台詞に、クラスの数人が間の抜けた返事をする。如月みちるは照れたように笑っていた。

 初めて違和感を覚えた時は、自分のことながら下衆の勘繰りかと考えを改めたものだった。

 しかし、見れば見るほど、如月みちるがクラスメートの女子に囲まれて笑い合う時には、ひとりだけ温度が低く見えて――


「坂元、六行目まで和訳」

「あ、はい」


 当てられて、如月みちるに向けていた視線を手元のノートに落とす。


「personalityという言葉は、ラテン語で『仮面』を意味するpersonaから来ており――」


 今日、五階であの光景を見て、俺は確信した。

 如月みちるは、きっと誰にも心を開いていない。

 だから、誰かに対して本気で笑うなんて、はなから有り得ないのだ。


「――人格とは、表向きを整えるための『仮面』なのである」


    ★


 その日の帰り際、たまたま職員室の前を通りかかった俺は、中で如月みちるが化学担当の先生と話し込んでいるのを見かけた。


 廊下の壁に寄りかかって、その様子を見守る。周りの目には、職員室に呼ばれた友達を待っているだけのように映るだろう。


 回転椅子に腰掛け、如月みちるを見上げながら話す化学担当。

 うちのクラスの化学担当は、まだ年若く、決して醜男ではない風貌から、女子の人気を集めている。


 如月みちるはその若手教師の話を聞きながら、時に相槌を打ち、時に笑みをこぼし、楽しげに談笑していたが、


「わざわざ持ってきてくれてありがとう。引き止めてごめんな」


 最後にポンポンと肩を叩かれた瞬間、彼女の右足が半歩ほど後ずさったのを、俺は見逃さなかった。



「如月さん」


 職員室から出てきた如月みちるに、すかさず声を掛ける。化学担当との話が終わり、気が緩んでいたのか真顔になりかけていた如月みちるは、俺に話しかけられると「なあに?」と顔に笑みを貼りつけた。


「米山に用だったの?」


 一メートルほど間に距離を挟み、喋りながら歩き出す。「忘れ物をね」と如月みちるは返した。


「六限の化学で、先生が教卓に腕時計を忘れていったから、届けに行ったの。それからしばらく世間話」

「そう」

「坂元くんはこのまま帰るの?」

「そのつもりだけど」


 そっか! と彼女が言ったのを最後に、暫しの沈黙が横たわる。もともと俺は如月みちるとそこまで仲がいいわけではないので、会話が弾むわけもない。


「じゃあ、ここでバイバイかな!」


 二階へ続く階段の下に来て、如月みちるが言った。


「気を付けて帰ってね! また明日!」


 一段目に足を掛けた彼女の後ろ姿に「ねえ」と声を投げる。


「五階に行くの?」


 瞬間、如月みちるの足が止まった。驚いたようにこちらを振り返る。


「……どうして?」


 それでも、即座に余裕を取り戻し、笑顔で対応する辺り、さすが委員長。


「紅茶のパックもなにも持ってない時は、一体なにを床に叩きつけるわけ?」

「見てたんだ」

「それとさ」


 じり、と彼女ににじり寄る。一段高いところにいる如月みちるは、俺よりもわずかに目線が高い。


「キモ……っていうのは、肩を触った松木に対して? それとも」


 さらに近付くと、彼女はこちらに身体を向けたまま、器用に一段、階段を上った。大股で再び一歩距離を詰めると、今までにないほど、如月みちるに身体が近くなった。


「この世の男すべてに対して?」


 彼女はもはや、笑ってはいなかった。正確に言うと、口元には相変わらず微笑みが浮かんでいたが、常に優しいはずの目が、まったくもって笑っていなかった。


 ずかずかと、それも土足で自らのパーソナルスペースに入ってきた男子に向ける視線。


 それはまさに、嫌悪以外の何物でもなかった。


 引き攣った笑顔で、素晴らしい顔色の悪さのまま、俺を見下ろしてくる如月みちる。


 これだ。この目だ。思わず見入ってしまうような、雄弁な目。

 本日二度目の興奮と高揚感に包まれながら、俺の喉が、ごくりと鳴った。


    ★


「キモいね、確かに」


 演習室Cの窓を開け放ちながら、如月みちるははっきりとそう言った。


「松木も米山も、誰に許可取って肩触ってんだよって感じ。ふざけんな、あたしの身体の、あたしの肩だっての」


 しばらく使われていなかった演習室内は、埃っぽい上に空気が淀んでおり、窓から外気が入ってきたことで、清涼感が広がっていくのが感じられた。


「そして坂元」


 入口の俺に振り返り、敵意を含んだ厳しい目を向ける。


「あたしが男性恐怖症だって勘付いてて近付いてこないでよ。ただでさえ米山の件で機嫌悪かったのに。そういうの悪趣味だよ。性格悪いよ」

「そこまで言う?」

「言う」


 あ――と女子にあるまじき声を上げながら、自らの肩を抱く如月みちる。


「松木も米山も、思い出しただけでほんとに鳥肌立ってくるわ。キモい。マジで無理」


 とめどなく口汚い罵り言葉を吐き続ける彼女は、紅茶のパックを床に叩きつける代わりに喚き散らしているように見えた。


「なんでそんなに男がだめなの?」


 適当な席に着きながら尋ねると、如月みちるは小さく鼻を鳴らして、窓の外を見た。橙色の雲が流れる空。それも、この季節はすぐに紺色に染まってしまうのだけど。


「……小学生の時、母親の再婚相手がね」


 その時点で彼女の家庭環境の複雑さが垣間見え、俺は早くも訊いたことを後悔していた。


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