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うごいているせかいというもの

 スクールバスを降りて、大学の敷地内に入ると校門の脇に咲いている満開の桜が入学式に文字通り花をそえている。やっぱり桜が咲いていると雰囲気も違う。

 大講義室で僕たち新入生は入学式が始まるのを待っている。やっぱりスーツはまだ慣れなくて、ネクタイを結ぶのにも二十分くらいかかった。きっと一番似合ってないんだろうな。周りを見わたして、そんなことを思う。僕は一人ぽつんと席に座っているけれど、部屋の中はにぎやかだ。

 あちこちで話をする声が聞こえる。もともと高校が一緒だったのか、ガイダンスの日に知り合ったのかはわからないけど、気軽に話ができる相手を作るコミュニケーション能力は大学生には必要なのかもしれない。

 自分に今足りないものはいくつくらいあるんだろう。そんなことを考えていたら「まもなく、入学式を開催しますので、新入生の皆さんは講堂に移動してください」というアナウンスがあった。講堂に向かう人で、ドアの辺りは混雑している。僕は七割方の人が移動を済ませて、講義室に人が少なくなってから講堂へ向かった。

 講堂では、入学式の準備が整っていた。当たり前か。新入生の席が埋まり次第始まりそうな雰囲気だったので、僕は慌てて後ろの方の椅子に座る。職員の席に少し空きがあるけれど、みんな正装で厳かな空気を感じる。来賓の人も結構いて、僕にはわからないけれど、みんな偉い人なんだろうなとかそんなことを考えていたら職員の人がみんな席について、照明が舞台の上一点に絞られた。入学式が始まるらしい。緊張して、ごくりとつばを飲みこんだけれど、講堂に響いたのは学長の、のんびりとした挨拶の声で僕はなんだか力が抜けてしまった。

 学長の挨拶、来賓の祝辞、電報の紹介などつつがなく式は進んでいく。新入生の名前が一人一人読み上げられたときはやっぱり緊張したけれど、僕の番までまわってくるのは案外時間がかかって、緊張より、早く式が終わらないかな、なんてことを考えていた。

 新入生代表の挨拶が終わると、校歌斉唱をして式が終わるようだ。昨日、ガイダンスの時に壇上で歌っていた職員の人はどこかな、なんて大学関係者の席を見わたしたけど、見つけられなかった。僕たち新入生はもちろん校歌を覚えているはずもなく、職員の声と、どこかのコーラス隊が歌った音源で校歌斉唱は行われた。毎年こんな感じの入学式なんだろうか。

 昨日のガイダンスで、大学生活はかなりきっちりしないといけないような印象を受けたけれど、なんだか今日の入学式はそんなにきっちりしていないというか、こんな感じでもいいんだ、というゆるい面も感じられた。

 この後、体育館で新入生歓迎パーティーが行われるとアナウンスが告げている。僕は出席するかどうか迷ったけれど、スクールバスはきっと入学に関する行事が全て終わらないと帰りのバスは出ないだろうと思い、体育館へ向かうことにした。講堂を出たときに風が吹いて、桜の花びらが舞った。今年の春は僕にとっていい思い出になるだろうか。不安の方が多いけど、ほんの少し、いいことがあるんじゃないかなという希望的観測も抱いている。少しくらい、いいことも考えないと、少し寂しいから。


 体育館に入ると、中にはテーブルがいくつか並べてあり、そこに軽食が用意してあった。学籍番号がテーブルに割り振られているようで、僕は自分がつくべきテーブルはどこか、体育館の中を探してまわった。

 僕の番号が書いてあるテーブルは、入り口からは一番奥の左側にあった。たどり着くまでに少し時間がかかってしまい、テーブルには十人近く学生が集まっていた。料理にはまだ誰も手を付けてない。他のテーブルには、もう食事を始めているところもあるみたいだけど、各テーブルごとに大学の教員の人がついているようだ。僕のいるテーブルは、まだ職員の人が来ていない。

 改めてまわりを見わたすと、誰かと話をしている人が多い。大学生には初対面の人とすぐに仲良くできるスキルも必要とされているかのようだ。僕のまわりにも話をしているグループができている。

 中には、僕みたいに一人で黙っている人もいるけれど。このテーブルには九人いて、喋っているのは三人組と二人組が二組で七人。おとなしくしているのは、僕を入れて二人。おとなしくしているもう一人に話しかけてみるのが大学生が持つべき社交性というやつなのだろうか。

 話しかけてみようと思っても、何をきっかけに話をしたらいいのかがわからない。通っていた高校の話でもすればいいのだろうか。

 それとも、大学の志望動機でもきいてみるべきか。とにかく、挨拶だけでもしておくべきだろう。ごくりとつばを飲みこんで、声をかけようと息を吸い込んだところで、

「遅くなってすいません。どうも、こんにちは。齋藤です」

 声の主は、昨日のガイダンスの半分以上を手がけていた、恰幅の良い男の先生だ。

「入学おめでとう。まあ、気楽に楽しくやりましょう」

 そう言うと、重ねてあった紙コップをみんなに渡して、オレンジジュースを注いで回っている。自分の番になったとき、何か言わないとと思っていたけれど、口から出た言葉は、

「ど、どうも……」

 という合格点からは程遠い、味気ない答えになってしまった。

 全員にオレンジジュースが注がれたコップがまわると、乾杯した。

 みんなジュースを飲んで、食事を始めたので、僕もジュースを一口飲んで、取り皿にサンドイッチを二つのせた。

 周りを見ると、どのテーブルも食事を始めてまもないようで、みんな若干の緊張を感じているのがなんとなくわかる。とりあえず、普通にしていよう。そう思って息をそっと吐いた。

 サンドイッチを口に運ぶ。普通に食べるサンドイッチとは少々違って、ハムの存在感があった。高級なものなんだろうか。二口でひとつめのサンドイッチを食べ終わって、ジュースを飲んだところで、

「えっと、西田君はどこから通うのかな。下宿?」

 話しかけられたのに驚いて、むせてせき込んでしまった。

「ああ、急にごめんね。そんなに焦らなくていいよ」

 齋藤先生が一声かけてくれた。一人一人に話しかけているらしい。

「え、えっと……笹川市から通います。高校は四ツ谷市まで通ってました」

 なんとか答えられた。

「そう。笹川市からだと。二時間くらいかかるのかな。でも、四ツ谷駅からスクールバスが出てるし、一本道だから通いやすいのかな」

「そ、そうですね。二時間くらいです。でも、スクールバスが出ているので通いやすいです」「そう。四年間、しっかり頑張ってね」

 笑顔でそう言うと、齋藤先生は三人組で喋っている学生のところでまたなにか話している。学生一人一人に声をかけておくのも大事なんだろう。先生の話したことをそのままおうむ返しのように話してしまったけど、一応、会話は成立したので気持ちは楽になった。

 取り皿に残っているもう一つのサンドイッチをほおばる。美味しい。どうやら舌の感覚は緊張がほぐれてきたらしい。次はどの料理を食べようか、そんなことを考えていたら、

「新入生のみなさん、入学おめでとうございます。ここで軽音楽部の演奏を行います」

 アナウンスが流れた。いつのまにかステージにはドラムがセットされていて、袖にはギターやベースを抱えた人がいる。

 五人、人が袖から出てきた。

「入学おめでとうございます。在校生を代表して、軽音楽部が歓迎の演奏をやります。これで軽音楽部に興味を持ってくれた人は、ぜひ部室まで来てください」

 マイクを持ったボーカルの人がそう言うと、ものすごい大きな音とともに演奏が始まった。オリジナル曲なのかカバーなのかは分からないけど、僕の知らない曲だ。周りの反応も薄い。

 しかし、軽音楽部の人は気にもとめず、声高に熱唱している。

 そのまま三曲歌って、舞台から去っていった。どの曲も、僕はわからなかった。軽音楽部のアピールとしては、むしろマイナスのほうへ働いたのではないかと思ったけれど、大勢の前で歌えて満足だったのだろうか。

 場は前よりもざわざわしている。軽音楽部の演奏は思いのほか緊張をほぐしたようで、会話している人が増えたように思う。

「あ、この後会議があるんで、私はこの辺で失礼します。みなさん楽しんでくださいね」

 そういうと、齋藤先生は体育館を後にした。別のテーブルをちらっと見たところ、半分くらいの職員の人は外に出てしまったようだ。会場に残っている職員の人は会議がないのだろうか。

 僕のテーブルは相変わらず会話に花が咲いているグループと、僕みたいに一人でいる人の差が激しい。どうしたら、初対面の人に合わせて話ができるんだろう。最近の若者は器用に色々できるようだ。僕はもう一度サンドイッチを二つとって、口の中に放り込んだ。


 どこか静かなところへ行きたくて体育館を出たら、あちこちで部活だかサークル活動だかの宣伝のチラシを配っていて、やたら騒がしい。もしかしたら体育館にいた方がよかったか。そんなことを思った。もともと大学生活についてあまり考えている暇がなかったけれど、サークル活動のことは、全く考えていなかった。受験が終わって、いっぱいいっぱいで四月を迎えた訳で、当然のことながら今の僕には余裕なんてかけらもない。

 そんな僕の手元には、弓道部、ゴルフ部からトレーディングカードゲーム研究会まで幅広いジャンルのチラシが十枚ほどある。一瞬、ミステリ研究会があれば入ってみようかなんて考えてみたけれど、友人から借りている本を読むのが精一杯で、自分の好みの作家もまだしっかり定まってない状態だ。そもそも、サークルに入ったらそれこそ新しく人間関係を構築したり、時には誰かの間に入ってうまく緩衝材の役割をしたりすることもあるだろう。考えただけで頭が痛い。

 人気のないところを探してさまよっていたら、長机とパイプ椅子がたくさんならべられた部屋が目に付いた。近づいて、戸を開けてみる。

 どうやら食堂のようだ。調理するところはシャッターが降りている。今日は入学式だから休みなのだろう。中を見回してみたところ、僕みたいに静かな場所を求めているらしい新入生が二人と、四人ほどで話をしている在校生がいるだけだった。新入生と在校生の見分けはスーツを着ているか否かというだけなので、実際に当たっているかどうかはしらないけれど。

 自動販売機でコーヒーを買った。椅子に座って一口飲むと、思わずため息が口から漏れた。

 高校時代が気楽すぎたのか、それとも最初はみんなこれぐらい緊張しているのか、あるいは両方なのか。まあ、元々僕は初対面の人に積極的に話しかける方じゃないし、人間関係の構築も時間をかけてするほうだ。けれども、この大学にいるほとんどの人は、今日一日である程度人間関係を構築して、話もしているだろう。この、結構大きな差を埋めるためにはやっぱりある程度努力しないといけないんだろうか。僕が今日喋ったことといえば、歓迎パーティーで話しかけて来た齋藤先生の質問に答えたことくらいだ。静かな環境で、しばらく思索にふけってみたけど、頭の中は堂々巡りで答えなんてすぐに出ないことばかり考えていた。

 どれくらい、そうしていただろう。夕日がガラス窓から射し込んでいる。少しうとうとしていたかもしれない。僕はあわてて時計を見て、すぐにスクールバス乗り場へ向かった。乗ろうと思っていたバスを一本乗り過ごしてしまったようだ。四ツ谷駅行のスクールバスが来るのを待っている間、四年間、ここへ通うということができるのかなと、この日何度目かわからないほど思ったことを、また考えていた。

 スクールバスが坂を上ってやって来るのが見えた。一度バス停の前を通り過ぎ、奥のロータリーで方向転換して坂を下ってきた。

 バス停の前で停車して、「プシュー」という音とともに、ドアが開く。前の人に続いて、僕もバスに乗る。窓際の席に座って、四ツ谷駅までの五十分を共に過ごすミュージックプレーヤーを取り出した。イヤホンをつけて、プレイリストから曲を選んでいたら、携帯の震動音がした。僕の携帯はめったに鳴らないので、いつもマナーモードにしている。

 慌てて携帯を手に取る。液晶には知らない電話番号が表示されていた。一瞬、出るかどうか迷ったけど、マナーモードとはいえ、バスの中でいつまでも携帯の音を響かせる訳にもいかないので僕は通話ボタンを押した。


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