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スーパーサブ

 車が急ブレーキをかけたので、僕はしたたかに前の座席に頭をぶつけた。

「うう、痛い……」

「いや、なにしてんねん!」

 角野さんの声はいつもより大きめだ。

「えっと、リストカットですけど……」

「いや、そういうことじゃなくて。はよしまえって」

 角野さんに言われたので、袖を上げた。

「おーこわ。血がついてた……」

 山部さんは少し震えている。

「え、なんで?トイレでリストカットしてたん?」

「はい、元気だそうと思って」

 角野さんに聞かれて、そう返したけれど、

「なんでやねん!」

 二人に同時につっこまれた。


「えっと……今日はカツ丼ですよね。早くいきましょ」

 僕はそう言ったけれど、二人の気分は乗らないようだ。

「そんなもん見せられて、食欲が出るはずもない」

「まったくや」

 テンションが下がってしまったらしい。

「えー、でも角野さんが見せろっていうから……」

「断じて言ってない!トイレでそんなことするな!そして俺に見せるな!」

 どうやらかなり不評のようだ。

「とりあえずカツ丼……」

「やめやめ!精神科直行コースや!」

 角野さんは結構わかっているらしい。

「あ、精神科ならカウンセラーに紹介されました」

「おお、まともなカウンセラーだ」

 角野さんの言葉に、山部さんもうんうん、と頷いている。

「まだ予約はとってな……」

 僕が言い終わる前に、

「携帯あるやろ。予約を取れ!今すぐ!」

 角野さんから大きな声で言われた。


 僕は二人に、今までの経緯を話した。

 カウンセリングを受けるようになったこと、精神科を紹介されたこと、電話番号が間違っていたこと……。

 僕の話が終わると、山部さんが車を動かした。

「あ、やっぱりカツ丼いくんですか?」

「違う!目的地は君の家に変更!予約を取るのを見届けてから帰る」

 角野さんがきっぱりと言った


 ……なんだか楽しくないイベントに変更になってしまった。

 山部さんに救いを求める視線を送ったけれど、当然ながら目を合わせてもらえなかった。


「疲れた……笹川遠いわ」

 僕の家に着くなり、開口一番山部さんが言う。

「まあまあ、あがってください」

 僕の部屋に人が来るのは久しぶりだ。ちょっとテンションが上がる。

 二人を部屋に案内して、僕はベッドに座る。

「さ、電話電話」

 角野さんがそう言うけど、やっぱり電話しづらい。

「だって……間違ったところにかかったんですよ。名簿が間違っているんですよ。普通そんなことないですって。もうネットの情報も怪しいですよ」

「あー、もう。俺がかける。電話貸して」

「え……だって本人がかけないとだめなんじゃないですか?」

「いやいや、その本人がかける気ないやん」

 まあ、確かにその通りなんだけど。

「山部さんはどう思います?」

「もう素直に電話してもらい。あんたはふとんかぶって震えとったらええねん」

 もう、抵抗は無駄らしい。僕は角野さんに電話を渡して、山部さん言われた通りふとんをかぶって、耳を塞いた。


 しばらくして、角野さんの声が家に響いた。

「うわああああ。ホンマにつながったぁ」

「え、どうなりましたか」

「切った。俺、やっぱり無理やわ……」

 角野さんから携帯が返ってきた。

「え、えーっと……」

「この人口だけやから。しゃーない」

 山部さんが言った。全身の力が抜けた。


 部屋に夕日が射し込んできた。僕は携帯電話を握ったまま、固まっている。

「もう大丈夫やって……」

「なら、山部さんがかけていただければ……」

「いやいや、俺はあんたじゃないから状況わからへんし」

「ですよね……」


 ごくり、とつばを飲みこむ。もうすぐ病院も閉まってしまうだろう。

 番号をダダダ、と押して、そのまま通話ボタンを押した。

 コールが鳴る。一回、二回。

「はい、まきたクリニックです」

「え、えーっと、よよ、予約をとりたいんですけど」

 かなり動揺しているのが向こうにも伝わっているだろう。ちゃんとしてかけるとかいう作戦なんてもう崩壊している。

「はい、何曜日ご希望ですか?」

「あ、す、水曜日です。午後にお願いします」

「水曜日は院長が不在ですが構いませんか?ご希望の先生はありますか」

 もう希望とかない。予約が取れたら院長だろうがなんだろうがいい。

「はい、大丈夫です。午後であればなんでもいいです」

「わかりました。では、水曜日の午後三時半はどうですか」

「はい、大丈夫です。三時半でお願いします」

「わかりました。お取りしておきます。それでは……」

 電話を切られそうになったので、思わず大きな声を出してしまった。

「あ!カウンセラーの紹介状があるんですが、持っていったほうがいいですか」

「はい。持ってきてください」

「あ、わかりました。し、失礼します」

 通話終了のボタンを押す。

 予約が取れた。腰が抜けて。そのまま床にへたりこむ。

 僕と角野さんはぐったりしている。山部さんがその様子をみておもしろそうに笑っていた。


 学校へ向かうバスの中で、僕はある決意を固めた。ミュージックプレーヤーの曲を、鬼束ちひろのWe can goにする。

 僕はできる、できる、できる。バスに乗っている間ずっとそう言い聞かせた。

 学校に着いて、すぐトイレに入ったけど、トイレの中でもずっとイヤホンをつけたままにした。

 時間だ。僕はカウンセリング室をノックして、自分で開けて入る。

「こんにちは」

 萩原先生が笑顔で迎えてくれた。やっぱり、僕は萩原先生が好きなんだと思った。

 ちゃんとしよう。ちゃんとカウンセリングを受けよう。

「先生。お気付きだとは思うんですが、僕は今まで、ずっと自分のことを悟られないようにしていました。でも、先生なら話してもいいかなって思いました」

 萩原先生は静かに話を聞いてくれている。

「僕は、最近眠れてないし、いろいろ体に良くないこともやっています」

 そう言って、僕は左袖をまくって先生に見せた。

「つらかったね。大丈夫だよ」

 先生は優しく、そう言ってくれた。

 リストカットの跡を見せたら、もうどうでもよくなった。角野さんと山部さんと遊んだ話、遊んだ後ひとりになると寂しくなって切ってしまったこと。

 押本さんと松野さんとカラオケにいったこと、カラオケの後のファミレスでみんな長い付き合いで羨ましいと思ったこと。

 角野さんと山部さんにリストカットの跡を見せたこと、家に来てもらって、精神科の予約をなんとか取れたこと。

 大学に入ってからの出来事を全部話した。すごく気楽になった。

「話をしてくれてありがとう。僕は、西田君は大丈夫だと思っているよ。友達の話をするときに、とても楽しそうに話しているからね。顔を見ていたら、本当に楽しいんだってわかるからね。一緒にいてくれる友達がいてよかったね」

 萩原先生はそう言ってくれた。

 チャイムが鳴った。

「そろそろ行かないといけないね。来週の予約はどうしておこうか?」

 答えはもちろん決まっている。

「今日と同じ時間でお願いします」


 カウンセリング室を出て、外のベンチに座った。

 全部喋ってしまった。今までなんだったんだろう。そう考えると、思わず大きなため息が出た。

「どうしたん。そんなため息ついて」

 話しかけられて、びっくりして声の主を探す。

 中田君だった。

「あ、中田君……。だよね。あ、あの。ノートありがとう。でも、なんで僕に……?」

「俺の読んだ文、訳してくれたから」

 中田君の返事は意外なものだった。

「英語の時間、あんまりやる気あるやついないみたいだから。うれしかった」

 そう言って、中田君は笑っている。

 中田君も目が細い、眼鏡の奥の目が、笑うとなくなっている。

「そ、そっか。僕も、頑張るよ」

 僕が返事をすると、中田君はじゃあ、といってどこかへ行ってしまった。

 僕にもできることがあるんだ。そんなこと考えたこともなかった。

 スクールバスが坂を上ってくるのが見えた。これから病院だ。僕はこれから先、なんとかやっていけるんじゃないかと思った。


 学校を出て一時間と少し経った頃、僕は私鉄の駅に乗り換えた。

 これから北口駅までいって、もう一度乗り換えたら居間津駅だ。

 ミュージックプレーヤーからは朝からずっとWe can goが流れている。好きな曲が、少しでも背中を押してくれたらうれしい。

 電車から見える景色も、少し見慣れてきた。途中で見える大きな池、いつも自転車がたくさん止まっているスーパー。駅から歩いて一分もかからないような便利な場所に建っているコンビニ。

 北口までの駅の数も覚えた。これから、この電車に乗っていることも当たり前になっていくんだろうか。

 北口駅に着いて、エスカレーターに乗った。

 相変わらず、乗り換える人はたくさんいて、僕もその中の一人になる。居間津行きのホームに向かって歩き出す。二回目だから、広い駅の中でも迷ったりしない。

 ホームまで歩くと、すぐに電車がやって来た。降りる人を待ってから電車に乗ると、冷房が入っていた。涼しくて、からだの汗がすっとひいていくのがわかる。

 今日は、いろんなものが僕の背中を押してくれているように思えてきた。イヤホンを耳につけた。僕は今日何度目かわからないくらい、同じ音楽を聴いている。


 すぐに、電車は終点まで着いた。二駅しかないから、五分も乗っていなかっただろう。乗り換えなしでここまで運行してもいいような気もするけど、その辺は鉄道会社にも事情があるんだろう。

 改札を出て、まきたクリニックを目指す。

 駅前の交差点で信号待ちをしている間に、顔の汗をシャツの腕で拭った。もう汗をかいている。緊張するのは仕方ないけど、しっかり戦闘モードに切り替えていこう。

 はじめての精神科だ。未知の領域へ踏み込んでいくんだ。ぎゅっと右手を握りしめた。


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