新しい世界のきまりごと
「鹿鳴館大学では、学生の皆さんがより学業に集中できるよう、皆さんを様々な方面からサポートしています。二十四時間利用可能な図書館は別室でDVDを試聴することも出来ます。また、学習支援センターでは、常に教員の先生がいらっしゃいます。その他、学習に関することなど広く対応しています。また、火曜日から木曜日まで、カウンセリング室にてカウンセリングを行っています。カウンセラーの先生は曜日によって異なります。詳しい説明は各担当の方に行ってもらいますので、まずは施設紹介のプリントを配布します」
今までは単位取得に関する説明がほとんどだったけれど、これから大学の施設紹介らしい。今までずっと一人で喋っていた人、体力あるなあと、変なところで感心してしまう。
プリントがまわってきた。受け取って後ろの席の人に渡す。プリントは説明の通り、施設がより詳しく書いてある案内のようだ。図書館の蔵書は十万冊らしい。全部読み終わるのにどれくらいかかるのだろう。替わってマイクを持った人は、大勢の前で話す機会がそれほどないのか、プリントをただ読み上げているだけだ。僕もプリントを読みながら話を聞いているだけでいいので、ちょっとした休憩といった感じで、読み上げられているところに視線をやる。
学習支援センターは名前の通り、勉強のサポートをする場所で、講義でわからないことがあれば、気軽に先生に聞きにいけるというのが売りらしい。月曜の1限から金曜の5限まで時間ごとに、常勤の先生が週に1時間は学習支援センターにいるらしい。各教員の担当分野もプリントに書いてあったけれど、「大学で必要な数学の基礎」から「家での自習が身に付く学習方法」まで幅広い。他にも資格取得のための勉強のサポート、教材の貸し出しを行っているらしい。
どのくらいの人が利用しているのかちょっと気にはなる。マイクを持つ人が替わった。どうやら次はカウンセリング室の説明のようだ。
「カウンセリング室の吉岡です。続いて、カウンセリング室の説明をします。カウンセリング室は毎週火、水、木曜日の九時から午後五時まで開いています。カウンセリングは予約制で、カウンセリング室の前にポストが置いてあります。面談を希望される方はポストに備え付けの用紙に希望の曜日、時間と連絡先を書いて、ポストに入れてもらうと、後日こちらから連絡させていただきます。担当者は各曜日ごとに異なっています。詳しくは配布した用紙をご覧ください」
喋っているのは若い女の人だ。用紙を見る限り、木曜日の担当の人らしい。火曜日と木曜日が女の人で、水曜日担当が男の人だ。カウンセラーは男の人の方がいいな。ふとそんな考えが頭をよぎった。
「相談の内容は、もちろん守秘義務として扱いますので情報が漏れたりといった心配はいりません。皆さん、大学という新しい生活環境で色々と思うこともあると思いますので、どんな小さなことでも、相談していただけたらと思います。以上、カウンセリング室からでした」
そう言って女の人はマイクを置いた。学習支援センターの説明をしていた人がまたマイクを手にした。
「えっと、大まかですが、皆さんの学生生活をサポートする施設の説明は以上です。最後に、施設をどのくらいの人が利用したいのか、また、なにか『こういったことがいいな』ということがあれば、できるだけ応えていきたいので、配布したプリントの中に入っている簡単なアンケートにご協力ください」
右手にアンケート用紙を持って高く上げている。職員の人が段ボール箱を出してきた。どうやらアンケートは回収されるようだ。説明は受けたものの、実際に見ていない施設を利用するかというのはなんとも答えにくいように思えるけど、とりあえず用紙を見る。図書館のアンケートは、
・ ぜひ利用したい
・機会があれば利用したい
・ よくわからない
・ 利用しない
以上4項目のいずれかに○をつけるようになっている。そして蔵書のリクエストがあれば自由回答で記入するようになっていた。とりあえず、無難に「機会があれば利用したい」に○をつけておく。蔵書のリクエストは特に何も書かなかった。
学習支援センターのアンケートも同じく回答は4項目。同じく「機会があれば利用したい」に○をつけた。ちょっと戸惑ってしまったのがカウンセリング室のアンケートだ。回答は二項目しかない。
・ 興味がある
・ 興味がない
なんというか、非常にシンプルな回答を求められているようだ。
別にカウンセリングに興味がない訳ではないけれど、二元論できかれると少し困る。全く興味がない訳ではない。ただ、「興味がある」に○をつけるほどカウンセリング室になにか期待めいたものを抱いている訳ではないし。考えていると、後ろからがさがさという音と共に、アンケートの紙がまとめてまわってきた。考えている時間の猶予はなかったので、「興味がある」にさっと○をつけて前の人にアンケート用紙をまわした。よくよく考えてみたら、何百人の中の一人の意見でなにかがどうなる訳でもないだろう。そう思い直して、僕は次に何のガイダンスがあるのか冊子をめくる。どうやら次は教職を取る際の必修科目などのアナウンスのようだ。
「どうも。教育学部の佐藤と申します。教職を取る際に気を付けていただきたいことなど、これから説明していきます。まず、必修科目を2年生までに全て履修し終えて……」
説明が始まった。単位ひとつ履修するにも、気を付けないといけないことがたくさんあるようだ。さっきまで頭をぐるぐるまわっていたアンケートのことは、新しい情報の渦にのまれて、どこかへ消えてしまった。
いつ終わるのか皆目見当がつかなかったガイダンスも、そろそろ終わりに近づいてきたようだ。明日の入学式の大まかな流れについての説明に入った。服装はやはりスーツが当たり前のようだ。持っていない人は今から買わなくても結構ですなんていうフォローもあったけど、まあ、スーツで来てくださいっていう大学側の考えが伝わってきた。スーツは大学に合格したときに一着買ってもらったのがあるけど、未だにネクタイがうまく結べない。まあ、スーツで通う訳じゃないんだからいいけど。そんなことを考えていたら、今度は校歌の楽譜が配られてきた。なにからなにまで準備が行き届いているようだ。
「学生課の守時です。今、配布したのは校歌の楽譜です。毎年、入学式前のこの時期にガイダンスをしているのですが、今年はくじ引きで私にお鉢がまわってきました。えっと、楽譜が読める方は一緒に歌っていただけると嬉しいです。」
どうも大勢の前で歌うというのは誰もやりたがらない役目らしい。もちろん、僕も楽譜が読めない訳じゃないけど一緒に歌う気にはなれない。音楽が流れ出した。校歌を覚えて明日の入学式で歌う人はどれくらいいるのだろうか。そんなことを考えて、僕はじっとおとなしくしていた。
みんな同じことを考えているのかどうかわからないけど、学生で歌っている人は少なくとも僕の周りにはいなかった。口を動かしている人さえ皆無だ。職員の人は歌っているけど、マイクを持っていないので実質壇上に立っている人、一人の声になっている。曲が終わって、その人がため息をついたような気がした。
「これが私たち鹿鳴館大学の校歌です。皆さんも早く覚えて、歌えるようになってください」
そう言って、マイクを持つ人が変わった。今日のアナウンスを半分くらい引き受けている男の人だ。
「えー、以上で本日のガイダンスを終わります。長い間、皆さんお疲れさまでした。明日の入学式、またこれからの学生生活を有意義なものにするためにも、『生徒』から『学生』に変わったという気持ちを持って、自分から動けるようになってください」
そう言ってマイクのスイッチを切る音がした。周りが急にざわざわし始める。ふと時計を見ると、五時を少しまわっていた。四時間以上ガイダンスを受けていたことになる。僕は思わず、大きなため息をついた。
僕は西田秋則。
明日から、大学生になる。