迷宮
明日はなにか予定が入っていたか考えて、カウンセリングの日だということに気付いた。
うーん、困ったなあ。学校にはいきたくないけど、萩原先生との話を反故にするのはもったいないと思った。
もちろん、学校にいっていないことと、あまり眠れないことあたりを話せればいいんだけど、やっぱり抵抗がある。
リストカットの話は問題外だ。今はまだ長袖で問題ないので、隠すことなぞ造作もない。講義は一限からだけど、やっぱりいきたくない。
カウンセリングだけ受けたいと思ってしまう僕は、わがままなのだろうか。
スクールバスに乗ったのは何日ぶりだろう。バスに揺られながら考える。スクールバスの中も、僕にとってはアウェーだ。周りの視線が気になる。
ミュージックプレーヤーのボリュームを上げたけれど、視線が気になるのは同じだった。
鞄から携帯電話を取りだして、メールできそうな人を探してみる。僕のアドレス帳は登録数が少なくて、ジョグダイヤルを少し回せば全部の連絡先がわかる。
この時間はみんな仕事か学校だ。当たり前か。
——いや、そうじゃない人もいる。角野さんと山部さんだ。山部さんはあまり携帯電話を気にしていない様子だったから、角野さんにメールすることにした。
なんの話題がいいだろう。これといった話題もない。
あまり深く考えても妙案は出そうになかったので、現状をそのまま送ることにした。
こんにちは。西田です。
昨日、一昨日と学校を休んでしまいました。
今日も一限から講義があったのですが、二限からのスクールバスに乗っています。
大学生活も大変みたいです。
ついていくので精一杯ですが、早くもおいていかれそうです。
つらつらと思うことをそのまま書いてみた。
メールだと、結構思いきったことを書けるようだ。誰にも言っていない、学校を休んだ話題から入っている。
この内容で大丈夫かとは思ったけど、今はあまり考え事をしたくない。そのまま送信ボタンを押した。
ブーン、ブーンと携帯が振動したので見ると、メールの返信が来ていた。さっき送信してから三分も経っていない。
角野さんから来たメールの件名で、声を上げそうになるのをこらえた。
「学校なんかやめちまえ!」
そんな嫌々大学いってもなんにもならんって。
高い金払ってるのにもったいない。
俺ならその金で遊ぶね。
楽しいことやらんと。
今はドリキャスでゲームやってます。
楽しいぜ、ぐふふ。
すごいなあ。「学校なんかやめちまえ!」って言い切れちゃうんだ。
ドリームキャストでゲームか、いいなあ。
角野さんは人生楽しいんだ。うらやましい。
そりゃ、僕だって嫌なことより楽しいことをやりたいけど、頑張りが足りないだけで、きっと頑張ったら大学生活もなんとかなるんじゃないかなと思っている。高校生活が楽しすぎたせいで、物足りなく思えているのかな。
すぐ返信をもらったので、こっちも返信する。
今日、大学を早く出るので、一緒に遊びませんか?
一時半には、四ツ谷駅にいます。
思うままに指を動かしたら、自分から遊びに誘っていた。
角野さんとはまだ片手で数えられるほどしか会っていないのに。
メールだと、少し積極的になれるのかな。
返信のメールが、すぐに届いた。
角野さん、メール書くのすごく早い。一日どれくらいメールのやりとりしているんだろう。
ええよ。
山部と一緒に行くわ。
一時半に四ツ谷ね。
よかった。一緒に遊べる。うれしい。
大学にいってカウンセリングを受けて、その後は角野さん、山部さんと遊べる。
楽しいことができた。楽しいことって、自分からつくるものなのかな。
スクールバスを降りて、大学の校門を通る。やっぱり緊張する。同じ講義を履修している人に出会いませんように。
掲示板には、たくさんの紙が張り出してある。端から順番にながめていくことにした。
僕に関係のある掲示があった。明日、二限の講義が休講になっている。明日は二、三、四限と履修しているから、昼過ぎに学校に来ればいいことになった。
うれしのかどうか微妙なところだ。講義が休講なのはまあ、楽といえば楽だ。ただ、昼過ぎから学校というのも、なんだかモチベーションが下がる。
チャイムが鳴った。僕はできるだけ人と顔を会わさないように、トイレにいくことにした。
あと十分でカウンセリングだ。緊張する。今回はなにを話せばいいのだろう。
もう全部打ち明けてしまった方がいいのだろうか。それで僕は楽になれるんだろうか。
一度しか話をしていない萩原先生にそこまで話す理由はみつからない。
やはり、いつものように慎重にいこう。情報は小出しで向こうに出せばいい。
僕は戦闘モードに切り替えて、カウンセリング室へ向かった。
カウンセリング室のドアの前まで来たけれど、やはり前回と同じく緊張する。
ごくり、とつばを飲みこんで、コンコン、と二回ノックした。
返事がない。部屋の電気はついているようだ。
しばらく待っていると、がちゃり、という音とともにドアが開いた。
萩原先生だ。
「中へどうぞ」
先生にいわれて、中へ入る。
さて、どんな一時間になるか勝負だ。
先生に促されてソファに座る。
「申し訳ないんだけど、少し作業が残っているんだ。あと五分、待ってくれるかい」
「は、はい。大丈夫です」
少しプランが狂った。先生も予定外なのか。
先生は左のパーテションの向こうへ戻って作業している。
カタカタとタイプ音がしているので、どうやらパソコンでの仕事らしい。
僕はソファに座り直して、窓から見える桜をながめていた。もう、ほとんど花は散ってしまって、ただ、木の枝だけが残っている。
入学式の日とは違って、誰も木のことなんて見ていないんだろうな。
「ごめんね。お待たせしました」
萩原先生が僕の前に座る。
「いえ、大丈夫です」
そう返すと、次の質問に想定して頭をできる限り働かせた。
「この一週間は、どうでしたか」
無難な質問だ。
「えっと、まずまずです。……悪くないと思います」
「そうですか。よかったね」
萩原先生はいつものように静かに僕の話を聞いている。
優しい目の奥で、なにを考えているのだろう。
どうやっても沈黙の時は訪れてしまう。
こんなとき、どうしたらいいのかわからない。
「せ、先生は……先生はどんな一週間でしたか」
なにを話しているんだ。
口からでた、よくわからない言葉に自分でも嫌気が差す。
「西田君。僕はカウンセラーです。人のお話を聞くのが仕事です。だから、僕から自分の話をすることはありません。そして、この時間は西田君の一時間です。西田君が話したくなければ、沈黙が続いてもかまいません。だから、無理して話題をつくらなくても大丈夫ですよ」
萩原先生は僕を諭すように、ゆっくりそういってにこりと笑う。
「あ、は、はい……」
沈黙でいいんだ。気持ちが楽になった。でも、僕は萩原先生と何か話がしたい。
カウンセラーと自分のほうから話がしたいと思ったのは初めてだ。
「えっと……最近、あまり眠れないんです。朝まで眠れない日も続いています」
自分のことを話した。少しなら、自分のことを知られても構わないと思った。
「そう。何日くらい眠れていないの?」
本当に僕のことを気にかけてくれているのが伝わってくる。
「四日です。全く寝ていない訳ではないと思うんですけど……」
「心配なことがあるのかな。話せることだったら、話してみてね」
萩原先生は無理に僕の領域に入ってこない。どこまでだったら自分のことを話してもいいだろうか。
「あとは……先生がパソコンでなにをしてらしたか気になります」
自分のことより、萩原先生のことが知りたくなった。
「ああ、そうだ。ちょっとやってみるかい?」
そういって萩原先生はパソコンの方へ向かった。僕もパソコンのある、パーテションの向こう側へいく。
「どうぞ、座って」
先生に言われるまま、パソコンの前に座った。
モニターには横書きの文字列がいくつか表示されていて、文字列の先頭にチェックボックスががある。
「エゴグラム……」
思わず口にして。しまった、と後悔したが遅かった。
「あ、知っているのかい?やってみる?」
「……はい」
少し、困ったことになった。