憂鬱な日々のはじまり
春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、この言葉を最初に考えた人は頭が良くて、ついでに寝るのが大好きだったに違いない。そんな考えが頭をよぎった。
慣れない階段教室の椅子に座って、僕は延々と続く大学入学のガイダンスの内容を、半分くらい聞き流しつつあくびを必死にこらえている。大学に受かったのは嬉しいけど、大学生活というのはどうやらそれなりに大変らしい。
入学式の前日に行われているガイダンスで最初に配られた冊子のぶ厚さに、僕はいきなり大学生活の敷居の高さを感じてしまい、完全にのまれてしまった。
冊子には大学で取得する単位のうち、必修科目がいくつあるとか、選択必修の講義の範囲とか、他学部の講義を受講する際の手続きなど、大学生活四年ぶんのありとあらゆる情報が書いてあるようだ。
学生へのケアが行き届いていると喜ぶべきところなのだろうか。
まあ、実際問題として今までとは違う生活の中に放り込まれたようなものだから、全く何の説明もないのは困ってしまうのだけれど。
しかしながら、二時間以上ずっと休みなく話を聞いていると、集中力も少し散漫になってくるのは僕だけなのだろうか。
恐る恐る周りの様子をうかがうと、ほとんどの人が熱心に聞き入っているように見える。中には冊子に頭をうずめて寝入っている強者も数名確認できたけど。
やはり偏差値の高さは真面目さと比例するのだろうか。もし仮にそうだとすると、僕は相当努力しないといけないんだろうなと思う。
マークシートの試験というのは恐ろしいもので、受かったらいいな、ぐらいに考えていた2ランク上の大学に合格してしまった。
そんな訳で、僕は自分がこの場にいていいのだろうか、場違いなんじゃないかという気持ちを拭いきれないでいる。
僕の通っていた高校はお気楽そのもので、とりあえず高校だけは出ておくか、みたいな感じの生徒も多くて(というかそんな人が大多数で)、大学に進学したのは僕一人だけだったりする。
いくら学校の規模が小さかったとはいえ、一人というのはさすがに少ないよなとは思うのだけれど、僕は高校で学校に通うという普通の生活に戻り、友達とくだらないことで笑い合えたとても楽しい時間を過ごすことができて、心からよかったと思う。
地元の高校には行きたくないという理由で、僕は地元、笹川市の隣、四ツ谷市まで電車通学していた。笹川市は田舎だけれど、四ツ谷市はベッドタウンとしてここ数年で急速に人口を増やしていて、それに伴って様々な施設も充実していた。
広い図書館、大きな噴水のある中央公園からドリンクバーのあるファミリーレストランまで、僕には新鮮なものでいっぱいだった。
逆に、四ツ谷市のニュータウンに住んでいる友人に言わせると、「まだまだ田舎」だそうだ。確かに、都会から引っ越して来ているのだから当然といえば当然なのだろう。古くから四ツ谷市に住んでいる友人に言わせると、「少しずつ発展はしてきているけどね」と、少々控えめな評価を口にする。僕からしてみれば、こんなにいっぱい色んなものがあるんだから、充分すぎるくらいに思えたりするんだけれど。
まあ、僕が田舎育ちなところも大きいんだろう。分譲マンションを購入して、そこで暮らすというのが僕にとってはカルチャーショックだった。集合住宅は借りるもので、購入するものという発想が僕には全くなかったのだ。
なにしろ僕は笹川市の駅から車で二十五分というとんでもない田舎に住んでいるので、外出する際も家の鍵はかけたりしないという自分の環境を人に話すと、必ず「本当に?」と聞き返されてしまって、こっちの方が相手にカルチャーショックを与えてしまうんだけれど。
笹川市から出たことがなかった頃は、1クラスしかない小学校で六年間過ごして、みんな同じ公立の中学校へ行って、それから地元の高校へ進学するというのが当たり前だと信じて疑わなかったけれど、むしろその方が珍しいということを知ったのも高校に入ってからだった。
四ツ谷市には私立の中学校、高校があって、早い人は小学校から受験をするのでみんな同じ中学校へ進学するなんていうのはとてもレアなケースらしい。
言われてみると、テレビで私立の有名小学校に入学するために、「お受験」をするドラマを見たことがあるなあ、なんて思ったりした。極端な例かもしれないけど、今となっては中学生の頃まではすごく狭い世界の中で生きてきたように思う。
僕は高校生で外の、なんていうか都会の風みたいなのを感じることができたのはよかったなと思ったりしている。
これから4年間の学生生活を送ることになる、この私立鹿鳴館大学の志望動機も「四ツ谷駅からスクールバスが出ている」というシンプルなものだった。
他の大学も受験して、一応合格はしたんだけれど、やっぱり毎日通うことになる訳だし、通いやすい方がいい。
あと、なによりも校舎が綺麗なのが決め手になった。最近新しく校舎を建て増ししたらしく、今ガイダンスが行われている大講義室がある校舎は新築の建物のにおいがしている。
趣とかそういうのも大切なのかもしれないけど、センター試験を受けに入った大学の古めかしい感じは好きになれなかった。今となっては行き方もあやふやになってしまっているくらいだから記憶なんていい加減なものかもしれないけど。
難点を挙げるとすれば、移動時間がかかるところだ。四ツ谷駅のバス乗り場から、スクールバスに五十分揺られて大学の正門前に到着したときに、正直、思ったより遠いという印象は拭えなかった。
僕のリサーチ不足だったかもしれない。電車で三十分、バスで五十分。ついでに家から駅までの時間を入れると一時間半以上かかかる。一時間半あれば、ずっと電車に乗って移動したら結構遠くの方まで行けるんじゃないかと今にして思うけれど、受験シーズン真っ最中の頃の僕は余裕なんて一かけらも持ち合わせていなくて、通える範囲ぎりぎりの所にある大学を受けて、家ではもちろん、高校の授業の時もクラスで一人、参考書を広げてひたすら問題を解くという生活を送っていた。高校では受験するのが僕だけだったこともあって、教科書の代わりに参考書を開いていても特にお咎めはなかったけれど、どうやら正常な判断能力が機能していなかったらしく、電車とバス、合わせて三時間くらいかかる大学も受験した。もちろん合格通知が来ても、中を開いてそのまま放っておいたままだけれど。
まあ結局のところ、一番無難な選択をしたといえるのだろうか。生活能力が皆無に等しい僕が一人暮らしなんて到底できるはずもないし。自分が勝手知ったる場所からバス移動するから、途中までは心配することはない。きっと、バスにもそのうち慣れて来るだろう。
酔い止めは常時携帯しておいた方がいいかな。心配することはない。自分で自分にそう言い聞かせて、僕はガイダンスに集中することにした。