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勤労に感謝を。働き続けた男の、転生スローライフ  作者: 蛮ニル


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【第7話 動けない者の、耳と目】

挿絵(By みてみん)

 目は覚めている。


 だが、体は動かない。


 天井の木目が、昨日と同じ形でそこにある。

 節が一つ、魚の横顔に見える。

 その横に細い亀裂。

 亀裂の先端は、ほんのわずかに黒い。


 焦げではない。

 湿気だ。


 この部屋は、古い。


 起き上がろうと腹に力を入れる。

 すぐに息が浅くなる。

 肺が小さく、軋む。


 ……まだ無理だ。


 指を動かす。


 握る。

 開く。


 掴んだはずの空気が、指の隙間から逃げる。


 命令と反応の間に、わずかな遅れがある。


 前世で味わったことがある。


 長時間の作業の後、

 「掴んだ」と思ったはずの資料が落ちる感覚。


 あれに似ている。


 だが今の理由は違う。


 これは五歳の体だ。

 過労ではない。

 衰弱だ。


 削られて、削られて、

 残った分だけで生きている体。


 動けない。


 なら。


 聞く。


 そして、見る。


◇ ◇ ◇


 視線をゆっくりと右へ滑らせる。


 石壁。

 漆喰の剥がれ。

 窓は小さい。


 光は弱いが、均一だ。

 窓の縁にひびがある。

 そこから染みた雨の跡が、薄く茶色く残っている。


 寝台は三つ。


 俺の左右にも、子供がいるらしい。


 毛布は薄い。

 端が擦り切れている。

 だが、繕われている。


 縫い目が目に入る。


挿絵(By みてみん)


 粗い。

 糸の太さが不揃いだ。

 針の通し方も一定ではない。


 だが。


 投げやりではない。


 返し縫いはきちんとされている。

 布が裂けないよう、意識されている。


 時間は足りないが、心は抜いていない。


 その縫い目を、目が自然と追う。


 仕事だ。


 これは、仕事だ。


◇ ◇ ◇


「ねえ……まだ起きないの?」


 ひそひそ声。


「無理だよ。あんなに軽かったもん」


「軽いって?」


「運んだとき」


 そうか。


 俺は運ばれたのか。


 軽かったのだろう。


 骨と皮の重さ。


「でもさ、ごはん……」


 声が小さくなる。


「ごはん減るよね」


 沈黙。


 悪意ではない。

 現実だ。


 人数が増えれば、配分は減る。


 単純な算数。


 前世の会議室でも、

 違う言葉で同じ計算がされた。


 人件費。

 予算。

 圧縮。


 世界が違うだけで、構造は似ている。


◇ ◇ ◇


 足音。


 規則正しい。

 落ち着いている。


 布が擦れる音。


「騒がないで。まだ眠っています」


 穏やかな声。


 ミテイだ。


 ここの管理と運営をしている婦人だ。


「先生、ごはん足りる?」


 子供の問い。


 ほんのわずかな間。


「足ります」


 短い返事。


 だが、呼吸が一拍遅れる。


 足りる、ではない。


 足らせる。


 その差は重い。


◇ ◇ ◇


 別の大人の声。


「補助金は、今月も同じだそうです」


「……そうですか」


「輸送費と管理費が上がっていると」


「仕方ありません。王国の制度ですから」


 仕方ない。


 便利な言葉だ。


 前世でも何度も聞いた。


 上が決めた。

 制度だ。

 規定だ。


 だが。


 管理費が上がり、

 輸送費が上がり、

 補助金が据え置き。


 削られるのはどこだ。


 末端。


 いつの時代も。


◇ ◇ ◇


 視線を扉へ移す。


 蝶番が少し傾いている。

 油が足りない。


 床板の一部が濃い色。

 水をこぼした跡だろう。


 部屋の角に木箱。

 縁が擦れている。

 何度も開け閉めされた証。


 裕福ではない。


 だが、放置もされていない。


 ギリギリで回している。


◇ ◇ ◇


 食器の音がする。


 軽い。


 陶器ではない。

 薄い木皿だ。


 スープが注がれる音。


 水の比率が高い。


 匂いで分かる。


 野菜は細かく刻まれている。

 量を増やす工夫。


 子供たちは文句を言わない。


 慣れている。


 それが、一番重い。


◇ ◇ ◇


 足音が近づく。


 軽い。

 だが、子供のそれよりも静かだ。


 毛布が、そっと直される。


 ――匂い。


 昨日も感じた匂い。


 甘すぎない。

 花でもない。

 石鹸でもない。


 知らない。


 だが、懐かしくもない。


 それなのに。


 胸の奥が、静かに緩む。


 警戒が、一段落ちる。


 生理的な反応だ。


 理屈よりも先に、体が理解する。


 危険ではない、と。


 もう一度、匂いを吸い込む。


 温度がある。

 清潔だが、作られた香りではない。


 人の匂い。


 整えられた布の端が、首元に触れる。


 視線を向ける。


 だが、フードが深い。


 顔は見えない。


 何も言わない。


 ただ、整えるだけ。


 その指先は、迷いがない。


 布の端を折り、

 軽く押さえ、

 静かに離れる。


 足音が遠ざかる。


 匂いだけが、わずかに残る。


 指の震えが、少しだけ収まっている。


◇ ◇ ◇


 目を閉じる。


 数字が頭に浮かぶ。


 子供の人数。

 一日の食事回数。

 補助金。

 管理費。


 赤字ではない。


 歪んでいる。


 どこかで削られている。


 だが、今は言わない。


 体は動かない。


 まだ、寝ているだけの子供だ。


 動けるようになったら。


 整えよう。


 怒鳴らない。

 責めない。


 布を縫うように。


 綻びを見つけ、

 糸を通す。


 天井の節が、魚から目の形に変わる。


 俺はまだ、動けない。


 だが。


 耳と目は、働いている。


(第7話 了)


※他作品も連載中です。

最強のハンター、神の光を拾う。〜滅びゆく世界で俺はもう一度守りたい〜

https://ncode.syosetu.com/n0190lh/

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