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勤労に感謝を。働き続けた男の、転生スローライフ  作者: 蛮ニル


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【第4話 焦げた匂いと、始まりの重さ】

挿絵(By みてみん)

 焦げた匂いで、目が覚めた。


 鼻の奥にこびりつく煙。

 湿った灰の臭い。

 焼け落ちた木の、甘く苦い匂い。


 口の中が、妙に乾いている。

 舌の奥に、灰の味が残っている。


 咳が出そうで、出ない。

 胸の奥が浅く震えるだけで、空気を押し出す力がない。


 ――肺が、弱い。


 その事実に気づいた瞬間、

 俺は“白い空間”を思い出した。


 転生。

 システムガイダンス。

 決算書みたいなスキル一覧。


 だが今ここにあるのは、光でも祝福でもない。


 頬に当たる冷たい土。

 髪に絡む灰。

 肌の上に降り積もった煤。


 現実だ。


 ゆっくりと目を開ける。


 視界が低い。

 空がやけに広い。


 黒く歪んだ梁が、空を切り取っていた。


 ……村だ。


 いや、村だった場所。


 上体を起こそうとして、すぐに理解する。


 体が、軽い。


 だがそれは、若さの軽さじゃない。

 中身が抜け落ちたような、頼りない軽さだ。


 腕を持ち上げる。


 細い。

 骨ばっている。

 皮膚がぴたりと張りついている。


 肋骨の形が、触らずとも分かる。


 呼吸を整えようとすると、

 腹の奥がじわりと痛む。


 空腹というより、枯渇。


 ……なるほど。


 これは、働きすぎた体じゃない。


 足りていなかった体だ。


 栄養も、休息も、余裕も。


 生きていること自体が、奇跡みたいな状態。


◇ ◇ ◇


 転生、か。


 もっとこう、光に包まれて目覚めるとか。

 健康な赤ん坊からやり直すとか。

 そういうものだと思っていた。


 昔、流行ったアニメやら小説やらでも、

 転生した途端に筋肉がムキムキだったり、

 祝福のスキルが山ほど付いていたり、

 とにかく“スタートが優しい”ことが多かった気がする。


 ずいぶん、現実的だな。


 ……いや。


 考えてみれば、

 俺にご都合主義は似合わないか。


 過労で倒れて、

 道具箱を抱えたまま息が止まった男だ。


 そんな奴が、次の人生だけいきなり楽になるなんて、

 逆に落ち着かない。


 そう思って、少しだけ笑いそうになる。


 笑う体力もないが。


◇ ◇ ◇


 周囲を見渡す。


 焼け落ちた家々。

 崩れた壁。

 黒く炭化した柱。


 煤が舞っている。

 灰が土に混じって、どこもぬかるんでいる。


 男の死体が、いくつか転がっていた。


 無造作に。

 抵抗の跡を残したまま。


 胸を裂かれた者。

 背中から斬られた者。

 顔が灰に沈んだ者。


 ――男ばかりだ。


 だが、女子供の死体は少ない。


 ほとんど見当たらない。


 俺の頭が、勝手に働く。


 火の回り方を見て、侵入方向を想像する。

 焼け残りの壁の倒れ方を見て、逃げ道を想像する。

 地面の荒れ方を見て、人数を想像する。


 足跡が多い。

 複数。

 革靴のような跡と、裸足の跡が混じる。


 重いものを引いた跡。


 荷車だ。


 連れていかれた。


 略奪。

 人攫い。

 男は殺し、女子供は連行。


 怒りは、まだ湧かない。


 ただ、理解する。


 世界は優しくない。


 そして――

 こういう“構造”は、どこにでもある。


 力がある側が奪い、

 弱い側が削れていく。


 俺は前世で、別の形の奪い合いを見てきた。

 ここでは、それがもっと露骨なだけだ。


◇ ◇ ◇


 立とうとして、膝が折れる。


 視界が揺れる。


 体が言うことを聞かない。

 力以前に、燃料がない。


 この体は、襲撃で死んだのではない。


 その前から削れていた。


 慢性的な空腹。

 長期の衰弱。

 疲労の蓄積。


 服も薄い。

 布は擦り切れて、汚れが染み込んでいる。


 痩せ細った腕を見て、

 俺はふと、前世の自分の手を思い出す。


 油の匂い。

 金属の冷たさ。

 工具の重み。


 道具箱を抱えたまま、机に突っ伏して――

 眠ったつもりで、そのまま二度と起きなかった。


 俺も削り続けて死んだ。


 違うのは、裁量があったかどうか。


 俺は自分で選んで働いた。

 この体の持ち主は、生きるために削られた。


 生きるために働くのは、悪くない。


 だが。


 働くために生きるのは、違う。


 その違いを、

 この小さな体が痛いほど教えてくる。


◇ ◇ ◇


 遠くで、馬のいななき。


 鎧の擦れる音。

 複数の足音。


「……ワープア村は全滅か」


 男の声がした。


 ワープア村。


 そう呼ばれた。


 ……皮肉だな。


 働いても、貧しい。

 生きるだけで削られる村。


 俺の前世も、似たようなものだった。


 いや、俺はまだ恵まれていたか。


 飯は食えた。

 屋根はあった。

 選択肢も、多少はあった。


 この子には、なかったのだろう。


 学ぶ暇も。

 余裕も。

 逃げる力も。


 ただ、生きるだけで限界だった。


◇ ◇ ◇


「おい、生存者だ!」


 兵が駆け寄る。


 ザイナス王国の巡回兵だろう。

 紋章が見える。


 慣れた動きで周囲を確認し、

 俺の体を抱え上げた。


「軽い……」


「衰弱してるな。よく生きてたもんだ」


「まだ息がある。奇跡だな」


 奇跡、か。


 違う。


 まだ止まっていなかっただけだ。


 兵が俺の顔を覗き込む。


「年は?」


 ……分からない。


 体の感覚は小さい。

 声を出そうとして、喉が乾いた音しか出ない。


「親はいるか」


 答えが出ない。


 親がいたのかどうかすら、俺は知らない。


 元の子の記憶がない。

 名前もない。


 この体の持ち主は、もういない。


 兵が一瞬だけ目を伏せる。


「……そうか」


 判断が早い。


 同情ではなく、処理だ。


 この世界では、情に引っ張られた者から潰れるのだろう。


「孤児院に回す。運べ」


 その言葉は、当然のように出た。


 俺はそれを聞いて、妙に安心した。


 預ける。

 救う。

 生かす。


 それが最適解だと理解している人間の声だった。


◇ ◇ ◇


挿絵(By みてみん)


「坊主、名前は?」


 担架に乗せられ、揺れる中で問われる。


 名前。


 元の子の名前は知らない。

 記憶もない。


 なら。


 俺が決める。


 ワープア村。


 名は体を表す、という。


 俺の人生は、強いて言えば仕事ありきだった。


 これから右も左も分からない。


 だが、生きるために働くことは、

 きっと大事だ。


 働くために生きるのではなく。


 生きるために、働く。


 それなら悪くない。


 俺は息を整えて言う。


「……タスク」


 兵が頷く。


「タスクだな。覚えた」


 その名が、この世界に登録される。


 根津太一は終わった。


 ここからは、タスクだ。


◇ ◇ ◇


 意識が沈む。


 馬の揺れが遠のき、

 声が薄くなる。


「水を少しだけ。飲ませすぎるな」


「この細さだ、内臓が弱ってる」


「栄養のある粥を……」


 断片的な言葉が耳に入る。


 俺はその中で思う。


 ……今度は、急がない。


 急いで飲み込まず、

 急いで片付けず、

 急いで燃え尽きない。


 生きるために働く。


 その順番だけは、守る。


◇ ◇ ◇


 次に目が覚めたのは、石造りの天井の下だった。


 焦げた匂いはない。

 代わりに布と石の匂い。


 どこかで木がきしむ。

 誰かの咳が聞こえる。


 孤児院らしい。


 薄い毛布。

 きしむ寝台。

 体はまだ軽い――いや、軽すぎる。


 胃のあたりが、何も入っていない感じがする。


 視線を動かす。


 壁に札。

 本棚。

 木箱。

 小さな机。


 そこかしこに、文字がある。


 だが――読めない。


 ……読めないな。


 兵の言葉は理解できた。

 会話は問題ない。


 ということは、音の記憶はある。


 だが文字は教わっていない。


 学ばなかったのではない。

 学べなかった。


 環境がなかったのだろう。


 この体の持ち主は、

 そこまで余裕がなかった。


 俺は、前世では契約書を読んで、

 仕様書を読んで、

 見積書を読んで、

 人の嘘も行間も読んできた。


 だが今は、一文字も読めない。


 滑稽だな。


 けれど、焦らない。


 知らないなら、積み上げればいい。


 それは、生前で散々やってきたことだ。


 分からないなら調べる。

 足りないなら覚える。

 失敗したら、やり直す。


 苦労を惜しんで生きてきた覚えはない。


 本が読めないなら、

 読めるようになればいいだけだ。


 ゼロからでもいい。


 俺は天井を見上げる。


 楽な始まりじゃない。


 だが、始まっただけで十分だ。


 タスクとしての人生は、

 ここからだ。


(第4話 了)


※他作品も連載中です。

最強のハンター、神の光を拾う。〜滅びゆく世界で俺はもう一度守りたい〜

https://ncode.syosetu.com/n0190lh/

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