【第2話 白い空白と選択肢】
――体が、やけに軽い。
最初にそう感じた。
疲労がない。
筋肉の張りも、関節の鈍さもない。
長年染みついていた「どこかが常に重い」感覚が、きれいさっぱり消えている。
なのに――動かない。
手足に力を入れたつもりでも、何も起こらない。
しびれているわけでも、痛いわけでもない。
ただ、反応が返ってこない。
「……ん?」
意識ははっきりしている。
考えることもできる。
――ああ、そうか。
俺はきっと、会社で寝てしまったんだ。
工具箱を抱えたまま、床に座って。
少し疲れが溜まっていたし、気絶するみたいに眠るのは、いつものことだ。
なら、そろそろ起きる時間だろう。
そう思って、目を開けた。
瞬間、強い光に包まれた――気がした。
眩しい、というより、
「眩しいと錯覚するほど、何もない」。
上下も、左右も、奥行きも分からない。
白い。
ただひたすらに、白い。
天井がない。
壁もない。
床の感触すら、よく分からない。
「……病院、じゃないな」
思わず、そんな独り言が出た。
もし病院なら、見慣れない天井がある。
点滴スタンドがあって、消毒の匂いがして、機械音が鳴っている。
それが“お約束”だ。
だが、ここには何もない。
音も、匂いも、気配も。
白い空間に、俺の意識だけが浮いている。
夢か。
そう考えるのが、一番自然だった。
過労による意識障害。
あるいは、脳が見せている一時的な幻覚。
だったら、そのうち目が覚める。
俺は、もう一度瞼を閉じた。
◇ ◇ ◇
閉じたはずの視界に、
ふっと、何かが浮かんだ。
文字――のようなもの。
はっきり見えているわけじゃない。
スクリーンがあるわけでも、光っているわけでもない。
ただ、「理解できてしまった」。
昔、よくハマっていたゲームがあった。
起動時や、重要な場面で表示される、簡素なガイダンス。
装飾のない、事務的な説明画面。
あれに、よく似ている。
――嫌な予感がした。
これは、説明されるやつだ。
そう思った瞬間、内容が頭に流れ込んできた。
システムガイダンス。
あなたは死亡しました。
……なるほど。
ずいぶんと、はっきり言う。
生前における行動履歴および社会的貢献度を評価し、
新たな人生を送る権利が付与されました。
評価に基づき、転生時に各種ボーナスが適用されます。
転生しますか?
淡々としている。
感情はない。
慰めも、同情も、祝福もない。
ただ、処理として提示されている。
「……死亡、ね」
声に出してみると、不思議と実感が湧いた。
驚きは、ほとんどなかった。
叫び声も、恐怖もない。
ああ、そうか。
起きなかったか。
それだけだ。
思い返せば、心当たりは山ほどある。
無理をして、睡眠を削って、体を後回しにしてきた。
いつか倒れる。
いつか起きなくなる。
分かっていた話だ。
それでも、胸が締め付けられるような後悔はなかった。
仕事は、やり切った。
今日の分も、きちんと終わらせた。
――少なくとも、途中で投げ出した覚えはない。
だが、ガイダンスの文面に、少しだけ引っかかる。
「偉業、功績……?」
世界を救った覚えはない。
誰かに感謝された記憶も、正直そこまで多くはない。
ただ、壊れたものを直して、
困っている人の話を聞いて、
現場が回るように調整してきただけだ。
それでも、それが「評価」されるらしい。
どうやら、この世界では、
そういう生き方も無駄じゃなかったらしい。
◇ ◇ ◇
少し、考える。
転生。
もう一度、人生をやり直す。
胡散臭い話だ。
だが、否定しきれない現実感がある。
今の俺は、確かに生きていない。
白い空間に浮かんで、システムの説明を聞いている。
夢にしては、都合が良すぎる。
ふと、別のことが頭に浮かんだ。
仕事のことだ。
明日の予定。
連絡しなきゃいけない相手。
引き継ぎ。
……不思議と、何も浮かばない。
心配が、湧いてこない。
あれだけ毎日、頭を占めていた仕事が、
今は遠い。
体が軽いのも、きっとそのせいだ。
もう、背負うものがない。
そういえば――と、ふと思う。
仕事一辺倒の人生だった。
恋愛も、結婚も、結局は縁がなかった。
だが、興味がなかったわけじゃない。
ただ、後回しにしているうちに、
気づけば時間が過ぎていただけだ。
もし、もう一度やり直せるのなら。
今度は、少しだけ歩く速度を落としてもいい。
誰かと並んで、同じ景色を見ながら進む人生も、
悪くないのかもしれない。
白い空間の中で、俺は静かに思う。
――俺はもう、働き切った。
なら、その先を歩く権利があっても、
罰は当たらないだろう。
視界の奥で、
「転生しますか?」という問いが、変わらず待っていた。
俺は、答えを決める。
(第2話 了)
※他作品も連載中です。
最強のハンター、神の光を拾う。〜滅びゆく世界で俺はもう一度守りたい〜
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