【第10話 選択肢のための朝】
目が覚める。
静かすぎる。
窓の外はまだ薄暗く、鳥の声もない。
起床には少し早い時間だと分かる。
だが、眠気はない。
昨夜の光景が、頭から離れない。
長い耳。
澄んだ声。
エルフ。
転生してから、衰弱だの飢えだの現実的なことばかりだった。
だがあれは違う。
異世界だと、初めて実感した瞬間だった。
エルフがいる世界。
創作の中でしか知らなかった存在が、現実にいる。
胸が少し高鳴る。
だが、それだけで止まっているわけにはいかない。
俺はゆっくりと上体を起こす。
体は軽い。
まだ完全ではないが、動ける。
まず、布団を整える。
皺を伸ばす。
角を合わせる。
乱れを残さない。
整った環境は、無駄な消耗を減らす。
厨房でも現場でも、まずは整えるところからだった。
五歳になっても、それは変わらないらしい。
◇ ◇ ◇
孤児院の敷地の奥。
倉庫の裏手。
人目につきにくい場所を選ぶ。
強くなりたいわけじゃない。
誰かに勝ちたいわけでもない。
ただ――選べる立場にいたい。
体を使う仕事をして思ったことがある。
小さい頃に体幹や運動量が高い子は、
大人になったときの地力がまるで違う。
姿勢。
安定感。
怪我の少なさ。
差は、後からでは埋まらない。
俺は知っている。
だから、やる。
深呼吸。
腹式呼吸でゆっくり空気を入れる。
まだ肺が浅い。
だが少しずつ広げる。
次に片足立ち。
ふらつく。
足裏の重心を意識する。
地面を掴む。
指の屈伸。
手は資本だ。
どんな仕事でも、人間である以上、手を使うことが多い。
掴む。
支える。
作る。
直す。
指先が鈍れば、選択肢は減る。
小さい頃からの差は、
後からでは埋まらない。
だから今やる。
ゆっくりとしたスクワット。
膝が震える。
だが止めない。
積み上げは裏切らない。
選択肢は、多いに越したことはない。
◇ ◇ ◇
一方。
朝の見回りに来たエマリアは、ベッドが空であることに気づく。
整えられている。
きれいに。
それが、逆に胸をざわつかせる。
昨日まで衰弱していた子がいない。
静かすぎる。
一瞬、血の気が引く。
嫌な想像がよぎる。
彼女は足早に外へ出る。
◇ ◇ ◇
「……何をしているの」
声が背後から落ちる。
振り返ると、フード姿のエマリアが立っている。
「自主トレです」
「まだ体は戻っていないでしょう」
「戻るのを待っていたら、差がつきます」
「差?」
「小さい頃の運動量は、大人になって地力になります」
彼女は黙る。
「強くならなくていいの」
「強くなりたいわけではありません」
俺は息を整えながら言う。
「選択肢を増やしたいだけです」
「選択肢?」
「守られるだけ、は嫌なんです」
言ってから気づく。
俺は、喋っている。
こんなに。
彼女も、黙っていない。
「あなたは子どもよ」
「分かっています」
「分かっていないわ」
語気が少し強くなる。
「守られる時間は、必要なの」
それは叱責ではない。
願いだ。
守る側の願い。
「あなたは、選ばれなくてもいいの」
胸に落ちる言葉。
返せない。
守られるだけでいい?
甘い。
だが――悪くない。
「……でも」
彼女が続ける。
「差って、具体的に何が変わるの?」
純粋な疑問。
市場ではほとんど話さなかったのに。
気づけば、彼女はよく喋っている。
本当は、よく喋る子なのかもしれない。
「疲れにくくなります」
「それは……大事ね」
「怪我もしにくいです」
「それも、大事」
頷く。
真面目に聞いている。
距離が近い。
あの匂いが、またする。
安心する匂い。
彼女は小さく息をつく。
「無理はしないこと」
「はい」
「倒れたら、意味がないわ」
「分かっています」
「本当に?」
「……半分くらい」
彼女がふっと笑う。
ああ。
本当はよく笑う子だ。
よく喋る子だ。
守る側の顔をしているだけで。
朝の光が差し込む。
選択肢を増やすためのトレーニング。
守るための言葉。
その間に立っている。
悪くない。
転生して初めて、
静かにそう思えた。
(第10話 了)
※他作品も連載中です。
最強のハンター、神の光を拾う。〜滅びゆく世界で俺はもう一度守りたい〜
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