突然の契約結婚
『僕と結婚してください』
彼の言葉に私は固まった。
「なにを言ってるの!?」
呆然とした声が自分の口から漏れる。
彼はそんな私のうろたえる姿をどこか愉しむように言葉を重ねた。
「結婚には僕にもメリットがある」
「メリットって……」
「経営者という立場に立つ以上、世間に対して示さなければならないことがいくつかあります。その一つが──所帯を持つことです」
ゆったりとした声音で彼は説明をする。
「株主や取引先に安心感を与えるためにも安定した家庭を築いている姿を見せるのは、ビシネスとして有利に働くことが多い。父からも早く相手も見つけろと言われて縁談相手を紹介されて最近困っていたところです……」
なるほど……。
分からなくはないけれど、お互い全く愛がないのに結婚!?
どう考えてもおかしい。
「……だからってなぜ私なの!?あなたほどの男なら結婚したいと名乗りを上げる人間なんていくらでもいるでしょう!?」
彼は組んでいた指先をほどくと真っ直ぐにこちらを見据えた。
「そうですね」
そうですね!?
なんでこうこの男は人をイラっとされるのが上手いんだろう。
「だったら……!」
「簡単な話ですよ。あなたは人と距離を取りたがる。その距離が僕には心地いいということです」
彼の言葉に私は考えこむように視線をおとした。
なるほど……彼は面倒な恋愛関係を求めていない。
ただビジネスの体裁を整えるための互いに干渉しないパートナーが欲しいということ。
それは理解できない話ではない。
「もちろん、結婚生活はなに不自由ない暮らしを保障しますよ」
8000万と引き換えに、四宮くんと形だけの結婚をする。
「あなたにとっても悪い話ではないはずです。よく考えてみてください」
話はそこで終わった。
『あなたにとっても悪い話ではないはずです』
オフィスに戻ってからも四宮くんの言葉が耳の奥でいつまでも反響していた。
この日は思うように集中することが出来なかった。
彼の提案を、頭の中で何度も何度もシミュレーションしながら先のことを考えてみる。
この提案を飲むべきか。
彼の提示した条件はたしかに合理的で私にとっても悪くない条件だ。
8000万という絶望的な金額をポンと出せる人や、私に使おうとしてくれる人なんて探したっていない。
その代償としての彼との結婚があるのであれば、そのくらいなら犠牲にできる。
愛のある結婚なんて私には無縁の話。
『可愛げがない』と捨てられたあの日から、誰かに愛され家庭を築く未来を私はもう捨てたのだから。
そして四宮くんが求めているのは、形だけの妻という役割。
それと引き換えに、父が救われるのなら……かなり安いものだと思えた。
彼との結婚、か……。
脳裏に、四宮くんの顔が浮かぶ。
全てを見透かすような涼しい瞳。
愛なんてどこにもない。ただ契約書で結ばれただけの空っぽの関係。
そんな想像しただけで息が詰まりそうな未来。
でも、そんな未来と父の会社とどちらが大切か。
天秤にかけるまでもない。
私の結婚というカードが、父を救うために使えるのなら。
それは、私にとって価値ある使い方なのかもしれない。
翌朝。
私は始業と同時に社長室の前に立っていた。
コンコンと社長室の扉をノックする。
「どうぞ」
中から声が聞こえて私は、ゆっくりと扉を開けた。
彼はデスクですでに書類に目を通していた。
私の姿を確認すると静かに顔を上げる。
「……おはようございます。朝一番にどうされましたか?」
全てを見透かしたような瞳。
分かっているクセにあえて聞いてくる。
彼はそういう男だ。
私は、その視線から逃げることなく真っ直ぐに彼を見つめ返した。
「昨日の、お話の件です」
「……はい」
「あなたの……四宮社長の提案を受けたいと思います。だから父の会社を援助してください」
私は深く頭を下げた。
「それは僕と結婚するということですか?」
「ええ、そうよ」
まっすぐに彼を見つめる。
もう覚悟は決めた。
一度の結婚がなんだというの。
構わないわ。
私はこの人と結婚して8000万円を手に入れる。
すると、まるで、最初からこうなることが分かっていたとでも言うように彼は言った。
「顔を上げてください」
その声に従い私が顔を上げると、彼は穏やかな顔を私に向けた。
「あなたのその決意、しかと受け止めました。お父様の援助は必ず行いますからご安心を」
「ええ」
「では……早速、手続きを進めましょう。連絡先を聞いても?」
「はい」
私は無言でスマートフォンを取り出した。
そして彼に連絡先を伝える。
それはまるで初めて会う取引先の相手と名刺を交換するような、あまりにも事務的な作業だった。
それから私は社長室を後にすることとなった。
あっさりと決まった結婚。
彼には恩がある。
でもこれから始まる偽りの結婚生活。
絶対にあなたの思い通りにはさせない。
私の決意を彼は静かな笑みで受け止めた。
私は上の空になりながらも、父の会社のことを思いほっとしていた。




