表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
離婚は前提条件なので。  作者: cheeery


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/19

幸せな結婚



この日の朝。

私はいつも通り身支度を整えていた。


クローゼットの鏡の前でスーツの襟を正す。

その時ふと視線がドレッサーの引き出しへと向かった。


あの中に指輪を入れる箱がある。

昨日は帰ってきてから指輪をつけた。


いつもは朝外していくのだけど……今日は外さないでこのまま会社に行こうと思っている。


『職場で付けなきゃ牽制の意味もないでしょう』


昨夜の彼の言葉がよみがえる。

彼は私に指輪を付けていってほしいと思っているんだろうか。

でもそんなことしたら会社で騒ぎになるだろう。


四宮くんは、相手が私だってバレても平気なの?


私は小さく息を吐いた。


リビングへ向かうと彼はすでに準備を終えていた。

ちょうど出る時間が被ってしまった。


そして私の左手を見てわずかに目を見開く。


「……指輪、つけていくんですか?」


指輪をしていれば佐伯くんも昨日の話を信じるかもしれない。


もう二度とあんな風に馴れ馴れしく近づいてはこないだろう。

それは私にとっても都合がいい。


「ええ……」

「ウワサされるかもしれない覚悟は?」


「もちろんあるわ」


四宮くんはもう一度指輪を付けていっているため、私たちがウワサされる可能性はある。


彼とのペアリングなんだもの。

会社で指輪を付けたら、私と四宮くんの契約結婚がおおやけなものとなってしまう。


それはもう戻れなくなるようで怖いけれど、覚悟を決めるくらい彼となら向き合ってもいいと思えた。

だから今日はこの指輪を付けて会社に行く。


「分かりました。ならこれを……」


そう言って彼は別の指輪を取り出した。


「それは……?」


「フェイクリングです。あると便利かなと思いまして……これなら僕らのことがウワサされることはないでしょう?」


彼は私の左手を取りその薬指に新しい指輪をはめる。


サイズはぴったりだった。


「どうして……」


「あなたが望まないことを無理強いするのはよくないと思いまして。でもあなたが他の男に言い寄られるのは見ていて気分のいいものではない」


だからフェイクリングを用意してくれたのか……。


「助かる、ありがと」


私がちらりと彼の顔を見ると、彼は言った。


「指輪は違えど美和さんは僕の妻ですからね?」


彼はゆっくりと口角を上げて微笑む。


「いちいち言わなくても分かってるから!」


私は逃げるように家を出た。


「はぁ……」


今日はいつもより少しだけ早く会社についてしまった。


左手の薬指には彼からもらった指輪が光っている。

まだ誰もいないオフィスで私は自分のデスクに座りパソコンを開いた。


いつも通りの朝のはずなのに心臓だけが落ち着かない。

社員たちが一人、また一人と出社してくるたびにソワソワした。


私が席を立ちコピーを取りに行く。

その時、すれ違う社員たちの視線が私の左手に一瞬注がれるのを感じた。


「……見た?」


「うん……指輪……」


「まさか結婚……桐谷課長が……?」


誰も私に直接聞いてはこないけれど、声は聞こえてきた。

その視線は、まっすぐ私の左手に注がれている。


正直気まずい……。

これは必要なことだと自分に言い聞かせる。


しかし、やはり居心地が悪くなり私は一度オフィスを出ることにした。


席を立ち、給湯室で一息ついていた時。


「おい」


後ろから低い声が聞こえてきた。

振り返るとそこに立っていたのは佐伯くんだった。


彼は私の左手を睨みつけている。

その顔には明らかに不機嫌な色が浮かんでいた。


「その指輪……なにそれ」


彼の声は低くなぜか怒っているように聞こえた。


「あなたがなかなか信じてくれないから、指輪をしてきたの」


私が冷たくそう言い放つと、彼は鼻で笑った。


「はっ、ウソつけよ。そんなのどっかで買ってきたテキトーなものだろ。俺を騙そうったってそうはいかねえぞ」


「……どうしてそんなに必死になるの?」


「は?」


「私が結婚していようがいまいがあなたにはもう関係ないはずでしょう」


私のその言葉に彼はぐっと息を詰まらせた。


苛立ちを隠せない様子で私に詰め寄ってくる。


「関係なくねえよ!もう一度やり直そうって何回も言ってるだろ……!俺はまだお前のことが……」

「やめて」


私は彼の言葉を遮った。


もう彼の身勝手な言葉に振り回されるのはうんざりだった。


あの日、あなたが終わらせた恋はいいものなんかじゃなかった。

だからもう佐伯くんの顔だって本当は見たくないし、思い出させるようなこともしないでほしい。


「私には夫がいるの。あなたとはもうなんの関係もない。だからいい加減業務以外のことで話しかけるのはやめて」


私はそれだけを言い残し彼に背を向ける。

そして足早にその場を立ち去ろうとした時だった。


「……っ!」


背後から強く腕を掴まれ壁へと押し付けられた。


ドンという鈍い音と共に背中に衝撃が走る。


目の前には逆上した彼の顔があった。


「なぁ美和、俺のことまだ好きなくせに変な強がりはもうやめろよ」


彼は私の耳元で囁く。


「昔のこと思い出せって。優しくしてやっただろ?寄り添ったり、お前の話を聞いてくれた人間は俺だけだったはずだ。今だってそうだ……ここに来て分かったよ。お前は孤立してる。友達もいないし、頼れる相手もいない。でも俺と付き合えばお前を受け入れてやれる。本当のお前を分かってやれるのは、昔も今も俺だけだ」


私は……一人。

彼の言葉が私の心を抉る。


そう、私には頼れる人間がいない。

その事実を彼に突きつけられ私の呼吸が浅くなる。


心臓が嫌な音を立てて早鐘を打った。


分かってるよ。

だから仕事を頑張るしかなかった。


私にはなにもなかったから。


逃げたい。

ここから消えてしまいたい。


「俺と付き合った方がお前は楽になれるよ?」


彼の顔が近づいてくる。


いや……っ。

目をぎゅっと瞑ったそのとき。


「それは間違いだ」


低く落ち着いた声が背後から響いた。

佐伯くんの肩がびくりと跳ね、私は振り返る。


そこには四宮社長が立っていた。


「彼女はひとりなんかじゃない。見てのとおり帰る場所がある」


そういいながら私と佐伯くんを引きはがした。


「なっ、社長……!?」


佐伯くんの顔から血の気が引いていく。


四宮くんは私の腰に手をまわし、彼を牽制するかのように言った。


「そういうことなので、僕の妻に手を出さないでもらえますか?」


その眼差しは柔らかな笑みを帯びているのに、言葉以上の重さと圧を感じさせる。


廊下の空気が一瞬にして支配され、佐伯くんの手がゆっくりと外れていった。


「美和の結婚相手って……社長だったのかよ」


佐伯くんは信じられないとでもいいたげの表情で私を見た。


「失礼あまり会社でこんな話しはしたくないのだけど、よく業務外で話しをしてると聞くものでね」


佐伯くんは目を見開き、信じられないものを見ているように私と四宮を交互に見た。


「し、失礼しました……そういうつもりは全くなくて」


彼は視線を逸らし、戸惑った顔を浮かべる。


「それなら、誤解されるような行動は慎んだ方がいい」


彼は笑顔を作って言った。


「ひっ……」


でもあきらかに目は笑っていない。


「す、すみませんでした!」


この人の笑顔は……やっぱり一番怖いと思う。


佐伯くんは早足にその場を去っていった。


給湯室には、私と四宮くんだけが残される。


「けっきょくバラしちゃったじゃないですか」


私が静かに告げると、彼は言った。


「申し訳なかった……あまりに彼が強情だったので僕が出る方がいいじゃないかと思って」


きっと直前まで迷っていたのだろう。

私のことを考えて一番いい彼の蹴散らし方を考えてくれたんだ。


「あの四宮社長が独占欲を見せるなんて思いませんでしたよ」


まあ、そういうのも全部面白いと思ってやっているんだろう。

この人はそういうのを楽しみたがる人だから。


「そうですね……少々カッコ悪かったかもしれません」


えっ。

思った反応と違うことに、私は慌てて顔をあげた。


きっと彼ならなにか返してくると思ったのに……。


あれくらいする方が効果的でしょう?とか、演技は得意ですのでとか……。

言いそうな言葉がたくさんあるでしょう?


すると四宮くんは、ゆっくりと私の方へと身を寄せてきた。


彼の長い指が軽く私の手に触れる。


──ドキ。


「僕もまだまだダメですね。でも、大事な妻が他の男性に口説かれているのを見るのはやはりいい気がしない」


低い声が耳元に落ちてきた瞬間、体の奥まで熱が走った。

絶対にからかって言っているに決まっているのに、思わず顔を赤らめてしまう。


それが意識しているみたいで恥ずかしかった。


「なによ、ただの契約結婚なだけじゃない」

「まぁ……そうですね」


その声はひどく静かだった。


そうこうしているうちに始業ベルが鳴り、私は持ち場に戻ることになった。

この日の佐伯くんとの業務は本当に最低なものだった。


彼は不機嫌になってしまってふてくされた返事をするし、頼んだ仕事はしないし……。

こんな子どもみたいな人が社会人としてやってきたというのだから、驚きだ。


「はぁ……やっとついた」


家に帰り着替えを済ませてリビングのソファに座る。


すっかり慣れたこの場所。

ソファーの背もたれに背をつけながら、四宮くんの言葉を思い出す。


『彼女はひとりなんかじゃない。見てのとおり帰る場所がある』


帰る場所があると言ってくれたこと、本当は嬉しかった。

私は一人じゃないって彼は目の前で否定してくれたから。


でも照れくさくて、しっかりとお礼を告げることができなかったな……。

帰って来たら言わないと……。


そんなことを考えていると、玄関のドアが開く音がした。


「……おかえりなさい」


彼の言葉を聞く前に出迎えてしまって、彼は驚いた顔をしていた。


リビングに入ってきた四宮くんの顔はいつもより少し疲れているように見えた。


ジャケットを脱ぎハンガーにかける。

その時、彼は言った。


「それ……フェイクリングのままですね」


彼に指摘されて気がついた。


ちゃんと指輪を付け替えていなかったこと。


「それがあなたの答え……ですか?」

「なにを言ってるの?」


私はただ指輪を付け替え忘れただけだ。

でもこんなこと言いたいわけじゃない。


私は切り出した。


「朝はその……ちゃんとお礼を言っていなかったなと思って……あの時はありがとう」


すると四宮くんはこちらを見ることなく答えた。


「お礼なんて必要ありませんよ。当たり前のことをしたまでです。社長としても社員が困ったら出動しますし」


社員……?

今朝は社員だからなんて言わなかったはずだ。


僕の妻と言っていたのに。

なんだか距離のあるようなものいいが引っ掛かった。


「あなたは夫として私を守ってくれたんじゃないの?」


私のその問いに、彼は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。


「別にどっちでもいいじゃないですか」


どっちでもいい。

私もそう思ってる。


でもわざわざそうじゃないと言われるのはなんだかしゃくだ。


「どっちなの」


私のその問いに彼は一瞬言葉を詰まらせた。

そしてゆっくりと口を開く。


「あなたはズルい人だ」


彼は鋭い目で私を見た。


──ドキ。


なに……っ。

彼がどんな表情をしているのか分からない。


その表情はいつも以上に読み取れなかった。


「契約結婚だと距離を置きながら、夫として守ったのか、それとも会社の社長として守ったのか聞くんですから」


彼に指摘されてから気づいた。


その通りだ。

彼と距離をとっているのは私の方だ。


それなのになぜ変なことを聞いてしまったのだろう。


「ごめん……」


そう言って話を終わりにさせようとした時、彼は私の手をとった。


掴まれた手首が熱い。

私はその熱から逃れるように身を引こうとした。

だが彼の力は強くびくともしない。


「逃げるのはもっとズルいな」


そして静かに囁いた。


「聞いたんですから、責任持って回答を聞く義務がある」


正論を言われ、私は振り返る。

その真剣な眼差しから逃れることはできない居心地の悪さを感じた。


「分かりませんか?夫としてあなたを独占したくてたまらないと言っているんですよ」


彼の指が私の手に強く絡め取られる。


もう逃げられないと告げるように。


ドキン、ドキンと鳴り出す心臓を抑えられなくなっている時。

彼はぱっと手を離した。


「すみません、ちょっと変でしたね。確かに僕とあなたは契約結婚だけの関係だ。深入りする必要はない」


すんなりと引いていく彼の顔が寂しそうに見えて、私は引き止めたくなってしまった。


「本当の夫だったら、あなたは私に過去なにがあったのか教えてくれたんでしょうか」


えっ。

私が顔をあげるとぽつりと呟いた。


「すみません、感傷的になりすぎましたね」


そしてゆっくりと立ち上がると私に背を向けた。


四宮くんは私を知りたいの?

過去に何があったのか、気になるの?


どうでもいいものだと思ってた。


彼にとってはそんなこと……。


どうして知りたいと思ってくれるんだろう。

どうしてこうやって寄り添ってくれたんだろう。


なんのあれなのかは分からない。

でも去っていく彼を止めたいとはじめて思ってしまった。


「佐伯くんは、大学生の時に付き合ってたと思ってた人……」


四宮くんの足がぴたりと止まる。


彼は背中を向けて私の話を聞いていた。


「3年くらい彼と付き合ってた。でもね……彼には家庭があったのよ」


四宮くんはとっさに顔をあげる。


「バカよね、全然気づかなくて……たしかに彼の家に行くことはなかったし、いつも私の家ばかりで会えない日もたくさんあった」


静かな家の中、こんな話をするのは自分らしくないけれど……。


「それで偶然見かけたの。彼が奥さんと歩いているところを……それで私はストーカー呼ばわりされてね。あげくの果てにお前は可愛げがないから無理って」


でも今は彼に伝えたかった。

それが彼と向き合うってことだと思ったから。


「そんな面白くもない話よ。私はそれから恋愛はしないって決めたの、絶対に裏切らない仕事だけを頑張るってね。お陰で出世も出来たし感謝はしてる」


「そう、だったんですね」


彼はこっちを向き直った。

でも彼の表情は未だに分からない。


さっきよりはピリピリしている感じはなかった。


「まっ、可愛げないのは自覚してるわ。見ての通りこんな女だもの」


私が自嘲するようにそう言うと、彼は静かに首を横に振った。


「可愛げがないなんて……思ったこと、ないです」

「えっ」


その視線はとてもまっすぐで真剣だった。


「な、なに言って……」


「あなたは誰にも媚びず自分の足で立ってその地位を築いてきた。能力は高いのに不器用なところは確か

にあって、それは……かわいいって思います」


その声はどこまでも優しかった。

この男は……なにを急に言うのよ。


そういうの私にしたって意味ないでしょう……。


慰めてるつもりなんだろうか。


「俺はあなたのそういうところが好きだ」

「……っ」


「それに俺はあなたを裏切ったりしない」


彼はそう言うと私の手を強く握った。

その真っ直ぐな瞳に見つめられて私はもう何も言えなかった。


「……バカね」


そんなことわざわざ言わなくていいのに。

契約だけのお飾り妻に優しい言葉をかける必要なんてない。


でも……。

自分の過去の話を誰かにしたのははじめてだった。


熱い手のひらが、私の手の甲を包み込みフェイクリングに触れる。


「この指輪はちゃんと代えてください」


その熱が指輪を通して薬指に伝わり、私の心臓がどきりと大きく跳ねた。


「ニセモノの関係だと言われているみたいでしょう?」


私は思わず彼から目を逸らした。


契約結婚なのだから、その愛はニセモノじゃない……。

でもそのニセモノにも心地よいと感じる瞬間もちゃんとあるんだ。


「またあなたのこと、教えてくれますか?」

「絶対教えないし!」


「そうですか、なら聞きだすので構いません」

「離婚するわよ?」


「出来るなら」


彼は笑顔を作った。


悔しい……。

でも、宮くんはなんだか嬉しそうだった。


嬉しそうに私の横に腰掛けて、ご機嫌に私を見つめていた──。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ