温かな誕生日
今日の出来事が頭の中でぐるぐると回っていた。
佐伯くんのこと。そして私を守ってくれた彼のこと。
彼は……社長として社員を守ってくれたのだと思う。
駅の改札を抜けホームへと向かう階段を降りていた時だった。
とん、と後ろから軽く肩を叩かれた。
「わっ……!」
驚いて振り返ると、そこに立っていたのは四宮くんだった。
「早いのね」
「ええ、今日くらいは早く帰ろうと思いまして」
「今日くらい……?」
私のその問いに彼は悪戯っぽく微笑んだ。
「今日はあなたの誕生日でしょう?」
「え……」
そういえば、そうだったか……。
毎年自分の誕生日なんかどうでもよくて全然忘れていた。
「今日は……家で一緒に食事でもどうですか?あなたがよければ僕が料理を振舞いますよ」
別に誕生日をお祝いしてもらう必要はないのだけれど、彼が提案してくれた好意を無碍にすることは出来なかった。
「四宮くんの負担じゃないなら……」
「なら決まりです。食品を買いにいきましょう」
それから私たちは食品を買いに行き、家のマンションに戻った。
彼は買ってきた食材を手際良くキッチンカウンターに並べる。
「桐谷さんは座っていてください。すぐに作りますから」
いいのかしら……。
仕事終わりで彼も疲れていそうなのに……。
私は言われるままソファに腰を下ろした。
キッチンから聞こえてくるのは、包丁がまな板を叩く良い音。
フライパンで何かが焼ける香ばしい匂い。
意外と四宮くんって料理できるんだ……。
普段完璧なスーツを着こなし会社の社長として働く彼のエプロン姿を見れるのは、今は私だけだろう。
その光景がなんだか新鮮な感じがして私はただぼんやりと彼の背中を見つめていた。
やがて彼がいくつかの皿を手にリビングに戻ってきた。
テーブルの上には見た目も美しい料理が並べられていく。
「どうぞ」
彼はワインセラーから一本の赤ワインを取り出した。
慣れた手つきでコルクを抜き二つのグラスに注ぐ。
すごい……。
どこかのお店で食べているみたいなフレンチ料理だ。
こんなの私も作れないのに……。
「それから」
彼は冷蔵庫へと向かう。
そして取り出してきたのは小さなホールケーキだった。
これ……私のために買ってきてくれたの?
わざわざ?
「誕生日おめでとう」
四宮くんが私に向かって言う。
心がむずがゆくて、なにか胸の奥から熱いものがこみ上げてくるような変な感覚だった。
母が亡くなってから、私の誕生日をまともに祝ってくれる人なんて誰もいなかった。
父も私を養うので忙しかったし、特別な人がいるわけでもない。
でも別にそれでよくて、私は誕生日を祝われて喜ぶような人間でもないし……必要のないことはしなくていいと思っているから……。
「桐谷さん?」
彼の言葉にはっと我にかえる。
私は顔を見せないように彼に告げた。
「……あ、ありがとう」
変だ。
もう三十も過ぎているのにこんなことで喜ぶなんて……。
でも……。
嬉しかったんだ。
彼のその言葉が。
「さあ、冷めないうちに食べましょうか」
二人きりの誕生日ディナー。
彼が作ってくれた料理はどれも驚くほど美味しかった。
私たちは他愛のない話をしながらゆっくりと食事を楽しんだ。
ケーキも美味しくて、今日の今まで嫌だったことが全部リセットされた気持ちだった。
「ありがとう四宮くん。今日は楽しかったわ。おめでとうなんて言われたのも久しぶりだし」
一緒に片付けをしながら告げると、四宮くんは言う。
「本当はプレゼントを渡すことも考えていたんです。ただ……あなたにそれをすると負担になるかなと思って」
私が返さないといけないと思うことを心配したんだろう。
つくづく先回りして気が遣える人だ。
「もう十分」
今日は本当に特別な日に感じた。
ここ何年か振り返ってみても幸せだと感じることは少ない人生だった。
でも彼の手料理を食べている時、彼と向かい合って食事をしている時に幸せだと感じたのは事実だ。
すると四宮くんは私の手にそっと自分の手を重ねた。
「……な、なに?」
「美和さん、これからもあなたの誕生日をお祝わせてください」
まっすぐな瞳に私の胸がドキンと音を立てた。
それは気遣いとかじゃない。
心の奥底から言ってくれた言葉なんだと伝わってきた。
まるで帰る場所がここなんだということを教えてくれているみたいで、私はぐっと唇をかみしめる。
そうしないと泣いてしまいそうだった。
私は気を紛らわすために冗談を言う。
「今年で夫婦解消かもしれないわよ?」
「それはあまりに寂しすぎる。毎月の支払額を下げてしまうかもしれないですね」
「ズルい!大口契約取って一気に返すんだから」
「今年のボーナスは後払い制にしましょうか」
「そんなのないから!」
あーもう。
おかしい。
今この瞬間が本当に幸せだと思ってしまっていること。
四宮くんの隣にいたら、幸せになれるんじゃないか、なんて思ってしまってること。
全部変だ。
温かい感情なんてこの結婚には必要ない。
でも……。
想像してしまったんだ。
彼と夫婦として共に過ごす自分を。
そしてそこに居心地のよさを感じてしまっている自分を──。




