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離婚は前提条件なので。  作者: cheeery


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私の生き方





『だってお前……1人でも生きていけそうなんだもん。可愛げねぇつーか……』

『別れようぜ』


1人で生きて行けることのなにが悪いんだろう。

結婚ってお互いを支え合うもの。

1人で生きて行けない人間が誰かを支えるなんでできっこないのに──。



今日も朝からたくさんの書類のチェックが待っている。

パソコンの画面に視線を落としていると、机の前に立つ気配があった。


「き、桐谷課長……こちら、企画書になります……!」


部下が差し出した書類を受け取り、さらりと目を通す。

小さな数字の誤りに気づき、私は赤ペンを滑らせた。


「……この数値、逆ね。修正して再提出を」


そう告げると、部下は肩をすくめるように震え頭を下げた。


「す、すぐ直します!」


そう叫ぶように答えると、逃げるように走り去っていく。

背後からは、ひそひそ声が耳に届いた。


「やっぱ桐谷さん、こえー」

「近づきたくないよな……」


「俺も企画チェックの時は胃が痛くなるぜ」


聞こえてるけど……。

だが、もう言われるのは慣れた。


指先は淡々とキーボードを叩き続けていた。


桐谷美和。三十歳。

大手総合商社の営業企画部で今は課長を務めている。


入社してから5年、私はただひたすらに仕事に打ち込んできた。

結果として、最年少で課長に昇進し、社内でも一目置かれる存在となった。


仕事に全力を注いできた結果、今の地位を得ることが出来た。

しかし、失ったものもあるらしい。


「今度の飲み会って桐谷さん誘う?」

「いいって、誘ったら雰囲気悪くなるだろ。あの人仕事好きそうだからどうせ仕事してるだろ」


部下や同期は私を恐れ、プライベートでも距離を置かれている。


誰も私に話しかけて来る人間はいない。

別にそれで構わない。


むしろ、余計な人間関係に煩わされないぶん、仕事に集中できるのだから。


『……お前、つまんないんだよ』


人は簡単に裏切る。

でも、仕事は裏切らない。


信じられるのは、数字と結果だけ。


「桐谷さん」


すると、ある男が話しかけてきた。

それは最近ここに配属されたばかりの新人、四宮玲くんだった。


「少々よろしいでしょうか」

「ええ」


振り返ると、彼が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。


「先ほどの数値、売上高の計算……少し合わないように思いまして……原価率の算定式が一行ずれていませんか?」


私の手の中にある資料を指さす。


はっとして目を落とすと、確かに一つ数式がずれていた。

ほんの些細なミス。誰も気づかない程度のものを彼は見抜いた。


「……そうね。ありがとう、訂正しておくわ」


私が答えると、彼はくすりと笑った。


なにがおかしいのだろう。

睨みつけるように見ると、彼は言った。


「桐谷さんも、ミスしたりするんだと思いまして……」


かちんと来た。

なにか含みのあるようないいように胸をざわつかせる。


「失礼。気を付けるわ」


この男、嫌いだ――。


思えば来た当初からその違和感はあった。


『みなさん、ご紹介します。本日よりこちらの部署に配属された四宮怜さんです』


そこに立っていたのは、すらりとした長身の青年だった。

百八十センチ以上はあるだろうか。無駄のない体躯に、仕立てのよいシャツがよく映えている。

切れ長の目元に整った顔立ち。横顔のラインは彫刻のように端正で、唇の端に浮かべた笑みは柔らかい。黒髪はきちんと整えられ、清潔感にあふれていた。


「四宮怜と申します。みなさんのお力になれるよう、精一杯努めます。どうぞよろしくお願いいたします」


彼が笑顔でそう言った瞬間、女性社員たちがざわめきを隠しきれず、目を輝かせているのがわかった。


「え、めっちゃイケメンじゃない……?」

「モデルみたい……」


「彼女いるのかな?」

「私、狙ちゃおーかな」


たしかに女性社員が騒ぎそうなルックスをしている。


だが――。

その笑顔の奥、瞳の底には微塵も温度がない。


目が笑ってないじゃない。

こういうタイプはなにかを隠しているタイプの方が多い。


それに直感が告げていた。

この男とは、一緒にいない方がいいと。


午後。

今日はこの男、四宮くんと一緒に社外に出ることになっていた。


上からは、四宮くんに実践として教えてあげるようにとのことだ。


向かうのは、大手広告代理店。私たちの部署が進めている新規事業に関わるキャンペーンの打ち合わせだ。

相手は業界でも名の知れた営業チーム。金額にして数億規模の案件になる。

こうした交渉の場では、こちらが主導権を握れるかどうかが重要だ。


相手の要求をただ呑むわけにはいかない。

だが、強引に押し切れば、その後の関係が立ち行かなくなる。


神経を使う仕事だからこそ、常に冷静でいる必要がある。


「本日はよろしくお願いいたします」


隣で四宮くんが柔らかな笑顔を見せながら言う。


「……あなたは黙って見ていればいいわ」


私がそっけなく返すと、彼は「承知しました」と笑顔を作った。


会議室では、私は資料を示しながら、広告代理店側の要望を整理し、落としどころを探っていった。


四宮くんは黙ってノートを取り、時折的確な補足を挟む。

新人で未経験で入ってきたわりに場慣れしている印象。


本当に未経験なの……?

でも、それ以上に気になったのは――彼の視線だ。


誰を見ている?

本来なら取引相手に手いっぱいになるはずなのに、なぜだか私を観察しているような気がして落ち着かない。

私を図ってる……?


「それでは引き続きよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いします」


大きな商談はなんとか終わった。


今回の会議……数字も条件も、予定通りに決められた。


私は内心で安堵しつつ、歩道を進む。

打ち合わせを終えてビルを出る頃には、午後の日差しが斜めに傾いていた。


「さすがでした。桐谷課長の交渉……とても勉強になります」


四宮くんの言葉に私はぴたりと足を止めた。


「桐谷さん……?」

「そういうのいいから……お世辞はいらない」


あの時、彼はたしかに私を図っていた。


本当についていくべき人間なのか見定めていたのだろう。

上司にそんなことをするなんて、かなり性格が悪い。


でも……そういう人間こそが大きくなる。

その証拠に会社を出た時に言った言葉……。


『先ほどの代理店の部長、決定権を持っていないようでしたね。会話の端々から分かりました。桐谷課長がすぐに部長補佐へ視線を送ったのは正解でした』


淡々とした口調。

だが核心を突いていた。


よく人を見てる。


「手厳しいな。本当にそう思ったんですよ」

「それなら私はあなたに認められたのかしら?」


「なにを言ってるんですか、桐谷さんが僕を判断する側じゃないですか」


そんなこと少しも思っていないくせに。


まぁいい。

そっちの方がやりやすいわ。


容量よく人を見て、時に見限り自分の利益がある人についていく。

そういうスタイルだってことね。


歩き出す。


そして大通りから少し外れた裏路地に差しかかったとき、四宮くんがふと歩調を緩めた。


「……でも」


低く落とした声。


「桐谷さんって、実は……一番人からの評価を気にしてますよね?」


足が止まった。

不意を突かれたように、呼吸が詰まる。


「……なにを言ってるの?」


人からの評価?

そんなの一番どうでもいい。


誰がどう思っているかなんて気にしない。

だから私は誰とも関わらないんだ。


大事なのは数字と結果だけ。


「バカにしないで」


言い捨てると、彼はにこりと笑う。

それが見透かされているみたいで不快だった。


「僕の勘違いだったら失礼しました」


この新人は厄介だ。

出来るだけ関わりたくない。



四宮怜という男は、私が一番苦手な男のタイプであった。



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