13話
翌日、予報は午後から強い雨。
十一時、窓ガラスに斜めの線が走り、十三時には音になった。
夕方、帰り支度の時間だけ、雨脚が少しだけやさしくなる。
「相合い傘、未使用にしたいんですが」
「はい」
「今日はルール更新してもいいですか」
「ver.3ですね」
「“緊急の相合い傘は、ありがとうで会計処理”」
「経常でなく特別損益にする感じですね」
「無理矢理専門用語で会話するのやめてください」
「失礼しました」
一本の傘の中、半歩ずつ距離を調整する。
このビルの前の段差は雨の日に滑る。僕は知らないふりで半歩左へ寄り、彼女の足が段差から外れる動線を作った。
「ありがとう」と聞こえるくらいの小ささで言う。
コンビニに寄って、温かいスープを二つ。
桐原はレジ横の小さな棚を見て、「今日はプリン未使用」と自分に言い聞かせていた。
「習慣にしないのが仕組みです」
「はい。……たまには、したいですけど」
「たまには、強いです」
傘の下で、歩幅が合う。
信号待ち。彼女がふいに言う。
「麻生さんって、背もたれみたいな人ですね」
「そうですね」
「いないと寂しい。でも、隣の席ではない」
「そうです」
合図のない会話が、雨粒の間に落ちて、すぐ溶けた。
事務所に戻り、スープのふたを開ける。
湯気の向こうで、桐原が付箋に**『相合い傘=ありがとうで会計処理』と書いて、ホワイトボードの片隅に貼った。
角を二度押して、猫を重ねる。
「続くためのルールは、やさしいほうがいいですね」
「やさしいのに甘やかさないのが、いちばんいいです」
夜、雨がやんだ。
外に出ると、アスファルトの匂いが一段明るい。
傘を閉じる動作だけで、今日の距離が一度、確かになった。
*
相合い傘を、ありがとうで会計処理した。
仕訳の横に猫を貼るのは、私なりのやさしい監査なのだ。