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11話

 月曜の朝、ホワイトボードに新しい列が立っていた。

 “ありがとうの交換帳”。

 左に名前、右に今日の一言。

 『一日一つ。短く。翌日持越不可』—ルールは三行で足りる。


 最上段に大村—『釣り用の傘、貸してくれてありがとう(返す)』。

 その下に斉藤—『ゼリー保護ありがとう(返さない)』。

 そして桐原—『匿名のはちみつレモン、ありがとう』。

 最後の匿名の横に、僕は小さく桐原と同じ猫を描いた。


 午前は自己採点。

 桐原は点を出す前に“できなかった帳”を作る。

 『商品有高帳・後半』『包括利益の“理由”』『理論の語尾』

 「語尾?」

 「途中から『ですます調』に揺れました。定義は短くでも、語尾は揃える」

 「揃える。原則です。」


 昼。弁当のふたが静かに開く。

 「昨日、匿名さんからレモンをもらいました」

 「匿名さんですか」

 「はい。名乗らない親切、好きです」

 「名乗る親切も、たまに」

 「たまに、ですね」


 午後、麻生さんの最終データが届く。

 「受け取りました。助かりました」の一回で、電話を切る。

 席に戻ると、給湯室から小さな笑い声。

 コップを取りに行くと、麻生さんがいた。

 「お疲れさま」「お疲れさまです」

 「新人さん、付箋の使い方、うまいね」

 「見えますか」

 「見えるよ。……ねえ、彼女に伝えて」

 「何を」

 「あなたの早口は、安心の合図だって。焦らせるためじゃないって」


 給湯室を出ると、ちょうど桐原が通りかかった。

 「麻生さん、やっぱり仕事の速い人でした」

 「速いです」

 「……安西さんにとっていないと寂しい人でも、ある」

 「そうですね」


 桐原は自席に向かい、自分のメモ帳に何かを書き込んだ。

 『嫉妬は“なぜ”じゃなくて“ありがとう”で薄まる』


 夕方。

 ホワイトボードの端に、“隣人ルール ver.2”を増やす。

 - 助けは呼ばれたら一回だけ(据え置き)

 - 緊急はノーカウント(据え置き)

 - “ありがとう”は当日仕訳。翌日持越不可(追加)

 - “?”は付箋に出す(追記)

 - 早口は安心の合図(新規)

 桐原がそれを読み、猫を一つ貼った。


 帰りのエレベーター。

 非常灯の緑が、止まらないための色をしている。

 「安西さん」

 「はい」

 「今日のありがとう、渡せました」

 「受け取りました。濃かったです」

 「よかった」


 扉が開く前、桐原が小さく言った。

 「麻生さん、いい人ですね」

 「いないと寂しい人です」

 「……わかります」

 灰色は、ほとんど色を失っていた。



 “恋じゃないけど、いないと寂しい”人が、職場に一人いる。

 背もたれみたいな存在は、恋より長持ちする。

 だから私はときどき、早口の救命信号を見逃さないように、目を細める。

 ――新人さんの歩き方は、止まり方が上手だ。続くだろう。


 背もたれは、恋と違う位置にある。

 それを知って、“?”を剥がせた。

 当日仕訳の**“ありがとう”で、私の続く**がまた一日ぶん、伸びた。


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