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機械仕掛けの天使様

作者: カリブー


 気が付くと、一ノ(いちのせ)慎也(しんや)は何か冷たいものの上にうつ伏せで倒れていた。すぐに起き上がろうとしたが、体に力が入らない。体力をかなり消耗しているようだ。

 二、三分もがいた後にやっとの思いで立ち上がり、あたりを見回した。どうやら雪の上に倒れていたらしい。周囲に人の気配は無く、真っ白な雪原の中に殆ど骨組だけになっている廃墟ビルが散在している。晴れているとはいえ、こんなところで倒れていてよく凍死せずに済んだものだ。

 ところで、なぜこんなところに倒れていたのだろうか。慎也は記憶をたどってみたが、高校へ行こうと家を出てから後のことがすっぽりと抜け落ちている。それに、彼が住んでいる街の周辺にはこんな場所は無い。まるで異世界にでも飛ばされてきたような感じだ。

 色々と考えを巡らせてみたが、この状況を説明できるような答えは出そうに無い。ここでじっとしていても埒が明かないので、寒さをしのぐために近くの建物の中に入ることにした。


 三十分ほど歩いて、まだ外壁が残っていて寒さをしのげそうなビルを見つけた。入口の扉を開け、恐る恐る中に入る。すると、もともと玄関だったと思われる場所には沢山の物が置かれていた。しかし、奥に見える扉までの通路が確保されており、人が住んでいることを思わせる。そこで慎也は、中にいるかもしれない人に声をかけようと思い、軽く息を吸い込んだ。

 その瞬間、不意に奥の扉が勢い良く開く。中から男が二人飛び出してきて、そのうちの一人と目が合った。

「なんだテメェ! ここの住人か?」

 目が合った方の男が慌てた感じで話しかけてきた。この様子からすると、彼らは空き巣か何かだろうか。

「とにかく見られたんだ、とりあえず捕まえるぞ!」

 もう一人の男はそう言うと、鶯色のボロ布みたいな上着のポケットからナイフを一本取り出して、慎也に向かって突き出した。

「お前、死にたくなかったら俺たちの言うことを聞け!」

「いや、僕は違――」

「黙れ!」

 男はそう言って言葉を遮ると、さらに近づいてきて喉元にナイフを突きつける。慎也は恐怖のあまり身動きが出来なくなった。すかさずもう一人の男がロープを取り出し、慎也を縛って床に座らせる。

 慎也は自分の体にグルグルと巻きつけられたロープを眺めて思った。こんなのはテレビか漫画でしか見たことが無い。これは本当に現実なのか。悪い夢なら早く覚めて欲しい。

「さて、捕まえたのはいいけどよ、こいつどうすんだ?」

 最初に目が合った方の男が言った。

「見られた以上このままにしておくわけにはいかないだろ。ほっといたら後で何されるかわからんぞ」

「殺す、のか?」

「ああ。だが服に血が付くのはまずい。余ったロープで絞め殺せ」

「何も殺すことは無いんじゃねえか?」

「俺たちが生き残るためだ!」

「……」

「もういい。俺がやる」

 もう一人の男はそう言うと、相方からロープを奪い取って近づいてきた。慎也は這い蹲って逃げようとしたが、すぐに追いつかれる。男は彼に馬乗りになって身動きができないようにすると、手早く首にロープを巻きつけた。

「悪く思うな!」

 男はそう叫び、ロープを掴んだ両手を思いきり外側に引っ張った。首に強い痛みが走る。慎也は死を覚悟したが、同時に生への強い渇望が湧き上がってきた。まだ死にたくない、と強く願う。

 その瞬間だった。

 急に両腕が熱くなったかと思うと、無数の刃物のようなものが体内から出てきた。刃物は慎也の体に巻きつけられていたロープを勢い良く引きちぎる。

 ロープの下から、刃物がびっしりと生えた腕が露になった。あまりに異様で、まるで現実味の無い光景である。

 数秒の後、刃物は不快な金属音を立てながら腕の中に引いていった。

「グッ! こいつ、化け物か!」

 首を絞めようとしていた男が慌てて後ずさりした。トゲが刺さったったのか、服が穴だらけになっている。少し血も出ているようだ。

「に、逃げるぞ!」

 最初に目が合った方の男がそう言ったのを合図に、二人は玄関に向かって走り出した。

「待ちなさい!」

 その時、玄関の方から突然大きな声がした。慎也が目を向けると、玄関先に拳銃のようなものを構えた人が立っている。逆光のせいで慎也には顔がよく見えなかったが、声の高さと細いシルエットから察するにおそらく女性だろう。

「あなた達盗賊ね。そんなボロボロのナイフじゃ勝ち目は無いわ。早く盗んだものを全て置いてここから出ていって!」

「チッ! なんだテメェは!」

 男は怒って立ち上がった。

「私はここの主。早くしないと本当に撃つわよ!」

 どうやら、玄関に立っている女性はこのビルの本当の住人らしい。

「ケッ! その拳銃、どうせ壊れて使えないガラクタだろ?」

 男がそう言った瞬間、爆音とともに男の足と足の間から煙が上がった。直後、床が焦げたようなにおいが部屋の中に充満する。

「今のはわざと外したわ。死にたくなかったら早くして」

 彼女は怒気を含みながらも落ち着いた口調で言い放った。こういった状況には慣れているのだろうか。

「ここは素直に言うことを聞いた方が良さそうだな」

 穴だらけの男はそう言うと、盗んだ物を鞄から取り出して床に置いた。

「これで全部?」

「ああ。見てのとおり鞄の中身は空だ」

 男は鞄の口を大きく開けて見せる。

「もし足りなかったらすぐに取り返しに行くわ。そのときは命は無いと思って」

「わかってるよ。さ、行くぞ」

「クソッ! 覚えてやがれ!」

 男たちはそう言い残し、そそくさと逃げていった。慎也は胸をなでおろす。

「さて……と」

 彼女は一息ついた後に再び拳銃を構え、ゆっくりと彼の方に近づいてきた。

「ひっ!」

 思わず情けない声が漏れる。

「あなたも盗賊なの?」

「ち、違います!」

「ふーん。まぁ、とりあえず信じておきましょうか」

 何とか誤解は解けたようだ。

「じゃ、じゃあ、その拳銃をしまってくれませんか?」

「ダメよ!」

 彼の懇願はあっさり却下された。

「あなた、あの穴だらけの男に一体何をしたの? 武器を持っているなら全て出しなさい」

 彼女は慎也を睨みつけながら言った。

「えっと……何も持ってないです」

「嘘! じゃあどうやってあんなことをしたの?」

 慎也は困惑した。先ほどのことを喋ったところで信じてはもらえないだろうし、一体どうしたものだろうか。

 彼が考え込んでいると、彼女が痺れを切らして口を開いた。

「しょうがないわね……。じゃあ、手を頭の後ろに置いて立ち上がって」

「え?」

「ホントに武器を持っていないかチェックするのよ!」

 彼女が銃口を慎也に向けて急かすので、彼は慌てて立ち上がった。彼女は片手で拳銃を構えながら、ショートカットの髪が相手の顔に触れそうな距離まで近づいてくる。彼は少しどきりとしたが、彼女はそんなことはお構いなしといった様子で淡々とズボンのポケットを触って確認していった。

「どうやら本当に何も持ってないみたいね」

 彼女はそう言うと、拳銃を上着の内ポケットにしまった。

「ところであなた、盗賊でもなければどうしてここに入ってきたの? 私に何か用?」

 どうやら、彼女は話を聞こうとしているらしい。

「あ、はい! あの、気が付いたら雪の上で倒れていて、それで、ここがどこなのか全然分からなくて……」

 慎也はとりあえず、自分が置かれている状況を説明した。

「何それ、記憶喪失ってこと? それで助けを求めてここに来たってわけ?」

「えっと……。まあそんなところです」

 記憶喪失とは少し違うが、端から見れば同じようなものだろうと慎也は思った。

「へぇー。それであの連中と出くわしたってわけね」

「はい」

「ところで……。記憶喪失ってことは行くあては無いのよね?」

「ええ、まぁ……」

 言われてみればそうだった。これからどうしようか。

「ふーん」

 彼女はそう言うと、急に慎也の顔を覗き込んできた。何か企んでいるような感じの笑顔を浮かべている。

「あなた、良く分からないけど随分と強いみたいじゃない?」

「まぁ、確かに……」

 慎也は自分でも良く分からなかった。

「私、一見するとか弱い女の子でしょ?」

 二十代半ばに見える彼女は、慎也からすると女の子というには無理があるが、確かに目が大きくてかわいらしい顔をしている。少なくとも拳銃で威嚇射撃をして空き巣を追っ払うような人には見えない。

「だから、よくなめられちゃって困るのよねぇ。さっきみたいな盗賊もいるし……」

 話が見えてこない。

「だからさ、あなた、私のボディーガードやってよ!」

「えっ?」

 彼は思わず声を上げた。

「あなた素手であれだけのことしたんだから、あいつらが色々喋ってこの辺じゃあっという間に噂になるわよ!」

 彼女は目を輝かせながらそう言った。確かに噂になるだろうと慎也は思った。ただし、彼女が考えているのとはだいぶ違う意味で。

「そんなあなたを連れてたら、道中で変な奴に絡まれることも無くなるわ。それに、報復が怖いから留守中を狙う盗賊もいなくなるはずよ!」

 道中で襲われるだの盗賊がいるだの、彼女はまるではるか昔の旅人みたいなことを言った。

「あの、僕まだあなたのこと何も知らな――」

「あ、そういえば自己紹介がまだだったわね。私はエマリって言うの。ここから北に行った旧市街の廃墟から使えそうなものを掘り出して、南の新しい街に持って行って売ってるわ」

 彼女は続けて、自らの生業の説明をした。慎也は窃盗や不法侵入なのではないかと言いたくなったが、自分も同じようなことをしたのを思い出して言葉を呑んだ。

「今の技術じゃ作れないものとかも出てくるから、結構いい商売なの」

 普通、技術というのは進歩していくものなのではないのか。なのに、昔は作れたのに今は作れないものがあるというのは一体どういうことなのだろうかと、彼は不思議に思う。

「で、どうする? 引き受けてくれるなら、しばらく面倒みてあげるわ」

 これは彼にとっても悪い話ではない。どうやらこの辺りは治安も良くないようだし、一人でうろつくのは危険だろう。それよりは、この人の世話になりつつ今後のことを考える方が懸命だとは思う。だが同時に、自分にボディーガードなど務まるのかと思った。

「ま、今決めなくても今晩くらいは泊めてあげる。私は荷物が盗まれてないかどうかチェックするから、あなたはその辺で休んでて」

 彼女はそう言って奥の部屋に入っていった。彼は言われたとおり、側にあった毛布に包まって横になる。緊張が解け、眠気が襲ってきた。


 五分ほど眠っていたと思う。慎也は奥の部屋から聞こえてくる騒がしい声で目を覚ました。起き上がり、恐る恐る奥の部屋を覗いて声をかけてみる。

「……どうしたんですか?」

「無いの! 掘り出した物がいくつか無くなってるのよ!」

 彼女は声を荒げ、部屋に積まれた大量の荷物を掻き分けている。

「あの、無くなった物って何なんですか?」

「銃弾と本なんだけど、特に銃弾が盗まれたのはマズイわ!」

「本って、何の本なんですか?」

「とにかく、古くて貴重な本なの。って、そんなことより早くあいつらを追うわないと!」

 彼女はそう言って部屋から飛び出してきた。慎也も慌ててついていく。外に出ると、彼女は手早く玄関の鍵を掛けてビルの横に停めてあるジープのような車に乗り込んだ。かなり年季が入っているように見えるが、これも掘り出し物なのだろうか。

「早く乗って!」

 彼は言われた通り助手席に座ると、まだドアを締め切らないうちに車は急発進した。車高の高いこの車は、雪の積もった悪路をものともせずに猛スピードで走っていく。

「きっとポケットにでも隠し持ってたのね。すぐに見つけてやるわ!」

 彼女は前方を睨み付けながら言った。車は雪面に残された足跡に沿って進んでいく。

「どうやらあいつら街に向かってるみたい。街に入られるとやっかいね。その前に意地でも追いつくわよ!」

「あの……。やっぱり、捕まえたら殺すんですか?」

慎也は不安げな声で尋ねた。

「ああ、さっきの台詞? あれは脅しみたいなものよ。どっちにしろ、あなたがいればあいつらも抵抗はしないでしょうから、無駄に弾を使う必要は無いわ」

 彼女は自信ありげにそう言った。慎也は少し安心したが、同時にあまり期待されても困ると思った。なにしろあの男達は自分を殺そうとしたのだ。正直なところ彼らに会うのは怖い。それにもし自分がさっきのような姿になったら、彼女はどう思うだろうか。

 そんなことを考えていると、遥か前方を歩いている二人組が彼の目に留まった。まだ豆粒のような大きさだが、なぜか妙にはっきりと見える。あれは間違いなくあの男達だ。

「あの、前の方に二人組がいます。あいつらです」

「でかしたわ! あなた随分目がいいのね。もしかしたら山育ちなのかもしれないわね」

 彼女はそんなことを言いながら、アクセルを踏み込んで男達に近づいていった。彼らは走って逃げようとしたが、彼女は車をスピンさせて彼らの前に回り込む。彼らは逃げるのをあきらめて立ち止まり、慎也たちと対峙する形となった。

「なんだテメエ! まだ俺らに何か用あんのか!」

 一人の男が怒鳴った。エマリさんは銃を手に取り、慎也に一緒に車から降りるよう目で合図する。彼は気が進まなかったが、仕方なく降りることにした。

「とぼけないで。私の銃弾と本を盗んだでしょ?」

 エマリは銃を構えながら詰問する。

「そ、そんなもん知らねぇよ! 大体本なんて盗んだって大した金にならねぇし、銃を持ってない俺らが弾を盗んだってしょうがねぇだろ!」

「確かにそうだけど、隠し持って逃げられそうなものを咄嗟にポケットにねじ込んだって可能性もあるわ。一応調べさせて」

「ま、どうせ調べれば分かるんだ。好きにしろ」

 穴だらけの男が言った。すると、エマリは慎也にしたのと同じ方法で二人の持ち物をチェックしていく。ところが、出てきたのはナイフと食料、それに少しのお金だけだった。

「ここに来るまでの間に物を売れるような所は無いし、どうやら本当に何も盗んでないみたいね……」

「これで分かっただろ。俺は街で傷の治療をしたいからもう行くぞ」

 穴だらけの男は不機嫌そうな顔で言った。

「ちょっと待って。あなた達、工具類を何も持ってないけど、どうやってドアを開けたの?」

「あ? ドアなら初めから開いてたぜ」

 もう一人の男が言う。

「鍵が開いてる建物があるから泥棒に入ったらどうだと教えてくれた奴らがいたんだ。今にして思えば、俺らはそいつらにまんまと嵌められたわけだ」

「なるほど……。ということはそいつらが真犯人ね。見た目はどんなだったか、覚えてる?」

「背の高い男と低い男の二人組みだ。服装は俺らと同じ盗賊風だったが、盗賊にしちゃ小奇麗にしてて、何か違和感があったな」

「そう、ありがと」

「じゃあ、俺達はそろそろ行かせてもらうぞ」

 穴だらけの男がそう言うと、男達は街に向かって歩いていった。気が付くと日がかなり傾いており、街の建物は逆光で殆どシルエットしか見えなくなっている。その中に一本だけ、妙に背の高い塔のような建物があった。

「……夜になると危険ね。今日は戻りましょう」

 去っていく男達を眺めていると、エマリはそう呟いて車に乗り込んだ。慎也も後に続いて乗り、車はもと来た道を走っていった。


建物に戻ると、エマリは暖かい食事を用意した。やや質素ではあるが、慎也が普段食べているものとあまり変わらないものだ。

「今日は街で結構いい食材が手に入ったの。あなた相当疲れてるみたいだし、食欲あるんなら遠慮なく食べてね」

 エマリはそう言って慎也に食事を勧めた。

「あ、ありがとうございます。いただきます」

 それから二人はしばらく無言で食事をとっていたが、沈黙に耐えられなくなった慎也はエマリに一つ質問をぶつけてみることにした。

「あの……、どうしてわざわざ僕なんかにボディーガードを頼んだんですか? 今までもあの拳銃で悪いやつらを追っ払ってきたんでしょう?」

「そうね。でも、弾にも限りがあるから、あまり拳銃ばかりにも頼ってられないの。さっきみたいに撃たないと信じない奴もいるから、弾が無くなったらこの商売も続けられないってわけ。街や農場で誰かに雇われて働くのはある程度安全ではあるけど、一生そこから這い上がれなくなっちゃうから……」

 エマリは神妙な面持ちで、やや視線を落としながら言った。

「弾が無くなったら買えばいいんじゃないですか」

「さっきも言ったけど、私が持ってる銃と弾は、まぁ、拾い物みたいなものなの。銃弾が普通に売られているのは見たことが無いわ。ここに保管しておいたのを盗まれたせいで残り十発くらいしかないし、この商売を続けるにはもうあなたに頼るしかないのよ」

 彼女は話し終えると、急に顔を上げて慎也の目を見た。表情は真剣そのものだ。

「だからお願い。せめてあなたの記憶が戻るまででいいから、私のボディーガードやって!」

 彼女は強い口調でそう言った。慎也にとっても悪い話ではないが、ここで安請け合いしていざとなったときに彼女を守れなかったら大変だ。このまま事情を話さずに引き受ければ、彼女を騙すことになってしまう。

「……わかりました。でもその前に、話さなければならないことがあります」

 彼は意を決してそう切り出した。

「何?」

「まず、記憶喪失のことです。さっきは混乱していたので適当に受け流しちゃいましたが、僕の今の状態は記憶喪失とは少し違います」

「どういうこと?」

「正確に言うと、途中の記憶が抜け落ちているんです。僕はここに来る前、いつものように学校に行こうと家を出ました。でもその後の記憶が何も無くて、気づいたらこの近くで倒れていた。しかも、ここは僕が住んでいた場所とはまるで違う……」

「あなた、学校なんて行ってたの? 随分とお金持ちなのね」

 エマリはかなり驚いたようだった。

「え? 別に普通でしたよ」

「へぇー。今時そんなとこがあるのね。で、他に何かあるの?」

「はい。エマリさんにとってはこちらの方が重要かもしれません。エマリさんは僕のこと、すごく腕っ節の強い奴だと思ってるでしょう」

「え、違うの? だってあなた、何も武器もってなかったけど……」

 やはり、エマリは勘違いをしていた。

「ええ、違うんです。言っても信じてもらえないかもしれないけど、言わないのはもっとまずいと思うから、言いますね」

「続けて」

「僕、あの男たちに首を絞められて殺されかけたんです。もう駄目かと思ったけど、同時に死にたくないと強く思った。そしたら腕から勝手に棘みたいのが出てきて、驚いた男たちは逃げていきました。その後のことは、エマリさんが見た通りです」

 慎也は言い終わるなりエマリの顔色を伺った。だが、彼女は意外にも落ち着いた表情をしている。

「なるほどね。確かに俄かには信じられない話だけど、あの男の傷とあなたの服の破れ具合を見ると、嘘とは言い切れないかも」

 彼は言われて初めて気づいたが、服の肩から先の部分が無くなっていた。あの棘が全て破り去ってしまったのだろう。

「それで、僕は自分の意思であの棘を出したわけじゃないんです。だから、エマリさんが危険な目に会っても守れないかもしれない」

 慎也の話を聞いて、エマリは少し考えてから口を開いた。

「ま、確かに私が期待してたのとは少し違うけど……。でも、要は盗賊が近づいてこなくなればいいの。今の話を聞いた限りだと、その点は問題なさそうだし」

「……僕の話を信じてくれたのは嬉しいですけど、化け物みたいで嫌だとか思いませんか?」

 彼はそう言って念を押した。

「むしろその方が好都合よ。ところであなた、自分の名前は覚えてる?」

「えっと、一ノ瀬慎也っていいます」

「ふーん。ご立派に苗字なんかつけちゃって……。っと、今の発言は失礼ね。ごめんなさい」

「いえ、そんな」

「あなたの話を聞いた上で、やっぱりお願いするわ。私のボディーガード、やってくれる?」

「……いいんですか?」

「もちろん」

「それじゃ、しばらくお世話になります」

「ええ、よろしく」

 彼女はそう言うと、微笑みながら慎也に握手を求めてきた。彼は少し戸惑いながら右手を差し出すと、彼女は強く手を握ってくれた。こうして彼は、エマリの下で生活することになった。



 朝になった。エマリは簡単な朝食をとってから、出かけるための身支度を始めた。彼女は棚から手のひらサイズの黒い計器のようなものを取り出し、ジャンバーのポケットにしまおうとした。

「あの、それって……」

 その機械は、物理学に興味のある慎也にとっては見覚えのあるものだったが、普通の人はあまり持っていないものだ。

「ああ、これね。放射線を計る機械よ。私も詳しくは知らないんだけど、昔世話になった人が、ここから北の旧市街に行くときは必ず持ち歩くように言ってたの」

 慎也は背筋が寒くなるような感覚を覚えた。彼は反射的にエマリから計器を奪い取り、スイッチを押す。表示された数値は、慎也の知識によれば殆ど問題の無い値だった。

「ちょっと! バッテリーは貴重なんだから、無駄遣いしないでよね!」

 エマリは慎也から計器を奪い返し、電源を切った。

「す、すみません」

「……まあ、いいわ。危険なのは旧市街の中心部だから、この辺は大丈夫よ。じゃなかったら住んだりしないわ」

「そうなんですか……。でも、なんで放射線測定器が必要な危ないところにわざわざ行くんですか?」

 慎也は身の危険を感じて抗議した。

「この辺の廃墟の発掘品はもともと質も量もいまひとつだったし、安全で誰でも近づけることもあって、もうあらかた掘り尽くされちゃってるのよ」

「なるほど」

「それに比べて、中心部にはまだまだ沢山の物が残ってるし、測定器を持っている人間しか近づけないから、競争率も低いってわけ」

「そうなんですか……」

「まあ、そういうわけだから、盗賊に会うこともまず無いわ。だから、どうしても気が進まなかったら無理して来なくてもいいけど……」

 慎也は黙って頷いた。

「そう。まぁ、私が頼んだのはボディーガードだしね。ここに旧市街の汚染地図と無線機を置いておくから、もし何かあったら連絡するわ。そのときはちゃんと助けに来てね」

 彼女が出した地図には、まだら状に広がる汚染が示されていた。

「……わかりました」

 慎也の返事を聞いたエマリは、測定器をポケットにしまった。

「でも、こんな汚染が広がっちゃうんなんて、事故でもあったんですか?」

 エマリが外に出ようとしたところで、慎也が尋ねた。

「事故じゃなくて戦争よ」

「まさか、核戦争?」

「違うわよ。これも昔世話になった人が教えてくれたんだけど、市街戦で放射能を含んだ“汚い爆弾”が使われたらしいの。それで汚染が点々と広がってるってわけ」

「そうなんですか……」

「それじゃ、私はそろそろ行くから、留守番よろしくね」

 エマリはそう言ってから外に出て、ジープに乗り込んで出発した。


 二時間ほど経った頃だろうか。慎也がぼんやりと窓の外を眺めていると、エマリのものではない車が数台、ビルの前に停まった。中からは昨日の盗賊とは違う、皮製の服や金属のアクセサリーを身につけた筋骨隆々といった感じのならず者が十人ほど降りてきた。そしてドアを破壊し、建物の中に入ってきた。

「女商人の根城ってのは、ここなのか?」

「ん? なんだ、ガキしかいねえじゃねぇか」

「おら、どけ! 荷物だけでもかっぱらうぞ!」

「チッ、女を食えると思ったのによ」

 男たちは口々にそんなことを言いながら、勝手に部屋を荒らし始めた。慎也は抗議したが、軽く玄関の方に投げ飛ばされてしまった。

「……っ!」

 慎也が尋常ではない殺気を感じて振り返ると、そこには戻ってきたばかりのエマリが立っていた。手には拳銃が握られている。

「あ、てめぇは確か、研究室で助手をやってた小娘じゃねぇか! 噂の女商人ってのは……」

「うああああああ!」

 エマリは男が言い終わらないうちに叫び声を上げ、銃を乱射した。三発が男の体に命中したが、男は倒れない。

「ハハッ、バカめ。てめぇが銃を持ってることは知ってるんだよ」

 男は革ジャンの下に防弾チョッキをしているらしかった。

「てめぇら、女を捕まえろ!」

 男たちは指示を受けると、一斉にエマリに襲い掛かった。エマリは暴れて抵抗するが、すぐに組み伏せられてしまう。その様子は、昨日の冷静な彼女とはまるで別人だった。

 慎也は最初は呆然とその様子を見ていたが、やがて傍に武器になりそうな金属の棒が落ちているのに気づき、それを手に持って男たちに向って突進した。

 一人の男に背後から近づいて、鎖骨を狙って棒を振り下ろす。すると、骨が折れる鈍い音がして男は蹲った。続けて攻撃しようとしたが、数人の男たちがすぐに慎也を取り押さえる。

「エマリさんに何をするんだ!」

「クソガキが……! 俺らは本来、人殺しは好まないんだが、これは正当防衛だよな。やっちまおうぜ!」

 一人の男が慎也が使っていた棒を拾い上げ、振りかぶった。狙いは頭だ。

 棒が頭に当たる寸前、慎也は自分でも信じられないような強い力で男達を振りほどき、右腕で棒をはじき返した。右腕には痣一つできず、逆に棒がぐにゃりと折れ曲がった。

「ひっ! やっぱりあの二人組の言ったことは本当だったのか!」

「怯むな! 俺らはあんなヘタレじゃねぇ! 全員でかかれ!」

 リーダー格らしい男がそう言うと、今までエマリさんを襲っていた男たちも慎也に襲い掛かってきた。しかし彼は固くなった拳で応戦し、何人かの鼻の骨を折った。すると男たちは次第に威勢が無くなっていき、ついには建物から出て逃げ出してしまった。

「エマリさん、大丈夫ですか?」

「触らないで!」

 慎也がエマリに手をかけようとすると、彼女は反射的にその手を払いのけた。場に沈黙が流れる。

「……ごめんなさい」

 数分の後、エマリが口を開いた。

「いえ……」

「もう、忘れたつもりだったんだけど、あいつらの姿見たら、思い出しちゃって……」

「何か、あったんですか?」

「……昔、世話になった人をあいつらに殺されたの。絵万里怜治っていう、もともとは発掘品の動作原理なんかを研究する工学者だったんだけど、孤児だった私を拾ってくれて、実の子のように育ててくれた」

「じゃあ、そのエマリっていう名前は……」

「そう、孤児の私には名前が無かったから、私が勝手に名乗ってるだけ。彼がつけてくれた名前もあるけど、どうしても彼の名前を残したくて」

「そうなんですか。でも、どうして……」

「ある日発掘で見つけた古い本の解析をして、彼は歴史を知ったのよ。それを公表しようとして……」

「それで、あいつらに殺されたんですか」

「ええ。おそらく政府に首を渡すために。裏で賞金でもかけてたんでしょう。私は、持てるだけの物を持って逃げ出した。他にも何人か子供がいたけれど、結局生き残ったのは私だけ。今はその遺品を使って商売してるの」

 エマリはそこまで語り終えた後、俯いてしまった。慎也もかける言葉が見つからず、その日はそのまま日が暮れていくのを待つほか無かった。



 慎也がエマリの仕事についていくようになってから一週間ほどが経ったが、あれ以来危険なことは何も起こらなかった。ガラの悪そうな連中が近づいてくることは何度かあったが、彼の顔を見ると途端に逃げていった。もうこの辺りの盗賊たちには、彼の存在は知られているらしい。エマリの精神状態も、あの日以降はまた元通りになっていた。


 彼らはこの日、掘り出し物を売るために街に行くことになっていた。この一週間は廃墟での発掘作業ばかりだったので、慎也が街に入るのはこの日が初めてだった。

 車に商品を載せ、街へと向かう。街が近づくにつれ、これまで目にしてきた廃墟とは違う感じの建物が増えてきた。街外れの廃墟は慎也が住んでいたところの建物がそのまま古くなったような感じだったが、街中の建物は例の塔を除けば高くても2階建てで、ほとんど掘っ立て小屋のようなものばかりだ。エマリは、廃墟は戦争前に建てられたものであるのに対し、街の建物は古くても50年ほど前に建てられたものだと説明した。

「ところで、昼間なのにあまり活気が無いですよね。人が少ないわけじゃないけど、歩いてる人はみんな元気がなさそうって言うか……」

 車が街中に入ったところで、慎也は運転しているエマリに尋ねた。

「昼間に街中でブラブラしてるのは、たいてい農場や工場を辞めたりクビになったりした人ばかりだからね。私みたいな独立した商売人は、この辺にはそんなに多くはないの」

「そうなんですか……」

「ええ。そして彼らの中の一部が、この前の盗賊みたいに悪事に手を染めるようになるの。そして、あの集団みたいな、大規模組織の末端になっていく……」

「この街では、生きていくことだけでも大変なんですね。僕が住んでたところとは全然違うな……」

「あなた、随分といいところに住んでたのね」

「今考えると、そうだったんだと思います」

「……私も行ってみたいわ。いっそ住んじゃおうかな。別にこの街に愛着なんてないし」

 エマリは遠くを見るような目をしながら呟いた。

「……っと、話してるうちに着いちゃったね」

 彼女は小さな商店らしき建物の前で車を停めた。

「私は降りて取引してくるから、あなたは車の中で待ってて」

「えっ? 僕も一緒に行かなくていいんですか?」

「相手があなたを見て逃げ出したりしたら面倒だもの」

「そうですか……。わかりました」

 彼女は車から降り、荷台から荷物をいくつか取り出した。それから直ぐに戻るという旨のことを言って、建物の中に入っていった。


 慎也が十分ほど待っていると、エマリが建物の中から出てきて車の方に向かって歩いてきた。荷物がなくなっているところを見ると、取引は成功したらしい。

 慎也がおかえりなさいと声をかけようとした、その時だった。乗っている車の後方から急にバンのような車が近づいてきて、エマリの真横で急停止した。次の瞬間、後部座席のドアが開いて、中の人物によって彼女が車内に引き込まれる。ドアが閉められると、車は粉雪を舞い上がらせながら急発進した。

 これが誘拐だということはすぐに分かった。慎也は慌てて助手席から運転席に移り、アクセルを目いっぱい踏んで車を発進させる。運転などしたことがないが、今はそんなことは言っていられない。

 バンは案外ゆっくりと走っており、彼の拙い運転技術にも関わらずすぐに追いつくことが出来た。ところが彼が追いついた途端、バンはスピードを上げて一定の距離を保とうとする。まるで彼をどこかへ誘い出しているかのようだった。

 殆ど人通りの無い路地裏に入ったところで、エマリを乗せたバンはおもむろに停止した。慎也も適当な場所に車を停め、降りてバンの方へと向かう。すると、バンの後部座席から長身の男がエマリの腕を掴みながら降りてきて、慎也の前に立った。街の人たちとは違い、黒いロングコートを着ている。その手にはやけに装飾的なサーベルが握られていた。

「エ、エマリさんを離せ! お前も僕のこと知ってるんだろ!」

 慎也は精一杯声を張り上げて叫んだ。

「ええ。まさか貴方みたいな子供だとは思いませんでしたがね」

 男はまるで挑発するかのように、顔に笑みを湛えながら言った。慎也は男の顔を強く睨み付ける。

「そんなに怖い顔しないで下さいよ。我々の言うとおりにすれば、悪いようにはしませんから」

 男は妙に軽い口調でそう続けた。

「……要求は何よ?」

 男に捕まってから初めて、エマリが口を開いた。

「おとなしく我々について来て下さいな。少しでも抵抗すれば、この女の人を殺しちゃいますよ」

 男は慎也の方を見て言った。どうやら彼の目的は彼らしい。

「……分かったよ」

 彼は数秒の間悩んだが、まずはエマリの命を守ることが先決だと考えて男の要求を呑んだ。

「貴方には市庁舎に来ていただきます」

コートの男がそう言うと、バンの運転席から軍服のようなものを着た別の男が出てきて、おもむろにマンホールの蓋を開けた。

「このマンホールは地下道を通じて市庁舎と繋がっている。私について来い」

 男はそう言って地下へと降りていった。慎也もそのすぐ後に続く。彼が降りきった後で、エマリとコートの男が続いて降りてきた。

「私から離れるな」

 前にいた軍服の男は低く野太い声でそう言うと、懐からランプを取り出して明かりを点けた。それから振り向くことも無く、ゆっくりと歩き始める。

 暗くじめじめとした地下道の中に、四人の足音だけが響く。先頭を行く軍服の男は迷うことなく歩を進め、何度か曲がった後に厳つい扉の前で立ち止まった。

「……ここだ」

 軍服の男はそう言うと、懐から鍵を取り出して扉の鍵穴に差し込んだ。男が鍵を回すと、がちゃりというロックの外れる音が鳴る。次に男はノブに手をかけ、静かに扉を開けた。

 扉の向こうには、いくつものランプで照らされた明るい部屋があった。地下道の暗さにすっかり慣れていた慎也は、思わず目を細める。しかし、数秒後にはもう眩しさを感じなくなった。

「……来い」

 男はそう言うと、部屋の奥にある横開きの扉の前に行き、その横の壁に貼り付けてあるスイッチのようなものを押した。

「もしかしてこれ、エレベーター?」

 エマリは心底驚いたというような声で言った。

「そうですよ。よく知っていますね」

 コートの男が答える。

「現物を見たのは初めて。まさか市庁舎で使ってるとはね」

 どうやら、この街ではエレベーターは極めて珍しいものらしい。

 しばらくして、扉の窓の部分からエレベーターのゴンドラが到着したのが見えた。軍服の男は横開きの扉を開くと、中に入って手招きをする。慎也とエマリがそれに応じてゴンドラの中に入ると、コートの男も続いて入ってきた。ゴンドラ内部の壁にはスイッチの類は無く、代わりにレバーのようなものが備え付けられている。おそらく手動で操作するのだろう。

 全員が乗り終えたところで、軍服の男が二つの扉を閉めた。それからレバーを引くと、ゴンドラはぎぃぎぃと耳障りな音を立てながら昇り始める。

 「15」と書かれた扉が現れたところで、男はレバーを押し戻してゴンドラを停止させた。それから再び扉を開け、外へ出る。

 四人が廊下を少し歩くと、目の前に妙に豪奢な扉が現れた。軍服の男は一呼吸置いてから、緊張した面持ちで扉をノックする。

「……続木(つづき)です。例の者を連れて参りました」

 続木というのがこの男の名前らしい。

「入りたまえ」

 部屋の中からしゃがれた声が聞こえた。

「……失礼します、市長」

 続木はそう言ってから静かに扉を開ける。それに続いて他の三人も部屋の中に入っていった。

 部屋に入ると、まず正面にある大きな窓が慎也の目に入った。この窓からは街の半分程度が見渡せるようになっている。さらに豪華な机と椅子、それから珍妙な置物の類がいくつか置いてある。椅子には恰幅のいい中年の男がこちらを向いて座っていた。

「ほう、こんな子供が……。とてもそうは見えんが、情報は確かなのか?」

「はい」

「そうか。しかし私は本当に運がいい。これで、高い世界に行けるのだから……」

 椅子に座った男は、心底嬉しそうな表情でそう呟いた。

獅子堂(ししどう)には市長職を譲ろうと考えている。天上人となる私には、もうこんな薄汚い街には用は無いからな」

「はっ! ありがたき幸せ!」

 コートの男がこれまでになく張りのある声で答えた。ということは、獅子堂というのがこの男の名前か。態度に似合わず重厚な名前だと慎也は思った。

「ところで続木よ、迎えはいつ来るのかね」

「これから連絡をいたしますので、明日の朝になるかと……」

 続木が淡々とした調子で答える。

「そうか。ではこいつらは地下牢に連れて行け。無論、見張りは怠るなよ」

「……はっ」

 そう言うと続木は市長に向かって一礼し、静かにドアを開けて部屋の外に出た。獅子堂はサーベルをエマリに突きつけ、慎也に退室するように促す。彼らはそれに従って退室すると、再びエレベーターに乗せられた。エレベーターは来た時よりも地下深くまで進んでから停止し、二人は別々の牢屋に入れられた。


 慎也が閉じ込められたのは、壁じゅうに鉄板が打ち付けられているとても頑丈そうな牢屋だった。そう簡単には脱出できそうに無い。それに、下手に騒ぎを起こせばエマリに危害が及ぶ危険もある。ここは大人しく朝を待って、牢屋から出る機会を伺うほうが良さそうに思えた。

 しかし、彼には奴らの会話の意味が全く分からなかった。高い世界だの迎えだの、まるで天国にでも行くかのようだと思った。

 それから数時間、彼はぐるぐると考えを巡らせたが、結局答えらしきものは何も出てこなかった。食事も出されないので、仕方無く用意されてあったベッドに横になり、朝を待つことにした。



 外から聞こえてくる足音で目が覚めた。日の光が入らないこの部屋では今が何時か分からないが、もう朝になったのだろうか。静かな牢屋に、コツンコツンという硬い音が響き渡る。人数はおそらく二人。昨日の二人だろうか。

 少しして、がちゃりと鍵をあける音がしたかと思うと、静かに扉が開いた。

「お元気でしたか?」

 扉を開けたのは続木で、その後ろから獅子堂が顔を覗かせて言葉を発した。手にはサーベルが握られており、横にいるエマリに突きつけられている。

「さあ、そろそろ迎えが来る時間です。ついてきてください」

 慎也は獅子堂の指示に従い、部屋から出た。すると、昨日と同じエレベーターに乗せられ、今度は15階を通り過ぎて屋上に連れて行かれた。見ると、市長とその家族と思われる女と子供が既に待っていた。さらに、近衛兵らしき人物が数人、市長一家を取り囲むようにして立っている。

「……ついに来たぞ!」

 市長がニヤついた顔でそんなことを口走ったかと思うと、屋上に強い風が吹いた。見上げると、上空で大きめの軍用機のようなヘリコプターがホバリングしている。市長の隣にいる女は風ではためくスカートを押さえ、子供はその女性にしがみつく。

「……」

 慎也がエマリの方を見ると、彼女は鋭い目つきで市長を睨み付けていた。

 屋上にヘリコプターが着陸し、中から銀色のコートを着た人間が三人降りてくる。彼らが“迎え”なのだろうか。彼らを見た途端、慎也とエマリ以外の人間は一斉に地に片膝をつき、頭を垂れた。

 その瞬間だった。エマリは素早い動きで上着の内ポケットから拳銃を取り出したかと思うと、市長目掛けて発砲したのだ。それから動揺に乗じて獅子堂と続木を振りきり、市長の方へと走って行った。

「ぐああぁっ!」

 弾は市長の右足に命中したらしく、彼は床に倒れこんだ。

「誰かその女を殺せ!」

 市長は苦痛で顔を歪めながら叫んだが、銃声に動揺した近衛兵はその場から逃げようとしており、誰も言うことを聞かなかった。エマリはその一瞬のスキをついて、子供を捕まえて銃を突きつけた。

「ひっ!」

 子供が悲鳴をあげる。

「女だと思って甘くみたわね。ボディチェックもしないなんて、何考えてるのかしら?」

「まさか、あの廃墟ビルに住み着いて、銃弾や歴史書を溜め込んでいた輩があなただったとは……」

 獅子堂は目を丸くしてそう言った。エマリのビルに泥棒に入った真犯人は、この二人だったようだ。

「おのれ……獅子堂、続木! 貴様らの責任だぞ!」

「……指示されておりませんでしたので」

 続木は俯きながら弁明する。

「この子を殺されたくなかったら、私と彼を解放しなさい!」

「それはできない相談だ、下界人」

 ヘリコプターから降りてきた人間の一人が、初めて言葉を発した。

「なによ、この子が死んでもいいっての?」

 エマリがそう言った途端、男は腰のホルダーから拳銃を引き抜き、子供の頭を打ち抜いた。その瞬間血しぶきが勢い良く飛び出し、エマリの左半身を赤く染める。

「これでもう、その肉塊には人質としての価値は無い。貴様の抵抗は無駄だ。銃を下ろしなさい」

 その男は冷徹に言い放った。市長とその妻と思われる女は、顔面蒼白になって震えている。

「くっ……」

 エマリは止む無く銃を地面に置いた。

「貴様は奴を制御するために必要だ。今はまだ殺さないから安心しろ」

男は銃を突きつけながらエマリに近づき、慎也の方を見た。

「ようやく見つけたぞ。貴様を見つけるのにどれだけ苦労したことか……。事情は大体聞いている。今ここで彼女を殺されたくなかったら、私とともに来い」

 慎也は目の前で子供が殺されて、動揺のあまり冷静にものを考えることが出来なくなっていた。頭から上が無くなった子供の首からは、まだ血が流れ出している。見ているだけで血の生暖かさが肌に伝わってくるようだった。

「下界の子供が一人死んだくらいで何を動揺している? ああ、そういえば実践投入していなかったな。それなら仕方無いか……」

 男は訳の分からないことを言いながら、エマリを連れて慎也に近づいてきた。

「さあ、来くるのだ!」

「……」

 慎也は無言で、言われるがままに男の方に歩いていく。だがその時、ふと後方から轟音が近づいてくるのに気が付いた。

「な……!」

 今まで無表情だった男の顔が急変する。慎也が後ろを向くと、小型飛行機が彼を目掛けて飛んできた。

「つかまれ!」

 パイロットが叫びながら梯子を下ろす。彼は思わず言われた通りにつかまってしまった。

「よくやった! 逃げるぞ!」

「ちょっと待って! まだエマリさんが!」 

「あの女は諦めろ。危険すぎる」

「でも……!」

「……仕方ない、旋回するぞ。しっかりつかまってろ!」

 パイロットがそう言うと、飛行機は弧を描いて再び市庁舎の屋上に戻ってきた。慎也は片手で梯子をつかみ、もう片方の手でエマリをつかまえようとした。

「エマリさん、つかまって!」

「そうはさせん!」

 男はそう叫ぶと、他の人間に指示してヘリコプターの中から大きめの銃器を出させた。男はその銃器を抱え、小型のミサイルで飛行機を攻撃する。慎也はその隙を狙い、エマリの手をつかんだ。彼女は意外にも簡単に持ち上がり、飛行機はそのまま市庁舎を離れようとする。しかし、男が撃ったミサイルが当たって梯子が切れてしまった。

 二人は空中に投げ出され、地面目掛けて落下する。落下のスピードはどんどん上がり、地面との距離はみるみる近くなっていく。このままでは死ぬ。

 慎也はあの時と同じように、死にたくないと強く願った。

 今度は背中が熱くなる。

 急に辺りが暗くなり、後方に何かがある気配を感じた。

 落下しながらも首を回し、後ろに目をやる。すると、自分の背中に銀白色の巨大な金属の板が生えているのが見えた。

 翼、だろうか。

「と、飛べぇ!」

 次の瞬間、慎也はエマリを抱き寄せて叫んだ。エマリの鼻先が地面を掠めて、二人は勢い良く飛び上がった。

「ふぅ……危なかったわね」

「はい……って、すみません!」

 慎也は赤面し、片手だけを残してエマリを離した。

「二人とも早く乗れ!」

 パイロットはそう叫んで、飛行機を近づけてくる。慎也は攻撃をかわしつつ、開いた扉のところから飛行機の中に転がり込んだ。

「あいたた……。エマリさん、ケガは無いですか?」

「ええ、大丈夫」

 二人はあちこちに痣をつくりながらも、なんとか起き上がった。見ると、飛行機のパイロットは髪の長い女性だった。

「お前の家は奴らに知られていて危険だ。このまま私の隠れ家まで行くぞ」

 彼女はそう言って飛行機のスピードを上げた。追いつけないと判断したのか、ヘリコプターは追ってこなかった。



「……どうしてあんなことしたんですか!」

 慎也はパイロットの女性が隠れ家にしている廃墟ビルに入るなり、彼女を怒鳴りつけた。

「あなたがそんなに怒ってるの、初めて見たかも」

「そんなことはどうでもいいです!」

「……とにかく、私はあの場ではあれが最善の判断だったと思ってるわ」

 エマリは目を逸らして言った。

「でも、何の罪も無い子供を人質にするなんて……」

「何の罪も無い? 街の人から吸い取った物資で生活してたあの子供が? 子供は生まれたときからそれぞれの境遇を背負ってるのよ」

「じゃあ、市長の子供なら殺されても仕方ないって言うんですか!」

「そんなことは言ってないわ!」

「やめんか!」

 二人が言い争っていると、パイロットの女性が制止した。

「……あなた、さっきのヘリコプターから降りてきた奴らに雰囲気似てるけど、何者なの?」

 エマリが怪訝そうな顔で尋ねる。確かに、彼女は街の人々とは違って未来的な服装をしている。その上、街の人々は女性であっても髪が短めだったが、彼女の髪は腰くらいまであり、どことなく貴族的な雰囲気を醸し出していた。

「私は君を探していたのだ」

「僕をですか? どうして?」

「君は……何も覚えてないのか?」

「何もっていうか、学校に行こうとしたら、何故か雪原で目が覚めて……」

「そもそもあなた何者なのよ? 言っとくけどこの子は渡さないわよ。銃が無くなった今、私にはこの子だけが頼りなの」

 エマリが急に割り込んできて、不機嫌そうに捲し立てた。

「彼が頼りというのはどういうことだ?」

「どういうことって……。この辺の治安の悪さ、知らないわけじゃないでしょう?」

「ああ」

「私が安全に商売を続けるためには、この子が必要なの」

「何! 彼が武器だということを知っているのか?」

「武器? よく分からないけど」

 慎也にも良く分からなかった。

「先ほどの飛行以外にも何かやったのか?」

 彼女は驚いた顔で、今度は慎也に尋ねた。

「ええ、目が覚めた直後に泥棒に襲われて、それで……」

「まさか殺したのか?」

「いえ、ケガをさせてしまいましたが……」

「そうか、良かった」

 彼女はそう言って安堵の表情を浮かべる。

「……ところで、あなた僕のことを武器って……。どういうことですか?」

「それを話すと長くなるのだが、君を先程の奴らから守るためにも必要なことだ。なかなか信じられないかもしれないが、聞いてくれ」

 彼女は慎也の眼をじっと見つめながらそう言った。

「もう分かっているかもしれないが、君の体は機械に改造されている。意思を持った武器として、戦争で使うためにだ」

 慎也は自分が改造されていると聞いて驚いた。

「主に市街地戦などの、戦闘機や戦車では対処しにくい戦闘に投入される予定だったというが、その前に敵が“汚い爆弾”を使い始めてしまってな。主要都市の市街地は悉く放射能で汚染されてしまった。君のような精密機械は放射線に弱いからな。結局、そのために君は実践投入されることはなかった」

「しかし、一体いつの間にそんな改造を……」

「君の記憶が途切れている間になされたのだろう。端的に言えば、君は拉致されたということになる」

「と言うことは、ここは僕が住んでたところとは別の国ってことなんですか?」

 慎也が彼女に尋ねると、彼女は静かに首を横に振った。

「それは違う。どう説明したら良いのか、難しいのだが……」

「……ところで、私の質問に答えてもらってないんだけど、あなた何者なの?」

 エマリは不機嫌そうな顔で口をはさんだ。

「おっと、それは済まなかった。私は天上界……といってもただの空中の人工島のようなものなのだが、そこで君の管理を担当していた、(かい)(のん)()という者だ」

「僕の管理?」

「そうだ。君は強制的に仮死状態にさせられていた。おそらくそのために、その間の記憶が無いのだろう」

「ちょっと待って、天上界って何? 空中の島って、どういうこと?」

 エマリが目を丸くして尋ねた。

「そうか、天上界の存在は地上では一部の人間しか知らないのだったな。簡単に言えば、下界の支配者たちをさらに支配する者が住む場所だ」

「つまり、市長よりもさらに偉い人ってこと?」

「そうだ。地上からのクーデター等を避けるため、常に空中に浮かんでいる島を建造したのだ。その維持には莫大なエネルギーが必要だが……」

 慎也にも、なんとなく話が見えてきた。

「私は、天上界の者たちが君を破壊しようとしているという話を聞きつけた。もう戦争は終わったから、地上の人間を支配するのに必要な武器以外は破棄しようというのだ」

 恐ろしいことに、慎也は自分が知らない間に殺される可能性もあった。

「私にはそれは我慢ならなかった。だから私は、ひそかに君を再起動しようと試みた。ところがその最中に見つかってしまったため、君を連れて天上界を脱出したのだ」

 どうやら、助かったのはこの人のおかげらしい。

「なるほど……。でも、それじゃどうして僕は雪原で倒れてたんですか?」

「逃げている途中で襲撃されて、飛行機が壊れてしまって……。そのときに君を落としてしまったんだ。飛行機はなんとか修理できたが、部品を集めるのに苦労して一週間もかかってしまった」

 それで今になって現れたということなのだろうか。

「天上界の者達は、地上の支配者層に君の捜索命令を下した。見つけた者には天上界の居住権を与えるという条件でな」

「なるほど……」

「つまり、このままでは君は今後も狙われ続ける」

「……もしかして、私のせい?」

 エマリが神妙な顔をして口を開いた。

「ああ。彼一人なら奴らも簡単に手出しはできないが、身近に人質に出来そうな人間がいれば捕まえやすくなるからな」

「くっ……」

「そう自分を責めるな。彼の感情が消えていなかった時点で、遅かれ早かれこうなっていただろう」

 海音寺は自分の発言でエマリが落ち込んだことを気にしたのか、庇うように言った。表情は殆ど変化しないが、感情が無いわけでは無いらしい。

「それで、僕たちはこれからどうすればいいんですか? ずっと逃げ回るわけにもいかないし……」

「そのことだが、私に考えがあるのだ。まずは貴女と話し合いたい。君は席を外してくれないか」

「はぁ……。わかりました」

 慎也は女性二人の話を邪魔するのは憚られると思い、素直に彼女の言うことに従って、隣の部屋に移動した。


 部屋を移って小一時間ほど経った頃だろうか、薄暗くなってきた外の景色を窓越しに眺めていると、隣の部屋から慎也を呼ぶ声がした。どうやら話が済んだようなので、彼は静かに中に入る。

「我々は天上界に侵入し、皇帝を捕らえて現体制を破壊することにした。そのために、君にも協力して欲しい」

「ええっ?」

 あまりの唐突さに、思わず間抜けな声を出してしまった。

「君が正常に動けることが分かった今、これは十分に試す価値のある作戦だ」

 慎也は、なぜ自分がそんな危険なことをしなければならないのかと思った。

「私はもともと、少数の天上界の住人が空から地上を支配するという現在の体制に疑問を持っていた。そして、この一週間の地上での生活を通じて、この体制を変えなければならないと確信したのだ」

 なにやらきな臭い話になってきた。しかし、この街の荒廃ぶりのひどさは慎也も感じていたところだった。

「身の危険を感じるかもしれないが、君は銃弾に対して十分に強化されているから、天上界の人間を相手にしても大丈夫だ」

 銃弾という言葉を聞いて、先程の子供のことを思い出した。あの凄惨な光景は、脳裏に焼きついて離れそうに無い。

「……その体制とやらが変われば、さっきみたいなことも無くなりますか?」

「……あの子供のことか。もちろん保証はできん。秩序が失われて一時的に治安が悪化する可能性もある。しかし、先の大戦が終わってからから約100年間続いてきたこの体制は、もはや天上界と地上の支配者に利益をもたらすためだけのものになっている。地上の人々が幸福を取り戻すためには、体制を変えることが必要だ」

 海音寺はまるで演説のように言い切った。

「それに、天上界の偉い奴を縛り上げれば、君が元いた場所に帰る方法も分かるかもしれないしな」

「それは本当ですか?」

「ああ。君に関する情報は最高機密だから私はよく知らないが、知っていそうな人間の心当たりはある」

「……それなら、協力します」

「先程の飛行で飛行機の状態も確認できた。今夜にも出発しようと考えているのだが、どうだろうか」

「私は構わないわよ。こんな街、さっさと出て行きたいと思ってたし」

 エマリは妙にあっさりと同意した。

「君は?」

 確かに、このままここにいても慎也が帰る手段は見つからないだろう。それならば、できるだけ早く行動を起こした方がいいかもしれない。

「……僕も、それでいいです」

「よし。では、これから作戦会議だ」

 海音寺はそう言って、天上界のものと思われる地図を床に広げた。



「よし、そろそろ出発するぞ」

 ちょうど日付が変わった頃だろうか。海音寺はそう言って地図を畳むと、荷物をまとめて外に出た。慎也とエマリも一緒に外に出て、玄関のすぐ傍に停めてある飛行機に乗り込む。海音寺が前の操縦席に、他の二人が後部座席に乗る形となった。運転席には様々なレバーやスイッチがあり、慎也が知っているような飛行機とそう変わらない感じだ。

「この金属の塊が飛ぶの? さっきも見たけど、信じられないわ……」

 エマリはやや不安そうな顔で呟いた。

「飛行機械に関する情報は、特に厳密に管理されていたからな。地上の人間が知らないのも無理は無い」

 海音寺はそんな説明をしながら、右手で操縦桿を握った。それから、左手でスイッチを押してエンジンをかける。その瞬間、左右の翼に取り付けられた噴射口が暗闇の中で青白く光ったかと思うと、機体は急発進して地面から浮かび上がった。そして、気づいたときには散在する廃墟ビルが眼下に広がっていた。

「私が持っている航行予定表によれは、天上界は割とこの近くを飛んでいるらしい。あと一時間もすれば着くだろう」

 飛行を開始して数分、彼女はそう言って操縦桿を限界まで引いた。すると飛行機は急激に高度を上げ、窓からはいくつもの街の光が星のように小さく見えるようになった。

「どれが私の街か、もうわかんなくなっちゃった……」

 エマリさんは少し寂しそうな表情を浮かべた。

 それから飛行機の高度はどんどん上がり、数十分後にはとうとう何も見えなくなってしまった。上には星空が、下には闇が広がっている。

 そんな状態でしばらく飛行を続けていると、突如として斜め上から何かが近づいてきた。

「もう来たか。少し揺れるが我慢しろ!」

 海音寺はそう叫ぶと、操縦桿を思い切り右に倒した。直後、機体は大きく傾きながら旋回する。

「ど、どうしたんですか?」

「敵襲だ。うまく雲の中に入って隠れたが、いつまで持つか……」

 非情にも雲は数分で消滅した。敵の飛行機がすぐに近づいてくる。

「こうなることは予想できていた。予定より早いが仕方ない」

 海音寺は慎也を見ながら言った。

「ここからは君を使って飛ぶぞ。真上に飛ぶなら飛行機より断然早いからな」

「ええっ?」

 彼女はスイッチを押して外界へと通じる扉を開けた。強く冷たい風が室内に入り込んでくる。

「右手で私を、左手でエマリをつかめ! 指示は私が出すから言うとおりにしろ!」

 彼女は叫ぶようにして指示すると、操縦桿から手を離して外に身を乗り出した。長い髪が風で激しくたなびく。

「さあ、君達も早く!」

 海音寺は慎也の手をつかんで促した。彼はエマリの手をつかむ。

「ちょっと、本気なの?」

 エマリがそう言った瞬間、衝撃音がして機体が激しく揺れた。

「被弾した! このままでは墜落するぞ!」

 慎也は両の手の感触を確かめてから、床を思い切り蹴って外へ飛び出した。すぐに背中に意識を集中させる。すると、あの時と同じように背中が熱くなり、ガシャガシャと金属音を立てながら翼が生えた。

「よし、このまま上がれ!」

「はい!」

 外に飛び出した僕達に向かって、すかさず銃弾の雨が注がれる。しかし、彼は暗闇にもかかわらず妙に目が冴えて、全ての攻撃を難なくよける事ができた。全速力で上方に向かって飛んでいると、空中に浮かぶ巨大な軍艦のような構造物が見えてきた。

「あれが天上界だ。側面のあのガラス窓を破壊して侵入するのが上策だ。このまま強行突破しろ!」

 彼は海音寺の指示に従い、攻撃をかわしつつ窓に近づいていった。

「君の手には武器が仕込まれている。それを使って窓をぶち破れ!」

 海音寺はそう説明すると、エマリにつかまって慎也から手を離した。

 右手に意識を集中すると、言われたとおり手のひらから棍棒のようなものが出てきた。僕は右手を振りかぶり、窓に激突する瞬間に勢いよく振り下ろす。窓ガラスは粉々に砕け散り、三人は転げまわりながら室内に侵入した。

「ふ、二人とも、大丈夫ですか?」

「ああ。ここは飼料用の倉庫だからな。普段は人もいないし侵入時のケガの心配も少ない」

「そこまで考えていたのね……」

「だが、遠からず騒ぎを聞きつけて人が集まってくるだろう。さっさと行くぞ、私についてきてくれ!」

 海音寺は慎也とエマリの手をつかみ、奥の方へと走り出した。このまま皇帝とやらのところまで行くつもりなのだろうか。

 海音寺は、慎也の予想に反して走り始めて数分で足を止めた。目の前にはごちゃごちゃと機械が取り付けられた未来的な扉があるが、走った時間から考えて中心部には程遠いのではないかと思った。

 彼がそんなことを考えていると、海音寺は懐からカードを取り出して、扉の横のカードリーダーのようなものに通した。すると扉が自動的に開き、彼女は二人の手を引きながら中に入った。

「ここは……?」

 壁じゅうに計器のようなものが敷き詰められている、不思議な感じのする部屋だった。

「君はこの中に入ってくれ」

「えっ? ちょっとそんな」

 彼女は無理矢理、部屋の真ん中に置いてある棺桶のような箱の中に慎也を押し込めた。箱の中は狭くて暗く、何も見えない。

「……ウソをついて、すまなかったな」

 箱の中の慎也に、海音寺の声が聞こえた。いきなり改まって、何のことだろうかと思った。

「時間が無いので率直に話す。君がいるこの世界は、君にとっては遠い未来だ」

 意味が分からない。

「今まで曖昧にしか話していなかったが、記録によると君が拉致されたのは約100年前、先の大戦の直前だ。そこから最近目が覚めるまで、君の記憶はずっと途切れていたということになる」

「え……?」

「君はこの世界に対して違和感を覚えていたようだが、それは時代が変わったからだ。地上は先の大戦でかなり荒廃したからな」

 言葉が通じたのは、時代が変わっただけで場所は変わっていなかったからか。ここはファンタジーのような別世界でもなければ、全く知らない国でもない。紛れもなく、慎也が生きていた場所の未来だ。

「つまり、普通の方法では君が言うところの“元いた世界”には戻れないということだ。だが、君が入っているその機械を使えば、話は違う」

「どういうことですか?」

「君が拉致された頃、秘密裏に天上界の建設が計画されていた。それに関わっていた科学者の一人が、地上にワームホールの出口を残したのだ。そしてその入り口が、君が今入っている装置だ」

「……! ということは、これを使えば時間を超えて戻れるということですか? でも……」

「言いたいことはわかる。まだこの世界の問題は解決していないからな。だが、私はエマリと話し合って、たとえ皇帝を捕えたとしても問題は解決しないという結論に至った。この世界の荒廃はそれほどまでに深刻なのだ」

「だからね、あなたに過去に戻ってもらって、ここまでひどいことになる前に、なんとかしてもらいたいのよ」

 今度はエマリの声が聞こえた。

「そういうことだ。おそらく君の時代にワームホールを設置した科学者の意図もそうだろう。世界が不可逆的な変化を遂げつつあることに勘付いていたにちがいない」

「でも、今のこの時代はどうなるんですか?」

「当然、私がこのスイッチを押して君を過去に送った瞬間、大きく変わるだろう。私も今のこの世界も、はじめから無かったことになる」

 海音寺がそこまで言い終えたところで、慎也は無数の人間の足音がこの部屋に近づいてくるのに気付いた。

「私が伝えなければならないのは以上だ」

「ちょっと待ってください! エマリさんも知ってたんですか?」

「この役目を果たせるのは、他の誰でもない。特殊な能力を持ったあなただけよ」

「エマリさん!」

 その時、ドアを蹴破ったような破壊音とともに、たくさんの足音がなだれ込んできた。どうやら部屋に侵入されたらしい。

「さあ、自分の時間に帰るんだ」

 海音寺の囁くようなその声を聞いたのを最後に、慎也は再び気を失った。


 気が付くと、慎也は真っ暗なところで倒れていた。水が流れる音が聞こえる。立ち上がって上を見ると、一筋の光が漏れていた。首尾よく梯子を見つけたので登ってみると、意外にもすぐに光源にたどり着いた。ここはマンホールだ。

 慎也はマンホールの蓋を開け、首だけを外に出した。周囲は間違いなく慎也が住んでいる街の風景だった。今までのことが、まるで幻のように思える。

 ふと後方に視線をやると、遠くに学生服を着た少年が歩いているのが見える。少し待っていると、黒塗りの車が後ろから少年に近づいて停まった。少年が気づいて振り向いたかと思うと、中から人が降りてきて少年に何らかの処置を施し気絶させる。そして、そのまま車に乗せて発進した。彼はその一部始終を見届けた後、外に出た。

 彼が背中に力をこめると、あの時と同じように金属音を立てて翼が飛び出した。やはり幻ではなかった。

 今あの車を追わなければ、もう手がかりは掴めない。そう考えた慎也は、地面を蹴って空高く飛び上がった。


END


 今回は初めてSFっぽいものに挑戦してみました。出来は正直、あまり自信がありません。特に、ラストの超展開はもうちょっとなんとかならなかったのか……と自分でも思います。

 もし良かったら、率直な評価をいただければと思います。厳しい意見も大歓迎です。

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