03:月島凪の反撃「迷惑のカタログ」
蓮の作り出した静寂を引き継ぐように、月島凪がゆっくりと立ち上がった。
彼女もまた、深々と一礼する。その姿はか弱く見えるが、マイクを握ったその手は微塵も震えていなかった。
「『Lunar Symphony』の月島凪です。皆様、ごきげんよう」
おっとりとした、いつもの彼女の声。
しかし、その瞳の奥には、凍てつくような光が宿っている。
「今、神楽坂さんがお話しされた通り、わたくしたちはお付き合いしておりませんでした。それにも関わらず、皆様は本当に、たくさんの『物語』を創作してくださいましたわね。わたくし、今回の件で、皆様の想像力の豊かさには心底、感服いたしました」
優雅な微笑みを浮かべながら、凪は続ける。
その言葉は、一本一本が毒針だった。
「例えば、わたくしが神楽坂さんのマンションに『吸い込まれていった』と報じられたあの日。わたくしは横浜の実家で、愛猫の『おもち』と一日中戯れておりました。母も、父も、そしておもちも証人です。なんなら、おもちと撮った写真が三十枚ほどスマホに残っておりますが、ご覧になりますか?」
クスリ、と、どこかから笑い声が漏れた。
だがそれもすぐに、咳払いでかき消される。
「『お揃いのペアリング』と騒がれた指輪。あれは、わたくしと神楽坂さんが共演した音楽特番で、番組側が用意した小道具ですわ。スタイリストさんのお名前も、ブランド名も、すぐに申し上げられます。楽屋に挨拶に来てくだされば、五分で解決したお話でしたのに。取材というのは、存外に簡単なものですのね?」
凪の口調は、どこまでも丁寧だった。
だがその言葉は、記者たちの怠慢と杜撰さを、白日の下にさらしていく。
「極めつけは、自称『音楽関係者』の方の証言。本当に面白うございました。『凪は裏では蓮様と呼び、口癖は"マジ卍"だ』。わたくし、生まれてこの方、人を『様』付けで呼んだのは事務所の社長だけですし、"マジ卍"という言葉に至っては、意味すら存じ上げません。一体どちらの平行世界にいらっしゃる関係者様なのでしょうか」
会場はもはや静寂を通り越して、気まずい沈黙に支配されていた。
凪は、そこでふっと表情を曇らせる。
「……と、途中までは、こうして笑い話にしようと努めておりました。神楽坂さんとも、事務所の人間を通じて『次はどんなデタラメを書いてくれるのかしら』なんて、冗談を言い合ったりもして。そうでもしないと、心が壊れてしまいそうでしたから」
彼女の声が、少し震えた。
それは、完璧に計算された演技だった。
「ですが、笑ってばかりもいられませんでした。皆様の記事が原因で、わたくしの出演が決まっていたCMが保留になり、神楽坂さんも、いくつかのお仕事に影響が出たと伺っております。俗っぽい話になってしまいますが、いったいどれだけのお仕事が停滞し、流れ、中止することになってしまったか。普通に働かれている方ならば、直面する苦労の数々はお分かりですわよね? 被害金額も相当なものです。わたくしどもが受けたイメージの損失も。これは、もはやゴシップではありません。明確な、威力業務妨害です」
凪は、記者席を睨みつけた。
「あなたたちの書いた、たった一行の嘘。そのせいで、わたくしたちが積み上げてきたものが、どれだけ傷つけられたか、想像したことはおありになりますか? あなたたちのペンは、時として、人の人生を狂わせる凶器になる。その自覚はおありですの?」
その問いに、誰ひとりとして答えることはできなかった。
凪は満足したように小さく頷くと、静かに席に戻った。
-つづく-
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※第4話は、明日の午前8時に更新します。