ハァ…?怪物…?
2時間前……
─────海上基地ポイントL 作業区域
「それは間違いないのか?」
「はい、ポイントLから約2km先に貨物船の姿を確認しました。こちらの誘導灯にも反応は無く、貨物船の方も潮に流され続けておりエンジンが稼働する様子もありません」
「遭難船の可能性も有り、か…。よし、貨物船の調査の為にモーターボートの使用を許可する。
船の操舵が可能な場合は、ポイントLの作業区域にあるデッキに寄せて停泊させろ。……もし船長らが抵抗するようであれば〝銃〟で説得しろ」
「了解!」
「おい見ろよ!アレ!船だぜ船!」
「船だ!おーい!おーーい!!」
「こんな海のど真ん中に船が通りかかるなんて、奇跡だわ…!」
「誘導灯もっと出せ!このままじゃ通り過ぎちまうぞ何やってんだ!」
作業区域での廃棄物回収中、多くの人だかりがデッキの上に集まっているのを見つけました。海に向かって手を振ったり、必死に叫んでいたり…一体どうしたんでしょう。
「エルノ!お前も来たのか!見ろよアレ、船だ船!」
「船…?」
こちらに気付いた野次馬の一人が、海に向かって指を差します。なるほど、確かに船が見えます。
…あれは貨物船、でしょうか?
「エルノも早くあの船に気付いてもらえるよう手助けしてくれ!もしかしたら故郷に帰れるかもしれねぇ!
お前の1000の契約も破棄出来るんだぜ!」
契約破棄…来週にはスーパースリープモードに移行するというあの契約も、元はといえばポイントLのエネルギー不足による物。移動手段を確保出来れば、大陸に帰る事が出来れば、それも叶うのでしょう。
しかし……
「自分はここに残り続ける予定です。
そもそも自分には、故郷が無いので」
そう…自分には、帰るべき場所がありません。
いえ、正確に言うと、わからないというのが正しいでしょうか。
1年前にこのポイントLで起動開始した時、自分は…自分の過去を全く思い出せませんでした。人格登録者の詳細も、アントの機体製造先も、一切不明なまま。唯一知ることが出来たのは、自分の名前が『エルノ・クライフ』だという事くらいです。
そんな素性の知れない自分に対して、
ポイントLの方々が警戒心を抱くのは当然の事でした。
本来ならば、1000の契約を結ぶ以前にスーパースリープモードへ移行させられていた事でしょう。
しかしエリア長のキョウドさんは、どういう意図か不明ですが、自分も他のアント達のようにここで暮らす事を勧めてきました。
自分もこの場所で目覚めた以上、ここの人達の力になりたい。そう思い、様々な仕事を続けてきました。
……が、結局はあらゆる環境に馴染めず、問題ばかり起こしてしまい、最終的にはこの廃棄物処理の仕事におさまったわけですが。
「そこ!デッキから離れて持ち場に戻れ!
これから調査隊がモーターボートであの船に向かう!
邪魔だ散れ!」
「……おや、誰かと思えば〝ゴミ番長〟のエルノ君じゃないか。こんな所で油を売る暇があるとは、今の仕事はよっぽど天職らしいな?」
「…所長」
そして去年、そんな落ちこぼれの自分に1000の契約を提示してきたのがこの所長でした。
スーパースリープモード移行への猶予の他、長時間の業務拘束、基準値に満たない賃金…。
本来ならこのような契約は法が許さない内容らしいのですが、それでも自分がここで活動していく為には、契約を結ぶ他に選択肢は無かったのです。
この契約内容がキョウドさんに知られた時、所長室へ猛抗議に行ってくれましたっけ。…自分はそれを受け入れていたので、結局最後は黙ってしまいましたが。
「まあ、どうせ来週までの仕事だ。
最期くらいはサボタージュも大目に見てやっても良いだろう。…邪魔だけはするなよ?」
相変わらず少し鼻につく人ですが、何の気まぐれか特例で船の様子を見せて頂ける許可を得られました。
大層な装備をした調査隊のアントが4人、2隻のモーターボートにそれぞれ2人づつ乗り込み、貨物船に向かって出発して行きます。
……アサルトライフルやサバイバルナイフを持ち込んでいるんですが、本当に助けを呼びに行くつもりなのでしょうか?
「少しは考えたらどうだゴミ番長君。エンジンも点けずに漂流し続ける船…何らかのイレギュラーが起こったのは間違いないだろう。例えばエンジントラブル、計器類の故障、または海賊に占拠され操舵が不可能に陥った等だ。
あらゆる事態を想定し、それに対応しうる装備を用意しているまで。他意は無い」
「そうなんですね。自分はてっきり、あの船を制圧してでもこのポイントLに引き寄せるよう、所長が指示したものかと思いました」
「………今日は随分と口が回るじゃないか。あのエンジニアに吹き込まれたか?」
否定はしない、という事ですか。
相変わらずかなり鼻につく人です。
しかしこれ以上所長を刺激すると、セフィアさんにも飛び火が行く可能性があります。
ここらで自分も口のジッパーを閉めておきましょうか。
「よく戻った。どうやら操舵は可能なようだな」
「はい。しかし、乗務員の姿は1人も確認できておりません。それにこの船…長い間メンテナンスを行っていなかったのか、外装も内部も錆と腐食が進んでいるようです」
「…ロサンゼルスからシドニー行きの貨物船…。
本来の航路からは大きくズレている事になる…。
一体何があったのだ…」
ボートを走らせてから1時間程、件の貨物船はこのポイントLのデッキに停泊しました。
しかし、あまりに錆と腐食が酷い状態です…こんな状態で、ましてや少ないとはいえコンテナを載せたまま本当に漂流していたとしたら、ここに辿り着く前に沈没していたのが自然でしょう。
そして船がポイントLに着港したことにより、
先程よりも大勢の野次馬が集まってきました。
そんなに皆さん、故郷が恋しかったんですかね。
帰れる場所があるなんて、正直羨ま………
──────ガアァン!!
───────ガンッ!ガガン!!
「!!」
突然響き渡る、何かがぶつかった音。
それも、錆等の劣化によって軋んだような音ではなく、何か暴れているような衝突音が何度も海の上に響き渡ります。
なんでしょう…船上のコンテナの方から聞こえてきますね……。
「……調べてこい。万が一の時は発砲も許可する」
「り、了解!」
再び調査隊のアント達が貨物船に乗り込んで行きます。
救援が来たと喜び合う人達の声は、あの異音から一転し、
一気に物々しい雰囲気が漂い始め、デッキに集まった人々もざわつき始めました。
そして────────────────
バァン…!!バァン…!!
やめろ!来るな化け物ォ!!
……グシャァッ!!
ぎゃあああああああ!!!
「!?」
「どうした!何があった!報告しろ!!」
「……チッ!おいエルノ!お前が見てこい!
どうせ来週には死ぬんだ!最期くらい私の役に立っ……」
ヒュッ
グシャッ
…………何が、起きてるんでしょうか。
今、目の前で、所長が…所長の上に、何かが覆いかぶさって…
「キャアアアアアアアアアア!!」
「ば、化け物だぁ!化け物が…所長を食いちぎってる!!」
「おいアレ!コンテナの上にもまだいるぞ!」
「でっ伝令!!非常事態発生!!非常事態発生!!」
自分の目の前で、所長を貪っているそれは…図鑑で見た事がある姿をしていました。
なんて事ない、所謂昆虫の「ハエ」と全く同じ姿です。
しかし…今目の前にいるハエは、体長が2m程にもなるような、常軌を逸した巨体を持っています。
「………所長?」
それに貪られる所長は…いえ、
所長だったものは既に、上半身が消えていました。
理由は単純。
今、目の前にいるハエが…食い尽くしたからです。
ヒュッ……ダァン!
「………!!」
頭が冷静になったその瞬間、コンテナの上にいたハエが自分に向かって飛んできました。
間一髪で避けられたものの、こちらを完全に標的として狙っています。しかも、2匹どころか…船の上からゾロゾロとまだ湧き出して来ているようです。
……逃げるしか、ありません。
「自警団に連絡を!
作業区域の人達をすぐに避難させてください!」
自分でもこんな風に叫ぶ事が出来るなんて、
今の今まで知りませんでした。
「早く逃げて!作業区域から離れるんです!」
しばらくして、今まで聞いたことが無いサイレンが、ポイントL全体に響き渡りました。これが夢でない事が、嫌でもハッキリと感じ取れてしまうほどに。
ビーーーーーーー!!!
ビーーーーーーー!!!
「……何これ…非常警報?」
上層部の所長室に殴り込みに向かう途中、廊下を走っていると突然聞き慣れないサイレンが響き、赤い警光灯が辺りを包み込み始めた。
しばらくすると部屋から人が一気に飛び出し、どこかへ走っていってる。
「すみません!何があったんですか!このサイレンって何なんですか!」
「ぼ、僕にもわかんないよ!
怪物が出たとか変な通信が出てるし!
とりあえず、居住区域へ避難しろっていう命令が出てるんだ!君も早く行った方がいい!」
「ハァ…?怪物…?」
…………何それ?あまりに突拍子も無さ過ぎる内容に、素っ頓狂な声が出てしまった。
もしかして、避難訓練でもやってるの?
それにしては事前告知も無かったけど。
そうこうしているうちに、上層部のアント達はどんどん居住区域へ繋がる渡り廊下へ走っていく。
………その時だった。
グシャァ!
「ッ!!!」
突然渡り廊下の外から、馬鹿みたいにデカいハエがアントに襲いかかって…その人の首が吹っ飛ぶところを見てしまった。
……なに、これ…………私、夢でも見てるの?
「……ッ…ぁ…あぁ……」
あまりにもショッキングな光景を目の当たりにし、声が出ない。見たくもない残酷な光景から、目を離すことが出来なかった。
そしてしばらくすると、そいつは…
ゆっくりとこちらへ向きを変えてきた。
「ヒッ……!!」
そこから先はあまり覚えていない。
無我夢中で叫びながら、今まで来た道を引き返し、がむしゃらに足を動かした。
何度も何度も、背後から何かが飛んでくる音が聞こえてきて、執拗に私を追いかけ回してきていた…気がする。
「ハァ…ッ!!ハァ…ッ!!」
息を切らしてエリア長と話し合っていた休憩スペースに逃げ込む。過呼吸と、さっき目に焼き付いた光景が合わさって凄まじい吐き気が襲ってきていた。
なんなの、アレ……なんなのよアレ!!
「…………キョウドさん…?」
少しづつ呼吸が整ってくると、ここから飛び出す前にいた人の名前を口にする。
…そうだ、キョウドさんは?
あの人はちゃんと逃げられたのだろうか?
いや、大丈夫。あの人は頭が良いし、例えこんな事態になっていようと、他のメンバーと共に真っ先に逃げられたはずだ。
あの人が、死ぬはずがないんだ。
「………キョウ…ド…………さん…?」
私とエルノの事を考えてくれてた、とっても優しい人なんだ。だから、死ぬはずがない。
そんな人を神様が見捨てるはずがない。
「ウッ…グスッ……キョウド……さぁん…!」
なのに
「ッ……ウアァァアアアアアアアァァン!!」
どうして、そんなところで横たわっているんですか…