第70話【風邪をひいた日】
実のところ、私は体が強い方では無いと思う。幼い頃は特によく熱を出したし、ふとした時に泡を吹いて倒れたりもしていた記憶がある。
蒼と再会し、バンドを結成したあの日から1年半あまりのこの日まで体調を崩さなかったのは奇跡か何かだと思う。その奇跡こそ蒼の存在であることは明白なのだが、その他の要因としては恐らく、私がバカだから風邪をひいたことにも気づかずにバンドに全力になっていたこともあると思う。
熱が出た時特有のぐにゃぐにゃした感覚が体を蝕んでいる。ただただ気持ち悪い。しかしながら、私の手をずっと蒼の手が握ってくれている。その幸せを噛み締めるだけで、この気持ち悪さは随分和らげられている。24時間そばに蒼がいてくれなかったら、今頃私は悪夢に魘され、自分で自分を更に追い込むためにこの状態で路上ライブにでも出掛けていたと思う。本当に蒼には頭が上がらない。
「……緋」
優しいを通り越して優しすぎる蒼の声。
「…ん……?」
この強制的に甘えるしかない状態。いつも以上に優しい蒼に、ほんの少しだけ特別感を覚えながらも、早く風邪を治してあげようと思った。思っても、どうにもならないのだが。
「お腹すいてない?」
「……分かんない」
「そう…。何か食べたくなったらいつでも言うのよ。…といっても、私は貴女のそばを離れるわけにはいかないから、料理はお義母さんに頼むことになるけど」
「…蒼のじゃないのは残念…」
「私の手料理が御所望なのね」
「…蒼のご飯が1番好き」
「嬉しい。そう言って貰えて」
蒼の優しい笑顔と、ぽんぽんと布団を優しく叩く手が心地良い。
「……こうして熱を出した貴女を看病してると、貴女と再会した日のことを思い出すわ。…貴女、熱を出す日に限って路上ライブに出かけるわよね」
「…体が勘違いしちゃってるのかもね…。体が熱くなる時って、だいたい音楽やってる時だから…」
「本当に音楽が好きなのね」
「…まぁ、ね。好きでもないこと続けないと思うし」
「そうね」
「…蒼は嫌じゃない?私の面倒見るの」
「嫌なんかじゃないわ。可愛い緋を甘やかし放題なんて、ボーナスタイムみたいなものだもの。もちろん、はやく元気になって欲しいとは思ってるけど」
「…私さ。…あんまり蒼に頼ってばっかりだとそのうち冷められるんじゃないかって心配になる」
「そんなことを気にしてるの?」
「…だって、流石にこうも頼りっぱなしだとさ…」
「……」
蒼は私に覆い被さるようにベッドに倒れ込むと、私をぎゅっと抱き締める。蒼の抱擁がこの程度の不安など恐るるに足らずと言ってくれている。
「これでも不安?」
不安なのだろうか。消えたわけじゃないような気もしている。
「……不安……」
「じゃあ…」
そっと頬に手が触れられた。蒼の顔が近づいてきて、柔らかい唇が唇と触れ合う。
「……。………これでも足りない?」
「……」
不安なんてもう消し飛んだと思う。これほど分かりやすく簡潔に愛されていることが伝わる行為は無い。
「…まだ足りないって言ったら………どうする…?」
多分、熱のせいだ。ガラにもなく変なことを口走ってしまった。
「…きまってるでしょ。緋…」
こんなことされたら、多分、いや絶対私はもっと求めてしまう。欲張りだから。私は欲張りな女と自覚している。だからそのうち、これが平常運転になるような気がする。
……でもまあいいか。私は蒼が好き。優しさも、温もりも、頑張り屋さんなところも、少し捻くれているところも、誠実なところも、曲げられない正義を持っているところも、声も容姿も、何もかも。蒼が蒼であることを構成する全てが好きで、蒼だから好き。それを私自身が分かっているから、多分何があっても、たとえ蒼に嫌われることがあったとしても、愛し続けると思う。
と、よく分からない言葉を並べ立てたわけだが、とりあえずは、風邪治そう。
◇◇◇
風邪をひいて3日目。朝、にこにこしながら髪を撫でる蒼の顔を見ておはようを言って起きた。
熱を測るとまだ37.5度と熱っぽさは残るが起きて動ける程度には回復した。
「緋、大丈夫なの?」
起きて動くだけで蒼に心配されてしまう。
「大丈夫。…少しは体動かさないと逆に疲れるっ」
思いっきり背伸びをする。シャツの前が少し窮屈。
部屋に置かれたCPX1000に手を伸ばして、チューニング。
「…蒼は体調大丈夫?私から風邪移されてない?」
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
「そか。なら良かった」
「緋に看病されてみるのも悪くないかもしれないけど」
「熱出すとしんどいよ。やっぱり元気なのが1番。蒼には、苦しい思いして欲しくないな」
「…そうね。緋も、今回みたいになる前にちゃんと休むのよ。私もちゃんと、休むべきと思ったらそう言うべきだと思ったわ」
「ん。…それじゃ、やろっか」
◇◇◇
「──あれ、菫さんじゃないですか」
──世田谷区某ビルの2階から3階へと上がる階段で、1人の少女とすれ違うと、声をかけられた。GR.PROJECT所属のガールズバンド『DAYBREAK』のドラムス担当『ザハラ日花』だ。白色の髪にところどころ金色が入っている、まだ17歳のハーフの少女。あまり表情を変えず、淡々と喋る子だ。デビュー後からよく面倒を見てあげていたため、所属アーティストの中でもそこそこの仲。
「あら、ザハラさん…。何か?」
「あぁいや、特に用とかは無いんですけど……菫さん、何かいい事でもありました?」
「ん?…まぁ、ね」
自分もあまり感情を表に出すような人間では無いと思っていたのだが、どうやら彼女に気づかれてしまうくらいにはニヤついていたみたいだ。
「へぇぇ。…なんですか?」
「…良いバンドが見つかりまして」
「え、後輩ができるってことですか」
「彼女たちが契約内容に合意して下されば、ですが」
「“彼女たち”…ガールズバンドですか」
「はい。…<Chandelier>というバンドです。演奏技術や曲もですが……それ以上に、ライブパフォーマンスが抜きん出てます。…まさに、私の求めていたバンドです」
「……DAYBREAKとどっちが凄いですか?」
「ジャンルが違いますから、一概は言えません……でも、凄い音楽をするバンドであることは確かです」
「……そんなに凄いんだ」
「凄くもないバンドを採用する意味はありませんから」
「…まあ確かに」
「…ですが、実際に話を聞いて、契約内容に合意できないと言われてしまえば、私はそれまでです」
「じゃあ、契約勝ち取らないとですね。…もしデビューして反響があれば、うちと対バンして下さいよ」
「はい。その時は必ず」
……To be continued




