第64話【学校も悪くないかもね】
何をされても私は動じないようになった。
それは一重に、音楽が私の味方をしてくれていたからだ。
キリがない程の周りからの虐めを全て鼻で笑い飛ばす。実際そう出来ていたかどうかは分からないが、少なくとも心はそう誓っていた。
「───緋さ。2年の先輩と仲良くしてんの何?」
「………」
──私の勝手でしょ。
──なんて言葉を発することは出来ず、私は咳き込んだ。
放課後の教室の隅、毎日飽きずに寄って集って私を痛めつけるクラスメイトたちは滑稽だったが、私にはそんな彼女たちを見下すどころか見上げることすらできなかった。
「ああ、喋れないんだったね。ごめんごめん」
「………」
高校1年生の秋。いつの間にか、私は人に何かを言葉で伝えることが出来なくなっていた。
「もっと派手に痛がってよ緋ぉ」
薄い朱色の髪の少女、真優は手に持ったカッターナイフを容赦なく私の脇腹に突き刺す。白いはずのブラウスは既に赤い染みが多く付いていたが、流れ出る鮮血はそれを上書きしていく。
「………」
「…なんかつまんない」
「真優が虐めすぎるから壊れちゃったんでしょ」
「姲離がそれ言う?あんたの方がエグいことしてたよ」
「私は何もしてないから。…ねぇ、もう帰ろう。壊れちゃった緋虐めてもつまんないんでしょ」
「……はぁ。そうだね。帰ろっか」
ようやく終わった。
誰もいなくなった教室。
赤色に染ったブラウスからポタポタと血が垂れる。
「………」
ふらふらと立ち上がり、軽音部の部室である第二音楽室を目指す。
「──やあ緋。今日も大変だね」
第二音楽室には、いつものように何もかもを楽観的に見るような不思議な雰囲気の先輩、凪幌歌がジャズマスターを掻き鳴らしていた。
「とっくの昔に慣れました」
「なかなか深そうな傷じゃないか。塞がないと倒れるぞ」
「流した血の分だけご飯食べればいいだけです」
「君、さてはゲームで毒状態になっても解毒薬を使わずに回復薬で乗り切るタイプだね」
「よく分かりませんが……先輩、ゲームとかするんですか?」
「全然。たまに動画で見るくらいだ。あとあれだ。テレビゲーム売り場に試遊コーナーがあったりするだろう?そこで少し遊ばせてもらったりね」
「…音楽全振りって訳じゃないんですね」
「せっかく生きてるんだし、色々娯楽に触れて遊びたいじゃないか。なかなか愉快な体験だったよ」
「………」
「まあ、ゲームで遊んだ私から君に伝えられることは……そうだね。視野が狭いと想像力が削がれる。ってことかな。緋。君は遊ぶことも覚えた方がいいね。それによって得られるものがきっとあるし、それを音楽に活かすこともできるだろう。君は私に『音楽全振りって訳じゃないんですね』と言ったね。私はどんな経験であれ、それは音楽に活かすことができると思っているが、君はどう思う?」
「…そうですね。先輩の言ってることは間違ってないと思いますよ」
「同意ということでいいのかな」
「いえ。…私には、そういう娯楽を楽しめる程の心の余裕はありません」
「…そうだね。君はそういう奴だ」
「………」
「でも、私はそれを否定はしないよ。それが今の君の良さでもある。ドロッドロの油みたいな感情を風前の灯で着火させるような君の生き方はまさしくロックンロールスターだ。泥臭いが、その泥臭さが美しいと思うよ」
「褒めてませんよね」
「褒めてるよ。けど、いつまでもそんな生き方はして欲しくないな。いつか君が報われてくれることを願っているよ」
◇◇◇
少し肌寒い風が吹く。コートを着てきたのは正解だった。
錆び付いて朽ち果てた鉄のような落ち葉が舞う。
秋。寂しい季節だと思う。別れが近づいて行くような、そんな澄んだ空気が肌に染みる。
赤茶けた葉を吹いて散らす冷たい風に揺れる緋色の長い髪を抑えながら足を進める。
私は今日、ひとつ決着を付けに行く。
傷つけられた記憶。貶められた記憶。蔑まれた記憶。それらにケリをつける。
大丈夫。怖くない。私の隣には蒼がいる。
蒼がいないと何もできない。それはそうだが、裏を返せば、私は蒼と一緒なら何だってできる。何だってと言うと語弊があるかもしれないが、私がやろうと思うことは全て実践可能だ。
握った手は温かい。ベーシスト特有の少し大きな左手。この手が私に力をくれる。
待ってろ。親愛なる敵たちよ。私はもう負け犬じゃない。
電車に乗って移動し、降りた駅でさくな、碧と合流する。
「おはよう碧、さくな」
「おはよう」
「おはようございます。いよいよですね、緋ちゃん」
「……そうだね。いよいよだ」
「メンバー全員が思うところのあるライブになるんですよね」
「私は私を虐めて見下した皆に私の真価を見せつける」
「私は今度こそ緋の傍で緋を守る」
「私は逆らえなかった民意への反抗」
「黎ちゃんはクラスメイトにいい所見せたいってところでしょうか」
「そんなところかな」
「…あとは、私も蒼も碧も学校行ってないし。せっかくだから、文化祭、楽しみたいよね」
「意外と楽観してるね、緋」
「蒼も碧もさくなもいるし。…独りじゃないって凄く温かいから。怖くない」
「改めて、変わったね緋。その調子なら、真優と出くわしても平然としてられるか」
「真優……」
今までの虐めの記憶がフラッシュバックする。
「ッ……」
「緋…?」
「………」
「ごめん緋。流石にあいつのことは怖いか」
「…ううん……大丈夫。…あいつは蒼にまで手を出した。私はあいつを絶対に許さない。怯えてなんかいられない」
「無理してまで怒る必要は無いわ。あんなのかすり傷よ」
「私の大切な蒼に触れただけでも死罪だから」
「緋……」
「何も怖くなんてない。だって私は世界一のロックスターになる女だから。虐めっ子1人どうってことない」
「おお」
「碧、高望みとか思ってないよね?」
「思ってないよ。私はそれを一緒に叶える立場にいるんだ。見せつけてやろうよ。お前らなんかより緋の方が死ぬ程凄い奴だって」
「うん」
◇◇◇
文化祭2日目である今日は、土曜日ということもあり、オープンから30分足らずでなかなかの賑わいを見せていた。
「なかなかのもんだね」
「そうね」
校門前で、敷地内の人の数を見て呟く。
「高校の文化祭とか何年ぶりかも分かりませんが、青春の記憶が蘇って………来ないですね…あれ……私はどんな高校生活送っていたんでしたっけ…あれ……?」
「さくな……」
「そんなものよ。学校なんて」
「蒼の言う通りだよさくな。私も大した思い出無いし」
「みなさん……そうですよね。青春なんてフィクション。フィクションですよね!」
「さくなに元気が戻って良かった。それじゃ行こうか」
「うん」
4人は敷地内へ入る。
「……お前、終か…!?」
「…!」
校門を通り、敷地内へ入ってすぐ。男性教員は驚いた顔で緋を見た。
「……何か?」
「よく来れたな。その背中のは何だ」
「……楽器ですが」
「楽器?」
「今日の11時から。…これ。<Chandelier>は私のバンドなので」
文化祭プログラムを開き、教員にステージのページを開いて見せる。
「何で部外者のお前がこの学校のステージに出るんだ?」
「…メンバーがここの2年生なんですよ。昏木黎って子です。彼女がこのバンドで出たいと誘ってくれました」
「……ふん。好きにしろ」
「はい。好きにやらせてもらいます」
教員の前を通り過ぎる。
「…感じ悪いね」
「そりゃそう。教員もみんな虐めなんて知らないフリして、中には生徒と一緒になって虐めてくる奴もいた。人として終わってる」
「教師なんてそんなものよ。…自分が偉いと思って疑わない。ルールだ規則だって言って立場を盾にして、理屈も感情も言葉も通じない。人の心が無いイカれた人じゃないと教師になれない法律があるんじゃないかしら」
「そんな法律は流石に無いと思いますけど……蒼ちゃんは教師に対して相当恨みがあるみたいですね」
「ええ。この世界で一番醜い存在よ」
「そこまで言う?」
「言う。碧はどうなの?」
「私?…私は……別に何とも。まあ、普通の感性してたら、教師なんかになりたいとは思わないとは思うよ。もしなるとしても、私はあんなのにはなりたくないな。愛される先生になりたい」
「だよね。でも、そうはならないのは何でなのかな」
「知らない。…勉強出来る奴が、とりあえず公務員なっとけ、みたいな、スカスカな理由でなってからなるんじゃないの?政治家と似たようなもんでしょ」
「そうかも」
「碧ちゃんもなかなか辛辣ですね……」
「辛辣にもなるよ。人が汗水垂らして稼いだお金も全部汚い大人の財布に吸われるって考えたら働きたくなくなるよね」
「なかなかロックしてますね」
「この世界のシステムもうちょっとなんとかして欲しいよ。子供が強制的に通わされる学校で教えられるのは勉強が出来る奴が偉くなれるってことだけ。緋みたいに、音楽やってこそ輝く子供もいるのにさ」
「碧……」
「……ま、いいんだよ私のことは。早く行こ。まずは黎と合流しないと」
「うん。そうだね」
黎の在籍する2年1組の教室を目指して校舎へ入る。
2年生の教室は3階。2階には3年生の教室があるが、運良く3年生とは鉢合わせずに3階まで来れた。
「2年1組、あった」
演し物は和装喫茶らしい。
艶のある黒髪を持つ黎に和装が似合うのは<Chandelier>メンバーには周知の事実だが、彼女はどちらかと言えば奉仕される側のお嬢様である。その意味では、なかなか珍しいものが見れそうだ。
「おかえりなさいま………あ!!?」
「!?」
可愛い和服の女の子が、緋たちを見るやいなや固まって変な声を出す。
「し、<Chandelier>ですよね!?」
「え、あ、はい」
「うわぁぁ!リアル緋ちゃん超可愛い!!握手頂けませんか!?」
「え、うん、いいよ」
「あぁぁありがとうございます!!感激です!!はぁぁ…!もう一生手洗えないよ…!」
「洗ってね…」
「ずるい!私も握手貰う!!」
「私もお願いします!!」
「う、うん…一人ずつね?」
「蒼ちゃんもお願いします!」
「え、私も?…仕方ないわね…」
凄い。思っていた以上にこのクラスで私たちは有名人なようだ。
「いや、というかみんな仕事はいいの?」
「仕事なんかより推し活絶対優先!…しても構いませんよね?」
「なんで私に聞くの?」
「緋ちゃんも一応お客様…いえ、ご主人様ですので」
「まあ、私はいいけど。せっかくならファンサしてあげたいし」
「うおおお!!!神!!一生付いていきます!」
「サインください!」
「はーい。順番にね」
そこそこ長い時間をファンサに使う。
「……はぁ」
少し疲れたが、なかなか味わえない人気者の気分は堪能した。応援してくれているというのはありがたいし、自分のことを好きでいてくれる人がいるのはとても嬉しい。
「お疲れ様です」
一息ついたところで、他の子たちと同じ和装をした黎がやってきた。黎が身につけるのは、赤…否、緋色を基調とし、紅葉の模様が散りばめられた着物と、その上に白いフリル付きのエプロン。やはり黎は和装が似合う。可愛い。
「凄い人気でしたね」
「黎。私もびっくりしたよ。クラスの子みんなファンなの?」
「優秀な広報がいるもので。おかげで2年1組の女子は全員<Chandelier>のファンです」
「凄い」
「広報って?」
「──スカレ組1号とお呼びください」
「2号」
「3号です」
──と言いながら現れた女の子3人。
「友達…というよりファンです。クラスメイトに布教してくれたのはだいたいこの子です」
「広めてくれたんだ。ありがとう」
「いえ!!布教も立派な推し活です!」
「推してくれてありがとう。今日のライブも絶対来てよ」
「はい!その時間はお店閉めるので!」
「それでいいの…?」
「いいんです!!」
「いいんだ……」
「……それで、ここって何頼めるの?」
「喫茶なのよね?」
「あ、飲み物とすんごいちっちゃいケーキお出しできるくらいです」
「こちらメニューになります」
「ありがと」
スカレ組1号さんからメニューを受け取る。ラインナップはコーヒーと紅茶が数種と抹茶ラテ、ショートケーキ。
「ちなみに飲み物は全部インスタントです」
「まあそんなもんだよね。…じゃ抹茶ラテで」
「私も」
「私は…レモンティーで」
「さくなさんは?」
「じゃあカフェラテ無糖でお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
黎は一礼し、緋たちの所から離れていく。
「…なんていうか、こういうのいいよね」
緋は飾られた教室を見渡してつぶやく。
「分かります」
「でも、こういう空気に馴染めない子もいると思うのよね」
「まぁ、ゼロではないと思う」
「でもさ。そういう子に、私たちの音楽が届けばいいよね」
「…そうね」
「だね」
「お待たせしました。緋さんと蒼さんが抹茶ラテ、碧さんがレモンティー、さくなさんがカフェラテの無糖。ごゆっくりどうぞ」
思ったよりも早く黎が戻ってきた。流石はインスタント。一瞬である。
「ありがと黎」
「お構いなく。今はただのいちウェイトレスなので。…せっかくなので、私よりクラスのみんなと話してあげてください」
「うん。そうだね」
「え、いいんですか?」
「いいよ。ファンは大切にしたいし、こんな近い距離で話せるのなんて今のうちだけかもしれないしね」
「うぁ、ありがとうございます!!」
「あ、じゃあさっそくひとつ質問いいですか?」
「えっと…2号ちゃんだっけ。なに?」
「曲って、どうやって作ってるんですか?」
「それ私も気になります!」
「私も!」
そこそこ気になっている人が多かったようだ。
「曲は…殆どの場合、最初になんとなーくギター鳴らして、それを元にベース入れてメロディとドラム入れて、なんかこう…いい感じに編曲して、ある程度曲が出来たら作詞。歌詞に合わせて曲にアレンジ加えて…って感じかな」
「歌詞は最後なんですね」
「そうだね。私、言葉で伝えるの下手くそだからさ。想いは音に込めるのが私のやり方。それで、最後に、音に込めた想いを言語化する、っていうか」
「歌詞といえば、英語の歌詞が多いのはどうしてなんですか?」
「それも、言葉で伝えるのが下手くそだからっていうのと、語彙力も無いからかな。たまにいい言い回しは思いつくけど、たまにだからね…。英語圏の人にどう思われてるのかは知らないけど、いち日本人の思いとしては、英語歌詞の方がカッコつくし、言いたいことを少し隠しながらでもストレートに言える。あと日本語より崩したり繋げたりしやすいからリズムに合わせやすくて歌いやすいと思う。…っていう感じかな」
「私、緋ちゃんの書く歌詞好きです。日本語歌詞の無骨さも、“味”だと思ってます」
「ありがと」
「私からもいいですか?」
「どうぞ」
「作曲や作詞で、一番こだわってるところって何ですか?」
「こだわりは…そうだね。全ての音を楽しんでもらえるような曲作りかな。…誰か1人が目立ちすぎることが無いようにするっていうのを大切にしてる。4人だからバンド、<Chandelier>だからさ。ボーカルも良い、コーラスも良い、ギターも良い、ベースも良い、ドラムも良い。そんな音楽が、私の思うオシャレなロックだから。これが絶対に譲れないこだわりかな」
「くぅぅ…!あまりにもかっこいい!貴重なお話ありがとうございます!」
「いいって。そんな感謝される程のものじゃないよ。他は?」
「あ、じゃあ私」
「なに?」
「緋ちゃんと蒼ちゃんの馴れ初めを知りたいです!!」
「私と蒼の馴れ初めねぇ……幼馴染だからね。物心ついた頃には隣にいたような気がするけど……」
「私も緋も、保育所の部屋の隅で大人しく座ってるだけで特に関わりは無かったのよ。ただ、緋の隣は居心地が良かっただけ」
「でも私覚えてるよ。最初に口を開いたのは蒼だった」
「…。よく覚えてるわね」
「覚えてるよ。…蒼との大切な思い出だから」
「………」
「照れてんの?」
「別に」
「今思うと凄く可愛かったなぁ。『もうすこしちかくにすわってもいいかしら』って」
「ちょっと!恥ずかしいじゃない!」
「あはは、ごめんごめん」
「この話はここまでよ」
「いえ!てぇてぇお話をありがとうございます!!」
「ご馳走様です!」
「お粗末様です…?」
別に美味しい話では無かったと思うが。
「…それじゃ、いつまでもお邪魔するわけにもいかないし、そろそろ行こうか」
「そうね。ご馳走様。お代…」
「いえ!!<Chandelier>の方からお代は頂きません!!」
「え、でも…」
「お代はライブで十分すぎるくらいですので!」
「……そっか。分かった。最高のライブにするから」
「はい!!」
「あの…いいんですか?私まで……」
「映像担当のさくなちゃんも立派な崇拝対象です!」
「崇拝……。なんか慣れませんね。分かりました。これはライブ映像とMVでお返しいたします!」
「はい!!<Chandelier>の皆様、ありがとうございました!!クラスみんなでライブ見に行きます!」
「うん。待ってる!」
「黎ももう上がっていいよ。黎も<Chandelier>のメンバーなんだし」
「あ、ありがとう。…着替えるので先行っててください。すぐ合流します」
「ん。分かった」
なかなか騒がしかった2年1組の和装喫茶を出る。
「良かったね、緋」
廊下を歩きながら碧がつぶやく。
「何が?」
「…緋、たっくさん味方できたじゃん。それは緋が頑張ったからできた味方だよ」
「…そうだね。私は頑張った」
「…ええ。緋は頑張ったわ」
「はい。緋ちゃんは頑張りました」
「ありがと、みんな」
……To be continued