第63話【I want to settle it】
9月。
夏休みも終わってしばらくが経つが、灼熱の暑さは相も変わらずだった。
汗がノートに垂れる。
授業も頭に入ってこないどころか、教師でさえも首にかけたタオルで汗を拭き取っては水筒に口をつけ、右手に持ったままのチョークは殆ど黒板を叩いていない。
「せんせー…うちの学校いい加減クーラー付かないんですかー?」
「もう夏にクーラー無しで生きられる時代じゃないんですよー?」
「そう言われてもなぁ。全クラスの教室と移動教室までクーラー付けるとなると結構な額になるし無理だろうなぁ…」
「うえぇ……」
「誰か倒れれば対策打ってくれますか?」
「水分補給してなかっただけって片付けられるだけだろうな。ちゃんと面倒見てないっつって俺ら教員が怒られて終わりだ。だから倒れないように頑張ってくれ」
「そんなぁ…」
「せめてもの救いとして、体育大会は11月にズラしてあるんだから。それでどうか俺らの頑張りを認めてくれ」
「それはマジ神」
「せんせー達ナイス」
そんなやる気のない雑談タイムが生まれるくらいに、教員も生徒も暑さでやられていた。
黎は授業にならない話を聞き流しながら、左手で筆箱をネックに見立ててコードを切り替え続けていた。
教室の廊下側の窓には、文化祭についての用紙がセロハンテープで雑に貼ってある。
『フリーステージ参加者大大大募集!』
そんな貼り紙を横目に、黎は今後のバンド活動に思いを馳せていた。
<Chandelier>の活動は今まで通りだ。アルバイトで活動資金を集めつつ、路上ライブでファンを増やし、ライブハウスでライブ。そのサイクルを続けている。
次にやることはもう決まっている。2ndアルバムの作成だ。
1stアルバム『Trying to fly on a windy day』を超える、最高のアルバムを作る。そして、それを音楽事務所に送って<Chandelier>を売り込む。
本格的にプロを目指す。そう、4人で決めたのだ。
「───起立」
──いつの間にか4限の授業が終わっていた。
「気を付け、礼」
「ありがとうございましたー」
昼休みとなり、生徒がバラけていく。
「黎ちゃん」
「ん?」
クラスメイトに名前を呼ばれて顔を上げる。女子3人。友達…というよりは、ファンの子だ。
「お昼一緒してもいい?」
「あ、うん。いいよ」
「ありがと」
友達ではないが、この子達がよく絡んでくれるおかげでぼっち飯は無くなった。彼女たちのおかげで、少しは学校も悪くは無いと思っている。ライブにもよく足を運んでくれ、また布教もしてくれているみたいで、有難い限りだ。
「黎ちゃんさ、授業中文化祭の張り紙見てたでしょ。<Chandelier>で出るの?フリーステージ」
「あぁ……どうだろ…。緋さんがなぁ……」
バンドのリーダーである緋は元々この高校に通っていた。2年生になる春で彼女はこの高校を辞めているのだが、その理由のひとつが『虐め』。3年生の中には緋を虐めた張本人たちが在籍している。せっかく学校を辞めて、虐めから開放されたというのに、彼女をこの地獄に連れ込むようなことはしたくない。
「あ…そっか。ごめん」
「…だけど…私はやりたい…かな」
「え、ほんと?」
「うん。文化祭ライブってロマンじゃん。…それに、お遊びみたいな軽音部とか、無駄に無理矢理頑張らされてる吹奏楽部とかに、本気でプロ目指してる私たちの“ライブ”を見せつけてやりたい」
「おぉ〜、言うね」
「流石はヤクザのロックンローラー」
「それはしーっ!!」
「ごめんごめん」
「…まあ、緋さんが嫌って言えば、私はそれを尊重するけどね。緋さんは今はもうこの学校の生徒じゃないし、というか、メンバーでこの学校の生徒なの私だけだし。私1人の我儘に、3人を無理に付き合わせる気は無い」
「そっかぁ…」
「でも、一応聞いてみるから」
「ん、分かった。OKしてくれるといいね」
「うん」
◇◇◇
「──文化祭ライブ?良いじゃん。やろうよ」
「え……!?」
学校終わりに蒼の家にメンバーで集まり、緋に確認すると、あっさりとOKが帰ってきた。
「え、良いんですか?」
「私夢だったんだよね。文化祭でライブするの」
「そうなんですか?」
「うん。……みんなを見返すには最高の機会だからさ」
「緋さん……」
「蒼と碧は?」
「異論は無いわ。見せつけてやりましょう。緋が如何に価値のある人間か」
「私もいいと思う。真優にはいいように使われてきたからね」
「みなさん…」
「でも、あくまで主役は黎だからね。私たちは一応部外者だし」
「何言ってるんですか。ボーカルでリーダーの緋さんが主役に決まってます。緋さんに“その気”があるんですから、私は全力でそれを支えるだけです」
「…ありがと、黎。文化祭ライブ、申し込んどいてよ」
「分かりました。任せてください!」
◇◇◇
緋は蒼の膝の上で項垂れる。
「……黎にはああ言ったものの……」
体の至る所にある傷痕が疼く。
服で隠れた胴回りには痛々しい赤茶けた裂傷の痕が残っている。
「今また会ったとして……何されるか分かったもんじゃない…」
「無理しなくていいのよ」
「…うん。でも……振り切りたいから」
「緋…」
「……このチャンスを逃したら、私は一生虐められただけの負け犬で終わる。そうはなりたくない。何の取り柄も無いって、才能が無いって言ってきたみんなを。私を傷付けて越に浸ってたみんなを、私はステージから見下ろして、笑ってやるんだ」
「…そう。なら、私は死力を尽くして貴女を支えるわ」
「うん。蒼が居てくれるなら安心。…ねぇ、せっかくだから文化祭一緒に見て回ろうよ」
「いいわよ。守ってあげるから」
「ありがと」
◇◇◇
「…緋……何のつもり…?」
無城姲璃は、廊下に貼られたポスターを見て眉を顰める。
文化祭のフリーステージの出演欄の『<Chandelier>』の名前は、姲璃の心をズキズキと痛ませる。
「学校辞めて、平和を手に入れたのに…自ら地獄に足を踏み入れるっていうの?」
真優はバンド名が変わったのを知っているのだろうか。彼女の緋に対する執着を思えば、知っていてもおかしくはないが、彼女はそのためだけにバンドを追う程暇でもないと信じたい。
「真優はきっとまた貴女を傷付ける。…そんなこと分かりきってるはずなのにどうして……」
◇◇◇
──私は音楽以外では生きられない。
変わり者の2年生『凪幌歌』先輩に出会った私、高校1年生の『終緋』は、改めてそう確信した。
ただひたすら、ギターに魂をつぎ込んで、傷付いてボロボロになった心と体で、同じように傷だらけのストラトキャスターを弾き散らかして生きていた。
「──音楽で生きる?バカバカし。無理に決まってんじゃん。緋、何の才能も無いの、ちゃんと自覚してる?こんだけ痛めつけられても分かんないとしたら流石に馬鹿すぎん?」
「………」
ただ睨む。負け犬の様に地面に這いつくばったまま、私は彼女たちをただ睨みつけていた。
「ギター、また弾けなくしてあげよっか?緋」
「ッ………」
「右手、今度はちゃんとへし折って、現実教えてあげよっか」
「う〜わ、流石、真優はやること違うね~」
「ねぇ。緋。どう?私親切で言ってあげてるんだよ?緋はなーんの才能も無いゴミカスだからぁ。失敗しないように。あんたなんかがミュージシャン?高望みしすぎでしょ、笑っちゃうよぉ。なんでそんな子供でも無理って分かるような夢見てんの?やっぱ知能も低いんだねぇ。私は緋にピッタリな仕事知ってるよ。教えてあげよっか?緋はなーんにも出来ないゴミカスだけど、顔とスタイルだけは超良いし、それ売ってればそのうち人気者になれるんじゃないかな?せいぜい少子化対策でもしてこの国のために頑張んなよ。そうするくらいしかあんたに価値なんて無いんだし」
「………」
全部聞き流す。
「ねぇ。聞いてる?ひ、い、ろ」
聞いてない。そんな言葉で私は怯まない。
何も出来ないから、私は音楽に逃げるんだ。
これでしか生きられない。
体力は無いし、運動音痴だし、勉強は出来ないし、要領は悪いし、賢くもないし、臆病で、立場の上の人間に立ち向かえるほど強くもない。だが、そんな才能の有り無しなんて知ったことでは無い。
音楽以外は捨て去った。
私はお前らとは違うんだ。ただ勉強ができて、味方を作る力があって、弱者を痛めつける力があって、それを愉しいと思える感性があって、そして自分より上の存在にはペコペコ頭を下げるだけの、正しい生き方をした、そんな人間とは正反対だ。
ルールなんて知らない。
価値なんて知らない。
才能なんて知らない。
力を持たないくせに我儘な私が望んだのはただ1つ。
私に音楽をやらせてくれ。
◇◇◇
「………んぅ……」
温かい毛布の中の、更に温かい空間で目を覚ます。
愛しい蒼の温もりを感じる。
「緋。おはよう」
「蒼…おはよう…」
それだけの言葉を絞り出し、また瞼を閉じる。
「こらこら、寝ないの」
「…10時くらいまで待って……」
「もう10時よ」
「…ふぇ……?」
「……体調悪いの?」
「…ううん……大丈夫…起きるから…」
そう言いながら蒼の胸に顔を埋める。
「言葉と行動が一致してないわよ」
「いいじゃんちょっとくらい…」
「11時間は流石に寝すぎよ」
蒼は毛布を退かしてしまう。
「ぐ……」
「休みの日にだらけたい気持ちもわからなくないし、私も甘やかしてあげたいけど……寝すぎると逆に体に負担かかるわよ」
「……うん…」
蒼に抱かれながら起き上がる。
1階に降りリビングに行くと、お母さんが本を読んでくつろいでいた。
「おはよう緋、蒼ちゃん」
「おはよう」
「おはようございます。すみません、緋がなかなか起きなくて」
「いいよ。オンオフハッキリしてるところも私によく似てる。…もう10時過ぎだけど、朝ごはん食べる?」
「じゃあ、軽く」
「はーい。蒼ちゃんは?」
「私も軽くで」
「りょーかい」
お母さんは優しい顔でキッチンの方へ歩いていく。
再会してから半年以上が経ち、母の表情はだいぶ柔らかくなった。蒼に出会って幸せを知った去年の自分を見ているような気分になる。
やつれていたのがすっかり消えた彼女の顔はまるで鏡を見ているかのように自分にそっくりで、老いを全く感じさせない。
「………」
「………緋?どうかした?」
お母さんが私を見て首を傾げる。かなりじっと見つめてしまっていた。
「あ、いや…別に。私とほんとにそっくりだなって」
「そりゃあ親子だもん。…でもまあ、確かに、ここまでそっくりっていうのも珍しいかもね。…はい、お茶漬け」
少し遅めの朝食はお茶漬け。
「ありがと」
「熱いから気をつけてね」
「うん。いただきます」
蒼と共にお茶漬けを平らげる。
「2人とも今日は1日家にいるの?」
「うん。そのつもり」
「そっか」
「曲作ったり、2人でシンセの練習したりする予定」
「シンセってなに?」
「シンセサイザー。簡単に言うと、電子音を合成して色んな音を作れる楽器、かな。表現の幅が一気に広がるし、ギターとかベースの合間に差し込むだけでも凄い味が出るから凄いんだよ」
「へえ」
「あくまでギターとベースとドラムス主体のロックバンドだから隠し味程度にしか使わないけど、これを使いこなせれば絶対にもっとお洒落な音楽になる」
「頑張ってるんだね」
「うん。お母さんのためにも、私は世界一のロックンロールスターになってみせる」
「私のためにも?」
「…お母さんに、私が産まれてきてくれて良かったって思ってもらえるように」
「…緋……」
「……なんてね。…蒼、シンセ弄ろ」
「ええ」
◇◇◇
適当にギターを弾き鳴らす黎。
「……あ、今のフレーズ良い」
ふと思い浮かんだフレーズにハッとなり、携帯の録音アプリを起動。愛機・Gibson ES-335から、ボードとアンプを通じて放たれる音が携帯に流れ込んでいく。
「何処かで使えればいいな」
授業中にも沢山のメロディが頭の中で湧き出てくるため、メロディのストックはそこそこある。
緋と蒼は、夏から新たにシンセサイザーに手を出した。近いうちに2ndアルバムのレコーディングをしようという話で、ライブのギャラやバイト代を溜めていたところだったが、緋の「もっと質を上げてからレコーディングしたい」という意見を尊重し、1度機材に投資することとなった。黎もその意見に乗っかり、より本格的なエフェクターボードを組むことにした。緋も黎もエフェクターはオーバードライブを好んで使用していたのだが、黎は他の音色にも手を出すことにした。メーカーは相変わらず安心と信頼のBOSSが大半を占めるが、ディストーション、ファズといった歪み系のほかにも、今まで手を出さなかった揺らし、空間、フィルター系のエフェクターも揃え、そしてエフェクターの数が増えるにあたり配線の簡易化や操作性の確保のためにスイッチャーも導入した。ボードにはまだ空きがあるのでこれからもいくらでも進化させられる。
プロを目指すための土台は出来上がりつつある。
その前哨戦として、まずは文化祭。そこで暴れ散らかす。
……To be continued