第54話【絶交】
「………最低…」
「……!」
緋の、悲しみが溢れた瞳を見て、理性が戻り、ハッと我に返る。
「いや……ちが……これは……」
「何が違うの…?」
必死に弁明を試みようとするも、ふと抑制できずに放ってしまった本音を今更なかったことにはできなかった。
「……はぁぁ……」
自分で言っておいて、ため息をつく。
もうどうせダメなんだ。私は緋の何にもなれやしない。諦めたのか吹っ切れたのか、自暴自棄になったのか分からないが、私の口は言葉をぶつけ続ける。
「……緋」
「何」
「緋は今のまま、バイトしながらバンドやるのと、バンドを仕事にして金稼ぐのだったらどっち取るんだ?」
「そんなの決まってる。バンドで生きてくしか道は無い」
「そうか。でも、その才能はなさそうだな」
「………」
緋は黙ってしまう。何を言っているんだ、と思っているのだろう。
言葉が詰まっている緋の横から黎が割り込んでくる。
「───もういいです。紫音さん」
「黎…」
黎は紫音をその昏い瞳で睨む。
「私は、緋さんの音楽がいずれ世界に名を馳せる伝説のロックになると本気で信じています。ロックじゃなくてもです。私は緋さんが作詞作曲をするなら王道ポップでも全然アリだと思いますし、ハードコアでもメタルでもブルースでもジャズでも、緋さんの頭に浮かんだイメージから出た音楽なら、私はどんなものでもいいものにしてみせます。貴女にその覚悟があると言うのならあると言ってみせてください」
「………」
「バンドは運命共同体なんです。どんな運命でも共に背負ってやるという覚悟はありますか?私たちとプロのアーティストを目指そうという気はありますか?」
「………」
「……あるの?紫音」
「……ごめん」
私にはそうとしか言えなかった。
彼女の夢を応援する気はあっても、成し遂げる気は毛頭なかったということがバレた。
もう、緋の隣にはいられない。
「分かった。……やる気がない人は私のバンドにはいらない」
「……ああ……」
「絶交だから」
「ああ……助かるよ……こんなやり取りして、また顔合わせるの気まず過ぎるもんな」
「………」
「………」
蒼と黎は、黙ってこの瞬間を見つめていた。
今まで4人でやってきたScarletNightというバンドが、3人になる瞬間を。どうしようもない負の感情を。ただ目に写すことしかできなかった。
◇◇◇
いっぱいいっぱいだった。
資金集めのためにアルバイトを詰め込んで、疲れきっても音楽には本気で向き合っていた。常に最高の音楽を目指して、作曲も作詞も編曲も、とにかく一生懸命頑張っていた。
幌歌先輩の訃報を知ったばかりだった。もっと話したいこともあった。知らないところで知らないうちに1人で抱え込んで死んでいかれたことが悲しかった。蒼に縋って甘えて、なんとか笑い飛ばして前を向こうとしていた。そんな中での閃光フェス1stステージ脱落。実力が届いていないと突きつけられて、ただただ自分が嫌になった。頑張っていたつもりなのに頑張りが足りてないと結果に怒鳴られたようで辛かった。それでも、またみんなで頑張ろうって言えると思っていた。それなのに。
───あんな風に嘲笑されたんじゃ、もう耐えられない。
紫音はもう、大切な仲間なんかじゃない。
音楽家になるという夢を、無理だと笑って破り捨てようとした、あのクラスメイトたちと同じ、『敵』だ。
私と永遠を誓ってくれた蒼が好きだ。
私のために尽くしてくれる黎が好きだ。
私の音楽を好きだと言ってくれるファンが好きだ。
それでいい。私は好きなものを貫くだけだ。
嫌なことから逃げるのは悪いことでは無いと、自分に言い聞かせて。
ただひとつ。芯にあるものは変わらない。私は私の音楽で上を目指す。それ以外のやり方なんて知らないから。
それで全部見返す。夢を笑った奴ら全員。親愛なる敵として、この心に刻んで──。
「………」
幌歌のジャズマスターを抱き締める。
時間は待ってくれない。次のライブも近付いている。紫音とのやり取りで有耶無耶になってしまった路上ライブも埋め合わせはしなければならない。
私には、地獄に行くより先にやり遂げなければならない目標がある。
とにかく進まなければならない。
ロックバンドのメンバー編成なんて変わらない方が稀だ。そう割り切って進むしかない。
「……寝よう…今日はもう……」
◇◇◇
ずっと、SKYSHIPSのことが忘れられなかった。本当は自分が悪いと分かっていた。それを結衣のせいにして、自分はただ逃げていた。
SKYSHIPSの活動休止のニュースを見て、心臓が止まるような感覚になった。その時ようやく自分にとってSKYSHIPSはそれほどまでに大切だったんだと気付いた。
大切なもの。それが棚に上がったような。そんな風に無意識に自分の中で優先順位が確立されて、緋を見下した。結衣が、SKYSHIPSが大切だから。緋が結衣をバカにするようなことを思っていないとしても、私の脳は結衣をバカにされたように処理してしまった。
SKYSHIPSは“本気”でやってきた。純粋な好きという気持ちも、楽しむ気持ちも、個人の願望も。大切なものをどれだけ犠牲にしてでも“成功”をもぎ取ってきた。だから緋に私は本心で言い放った。キリがない願望を全て満たしながらプロとしてやっていくことなんて不可能なんだ。メジャーを目指すとはそういう事だ。だってそうだろ。じゃないと、死に物狂いでやってきたSKYSHIPSがバカみたいじゃないか。
だが、緋に酷いことを言って、絶交したのも事実だ。
私は本当に愚か者だ。自分がやったことが正しいとは思わない。
築き上げてきた信頼関係は、全部破壊した。
今までと変わらない。曇紫音はクズのまま。人として成長なんて、1ミリもしていない。
そんなもんだろ。人間なんて。そう言って正当化することで自分を大切にするしか脳がない。クソバンドマンでいることが好きな、頭のイカれた女。
居場所は自分で無くした。これからどうしよう。そう思っていたところで、無意識のうちに携帯の電源を入れ、ラインのブロックリストを開いていた。
失ったものを…いや、自分で抜け出した居場所へ助けを乞うように、私は自分をクズであると自覚しながらもかつての仲間へ手を伸ばした。
◇◇◇
黎は蒼の家を訪れた。今後の方針を決めるためだ。
チャイムを鳴らすと、蒼が出迎えてくれた。案内されるがままに居間に。キッチンの食器籠に3人分の食器が積み重なっていたり、畳のスペースのテーブルの上にお揃いのコーヒーカップがあったり、相変わらずの温かい生活感があって安心する。
緋のストラトキャスターと蒼のジャズベースもテーブルのすぐ近くに並んでいる。
「いらっしゃい黎」
畳のスペースの座布団の上、緋は明るい表情で迎えてくれるが、恐らくは作り笑いだろう。彼女は嘘をつくのが苦手なうえ、プラスよりマイナス感情の方が顔に出やすい人だ。
「お邪魔します」
「黎ちゃんいらっしゃい」
キッチン側の方の椅子に座っていた、緋の母、茜。見る度に思うが、本当に緋と瓜二つ。緋の倍の年齢らしいが、双子と言われても信じるレベルで緋に似ている。
「ココアでいい?」
「あ、ありがとうございます…」
茜は温かい笑顔で迎えてくれた。ぎこちないが、そこには本物の母性を感じる。母を亡くした黎にとっては痛いほど染みる。一周まわって辛くなるが、救われた気持ちになるのも事実だ。人の感情というのは複雑で、自分でさえ何が1番の気持ちなのか分からなくなりそうだ。
「遠いのに来てくれてありがとね」
「いえ。これくらいは余裕です」
「こっち座って」
「はい」
緋の右側には蒼が陣取っているので緋の左側に座る。
「…今日は、これからのことを決めようと思う」
「はい」
「まずひとつ。私たちは立ち止まる訳には行かない。路上ライブは今まで通りやり続ける。それと、ライブもやる。これは変わらない」
「3人でやっていくってことですか?」
「いいえ。…新しいドラムスを探しながらよ」
「……もう本当に、あの頃のScarletNightには戻れないんですね」
「……絶交って言っちゃったんだもん。それに紫音も同意した。……紫音にとってScarletNightは遊びだったんだよ。黎も分かってるでしょ。話し合いで仲直りができたとしても、方向性の違いまでは変わらない。その価値観の違いがあるせいでバンドが前に進めない。紫音とはいずれこうなる運命だった。…そう割り切っていかないと私たちは前に進めない」
「………そう、ですね」
黎も覚悟を決める。緋が目指すのは世界一のロックバンド。立ち止まっている暇は無い。
「ありがとう、分かってくれて」
「いえ。…一緒に運命背負えない奴は置いていけばいいんです。緋さんのバンドに相応しいメンバー以外は切り捨てていけばいいと思います」
「黎……」
「リーダーを立てられないメンバーはいらないというのは私も同じよ。黎には、その覚悟があるのよね」
「当たり前です。この昏木黎、生涯をかけて緋さんのためにギターを引き続けます。私はそのために生まれてきました」
「物凄い忠誠心…。ありがとう黎。そうまで言ってくれて。話を次に進めるよ」
「はい」
「…メンバーを再編成するにあたって、バンド名を変えようと思う」
「ScarletNight、変えちゃうんですか?」
「元々ScarletNightは、良いバンド名が思い浮かぶまでの仮の名前だったからさ。単純に私の名前と蒼の苗字から取っただけだし、信念みたいなものは名前に入ってない。私たちがどんなバンドを目指すのか、名前にちゃんと意味を込めたい」
「……バンドを背負う、その名前ですもんね。分かりました。改名、いいと思います!もう決まっているんですか?」
「うん。…昔よく見上げてたものがあってね。煌びやかでお洒落、何者よりも大きな、誰かを照らす存在。そんな意味を込めた」
緋はノートを開き、黎に見せる。
「─────」
「───。いいと思います!凄くいい名前です!」
「ありがとう。メンバーが集まったら改名する。それまではScarletNightでいくよ」
「了解しました」
「過ぎたことはもうどうにもならないわ。私たちは絶対に先へ進まないといけない。だからこの改名は、未来へ向かうための、全部振り切るための改名よ」
「はい。前向きに行きましょう。新しい名前に恥じないバンドになるよう、私も頑張ります!」
「ん。頼りにしてる」
◇◇◇
───ScarletNightが3人になる瞬間を、私は見てしまった。
「………」
どうなったのか気になっていた。彼女達の行方が不安で仕方がなかったが、ようやく緋…もといScarletNightのSNSが更新された。
メンバー、曇紫音は方向性の違いで脱退。そして───
───新たなドラムスを募集。
「───マジ!!?」
部屋の中で1人で叫んでしまう。
これはチャンスなのか。運命なのか。私は、この時のためにドラムを始めたのかもしれない。
───良かったら生歌聴いていってよ。わざわざ私に声かけに来るあたり、どうせ暇なんでしょ。
緋にそう言われ、彼女の歌を生で聴いた。それで私は気付いた。自分がどれだけ愚かで、ちっぽけな人間だったのか。
緋は、私なんかがバカにしていいような人間じゃない。本当に、心の底からそう思えた。自分の気持ちを音にして送り出す。ただ意味の無い独り言を歌っているだけだとしても、それに救われる人はいる。想いを外に出すことの本質は共有や共感。だから、本質的には、彼女は誰かのために歌を歌っていると言って差し支えないだろう。だから、誰かのために、自分もそうだが苦しんでいる人の傷の痛みを和らげるために音楽を奏でる緋に、私は心を打たれたのだ。
憧れの後釜を務められるチャンスは今しかない。そして、自らの罪を償うために動くとしたらそれも今しかない。この恋のような気持ちに正直になるとしたら、それも今しかない。
碧色の髪をポニーテールに纏め、部屋の隅の電子ドラムを畳んでケースに入れる。
「────緋。あんたになら、私は命を捧げてもいい」
……To be continued