第18話【飛ぼうとしてみる】
虐めが始まる最初のきっかけになったのは多分、授業だ。「両親のこと」に関する話題が出たときだった。小学校低学年の授業というのは、あまりにも残酷だった。
私は、先生の言う通りに、母に聞いた。何故父と結婚したのか、と。
返答はこうだった。
「貴女のせいよ。あんな男と結婚なんてしたくなかった。それなのに、貴女が……貴女ができてしまったから!!!!」
その時から、母の私への当たりは更に強くなっていった。
「私は幸せになりたかった。たとえ家が貧しくても、一生懸命真面目に勉強して、いい仕事について、育ててくれた両親のためにも幸せになりたかった……。なのに!!!私は売られたのよ!!!金しか持ってないクズ男に買われたの!!!大金に目の暗んだ両親に裏切られて、子供まで作らされて……ッ!!!貴女が産まれたから!!!私はこんな死んだ方がマシな人生を送ってるの!!!!分かったらもう二度とあの人の話をしないで!!!!」
泣き叫んだ母から放たれた掌は、あまりにも痛かった。
小学校の卒業式にも、中学校の入学式にも、両親は顔を出さなかった。
中学生になって、何かが変わったかと言えば、特に何も変わらなかった。
私はいじめられっ子のままで、みんなはいじめっ子のまま。強いて言うなら、いじめっ子の数が小学校の時より増えて、虐めの質が更に過激になったなと思う。
治らないような切り傷もこの辺りからだ。1歩間違えれば本当に殺人事件になりそうな程の暴力行為が、毎日のように私に降りかかった。
本来は白いはずの上履きは、私のものだけが赤黒く染まっていた。
下駄箱から取り出すと、ジャラ、ジャラ、と軽い金属の音がする。
私は上履きをひっくり返す。
中から大量の画鋲が床に流れ落ちる。
「おい終!!」
偶然なのか仕組まれていたのか、玄関の先を横切る廊下には教師がひとり立っていた。
「お前なァ!!こんなところで画鋲をばら撒くなんて何考えてんだ!?成績悪いからってこんな八つ当たりするなんて、人としてどうかしてるぞお前!!!」
叩かれたと思った次の瞬間には、ばら撒かれた画鋲の上に叩きつけられていた。
「………」
もう、何を言っても通じない。私は、人に何かを伝えることも、何もかも諦めてしまっていた。
私にはギターがある。私には歌がある。
そうやって自分に言い聞かせて、全てを忘れ去りたくて音楽に没頭して、また次の日、現実に帰る。
死にたいと思ったら、それ以上に生きるために音楽に自分を費やした。
高校に進学しても、私がいじめられっ子で、周りがいじめっ子という構図は変わらなかった。
ただ、1人だけ、私の敵にはならなかった先輩がいたのだが、先輩は退学になってしまった。学力が足りなかった。それだけだった。結局、見せかけだけの数字でしか人間の価値を計れないのがこの世の中だった。初めて、音楽で繋がった人だった。生きる意味としての音楽が、初めて形になったと思っていたのに。
希望は1年も経たずに消し去られた。
もう、信じても裏切られるだけだと思った。何もかも、新たに手に入れても、それは一生の宝物にはなってくれない。
分かってしまった。私はきっと、神様からも嫌われていて、私の大切なものは何もかも消え去ってしまう。幸せになることは許されないのだと。
◇◇◇
嫌な記憶が、だんだんと強く自分を殴りに来る。
傷が疼く。
蒼と過ごすようになって4ヶ月が経った。少しずつ、少しずつ、悶え苦しんだ過去を忘れ去って、自分のために歩き出すことができると思っていた矢先にこれだ。
私はいったい、私に何の恨みがあるのだろう。
夜、繋いだままの蒼の手を解いて、ベッドから降りる。
外は雨が降っていた。傘を刺さずに外に出るには少し強すぎる雨だが、刺激を受けるならこれくらいが丁度いい。
ふらふらと道を進み、街の方を目指す。
アテも何も無い。
ただ、少し1人になりたかった。
本当は蒼と一緒にいたい。けれど、甘えていいのか分からない。蒼は喜んで甘やかしてくれるだろうけれど、問題は蒼にはない。私にその資格があるのかどうかが分からない。
大切にされ無さすぎて染み付いた固定観念が自分を責め立てて罵声を浴びせてくる。
──終緋は誰にも必要とされることの無いゴミでなければならない。
──終緋は何の力も持たない弱い人間でなければならない。
──終緋は悲劇のヒロインでなければならない。
──終緋は不幸な少女でなければならない。
──幸せを感じることは許されない。
夏は過ぎ去った。冷たい雨が体温を奪っていく。
土砂降りに降られるのは慣れている。蒼がいなくなってから、学校終わりに自分が傘をさして家に帰る日は一度もなかった。
慣れているはずなのに、何故か今は涙が出てくる。
昔はなんとも思っていなかった。
これが普通なことだから。涙も枯れてしまっていた。
なのに今はどうしても泣きたくなってしまう。
蒼から少し離れればこれだ。
蒼がいないと何もできない。そんな風に思ってしまう。
少し前までは違ったはずだ。蒼がいなくても、ギターを弾いて歌を歌えればそれで良かったはずだった。それだけで、生きる意味を見つけたと思えていたはずだった。どん底の暗闇の中に、一筋の光が見えた気がしたのに。それだけだったのに───。
「───緋ッ!!!」
「…!!」
振り向く。土砂降りの雨の中、傘もささずに蒼は走って追いかけてきていた。
「蒼……」
「どうして勝手にいなくなるのよ…!!」
蒼は泣きそうになりながら私の方へ駆け寄ってくる。
少し、嬉しいと感じてしまった。
彼女がここまで私を大切に思って、心配して、探しに来てくれたことに、嬉しくなってしまった。
───そうか。
何故自分が自分を責め立てているのか、少し分かったような気がする。
私は音樂に意味を託したかったはずなのに、蒼に甘えるだけで幸せになってしまっていた。バンドのメンバーと、楽しく過ごしているだけで、もう満足してしまっていたから。
音楽に依存していたはずなのに、他にもたくさんの大切なものを手に入れていたから。音楽以外の全てを捨て去って、音楽に全てを賭けたかったのに、それ以外の大切なものに酔ってしまったのが、気に入らなかったのか。
「緋───」
「──ッ…」
───抱き締めようとした蒼を押しのけてしまった。
「……何で……?私、貴女に嫌われるようなことした……?」
「…………ううん………大好きだよ……」
これが雨に濡れていただけなのか、大粒の涙だったのかは分からない。ただ、私の頬は濡れていた。
「じゃあ何で…!!」
蒼は泣きながら叫ぶ。分かっていた。彼女が泣いてしまうことくらい。
的外れだとは分かっている。けれど、大切な、大切な、世界で一番大切な人を泣かせた自分にブチ切れた私は、蒼に向かって叫んでしまった。
「私に優しくしないでよ!!!」
「……!……なん……で……?」
「嫌なの!蒼に優しくされて!!幸せを知ってしまったら……私はッ…音楽をやる意味が無くなっちゃう!!」
「……緋……!」
「悲しくて……辛くて…………死んだ方がマシなんじゃないかって……そんな日々を乗り切るために音楽に逃げたかった……なのに………!!蒼のそばにいると私は幸せになってしまうの!!温かくて…優しくて…愛おしいから……私は……!!!…ッ……音楽に意味を託すことができなくなるの!!!」
「………」
「………私は……愛されちゃいけないんだよ………!」
「……ッ!…馬鹿!!」
蒼は私を無理矢理抱き締める。
「……離してよ………ッ!」
「離さないわよ!!何がなんでも!!」
「何で…ッ…!!」
「放っておけないでしょ!!大切なんだから!!」
強く、強く。私が絶対に逃げられないように、強く抱き締める蒼。
「ッ……やめてよ………!!」
「やめない!!」
「何でッ!!私は…ッ……音楽で生きていきたいのッ!!死にたいほど、死にたくて消えてしまいたくて、誰にも愛されないから私は私でいられるの!私を、終緋でいさせてよ!!!」
必死に暴れて蒼の手を振り解こうとする。
「蒼に優しくされるとッ……私は私じゃなくなっちゃう!!」
「どうなったって貴女は貴女だから!!」
「ッ……私は幸せになっちゃダメなの!!だからやめてよ!!見放して捨ててよ!!みんな言ってた!!緋は価値のないゴミだって!!地面に這いつくばって生きるしかないんだって!!だからお願い…離して……!!蒼がいると……甘えて泣いちゃうから…ッ…!!」
「いいのよ!泣いていい!!笑っていい!!貴女は貴女の好きなように生きていいんだから!!私が貴女のそばにいる!!貴女の人生は貴女のものだから!他人の思い通りに生きる必要なんてない!!自分に優しくしてもいいんだから!!」
「蒼……ッ……」
力が抜ける。抵抗できない。抵抗しようと思っていても、本当の自分はそんな事を望んではいない。体は正直に蒼に身を任せてしまう。
「……っ…」
涙が溢れて、雨と混ざって頬から落ちていく。
「悲しみがなんだっていうのよ……緋は、歌うのが好きだから歌うんじゃないの?」
「……!!」
「辛いことから逃げるためだけの音楽じゃないでしょ。辛くなくたって音楽はできる」
「……何も……何も知らない癖に……ッ……」
「何でもは知らない。でも………私は……楽しく音楽をやる貴女を知っている」
「……!!」
「貴女が言ったのよ。バンドやってて楽しいって。心の底からの音楽を届けようって。嘘は歌わないって」
「………」
蒼の肩に顔を埋める。
「誰にも見せられなかった本当の貴女を、私は知ってる。甘えたがりで、世界一可愛い貴女を」
「……」
「緋こそ、私がどんな想いで過ごしていたか分かる…?」
「……蒼が………?」
「ずっと、ずっと自分を恨んでた。貴女と再会してからもずっと。……緋を助けてあげられるのは私だけだった。なのに私は貴女を置き去りにしてしまった。私は緋さえいてくれればよかったのに、緋と離れ離れになって、自分を失ってしまった。貴女がどんな目に遭っているのかも知らないまま、自分の意味を探していた。あの日、貴女の傷を見て、私は私のことがよりいっそう嫌いになったわ。何で見捨てたの?何で助けてあげられなかったの?もし私が貴女のそばにいたとしたら、変わっていたのかなって。私が緋を守ってあげられたかもしれないって。…そばにいてあげられなかったことを悔やんで、悔やんで、自分が嫌いになった。貴女が傷つくのはもう耐えられない。だからもう…私はどこにも行かないから。ずっと貴女のそばにいるから……お願い……私のそばにいてよ……!!」
熱くなっていく体温を感じる。
「……私にとっては……貴女が……この世界の全てなのよ………」
「……蒼……」
「貴女さえいてくれれば……私は幸せなの…」
そんな蒼の言葉に、なんて返せばいいのだろう。
辛い現実に押し潰されて、蒼のことも忘れて、音楽に逃げた自分が。こんなに想ってくれている蒼のことも振り切って、また音楽だけに逃げようとして。
「私………クズだよ……」
「…クズなんかじゃないわ」
「でも……私……」
「緋」
蒼はギュッと、優しく、腕に力を込める。
「…貴女の事が好きなの。愛してる」
「……!!」
「だから一生……いいえ、永遠に、貴女のそばにいさせてほしい」
──あれは、まだ保育園にいた時のことか。
「蒼ちゃんは本当に緋ちゃんと仲が良いわね」
「ええ。私ね、緋さえいてくれれば幸せなの」
「しあわせ……?」
「そうなの。大切にするのよ?」
「ええ。一生大切にする。…ううん、一生じゃなくて、そのもっと先まで。ずっと緋と一緒にいたいから──」
───そんな約束を、思い出した。
「……この宇宙が滅んでも。この世界が消滅しても。次の宇宙が始まって、また滅んでも。私は緋と一緒にいたい」
「……ちょっと……壮大過ぎる……けど……」
蒼を抱き締め返して、笑う。そして顔を上げて、ほんの少し背伸びをして、口付けをした。
「……私も同じ。好きだよ、蒼。愛してる」
◇◇◇
繋いだ手は離さない。もう二度と離れ離れにはならないように。冷たい雨に打ち勝てるように、肩を寄せ合って体温を共有して、歩幅を合わせて、家を目指した。
「ずぶ濡れだね、ふたりとも」
「緋が傘もささずに飛び出すからよ」
「追いかけてきたんなら傘くらい刺してきて欲しかったな」
「私も慌ててたのよ。…もう二度と会えなくなるかもしれないと思った」
「大袈裟」
「じゃあ緋は私が突然消えても落ち着いて探しに行くの?」
「ううん。多分靴も履かずに家を飛び出す」
「ほら」
「ほんとだ」
「帰ったらお風呂に入りましょ。このままじゃ風邪引くわ」
「……うん。…あと、お願いがあるんだけど、いい?」
「なに?」
「……一緒に曲作ってみない?」
◇◇◇
金曜日の夕方。日課となっている路上ライブのため、ScarletNightは本日の戦場に足を運んだ。
今日は公園ではなく、駅前の広場。
「おつかれ、紫音、黎」
「ああ」
「さくっとリハやろうか」
「ああ」
4人で、いつも通りにセッティングを終わらせる。
「あのさ」
「なんだ?緋」
「…新曲ひとつ作ってきたの」
「新曲か」
「今日の路上ライブでやりたいんだけど、いいかな」
「ああ。構わないぜ」
「私も、頑張って覚えます」
「ありがとう。じゃあ、アプリの音源流すよ」
「おう」
4人は緋の携帯の音を聞く。
「…今までと少し雰囲気違うな」
「はい。メロディが明るい気がします」
「うん。…蒼と一緒に作ってみた」
「蒼と?」
「……ええ。…私から緋への、些細な贈りものかしら」
「歌詞も期待できそうだな」
「任せてよ。私と蒼の合作だもんね」
「ええ。…少し恥ずかしいから、早くやるわよ」
「了解」
2回ほど合わせているうちに、人が集まり始める。
「…始めようか」
「ええ」
「おう」
「はい」
「初めましてScarletNightです!今から路上ライブやるので、暇があれば是非!1曲でも聴いていってください!!!…Shake it all off」
───クラッシュシンバルの音が4回鳴るのに合わせ、緋と黎、2人のギターが描き鳴らされる。
もう慣れたものだ。あの日、この曲ができた時、真の意味でScarletNightが始動した。誰にも聴いてもらえなかった声が、聴いてもらえるようになった。けれど、この曲のように生きるのはまだ難しい。辛い記憶も、残酷な過去も、全部振り切って、未来へ向かうとは言ったものの、私たちはみんな、きっと心に闇を抱えたまま、何も変わってなどいない。だから少しでも、ほんの少しだけでも、先へ進むために、持てるものは全て使う。ただ1つ、命をかけたいもの以外を全て捨て去るのではない。それに頼ってもいいのだと。それを、蒼が教えてくれた。
Shake it all offのアウトロから、繋ぎのセッションへ移行する。既に30人以上が立ち止まって聴いてくれている。
「皆さん聴いてくれてありがとうございます!!!Shake it all offでした!!続けて!あの人気バンドのカバーやります!!」
観客を増やしながら、カバー曲とオリジナル曲を次々に演奏していく。
計9曲を披露し、そのアウトロからセッションに繋げていく。
「最後に、昨日できたばかりの新曲をやります。……聴いて下さい。『愛されていい』」
繋ぎのセッションから紫音のドラムで開始のリズムを取り、一斉に楽器をぶっぱなす。
疾走感があるイントロ。ギターの音は相も変わらず歪んでいる。けれど、今までより明るく優しいメロディが奏でられていく。
「───!!」
蒼と共に歌う。初の試みとして、コーラスというよりはサブボーカルのようなものにしてみた。緋がメインではあるが、常に蒼のハモリが入る。
「……最高かよ」
ドラムを叩きながら、紫音は思わず口元が緩んでしまう。
辛い時、前を向きたい時に寄り添ってくれるような優しさがScarletNightの良さの1つだったが、その優しさが今回は強い。明るめのメロディもそうだが、蒼のハモリがあまりにも美しい。そして、その歌詞が、緋と蒼、2人の歌声によって、透き通るように心に届く。
たとえ誰にも愛されなかったとしても、たとえ傷だらけになっても、神様に嫌われていたとしても、幸せを感じてもいい。幸せに生きるのは罪では無いから。自分は嫌われ者でなければならないなんてことは無いから。誰だって、自分を大切にしたくて、自分の好きなものを大切にしたいのは当たり前なんだから。そんな想いを込めて曲を作った。
弱き者を、今までの曲を、ScarletNightを後押しするような曲に仕上がっている『愛されていい』を歌いきり、アウトロに力を込める。
「───ッ!!!」
全員で、ここまで途切れさせなかった音にピリオドを打つ。50人を超える観客から拍手喝采を貰う。
「ありがとうございました!!ScarletNightでした!!」
……To be continued




