第17話【Nightmare? It's just a Memory】
安心しきって眠ってしまったはずなのに、どうしてこんなに辛いのだろう。
頭の中に嫌な声が木霊している。
聞きたくない声。聞きたくない台詞。
「──貴女さえ……!貴女さえ産まれなければ…ッ!貴女さえいなければッ!!……私は…ッ!!!」
「──!!!」
暗くなった部屋で目が覚めた。
心臓が激しく鳴っている。無駄に速い血流が、嫌な感覚を全身に伝える。
呼吸は安定せず肺の動きと喉の動きが噛み合わない。苦しい。
まるで鏡を見ているかのように自分とそっくりな母親の顔が、暗い天井に焼き付いて見える。
何度も瞬きをし、必死に振り払おうとする。
動悸と息切れを落ち着けるために深呼吸を繰り返す。
「……蒼…」
救いを求めるように、ベッドから降りて部屋を出る。
階段を降り、1階の居間へ。
「蒼……」
「緋。目が覚めたのね。もう夜よ」
「うん…」
「緋……?」
蒼は私の異変に気付いたのか、駆け寄ってくる。
「どうしたの?大丈夫?熱でもあるの?」
「ううん……ちょっと……嫌な夢を見て……」
「…!無理しなくていいわ。ごめんなさい、ひとりにして。そばにいてあげるべきだったわね…」
「…蒼……。…!!」
蒼に抱きしめられた。その時にまた誰かが私を責め立てる。
───お前は愛なんて知らなくていい。
「ッ……」
「緋!?」
何で。何でそんなこと言うの?
蒼は私を大切にしてくれる。それがいけないことだって言うの?
───幸せなんて知らなくていい。
もう知っちゃったんだよ。蒼が愛をくれるから。
───人に頼るな。
頼らないと生きていけないから…。
───ずっとひとりで生きてきただろ。
それは……そうだけど…
───甘ったれるな。
「ッ……蒼!!」
蒼に縋る。自分を責め立てる衝動の正体が分からない。
何で、こんなことしてるんだろう。
私は、何がしたかったんだっけ。
◇◇◇
「緋さ。いっつも蒼と一緒にいたよね。何もできないから蒼に頼るしかなかったんでしょ。蒼も可哀想だったと思うよ。こんなのに付き纏われてさ」
「…!!」
小学2年。蒼の転校が決まってから、少しずつ虐めが始まった。最初は小さな悪口から始まったが、蒼がいなくなってから虐めは一気にエスカレートしていった。
掃除の時間が終わった時、筆箱の中身は空っぽになっていた。
「筆箱の中身?知るわけないじゃん。ゴミと間違って捨てたんじゃない?掃除の時間だしさ」
「………誰が捨てたの」
「は?知るわけないって言ったよね。物分り悪すぎ」
「……」
「…私がやったとか思ってる?被害妄想激し過ぎ」
「可哀想。勝手に悪者にされて。…謝りなよ緋」
「なんで謝らなきゃいけないの……私だって何も悪くないのに」
「は?生意気言ってんじゃねーよカス。蒼がいないと何もできない癖に。気持ち悪」
小学3年にもなれば、あからさまな暴力行為が始まった。
「悔しかったら殴り返してみろやクソザコ女」
「あ…ッ……」
殴られ蹴られは日常茶飯事。傷はどんどん増えていく。
「掃除の時間の担当場所は話し合って決めてくださいねー」
先生による慈悲なのか無慈悲なのか分からない自由なグループ分け。
「緋はトイレでいいっしょ」
バケツいっぱいの水をかけられる。
「ごめん、普通にゴミかと思ったよね」
「……ッ…」
「あ?やる気?いいよ。私らに勝てると思ってんの?」
水をかけられ、蹴り飛ばされる。最悪な日々だった。
理科の授業では、器物破損の犯人に仕立てあげられた。
「大きいサイズのメスシリンダー、数少ないから大事に扱えよ」
「はーい」
嫌な予感はしていた。
実験が始まると同時に、同じグループの女の子がニヤリと笑ってメスシリンダーを緋に向かって投げる。
「ッ……」
飛び散った破片が緋の周りに散乱する。
「…ぁ…」
「先生、緋ちゃんが落として割りました」
「終…。大事に扱えって言ったよな」
「いや……ちが……」
「破片、危ないから片付けろよ」
「………」
傷だらけになって家に帰っても、誰も心配してくれない。おかえりの一言すら言ってくれない。
「ただいま……」
「………」
母は何も言わない。ただ、私を敵のように憎悪しか宿さない瞳で睨むだけだった。
「……」
「……」
ランドセルを置いてシャワーを浴びにいく。
傷に滲みて痛い。
汚れた服から着替え、部屋に籠る。
父が帰ってくれば、父が母をいたぶるその音と声が聞こえてくる。
何で生きているのかも分からなくなってきた。
酷い目に遭い続け、もう死んでしまった方がいいのではないかと思うようになっていた。
「……」
次の日も。その次の日も。傷は増えていった。
そしてある日の夜、母の叫びが聞こえてきた。
「緋さえ!!!あの子さえ産まれなければ!!!」
「…ッ」
逃げるように街に出た。
怖かった。母親に愛されないのはきっと普通じゃない。気づいてはいたけれど、改めて拒絶されていることを知ると、怖くなって、逃げ出してしまった。
夜の街の空気は澄んでいて、昼間とはまるで違っていた。
涼しい夜風に背中を押されるように、ふらふらと街を歩いてみる。
───そこで、私の運命が変わる出会いがあった。
街灯りを背景に、若い男性4人組が、音楽を奏でていた。
「………!!」
ドラムを叩く人。ベースを弾く人。ギターを弾く人。そして、ギターを弾きながら歌っている人。
歌詞は英語で、意味はよく分からないけれど、それでも、確かに感じた。
彼らの歌は、人に届いている。
何人もの人が、彼らの音楽を聞くためにこの場所で立ち止まっている。緋もそのうちの1人だった。
ただ輝いて見えた。立ち並ぶ街灯の明かりよりも、建ち並ぶビルの明かりよりも、道路を走る車のヘッドライトの明かりよりも、音を出す彼らの姿が、あまりにも光って見えた。
どこの誰かも分からない人なのに、その声は確かに人に届いている。
人に何かを伝えられる。音楽なら、誰かが私の味方になってくれるかもしれない。
私は彼らの歌に、勇気を貰った。
「……音楽……やりたい……」
ただの衝動だった。けれど、これしかないと思った。
ギターを弾いて、歌いたい。ただそれだけの想いが爆発した。
◇◇◇
家に帰った時、玄関には父がいた。
「緋?出かけてたのか」
「……ちょっと散歩」
「そうか」
父はそう言うと私を蹴った。
「ぁ……ッ…!」
「……緋、茜によく似てきたよな」
「……お母さんに……?」
「ああ。虐めたくなるような美人さんにな」
「………だからお母さんに暴力振るうの?」
「ん?そうだな。可哀想は可愛いってヤツ」
「………?」
「緋にゃまだ早い話だったな。悪いな、蹴っ飛ばしちまってよ。お前は良い子なのにな。何か欲しいもの買ってやるから許してくれよ」
「…欲しいもの?」
「ああ。好きなもの買ってやるよ。一応親だし、ちゃんと親っ“ぽい”こともしてやんねぇとな」
「……じゃあ……」
「───ギターが…欲しい」
「…ギター?」
「……だめ…?」
「……まあ、いいぞ。値段次第だけどな」
「ありがとう……」
◇◇◇
数日後、父に楽器店に連れてきてもらった。
「……」
車で移動中、父は無言だった。
怖くて話す機会があまり無かった。いつも母に暴力を振るう姿だけを見てきたから。この狭い車内に二人でいるのも恐かった。
けれど、特に何事もなく楽器店にたどり着いた。
「決まったら言えよ」
「分かった」
楽器のことなんてよく分からないけど、どれもかっこいい。
触っていいと書いてあっても、音の違いはよく分からない。多少違うのかなと思っても、どれがどれよりも良い音なのかは分からない。安いものには安いものなりの悪さがあるのだろうか。
50万円を超えるようなバカ高いやつの良さもよく分からない。
「……あ…」
───白いギターが目に入った。
プレートに『Fender USA Stratocaster 訳アリ品 特価』と書かれている。
「訳…アリ……?」
訳アリとは何だろう。だか、それはともかくとして、このギターが心に刺さった。
「約8万…」
店には1万円程度の安物も多く並んでいる。78000円は決して安いとはいえない値段だが、この周りに並ぶ何十万もするバカ高いやつよりは圧倒的に安い。
「………」
特価。訳アリ品。新品だといくらなんだろう。
この辺りは殆どが中古品だ。それでも何故これだけがここまで安くなっているのか。
「……あなたはなんでここにいるの?」
切ないような、不思議な気分になる。
綺麗な高級品に囲まれて、どんな気分なんだろう。わざわざこんなところに突っ込まれて、まるで、お前だは不良品だと突きつけられているような、そんな宣告みたいで、苦しくなる。
「……お似合いなのかな。私たち」
訳アリ品のストラトキャスターを手に取る。
全体的に傷が多く、特にボディは傷だらけで塗装の状態も悪く、ジャックは少しサビており、ネックは少し反ってしまっている。
「………」
状態はあまり良くない。けれど、これが1番、私には綺麗に見えた。
「決めたのか?」
「……うん」
父に決めたギターを見せる。
「わざわざそんなボロい中古品にしなくても良かったんだぞ」
「……これがいい。これが1番好きだった」
「…そうか。まあ、好きなのを買ってやるって言ったしな」
何を考えているのか分からない、と思われたかもしれないが、それは私も同じことだ。 父は何を考えているのか分からない。父に限らず、他人が何を考えているのか分からない。
どうしてお父さんはお母さんに酷いことをするのか。何故、人は仲良くできないのか。私は何故虐められるのか。何も分からない。
帰り道、私は勇気を出して話しかけた。
「……お父さん」
「なんだ?緋」
「お父さんは、お母さんのこと嫌いなの?」
「ん?嫌いなわけないだろ。好きじゃないと結婚なんてしない」
「………」
言葉が詰まって出てこなくなる。
好きならなんで酷いことをするのだろう。
どうして、私もお父さんに蹴られたのだろう。
いや、違う。そうじゃない。
好きじゃないと結婚しないなら、お母さんはお父さんのことが好きなのか?
「………」
気分が悪い。何故こんなに嫌な気持ちになるのだろう。
「お父さんは───」
───。
「…どうした?」
「……なんでもない」
───自分のことしか考えてない。
自分さえ良ければ良いと思っている。
相手がどう思おうが、そんなのは知ったこっちゃない。そう思っているんだ。
今まで父親っぽいことをしていなかったから、思い出したかのように何か欲しい物を買ってあげて、それで満足するだけだ。家のことも何もしてくれない。母のことも、私のことも、なんとも思っちゃいないんだ。
母を痛めつけて、それで楽しんでいる。それに耐えられない母の怒りの矛先は私になる。
この男が母に暴力を振るい、母が私に暴力を振るうたび、父は最低だと思った。けれど、小学3年生の娘に良いギターを買ってくれたことだけは、感謝している。
◇◇◇
ギターを手に入れてから、私の生活は大きく変わった。絶望だけだった世界に、一筋の光が見えた気がした。
───そんな気がしていた。
誰だって、いつでも音楽をやれるわけじゃない。
学校へ行って、家に帰って、嫌な誰かしらと顔を合わせる時がある。
私は結局、いじめられっ子から何一つ変わらなかった。
……To be continued




