うなぎととんかつどっちだと思う?
「ねえ、どっちだと思う?」
学校帰り、何やら考え込むように黙り込んでいた詩野さんが急にそう言い出して、俺は答えようがなかった。
「は? どっち……って?」
彼女は説明してくれた。
「玉国くんは、うなぎととんかつ。どっちだと思う?」
付き合いはじめてもうすぐ半年。
いまだに彼女のことがわからない。
いつものことだが、この短いセンテンスから的確な設問の意図を汲み取らなければならない。
俺がもし正しい言語コミュニケーションにこだわるやつなら彼女とは付き合い続けられなかっただろう。幸い、俺はこういう推理ゲームは好きだし、間違えても怒り出したりしない詩野さんの鷹揚なところが好きだ。
「カロリーの話かな? たぶん、うなぎのほうが高いと思う」
「ううん。カロリーのことは気にしてないよ? それにそれ不正解。うな丼700Kcalぐらい、カツ丼850Kcalぐらいだから」
「じゃあ……俺はカツ丼のほうかな。カツ丼のほうがちょっと好き」
「そんなこと聞いてるんじゃないのよ。ちなみに私はうな丼が好き」
「じゃあ、何の話?」
俺が珍しくギブアップして正解を詩野さんに聞いたのは、それ以外に設問の意図が思いつかなかったからだった。
詩野さんは夢見るようにうっとりとした顔で、すっかり高くなった秋の夕空を見上げながら、語りはじめた。
「私ね、うなぎととんかつだったら、とても少ないおかずでも、白いご飯がガンガン食べられちゃうの。これってみんなそうじゃないのかな? って、思ったんだけど、違うのかな? うなぎもとんかつも二切れあったらどんぶりめしが食べられちゃう……。私がおかしいのかな? どうなのかな?」
「食べればいいと思うよ」
俺は本心からそう言った。
たくさん食べる彼女は、いつ見ていても気持ちがいい。
それに彼女は小動物みたいに小さい。もっと食べて大きくなったほうがいい。
何より彼女のふっくらとした胸のやわらかさが俺は好きだ。もっとふっくらしても構わないと思っている。
「あのね」
詩野さんは俺の言葉に安心したように、くすっと笑った。
「どんぶりに白ごはんを盛るでしょ? その上にキャベツの千切りを乗せるの。そこにとんかつを二切れ乗せて、ソースをかけるのね? ソースはなんでもいいのよ。とんかつソースじゃなくてウスターソースでもいいわ。ソースの染みたとんかつをちびちびと齧って、白ごはんとキャベツを大量に口に掻き込むの。そうすると、どんぶり山盛りのごはんが、たった二切れのとんかつで、魔法のようになくなるのよ。
でもね、最初にあったのはうなぎなの。蒲焼のたれのたっぷりついたうなぎ。もちろん白ごはんにたれをかけてもいいけど、それだとごはんが足りなくなっちゃうの。たれのたっぷりついたうなぎの蒲焼が二切れあれば、これもどんぶり山盛りの白ごはんが煙のように、私のお腹の中に消えてなくなっちゃうのよ。白ごはんにまでたれをかけたら二杯はいっちゃう。最初にそのことに気づいたのは中一の時だったかな……」
そう言って詩野さんは、遠い夕焼けを近くに見るような目をして、思い出し笑いをした。
その透き通る横顔に向かって、俺は元気よく、言った。
「じゃ、俺はとんかつ!」
「えっ?」
「俺、どっちかっていったら、とんかつだと思う!」
「そうなの?」
詩野さんが嬉しそうに笑う。
「そうなんだ? 玉国くんはとんかつだと思うんだ? ふふふ」
正直、やっぱり俺には設問の意図はわかっていない。
うなぎととんかつ、どっちがより多くの白飯が食えるかなのか、どちらがより栄養があるかなのか、それとももしかしたらどちらが宇宙人をおびき寄せるのに使えるかなのか、彼女の聞きたいことはよくわからない。
でも、それでいい気がしたんだ。
夕日の中で、彼女が笑ってくれればそれでいい。
それだけで、俺たちの間には、何か通じ合うものがある。そんな気がした。
俺のほうから手を繋いだ。詩野さんも握り返してくれた。彼女のほうが積極的に強い力で、俺のほうが照れてしまった。たぶん真っ赤になっている顔を、夕焼けでごまかした。
「ふふ……。玉国くん」
詩野さんが楽しそうに言う。
「玉国くんは、とんかつなんだね。ふふふ……。答えてくれてありがとう!」
意味はわからないけど、それでよかった。俺たちは違う人間なんだから、わかり合えるはずはないのだから。
それでも違う人間だから、手を繋げるんだ。違う人間だから、こうやって恥ずかしいぐらいに笑い合えるんだ。
「ねぇ、詩野さん。マシュマロみたいなかたつむりの話をしようよ」俺はすごくそう言いたかったけど、変なやつに思われそうな気がして、意味がわからないと言われるような気がして、口に出せなくて、ただ彼女の柔らかい手をぎゅっと握りしめていた。
二人のお腹が、いい音で鳴った。