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9

 しんと静まり返った森の空は、茜色から紫へと変わっていく。

 何度も見たはずの見慣れた色は、今日は全くの別物のように見えた。


 俺が、殺した。

 誰を? ラーレを?


 ──そんなわけがないと、何故、俺は即答できないのだろう。


 咄嗟に浮かんだ否定の言葉は、喉に張り付いたまま、空気を震わせることなく消えた。


 さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った、崖の上。

 空はすっかり夜の帳が落ちていて、月明かりだけがお互いの姿を照らしていた。


 そんな朧げな灯りの下でもわかるほど、目の前の男の顔は、悲痛に歪んでいた。

 俺も、こいつも、泥だらけだ。


 森の際でこちらを窺うプラムの顔は、今は見えない。


「……思い出せ、イキシア。彼女のことを、彼女への、想いを」

「……、」


 おもい。思い。想い。

 それはなんだ、なんて。

 問わなくても、きっと分かっている。


 それなのに、その感情を見つけようと、手に入れようとするたびに。

 彼女のことを考えるたびに。

 不可思議な記憶をたどろうとするたびに。

 俺の頭はまるで霞がかかったかのように、考えることを止めてしまう。


 まるで、『それは間違っている』とでも、いうかのように。


 そんな声をかき消すように、カランが口を開く。

 夜の空に響いたその声は、力強く、真っすぐで。


 月あかりを背に立つ男の姿は、俺と同じくらい泥だらけだというのに、力強くて。


 場違いにも、「ああ、この人は王になる人なんだな」なんて考えた。



 * * *



 自室のベッドに腰かけて、高く登った月を眺める。

 こうやって月を眺めるのも、もう何度目になるだろう。


 思い起こすのは、言いたいだけ言ってプラムを伴い夜の森に消えた、男の言葉。


『鍵を探せ』

『鍵……?』


 俺の頭に巣くっていた霞。

 けれど、今はそんなモノも消え失せた。

 それはきっと、あいつの──カランの、お陰だ。


 どういう理屈なのかも、何か特別な理由があるのかも分からないが……。

 さっきまでの大暴れで、体はとても疲れ果てているというのに、驚くほど、俺の思考はクリアになっていた。


 ……もしかしたら、先のことやループのことも何も考えずに大暴れしたから、なのかもしれない。

 だとしたらザンカのことを馬鹿にできないほど、俺も単純だ。


 ほんの少し余裕のできた頭で、俺はカランの言葉を復唱した。


 鍵。

 きっとそれは、ドアを開ける道具のことを指しているのではないということは、俺にだって分かっていた。


 けれど、それが何なのかは、わからない。


『探せ。必ずあるはずだ』

『思い出せ、彼女のことを』


『癪だが──お前に、託す』


「それが俺の償いだ、……か」


 ぽつりと口からこぼれた言葉は、去り際にカランが吐き捨てるように呟いた言葉だ。

 その言葉は、どこか渇いていて、それなのに驚くほど真っすぐだった。


 きっと、カランも、彼女のことが──……


「……いや」


 そこまで考えて、頭をふって思考を止めた。

 これ以上は、俺が踏み込む問題じゃないと思うから。


 カランの感情は、彼だけのものだ。


 それに、今は他人のことに心を寄せている場合じゃない。


「……ラーレ」


 今も、彼女のことは、何一つ覚えてはいない。

 思考を邪魔する霞が晴れただけ。


 明るく、真面目で、働き者だった。

 ──俺の中の彼女の記憶は、それだけだ。


 けど、けれど。


「……」


 チェストの上に綺麗に並べた、みんなから預けられたラーレの証。

 月あかりに照らされるそれらは、無機質で、ただ淡々とそこにあるだけだというのに。


 ……どうしてこんなにも、大切だと、思うのだろう。


 カランのいう『鍵』を見つけることができれば、この謎も解けるのだろうか。


 そんなことをぼんやりと思い、彼女のロザリオへと手を伸ばした。

 の、だが。


「っ、」


 カラン。カタリ。


 手が滑り、床へとそれは落ちてしまった。

 静まり返った夜の部屋に響いた落下音は、小さなはずなのに、やけに大きく聞こえる。


 同室のザンカを起こしてしまったかと少しひやりとしたが、そんな心配は杞憂だった。

 相変わらずぐうぐうといびきを立てて寝ている姿に、安心と同じくらいの理不尽な怒りがわいてくる。


「……呑気なもんだな」


 羨ましいくらいだ。

 ため息と共に、ザンカへの八つ当たりじみた怒りを吐き出して、ロザリオへと手を伸ばす。


 拾い上げたそれは、傷がつくこともなく、淡い黄色の宝石もそのままだ。


「……よかった」


 ほっと小さく息を吐き、拾うために屈めていた腰を伸ばす。

 その時、チェストの引き出しがほんの少し開いているのに気が付いた。


「……?」


 不思議に思い、取っ手へと手をかける。

 自称するのはなんだが、俺は生真面目な方の性格だと思う。


 こんなふうに、引き出しを閉め切らずにしておく、なんて、あまりしないのだが……。


 ほんの少し浮かんだ疑念は、すぐに消え失せる。

 古いチェストだ。さっきロザリオを落とした時にぶつかって、その衝撃で開いてしまったのかもしれない。


 どっちにしろ、もう大分夜更かしをしてしまった。

 早く引き出しを閉めて明日に備えよう。

 なんだかとても眠い。


 そして、明日から、ラーレを思い出す『鍵』を探さなければ──……


 そう思い、急激に押し寄せてくる眠気に流されるように、引き出しを閉めて──……


 ──かたり。


 小さく、小さく聞こえたその音に、動きを止めた。

 それは、引き出しの中から聞こえた音。


「……? 何も入れてなかったはず、なんだが……」


 何か入れていただろうか?

 そう思い、ふと気付く。


 そういえば、少し前から、この音はしていたな、と。


 チューリップを見つけたときもしていたし、さっきロザリオを落とした時もしていた気がする。

 何故気づかなかったのだろう。


 小さな音だし、仕方ないか。意味はないだろう。

 そう、言い聞かせるような思考とは裏腹に、俺の手は、真っすぐにチェストの引き出しへと延びて──


「……チューリップ、の……髪飾り……」


 それを視界に入れた瞬間、何かが割れる音がした。



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