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そして、いつまでも幸せに

※「新婚旅行のお話」の後のお話です。

 エリーズは重い目蓋を開けた。カーテンの隙間から光が差し込み、寝室はうっすら明るい。

 寝そべったままだとまた眠ってしまいそうだったため、エリーズはのそのそと起き上がった。

 最近、どうも寝起きが悪い。夜もすぐに眠くなり、ヴィオルとの会話もそこそこに寝てしまう。それなのに朝はまだ寝たりないと感じる。新婚旅行の疲れを引きずっているにしては長すぎる。

 ヴィオルはそんな妻を心配し無理をしないようにと言い聞かせ、自らが王妃の分まで公務に走り回っている。今日も朝早くから出かけ、戻りは夜になると言っていた。もう王妃になって一年が過ぎたのに、己の不甲斐なさが嫌になる。

 エリーズは寝台から降りて私室へ向かい、使用人に合図を送った。直にカイラが、年若い女官シェリアとルイザを伴って現れる。


「おはようございます、エリーズ様。よくお休みになれましたか?」

「おはよう、カイラ、シェリア、ルイザ……よく寝たはずなのだけれど、やっぱりまだ少し眠いわ」


 話しながら、小さな欠伸(あくび)がエリーズの口から漏れた。気怠さの抜けない王妃に対し、カイラは優しく問いかける。


「ご朝食はこちらにお持ちしましょうか」

「そうね、お願いできるかしら」


 勿論でございますとカイラは答え、一礼して部屋を出て行った。残ったシェリアとルイザがさっとエリーズの身支度を手伝う。

 髪をといて夜着から締め付けの少ないシュミーズドレスに着替えたところで、カイラがクローシュが被せられた皿の乗ったカートと共に戻ってきた。入れ替わりにシェリアとルイザが部屋を出て行く。


「お食事にしましょう」


 ソファに腰掛けたエリーズの前にあるテーブルにカイラによって皿が置かれる。クローシュが外れ、エリーズのための朝食が姿を現したその時だった。


「うっ……!」


 猛烈な吐き気を覚え、エリーズは口を押さえて皿から顔を背けた。


「エリーズ様? どうなさいましたか」


 常に落ち着きはらっているカイラもさすがに驚いたようで、エリーズのもとにすぐ駆け寄り背中を擦る。


「ごめんなさい……どうしてかしら、匂いが……」


 毎日の朝食はエリーズにとっての楽しみでありその日の活力の元だ。長年にわたり王城に仕えている腕利きの料理番が作る品々を不味いと感じたことも一度もない。だがなぜか今日は食欲をそそるはずの料理の匂いが受け付けない。

 カイラがさっと料理をクローシュで覆ったことで、いくらかエリーズの吐き気は治まった。


「カイラ、わたし何かの病気なのかしら……」

「お医者様を呼びましょう」


 カイラはシェリアとルイザを呼び戻して医師に連絡を取るようてきぱきと指示し、その後はエリーズを安心させるかのように手を優しく握りながら傍についていた。


***


 程なくして王城に到着した医師に面会し、エリーズはカイラの付き添いのもと最近の体調についていくつか質問を受けた。エリーズが王妃となってから世話になっている初老の医師は、一通りの話を聞くと何かを考え込むかのように黙りこくってしまった。


「あの……先生、わたしの体はどうしてしまったのでしょうか?」


 エリーズがおずおずと尋ねると、医師は顔をあげ目じりを下げた。


「いやはや、申し訳ございません。とうとうこの日がやって来たのかと思うと感慨深く」


 不安に押しつぶされそうなエリーズとは対照的に、彼の声はどことなく弾んでいた。医師が前のめりになりエリーズとしっかり目を合わせる。


「ご懐妊の兆候と見て間違いないかと。おめでとうございます」


 彼の言葉を聞き、エリーズは目を(しばたた)かせた。


「ほ、本当……ですか?」


 医師が大きく頷く。エリーズの傍らに立っていたカイラも感嘆の息をこぼした。


「もしかしたらとは思っておりましたが……エリーズ様、おめでとうございます」


 エリーズは半ば放心状態で、己の腹部に手を当てた。今までと変わらないように思えるそこに、ずっと望んでいた新しい命が宿っている。王国の未来を担う希望の光、誰よりも何よりも大切な夫との愛の結晶が。

 エリーズの心の中にぽとりと落とされた喜びの種が一瞬にして芽吹き、みるみるうちに葉を茂らせて花を咲かせる。


「ありがとう、ございます……嬉しい」


 瞳に涙をにじませるエリーズの肩に、カイラが優しく手を置いた。


「陛下がお喜びになりますわ。ジギス様にお願いして、早馬で使いの方を向かわせましょう」

「ええと、早いほうがいいのは分かっているのだけれど……でもできれば直接わたしから伝えたいの。ヴィオルが帰ってくるまで待っていてもいいかしら?」


 王妃の懐妊となれば国にとっては一大事なのは分かっているが、この知らせを聞いたときのヴィオルの顔を一番に見たい。

 無理な願いかもしれないと思ったが、カイラは頷いてくれた。


***


 その夜、エリーズは私室でヴィオルの帰りを待った。妊娠が発覚した嬉しさで、今日は眠気が来ない。

 何と言って伝えようか、彼はどんな反応をするだろうか――あれこれ考えを巡らせていたエリーズは、扉を叩く音ではっと我に返った。返事をするとヴィオルが部屋に入って来た。


「エリーズ、今日はゆっくりできた?」


 最近の妻の様子がやはり気がかりだったらしく、エリーズの顔を見るなり発したのは心配の声だった。


「ええ。実はとってもいいことがあったの」


 ヴィオルは微笑む妻を見ていくらか安心したらしく、エリーズの隣に座った。


「何があったのか聞いてもいい?」


 エリーズは彼の手をとり、自らの腹部に導いた。ヴィオルが不思議そうに小首を傾げる。


「きょう分かったの。ここにね、わたしたちの赤ちゃんがいるのよ」


 穏やかな国王の顔に、みるみる驚愕が広がる。紫水晶の瞳が揺れた。


「ほ、本当に?」

「ええ。最近ずっと眠くて仕方がなかったのは妊娠しているからだったの」

「そうか……」


 ヴィオルがしみじみと呟き、エリーズの腹を優しく撫でる。


「ごめんなさい、分かったその時にあなたにお知らせしないといけなかったのだけれど……わたしから伝えたくて」

「いいんだ」


 ヴィオルは呟くように言い、エリーズの肩に手を回して抱き寄せた。


「嬉しいよ、エリーズ。本当に嬉しい」

「わたしも嬉しいわ」


 エリーズはヴィオルの方に頭をもたれさせた。

 王家の血を絶やさぬことが妃に課せられた使命だ。未来の王を授かれたことへの安心はもちろんあるが、何よりも愛する夫の子を身ごもったことの喜びがエリーズの胸を満たす。我が子をこの腕に抱く時が今から待ち遠しくて仕方がない。


「エリーズ」


 ヴィオルが妻の手を取り、しっかり握る。


「僕は身重の女性に接した経験がほとんどないし、正直なところ良い父親というのがどういうものなのかも分かっていない……けれど、君たちを大切にしたいという気持ちだけはこの先もずっと変わらない。だから至らないところがあっても、どうか許してほしい。必ず直すから」

「大丈夫よ。わたしもお母さんになるのは初めてだけれど、この子とあなたのためだったらどんなことでも耐えられるわ」

「……君は本当に強いな」


 再び夫から優しく抱きしめられる。エリーズもそれに応えた。

 どんなおとぎ話の主人公より、自分の方が幸せだと胸を張って言える。この先もヴィオルが、そして生まれてくる子がたくさんの幸福をもたらすだろう。妻、母、そして王妃として、与えられた喜びより大きなものを周りへ返していく。それがエリーズの生きる理由だ。


「愛しているわ、ヴィオル」

「僕も愛しているよ、エリーズ。かけがえのない人、僕のすべて」


 感激のあまり涙がにじみ、エリーズはヴィオルの胸に顔を埋めた。


***


 そして月日が流れ――紫水晶の君と彼が愛するダイヤモンドの間に王子が生まれたという知らせが、アルクレイド王国を歓喜の渦で包んだ。

 第一王子ライネウスは父の聡明さと紫水晶の瞳を、母の慈愛の心と銀糸(ぎんし)の髪を受け継いだ立派な青年に育ち、後に生まれた弟王子、妹姫たちと共に、王国のみならず大陸中の平和のために尽力した。

お読み頂きありがとうございました。

こちらのお話をもちまして本シリーズは完結となります。

本編もこの番外編も、私自身とても楽しんで書くことができました。

応援してくださった皆様へ、重ねて感謝申し上げます。

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