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新婚旅行のお話 前編

※本編40話の後のお話です。

「エリーズ、新婚旅行をプレゼントさせてくれないかな?」


 そう切り出してきたヴィオルに対し、エリーズは首を傾げた。


「新婚旅行?」

「ここ数年で貴族たちの間に普及し始めたんだ。結婚したばかりの夫婦が二人で楽しむための旅行をするんだよ……僕たちはもう結婚して一年になるけど、心はまだまだ新婚だからね」


 エリーズはヴィオルと共に王国の各地や、時には周辺国に赴いたことなら何度もある。だがそれはあくまでも公務の一環だ。のんびり過ごしたり娯楽に興じたりすることは基本的になかった。

 ただ楽しむためだけの旅、それを夫と二人でできるならどれほど幸せかエリーズにとっては想像に難くない。

 

「ふふ、楽しそう。行ってみたいわ」

「君にはたくさん大変な思いをさせたから、その埋め合わせも兼ねてどこにでも連れて行ってあげる。どこがいい? 大抵の国なら顔がきくから滞在場所はすぐに用意してもらえるよ」


 エリーズは逡巡の後に言った。


「ヴィオルはどこに行きたいの?」

「僕?」


 大地の精霊の加護により、戦禍や飢餓から守られているアルクレイド王国。かつてその平穏の代償は、王の命だった。

 その宿命が続いていれば、ヴィオルはすでにこの世にはいなかったはずだ。しかし今、いくつもの奇跡が重なり王国には真の平和が、そしてヴィオルには人としてこの先もエリーズと共に生きる未来が約束された。


「本当ならしたかったことがたくさんあるでしょう? きっとこんな機会はこのさき滅多に来ないでしょうし……わたしはヴィオルと一緒ならどこだっていいもの。あなたが行きたいところにしましょ」

「……君は本当に優しいね」


 ヴィオルは少し目を伏せ、再びエリーズの顔を見た。


「本当にその優しさに甘えてもいいなら……君と『普通の夫婦』の生活がしてみたい」

「普通の……夫婦?」

「この国の王族でなくて、一般的な夫婦として君と過ごしたいんだ。城ではなくて小さな家で、使用人は置かないで身の周りのことは全部、自分たちでする。それで朝から晩までずっと一緒」

「まあ、素敵だわ!……でも、そんなことができる場所があったかしら?」


 心配いらないよ、とヴィオルは微笑んだ。


「郊外に王家所有の小さい別荘があるんだ。そこでなら思ってるような生活ができる」

「ふふ、じゃあそこに行きましょう。とっても楽しみだわ」

「……僕も、今から待ちきれないよ」


 うっとりとした様子でヴィオルが言い、エリーズの唇に優しくキスをした。


***


 新婚旅行のため与えられるのは五日間。その間はずっとヴィオルと二人きり――彼と結ばれて一年が経つが初めてのことに、エリーズの胸は結婚式を控えていた時以上に躍っていた。

 リノンに新婚旅行のことを話すと彼女はうんうんと耳を傾けてくれたが、でもねえ、と眉間に(しわ)を寄せた。


「大丈夫? 陛下とずっと二人だけだなんて」

「ええ。喧嘩はしないように気を付けるわ」

「そうじゃなくて……だってあの陛下だよ? 人の目がないところでエリーズと二人きりってなったら、所かまわず襲ってくるでしょ。下手したら五日間ずーっとベッドの上かもよ?」

「そ、それは……たぶん、大丈夫よ」


 とは言ったもののエリーズにも確信は持てなかった。もちろん夫から求められるのは嬉しいしある程度の期待はしているが、四六時中ともなれば五日が過ぎる前にエリーズの方が白旗をあげてしまうだろう。


「嫌だと思ったことはちゃんと言うんだよ?……まあ、そろそろ赤ちゃん欲しくなってくる頃か」


 ヴィオルはかつて、自分を最後として王無き国を造るため、エリーズが懐妊しないよう子を成す力を失う薬を服用していた。今はもうそれを飲むことは止めているが、しばらくはその効果が体に残り続けるだろうとのことだった。最近になり、薬が抜け始めたとエリーズも聞いている。


「ふふ、そうね」


 彼との子ならもちろんいつでも欲しいが、特別な時に授かれたならより愛しいに違いない。

 ヴィオルも同じ気持ちでいてくれるかしら、とエリーズは思いを馳せた。


***


 そして迎えた出発当日の朝、国王夫妻のために用意されたのは装飾がほとんどされていない小さな馬車だった。新婚旅行へ向かう時から普通の夫婦でいたいというヴィオルの意向だ。

 着る服も、エリーズはくるぶし丈の萌黄色のワンピースドレスに日よけのためのつばが広い帽子、ヴィオルは簡素なシャツの上にベスト、ややゆったりしたズボンという、王族のそれとはかけ離れたものだ。

 国王の近侍ジギスに加え、近衛騎士のリノンとローヴァンが見送りに立った。近衛騎士の二人は王都に残り、息抜きを楽しむことになっている。


「エリーズ、楽しんできてね!」

「ええ。ありがとう。リノンもね」

「ジギス、ローヴァン、すまないけれど後は頼んだよ」

「お留守はしっかりお預かり致します、陛下」

「またとない機会だ。何もかも忘れて羽根を伸ばしてこい」


 側近たちに見送られ、ヴィオルとエリーズを乗せた馬車がゆっくり動き出す。人の目がなくなったところでヴィオルはさっそくエリーズの手をすくうように握った。その手にいつもの手袋ははまっていない。


「今日が楽しみで仕方がなかったよ」

「わたしもよ」


 エリーズは帽子を膝の上に置いて、ヴィオルの肩にことりと頭を預けた。

 お互いを独り占めできる、世界でいちばん幸せな旅の始まりだ。


***


 道中に何度かの休憩を挟み、昼過ぎになってようやく目的地にたどり着いた。林の中にぽつんと建つ、空色の屋根の小さな家だ。

 アルクレイド王国の郊外にあり、ここから人が住んでいる場所へは更に馬車で二時間ほどかかるという。喧騒から離れて過ごすにはもってこいの場所だろう。

 ヴィオルとエリーズは同行した使用人たちの手も借りて、持ってきた荷物を家の中で運び込んだ。着替えや日用品に加え、食事の支度も自分たちでするということで五日分の材料も用意してきた。

 その作業が終わったところで使用人たちは去っていった。周囲は安全が保たれている場所ではあるものの、やはり王族ということで護衛無しではいられないので、数人の騎士が交代で目につかないように見張ってくれることになっている。


「さて、帰るまでは王や王妃ではない、ただのヴィオルとエリーズだ」

「素敵なおうちね。楽しく過ごせそう」


 五日間の二人の住まいとなる家はソファとテーブル、椅子が備え付けられた居間とカウンターで仕切られた台所、寝室と小さな浴室だけの簡素な内装だった。裏口から出たところには井戸がある。二人だけで過ごすには少し広く感じるが、それでも王城やエリーズが生まれた屋敷に比べればうんと狭い。

 日は少しずつ西へ傾きつつあった。夕食の準備を始めた方がよさそうと、エリーズは持参したエプロンをつけ、髪を一つにまとめて台所に立った。


「僕も手伝うよ」

「ううん、大丈夫よ。重たい物をたくさん運んで疲れているでしょう? ヴィオルはゆっくりしていて」


 彼を居間のソファに座らせ、エリーズはてきぱきと調理器具と食材を用意した。たまに王城の台所を借りて料理をすることはあるが、いかんせん広いため忙しなく動き回る必要がある。ここの台所はちょうど一人で使いやすい。

 ヴィオルの視線を背中に感じ、エリーズは時折振り返って彼に微笑んでみせた。愛しい人のための食事を作っているのだと思うと気合いが入る。

 鍋に切った野菜と燻製(くんせい)の肉、ハーブを入れて火にかけひと息ついたところで突如、ヴィオルが近づいてきて背後からエリーズをぎゅっと抱きしめた。


「きゃっ、どうしたの? お腹が空いた?」

「……ごめん、台所に立つ君が素敵すぎて……我慢できない」


 ヴィオルの手がそろそろとエリーズの下腹部をなぞる。服越しではあるが官能的な手つきに、エリーズの体を甘い痺れが駆け抜ける。


「あ……」


 新婚旅行の間できるだけ彼の求めには応じるつもりでいたエリーズだが、身の回りのことはすべて自分たちでやる以上ここで欲望に流されてしまったら食事抜きになりかねない。

 エリーズはヴィオルの手に自分のそれを重ね、なだめるように握った。


「ヴィオル……後で、いっぱいしていいから……お食事はちゃんとしましょ?」

「そうだね、ごめん……やっぱり僕にも何か役目をくれる? そうしたら気を紛らわせられるから」

「それなら、サラダを一緒に作りましょうか」


 二人で一緒に料理をするというのもいい思い出になるだろう。直に食欲をそそる匂いが漂い始めた。


***


 エリーズが作ったものはいずれも素朴な家庭料理ばかりだったが、ヴィオルは美味しい美味しいといってすべて平らげた。

 後片づけも二人で行い、居間のソファに座ってひと息つく。すでに外は暗く、静けさに包まれている。王城では警備の騎士など、常に誰かが起きているが今ここにいるのはヴィオルとエリーズの二人だけだ。そう思うとエリーズの胸は高鳴り出す。

 ヴィオルがエリーズの腰にそっと手を回して抱き寄せてきた。続いて額、唇、首筋に優しい口づけを降らせる。


「ヴィオル……」


 甘えるつもりで名を呼んだエリーズだったが、ヴィオルははっと我に返ったような素振りを見せた。


「……ごめん、さすがにまだ早いね。そうだ、チェスでもしようか。取って来るよ」

「あっ……」


 立ち上がろうとしたヴィオルの腕をエリーズは反射的に掴んだ。戸惑う彼の手に、今度はエリーズがキスを落とす。


「さっき、お預けにしたから……今からいっぱい、していいのよ?」


 ヴィオルの喉仏が上下に動く。いつも王の威厳と理知的な光を宿す彼の紫水晶の瞳に、情欲の炎が灯る瞬間がエリーズはたまらなく好きだった。

 ヴィオルは無言でエリーズを抱え上げると、早足で寝室へと向かった。いつも休んでいる王城の寝台の半分ほどの大きさだが、二人で寝転ぶには申し分ない。

 エリーズの体はそこに優しく下ろされたかと思うと、次の瞬間には荒々しく押し倒された。また首筋にヴィオルの唇が触れ、甘い刺激が走る。おそらくはっきりと分かるような跡がついたはずだ。


「……エリーズ、帰るまでめいっぱい楽しもうね」


 彼はそう(ささや)き、エリーズが返事をする前にその唇を深いキスで塞いだ。

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