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冬の日のお話

※本編40話より後のお話です。

 王城のいたるところにある暖炉に、一日を通して火が焚かれる季節がやって来た。

 昨晩の間に雪が降り、庭園の木々や生垣は粉砂糖がかかったようになっている。幻想的な光景ではあったが、葉の落ちた木はエリーズの目には寒そうに映った。

 夫婦そろっての夕食の席で、ヴィオルが問うてきた。


「ずいぶん冷えるようになってきたけれど、体の具合は大丈夫?」

「ええ。ヴィオルはどう?」

「僕はむしろ寒い方が元気になるくらいなんだ。頭も冴えるしね」


 彼は笑って言った。


「エリーズは何か冬の楽しみはある?」

「冬の……?」


 答えることができなかった。エリーズは冬に良い思い出がない。母を亡くし後を追うように父もこの世を去り、独りぼっちになったのは冷たい風が吹きつける日のことだった。

 それから義父と義妹によって下働きの身に追いやられてからは、とにかく冬が辛かった。暖炉の前で体を温める時間はなく、絶え間ない水仕事で手がひどく荒れた。寝起きする屋根裏部屋は冷たい隙間風が入り込み、薄い毛布やなけなしの服で体をくるんで震えながら眠る日々――いま思えば、よく大病を患わずに十九歳まで生きられたものだ。


「わたしは……」


 妻が顔を曇らせたことにヴィオルはすぐに気づいたようだった。エリーズの言葉を待つことなく口を開く。


「寒いのは苦手か。女性は冷えが大敵というからね」


 そう言って、彼は匙でスープをすくい口に運んだ。


「うん、美味しい。海老のスープ好きだったよね? 冷めないうちに食べてしまうといいよ」


 それから季節についてが話題に上ることはなく、他愛のない会話が続いた。


***


 数週間が過ぎ、いよいよ寒さが本格的になってきた。王城の周りに広がるのは一面の銀世界だ。

 もちろん王妃であるエリーズが寒さに凍えることはない。防寒用のひざ掛けやストールは最高級の素材が使われ、女官に申し付ければいつでも温かい飲み物が用意される。

 抜けるような青空が広がる日、エリーズは自室でヴィオルが迎えにくるのを待っていた。一緒に外へ出かけたいと言われたので、動きやすさに重きをおいた深い青色のワンピースドレスの上に、裾と袖口と首元に毛皮が縫い付けられたベルベットのコートを羽織り、毛皮で作られたつばのない帽子を被っている。

 しばらくして現れたヴィオルは妻の冬の装いを見て満足そうに目を細めた。彼もベルベット製の深緑色のコートを着て、毛皮の襟巻をつけている。


「君は本当に何でも似合うね」

「ありがとう。どこに連れて行ってくれるの?」

「二人きりになりたいから城の裏に。でも楽しいことを用意したんだ」


 王城の裏門に用意されていたのは、二人乗りで屋根のない小さな馬車だった。それに繋がれている栗毛の馬はヴィオルの愛馬ステファンよりがっしりしていて、足は白いふさふさの毛で覆われている。人を乗せるのではなく、車両を引く役目に特化した馬だ。

 体が冷えることのないよう、座席には柔らかいクッションが敷かれてあった。そこに並んで座り、ヴィオルが手綱を取った。

 馬は雪道をものともせず、国王夫妻を乗せた馬車を引いて進んでいく。綿帽子を被った木々が並ぶ林を抜け現れた二股の分かれ道が見えると、ヴィオルは迷うことなく左へと馬を促した。

 そうしてたどり着いたのは湖畔だった。エリーズがここに来るのは初めてではない。澄んだ湖の周りに花が咲いている光景が美しく、ヴィオルやリノンと何度か訪れたことがある。

 だが冬の今はほとりに花の姿はなく、湖もすっかり凍り付いていた。巨大な鏡が横たわっているような光景にエリーズは息を飲んだ。


「すごい……!」

「だろう? 寒い日が続いたからね。そろそろ頃合いだと思って」


 ヴィオルはそう言って、馬車の座席の下に手を伸ばした。エリーズは気づかなかったが箱がしまわれていたようで、彼はそれの蓋をエリーズに見えるようにして開いた。


「これは……」


 雪より白く輝く短いブーツのような靴が一足、その中に納まっていた。だが普通の靴と大きく違うのは、足裏に細い銀色の金具が打ち付けてあるところだ。


「君のスケート靴だよ。スケートはしたことある?」

「いいえ、ないわ」

「そうか、初体験に付き添えるのは嬉しいな」


 ヴィオルは上機嫌でエリーズの靴を脱がせ、代わりに白いスケート靴を履かせた。中には毛皮が張られているようで温かい。大きさも、王妃のために用意された数々の靴の例に漏れずぴったりだった。

 エリーズの準備が終わると、ヴィオルはもう一つ箱を取り出した。そこに入っていた黒いスケート靴に彼は慣れた手つきで履き替えた。


「ヴィオル、滑れるの?」

「一応ね。せっかくだし見てもらおうかな」


 ヴィオルが馬車の座席を立ち、雪に覆われた地面に立つ。スケート用の靴では歩きづらそうなものだが彼はふらつくことなく凍った湖まで向かい、水面に一歩踏み出した。

 すっと背筋を伸ばしたまま、ヴィオルは湖面を滑ってみせた。方向転換も思いのままだ。呆気にとられるエリーズに向かって氷上から笑顔で手を振り、またその上を滑ってエリーズの元へ戻ってきた。


「どう? 大した芸当はできないけれど惚れ直してくれた?」

「ええ、すごいわ! こんなことまでできるなんて」

「まあ、僕にとっての冬の楽しみだからね」


 褒められてヴィオルは得意げな笑みを浮かべ、エリーズに手を差し伸べた。


「さあ、一緒にやってみよう」

「わたしにできるかしら……」

「大丈夫、絶対に僕が守るから」


 エリーズは彼の手をとり、ゆっくり立ち上がった。初めてのスケート靴だと立っているのがやっとだ。ヴィオルに支えられながらよろよろと歩き、凍った湖のほとりまでたどり着く。


「あんまり力まないで。僕がついてるからね」


 ヴィオルはしっかりとエリーズの肩を抱いている。彼に促されるまま、エリーズは氷の上に足を踏み出した。

 揺れる体を制御できず、エリーズの足はあらぬ方向へ向かいかける。ヴィオルが傍を離れたならすぐさま転んで醜態をさらす羽目になりそうだ。


「上手じょうず。怖くないよ」


 おぼつかない足取りのエリーズをしっかり抱き留めながら滑るヴィオルは少しも体勢を崩さない。

 彼の助言を受けながら一緒に滑っているうちに、段々と重心をどこに置けばいいか分かってきた。彼と腕を組んだだけの状態になってもふらつかない。エリーズの目覚ましい成長にヴィオルは驚いていた。


「すごいな、君はスケートの才能があるね!」


 よし、と呟いてヴィオルはエリーズと組んでいた腕をすっと解いた。支えを失ったエリーズはすぐに転びはしなかったものの、腕をあわあわとばたつかせて何とか平衡を保つ。その間にヴィオルはエリーズの二十歩ほど前方へ移動し、妻に向けて腕を広げた。


「ヴィオル!」

「さあ、ここまで来て! 大丈夫、エリーズならできるよ」


 不格好ながらもエリーズは氷の上を直進した。やや前のめりになって夫の方へ両腕を伸ばす。

 そしてヴィオルの胸に飛び込むと、すぐさま彼はエリーズをぎゅっと抱きしめた。


「やったよ、エリーズ! ひとりで滑れた!」


 ばくばくと波打っていたエリーズの心臓が徐々に落ち着きを取り戻す。顔を上げてヴィオルと目を合わせると、彼は微笑んで手袋をはめた両手でエリーズの頬を優しく包み込んだ。


***


 王城に戻った二人は、ソファに並んで座り温かいココアに舌鼓を打っていた。部屋に据えられた暖炉から、ぱちぱちと薪が爆ぜる音が聞こえる。


「うん美味しい。冬のココアは甘すぎるくらいがちょうどいいね」


 ふと窓の外に目をやったヴィオルが、「あ」と呟いた。


「見てエリーズ。雪が降ってきた」


 窓の向こうに、しんしんと降り注ぐ粉雪が見える。その景色を見ていると不思議とエリーズの心は安らいだ。

 手にしたカップから立ち昇る甘い香りのする湯気を顔に浴びつつ、エリーズはヴィオルにそっともたれかかった。


「ヴィオル、冬ってとっても素敵な季節ね」


 今まで冬に対して抱いていた暗く寂しい印象はもうなかった。寒さは厳しいが、愛する人の温もりをいっそう深く感じることのできる優しい季節だ。

 ヴィオルがそのことを教えてくれた。スケートをもっと練習して、ヴィオルと共に氷上で踊れたならきっともっと楽しいだろう。


「……僕もそう思うよ」


 ヴィオルが優しくエリーズの肩を抱き頬に口づける。そのまま二人は寄り添い、降り続ける雪を見ていた。

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