心の広いお妃様のお話
※本編40話より後のお話です。
アルクレイド国王ヴィオルにとってのエリーズはこの世で最も美しく、そして優れた女性だ。
国を愛し民を思い、そして一途に夫を慕って支えようとしている。ヴィオルは彼女へ常日頃から、「浮気以外は何をしてもいい」と伝えている。政務には関わらず、ずっと遊んでいても構わないと思っていた。だがエリーズは飾り物の王妃になることを好まず、あらゆる知識や経験を得ようと努力を重ねる向上心の持ち主だ。その上、ヴィオルを気遣い暇をぬってはとびきり美味しいケーキやクッキーを焼いてくれる。
もちろんエリーズは年相応の可愛らしさを見せる時もある。大好物のチョコレートに舌鼓を打つときや飼い猫と戯れているときの笑顔は眩しく、ヴィオルと見つめ合う時の瞳は満天の星空よりきらめく。そして薄暗い寝所で夫のためだけに歌い踊る彼女は、魂すらも捧げたくなるほど艶やかだ。
ヴィオルは毎日エリーズに恋をし、日に日に深く溺れていく。だが幸せを感じるほどに、一つの不安が膨らんでもいた。
エリーズはとにかく怒らない。以前にエリーズに内緒で彼女の母親の遺品集めに駆け回り、何日もまともに顔を合わせられない日が続いたときもエリーズはヴィオルを一言も責めなかった。唯一怒りらしい感情を見せたのは、ローヴァンが浮気をしていると思い込みリノンのために彼を問い詰めた一件だけだという。
ヴィオルがどれほど膝枕や口づけをねだっても、エリーズは嫌な顔ひとつ浮かべずとことん付き合ってくれる。彼女があまりにも無垢なのを良いことに、仲睦まじい夫婦でもなかなか手を出さないような倒錯的な行為をしかけても、恥ずかしがりはすれどヴィオルを拒むことだけは絶対にしなかった。
もちろん、ヴィオル自身も独りよがりな振舞いは絶対にしないよう努めてきた。初めて二人がひとつになる日から、嫌だと感じたらすぐに言って、その気持ちを飲み込まないでとエリーズに何度も言い聞かせてきた。だがあまりにも素直に何でも受け入れる彼女を見ていると、ヴィオルから見限られたくないあまりに我慢をしているのではないかと思えてしまう。
かつて、ヴィオルに想いを寄せる令嬢は国内外問わず多くいた。妃を迎えてからも愛妾の座を諦めなかった者の噂も聞いた。だが今ではそれは雲をつかもうと努力するのと同じことと言われている。それどころか妃への溺愛ぶりが知られると、「どれほど見目麗しく立派な男性でもさすがにこれほど愛が重すぎては付き合いきれない」とささやかれる始末だ。
エリーズ以外の女性からどう思われようとヴィオルにとってはとるに足らないことだが、エリーズがもしヴィオルの愛情表現にうんざりしていて突然爆発し、「近づかないで」とでも言われた日にはヴィオルはすべてを捨てて自室に閉じこもり、衰弱死するのを選ぶだろう。
エリーズに対し何をどこまでしても許されるのか――それを知るため、ヴィオルは強硬手段に出ることにした。
***
運よく政務を早めに切り上げられた日、ヴィオルは妻の私室へと向かった。まだ眠るには早い時間のため、エリーズはソファにかけて本を読んでいた。夫の姿を見て彼女は顔を輝かせた。
「まあ、ヴィオル! 今日はもう一緒にいられるの?」
夜着の上にショールを羽織っただけの無防備な姿に、早くもヴィオルの内に繋がれた獣が唸り出す。それを悟られないよう気を付けながら、ヴィオルはエリーズの隣に座った。本を置いた彼女が身を寄せてくる。
「うん。君に早く会いたかったから頑張って終わらせてきたよ」
そう言って、ヴィオルはエリーズの手指を絡めとるように握った。
普段ならお互いを労い今日の一日であったことを話して、会話が途切れかける頃合いに彼女の手をとり髪を撫でながら優しく口づけ、そうして寝室になだれこむ。
だが今日はその過程を飛ばす。ヴィオルはエリーズの細い顎に指をかけ、唇を奪った。
驚いたようで、エリーズはくぐもった声を漏らした。しかしヴィオルを押しのけようとはせず、目を閉じて口づけを受け入れる。ヴィオルにしっとりと体を撫でられると、エリーズは身をゆだねてきた。
突然の口づけ程度では彼女は嫌がらないらしい。ヴィオルは唇を離すと間髪入れずに妻の体を抱き上げた。寝室へと歩みを進めても、寝台の上に縫い留められてもエリーズは抗議しなかった。再び降り注ぐ夫の口づけを大人しく浴び、時折くすぐったそうに身じろぎするだけだ。
彼女の真っ白な胸元にもキスを落とし、ヴィオルは様子をうかがうように妻の顔を見た。エリーズは潤んだ瞳で夫を見つめていた。戸惑うでも怖がるでもなく、明らかに「この先」を期待している目だった。
ヴィオルは再びエリーズの唇に食らいついた。今夜は時間がたっぷりある。彼女が根を上げるまで、とことん貪りつくすまでだ。
***
そして真夜中を過ぎた頃――ヴィオルは横たわり呼吸を整えていた。
息つく間もなくずっと、あらゆる形で愛と欲望をまき散らした。そして可愛い妻は結局、一度もヴィオルを拒むことはなかった。
「……エリーズ」
ヴィオルに寄り添って寝そべり、胸を上下させる彼女に呼びかける。エリーズは吐息とも返事ともつかない声を漏らし、わずかに顔を夫の方へ向けた。
「どうして、嫌って言わないの」
「え……?」
精根尽きてくったりした表情に、少しだけ困惑の色が浮かぶ。
「今日の僕は酷かっただろう? 夫が妻にするようなことじゃなかった。それなのにどうして我慢ばかりするの」
「ひどい……?」
なおも腑に落ちない様子でエリーズはつぶやく。
「ごめんなさい……よく、分からないわ。嫌って言わなきゃ、いけなかったの……?」
「違うよ、そういうことじゃなくて」
ヴィオルは指先で乱れた彼女の前髪を整えてやった。
「……僕からされて嫌なことは嫌だとはっきり言って欲しいって、僕はずっと君に伝え続けてきたつもりだ。なのにエリーズは一度も嫌だって言ったことがないから……僕が気を悪くしないように我慢しているんじゃないかって思って。試すようなことをしてしまった。ごめんエリーズ」
「そう、だったの……」
エリーズはヴィオルの肩に頭を寄せた。その呼吸は落ち着きを取り戻しつつある。
「わたし、ヴィオルからされて嫌と思ったことは本当に一度もないの。あなたがしてくれることは、何だって嬉しいのよ」
「さっきみたいなことをされても?」
「ええ。毎日こうだと、さすがに困るけれど……」
たまにならこういうのも……と消え入りそうな声で言いながら恥ずかしくなったのか、エリーズは上掛けを顔の半分が隠れるほどまで引き上げた。その様子が可愛らしくて、ヴィオルは彼女を腕の中に収める。
「君は本当に、僕なんて足元にも及ばないくらい心が広いよ」
エリーズはかつて己を虐げていた人物に対しても、恨み言のひとつも零さない女性だ。それに加えて、夫に対し全面の信頼を寄せている。ヴィオルは自分を愛してくれる存在であることに、針の先ほどの疑いも持っていない。
そんな妻に対しては、夫として絶対に誠実であらねばならない――ヴィオルはエリーズの背を、あやすように優しくとんとんと叩いた。
「寝られそう? 辛いところはない?」
「ん……ヴィオル」
「うん?」
「おやすみのキスが、まだよ」
「そうだった、いちばん大切なことを忘れるところだったよ」
エリーズの唇に、触れるだけの優しい口づけを贈る。彼女は満足気に微笑んだ。
「おやすみエリーズ、いい夢を」
「おやすみなさいヴィオル。明日もいい日でありますように」
目を閉じたエリーズの呼吸は、じきに規則正しい寝息に変わる。
王妃の午前中の予定はすべて握りつぶして、ゆっくり寝かせてあげよう。こういう時のための国王権限だ。エリーズは王妃である以前に、重すぎるとささやかれる愛を受け止めることができる唯一の女性なのだから。
夢の中でも妻に会えるよう祈りながら、ヴィオルも眠りについた。




