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お妃様と子猫のお話

※本編15話後のお話です。


***


 とある日の昼下がり。

 陛下よりお話があるためしばしお待ち下さいと女官のカイラに言われ、エリーズは私室の長椅子に座っていた。カイラが淹れてくれた茶を飲んでいるとやがて部屋の扉がノックされ、ヴィオルが姿を現した。


「エリーズ、待たせてごめんね」


 彼は両手を後ろに回したままエリーズの元まで来ると、その額に軽く口づけて隣に座った。お返しにエリーズも彼の頬にキスをする。今やすっかり当たり前になったやり取りだ。


「大丈夫よ。なにかあったの?」

「君に渡したいものがあって」


 ヴィオルはそう言って、後ろにまわしていた手をエリーズの前に持ってきた。その手にはリボンのかかった箱があった。


「これを君に」

「まあ、ありがとう! 開けてもいい?」

「もちろん」


 一時期はあまりにも貰い過ぎて戸惑ったが、やはり愛する人からの贈り物は嬉しい。

 箱はエリーズでも軽々と持てるほどの重さだった。リボンを解き、箱を開ける。その途端何かがひょこっと顔を出した。


「あら!」


 箱の中に入っていたのは子猫だった。真っ白でふわふわの毛並みをしており、瞳はサファイアのような青色だ。首にふんわりと巻かれた赤いリボンに金色の小さな鈴が通してあり、動く度にちりちりと音が鳴る。

 エリーズは予想外の贈り物に目を丸くしながら、箱から出ようとする子猫をすくい上げた。エリーズの両手の平にすっぽり収まってしまうほどの大きさの子猫は、見慣れない場所に不安がっているのかみゃあみゃあとか細い声で鳴き続けている。


「この子をわたしに?」

「うん。気に入ってくれた?」

「ええ。とっても可愛いわ! ありがとう」


 エリーズが撫でてやると子猫はいくらか落ち着いたようだった。青い目でエリーズをじっと見る。


「良かった。仲良くしてあげてね」

「ふふ。もちろんよ」


 エリーズに喉元をくすぐられ、子猫は小さく喉を鳴らした。


***


 エリーズによってシュシュと名付けられた白い子猫は数日ですっかり城に馴染んだ。甘えたがりのようで、エリーズがいない時はリノンや女官のシェリア、ルイザにくっついて可愛がられている。

 エリーズも時間が取れるときは進んでシュシュの食事を用意し、ブラシをかけてやるようにした。

 そうしているうちにシュシュはエリーズを母親と思い始めたのか、エリーズの姿が見えると足元にすり寄ってくるようになった。


「ふふ、シュシュは本当に可愛いわね」


 白い子猫を膝に上に乗せて撫でながらエリーズは呟いた。本来なら、まだ本当の母親に甘えて暮らしているはずだ。小さな命が寂しく感じないように、できる限りの愛情を注いでやりたい。

 エリーズはシュシュの体を抱えて自分の顔の高さまで持っていった。じっとつぶらな青い目を見つめていると、シュシュは小さく鳴いた後、ちろりとエリーズの鼻先をなめた。


「まあ! わたしもあなたが大好きよ」


 エリーズは笑って、柔らかな毛並みに頬ずりをした。


***


 運良く日中の政務に一区切りがつき、ヴィオルは浮足立ちながら王妃の私室へ向かった。

 二人のために茶を淹れた女官が退室するや否や、ヴィオルはエリーズを抱き寄せ己の膝に座らせた。彼女の手を握り髪を撫で、他愛もない話の合間に甘い言葉をささやく。部屋中に甘美な空気が満ち始める頃、優しい口づけが交わされる。

 このひとときのために生きている――何もかも忘れて幸せを噛み締めていたヴィオルの耳に、小さな声が届く。


 ――みゃあ


 その瞬間、うっとりと夫に身を委ねていたエリーズが我に返った様子でヴィオルの膝から降りた。


「シュシュ? どうしたの?」


 いそいそと向かったのは、部屋の隅に用意されたシュシュのための寝床だ。真っ白な子猫が鳴き声をあげながらそこから這い出てくる。


「よしよし、いい子ね。寂しくなってしまったのかしら?」


 出会った日からいくらか大きくなったシュシュを抱いて、エリーズはヴィオルの隣に腰を下ろした。

 撫でられてごろごろと喉を鳴らすシュシュを、ヴィオルは無言で見つめた。すっきりと晴れ渡っていた心を一気に真っ黒な雷雲が覆う。

 猫は決して嫌いではない。シュシュをエリーズに贈ったのも、その愛らしさをきっと彼女も気に入るだろうと思ってのことだった。だが二人きりの時間にまで侵入してくるとあれば話は別だ。

 嫉妬の炎を静かに燃やすヴィオルへ、エリーズは屈託のない笑顔を向けてきた。


「見て、シュシュはすごく甘えん坊さんなの」


 ヴィオルはそれには応えず、彼女の顎に指をかけて唇を奪った。

 くぐもった声を漏らす妻の唇を食んで、吸って、(もてあそ)ぶ。先ほどまで交わしていた愛情を示すためのそれではなく、(ねや)でだけする本能に火をつける口づけだった。

 唇を離し、ヴィオルはエリーズの目を見据えた。彼女の瞳は潤み、頬は紅くそまっている。


「ヴィオル……どうしたの?」

「さあ、どうしたんだろうね」


 突き放すように言い、ヴィオルはエリーズの首元に顔を押し付けた。


「……僕だってこんなに甘えん坊だよ」


 そう言った途端、ヴィオルの胸を罪悪感と情けなさが満たした。猫相手にこんなにも浅ましい嫉妬をして、怒られたり呆れられても反論などできない。

 だがエリーズは怒るでも呆れるでもなく、ヴィオルの頭に手を伸ばし優しく撫でてきた。


「……そうね、ごめんなさい。ヴィオルがせっかく会いに来てくれたのに、わたしったらシュシュのことばっかりだったわ」

「謝らないで。君が謝ることじゃない。悪いのはぜんぶ僕だ」


 彼女の物分かりの良さが逆にヴィオルを苦しめる。

 エリーズはヴィオルの髪に触れながら、諭すように語り掛けた。


「シュシュはあなたがくれた子だから、大事にしたいの。ヴィオルとお話ししている間、わたしの膝で抱いていてもいい?」

「……いいよ」


 聖女とは、エリーズのような女性のことをいうのだろう。どんな荒くれ者もひねくれ者も、彼女の前ではあっさりと牙も毒も抜かれてしまうに違いない。


「ねえ、ヴィオル?」


 名を呼ばれヴィオルがエリーズの顔を見た途端、彼女は夫の唇にキスをした。突然の贈り物にヴィオルが固まっていると、額や目蓋、鼻先、頬へと愛らしい追撃がやってくる。ヴィオルがじゃれる時によくしていることだ。


「どう? 機嫌は直ったかしら?」

「……君には敵わないな」


 惚れ方が常軌を逸しているという自覚はある。エリーズが愛らしいからこうなるのか、愛しているから彼女が魅力的に見えるのか、ヴィオルにはもう分からない。

 甘いささやきと共に口づけられたら、大陸中のダイヤモンドを彼女のためにかき集めるだろう。あるいは王冠を床に投げ捨てて、一生を彼女の瞳を見つめて過ごすことに捧げるか。

 再び二人を甘い空気が包む中、真っ白い子猫は王妃の膝の上で、彼女のドレスに縫い付けられたリボン飾りにじゃれついていた。

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