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お酒に再挑戦するお話

※本編40話より後のお話です。

 星が点々と夜空で輝く頃、王妃の私室では使用人がせっせとテーブルに食器を並べていた。

 金で縁取りされた皿の上には食べやすく切られた果物やチーズ、ビスケットが並べてある。二つのティーカップと共に用意されたポットには中の茶が冷めないよう薔薇の刺繍がされたカバーが被せられ、他には酒を(たしな)むのに使われるグラスと酒瓶が二本――片方は葡萄(ぶどう)酒、もう一つは砂糖が使われた果実酒だ。

 国王のヴィオルはいつも夕食を終えた後に残った政務を片付け、それから湯浴みをして身を整えてからエリーズのもとにやって来る。だが今日は夕食後に仕事に手をつける必要がなくなったらしく、早く戻れるとエリーズに伝えてきた。それなら二人でゆったり過ごせるようにと、夜の茶会の準備をすることにしたのだ。


「他にご入用のものはございますか」


 使用人に尋ねられ、エリーズはテーブルの上を見渡して笑顔で頭を振った。


「いいえ、大丈夫よ。遅い時間にごめんなさいね。ありがとう」


 王城仕えの使用人たちはみな一様に働き者だ。エリーズが何か頼むとさっと動き始め、いつもエリーズの想像よりずっと良い仕事をする。その姿勢は、彼らが仕えるのに相応しい存在でなければならないとエリーズの気を引き締めてくれる。

 エリーズが丁寧に礼を言うと使用人はとんでもございませんと言って、礼儀正しく頭を下げて部屋を後にした。

 やがて部屋の扉がノックされ、ヴィオルが顔を見せた。


「あれ? 何だかテーブルの上が賑やかだね」

「ヴィオルが今日は早く戻ってくるって聞いたから、用意してもらったの。二人でゆっくり過ごしたくて」


 ヴィオルは嬉しそうに目を細めた。


「ありがとう。そんな風に思ってくれるなんて僕は幸せ者だな」

「あと……わたしが久しぶりに、これを飲みたかったというのもあるのだけれど」


 エリーズはそう言って果実酒の瓶を示した。

 王妃となってからエリーズは何度か酒を試したがどれも味が受け付けず、唯一美味しいと思えたのが以前ヴィオルが持ってきてくれたこの果実酒だった。

 その時も二人で酒を酌み交わしたのだが、エリーズは酔いやすい体質のようで記憶を飛ばしてしまった。その際に何があったのかは教えてもらえないまま、酒を飲むのはヴィオルと二人きりの時だけ、という約束を彼に取り付けられた。


「気に入ってくれたんだね。じゃあ()いであげよう」


 テーブルの手前に置かれた長椅子に二人で腰掛けると、ヴィオルは手ずから果実酒をグラスに注ぎエリーズに手渡した。


「ありがとう。ヴィオルは葡萄酒がいい? お酒の気分でなかったらお茶もあるわ」

「ううん、君と同じのがいい」


 今度はエリーズが果実酒をヴィオルのグラスへと注いだ。


「ヴィオル、いつもお疲れ様」

「君こそ、毎日頑張ってくれてありがとう」


 ちりん、というグラスを合わせる小さな音が響いた。


 程なくしてエリーズの頬は薔薇色に染まり、目がとろんとし始めた。そこまで強くない酒をグラス一杯と半分ほど飲んだ時点でこうなる辺り、やはり下戸のようだ。


「エリーズ、もう少し何か食べる?」


 ヴィオルが問うと、エリーズは彼の方を向いて小さく口を開けた。愛らしい雛鳥の要望に応え、ヴィオルはビスケットを彼女の口に入れてやった。


「おいしい」


 咀嚼(そしゃく)しながらエリーズが微笑む。無邪気な顔を見ていると、ついつい魔が差してしまう。ヴィオルは次に、くし型に切られた林檎(りんご)の端を口にくわえ、反対側の端を彼女の方へ差し出した。エリーズは何の躊躇(ためら)いもなく林檎をしゃくしゃくと食べ進めた。

 すっかり機嫌をよくしたエリーズはヴィオルの肩に頭を寄せ、子猫のように額を擦り付けてきた。


「エリーズ、おいで」


 ヴィオルが軽く手を広げると、エリーズは自分のグラスをテーブルに置いて夫の膝の上に横向きで座った。ヴィオルが銀色の髪を優しく指で梳くと、気持ちよさそうに目を細める。石鹸がかすかに香った。


「エリーズ」

「なあに?」

「今、君は幸せ?」


 以前、酒を飲んで酔ったエリーズは、ヴィオルへの真摯な愛を語ってくれた。真面目でヴィオルの枷になるまいといつも一生懸命な分、言いたいことを飲み込んでしまいがちなのだろう。彼女の本音を聞きだすなら、ほろ酔いの今が絶好の機会だ。


「ふふ、しあわせ。しあわせよ」


 エリーズは歌うように言いながら手を伸ばし、ヴィオルの頬を撫でた。


「だって、まいにちヴィオルに会えるんだもの」

「本当に? 我慢させたり寂しい思いをさせることだってたくさんあるのに?」

「がまんなんて、してないわ」


 うっとりとした笑みを浮かべ、エリーズは言った。


「ヴィオル、好きよ。だいすき。なんかい言っても、たりないの」

「じゃあ一生僕の傍にいて、ずーっと好きって言い続けて?」


 幼い時に最愛の両親を失い、それからは否定され続ける孤独な人生を歩んでいたエリーズ。人一倍愛に飢えていた彼女の心の隙間は、すっかりヴィオルで埋まっている。それが分かっただけでヴィオルの胸も満たされるが、もっと彼女の心を暴きたいとも思ってしまう。


「ねえエリーズ、僕のどこが好き?」

「ぜんぶ!」

「それは嬉しいけれど、一つひとつ教えて欲しいなぁ」

「んーとね、やさしいところと、なんでも知ってておはなしがぜんぶおもしろいところ、あとね、おめめが宝石みたいにきれいなところも、すき」

「うんうん、他にはある?」

「うふふ、あとはね……」


 エリーズはそこで言葉を切り、ちゅ、とヴィオルの唇を啄んだ。


「キスがとーってもじょうずなところ!」


 そこでいよいよヴィオルは我慢の限界を迎えた。膝の上に座っていたエリーズを抱いて立ち上がると、彼女は不思議そうな表情を浮かべた。


「ヴィオル? おさけは?」

「それより、もっと楽しいことがしたくなった」

「たのしいこと?」


 エリーズを抱えて隣の寝室へ繋がる扉を開け、寝台の上にその体を優しく横たえる。銀糸の髪がふわりと広がった。


「僕からも教えてあげる。君の好きなところを全部ね」


 絹のネグリジェに包まれた妻は無防備で清らかで、若く美しい雌鹿のようだった。極上の獲物を目の前にして、飢えた獣が耐えられるはずもない。

 夫のヴィオルだけが知っている無垢なエリーズのもう一つの顔。それこそがヴィオルを酔わせる甘く芳しい美酒だ。


「何をされても文句は言わないって、きちんと約束したもんね?」


 夫の言葉を理解しているのかいないのか、エリーズはうっとりとヴィオルを見つめながら(すが)るように手を伸ばした。


***


 翌日――王妃は珍しく寝坊し、国王はいつもの三割増しで機嫌が良かったという。

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