異国の民のお話
※本編十七話の間に起きたお話です。
エリーズが王妃として公務に携わるようになりひと月ほど経ったある日。エリーズはヴィオルに呼ばれ、近衛騎士のリノンと共に彼の執務室へと向かった。
「やあ、エリーズ。リノンもよく来てくれた」
書類が積まれた執務机を挟んだ向かいに、ベルベットが張られた一人用の椅子が置いてある。ヴィオルは手ずからそれを引いてエリーズを座らせ、自身は執務机に備えつけられた椅子にかけた。リノンはエリーズの一歩斜め後ろに立った。
「君にお願いしたいことがあるんだ。王妃としてのお仕事をね」
今までのエリーズが経験してきた公務は、ヴィオルについて行き彼がしていることを見たり、彼と共に夜会へ出席するなどばかりだった。自身が主体となって執り行う公務は初めてだ。
「何をすればいいのかしら?」
「そんなに気負わなくて大丈夫。お願いしたいのは客人のおもてなしなんだ。二週間後、トルカサスの長とその孫娘がここを訪ねてくる」
それを聞き、エリーズの後ろでリノンが声を上げた。
「おじじ様とサフィネが来るんですか!?」
直後に彼女ははっとした顔で、「ごめんなさい」と呟いて口をつぐんだ。ヴィオルは特にリノンを咎めることなく話を続けた。
「僕たちの結婚を祝って、トルカサスの民を代表して来てくれるそうだ。いい機会だから、長には色々と近況を聞いておきたいと思っている」
トルカサスはかつて存在していた小さな国で、リノンの故郷だ。戦禍に飲まれて多くのトルカサス人は死に絶え、リノンを含めたわずかな生き残りは各地を転々としていた。そうしてアルクレイド王国にたどり着いた彼らをヴィオルは迎え入れ、領土内に住むことを許した。
リノンはエリーズの近衛騎士として王都に暮らしているがそれはかなり特殊な例で、一般のトルカサス人たちは王国の端の方に集落をかまえて畑仕事や行商で生きている。そのためリノン以外のトルカサス人にエリーズは会ったことがない。
「それでね、僕が長と話している間、孫娘の方をおもてなしする役目をエリーズに頼みたいんだ。場所も出すものも全て君に任せる。足りないものは使用人たちに用意してもらうといいよ。できそう?」
エリーズは元気よく頷いた。ヴィオルに出会うまでまともに貴族の作法を知らなかった自分を信じてくれるその期待に何としてでも応えたい。
「ええ。喜んで頂けるように頑張るわ!」
王妃の返事を聞き、ヴィオルはエリーズの後ろに控えるリノンに顔を向けた。
「リノン、近衛騎士の役目からは少し外れるけれど、エリーズに色々と助言をしてあげて欲しい」
リノンが顔を輝かせ、自分の胸をどんと叩いた。
「任せてくださいよ、あたし以上の適任なんていませんからね!」
やる気を見せるエリーズとリノンを前に、ヴィオルは微笑んだ。
「それじゃあ、よろしく頼むよ」
***
エリーズはさっそく自室にて、リノンと二人で客人のもてなし方について策を練ることにした。
リノンは同胞に会えることがよほど嬉しいようで、椅子に腰掛けながらも足をぱたぱたと動かす。
「おじじ様たち元気かなぁ。あ、おじじ様はさっき陛下のお話にあった長のことね!」
「お孫さん……サフィネさんとリノンは仲が良かったの?」
もちろん、とリノンは答えた。
「同い年だし、何度か一緒に出稼ぎにも行ったよ。サフィネはあたしみたいにうるさくなくて、優しいお姉さんって感じだからエリーズもすぐ仲良くなれると思う!」
「楽しみだわ。トルカサスの方々は普段、どんなものを召し上がるの?」
「そうだねぇ……豆とか、パンも食べるけどこっちで出てくるような丸いのじゃなくてもっと薄い形をしてるんだ。あ、甘いものは普段、干した果物くらいしか食べられないからお菓子は喜ぶかも」
ああでも、とリノンは続けた。
「あんまり豪華すぎるのはびっくりしちゃうと思うんだよね。トルカサスの長は皆のまとめ役ではあるけど、周りと同じような家に住んで、畑仕事も牛や羊のお世話もぜんぶ自分たちでするから」
自国や周辺国の貴族をもてなすのと同じように考えない方がいいようだ。落ち着ける場所で、ちょっとした非日常を味わってもらうのがいいかしらと、エリーズの頭に中に構想が浮かんでくる。
「分かったわ。ふふ、やっぱりリノンがいてくれて良かった」
リノンの古い友人であり、はるばる遠くからやって来る客人のサフィネにできる限りを尽くしたい。
エリーズはその後もリノンと共に、あれこれとアイデアを出し合った。
***
そして迎えた二週間後。エリーズは謁見の間でトルカサスの使者を待っていた。
部屋の最奥、一段高くなっている場所には以前までは国王の玉座しかなかったが、今は王妃のためのそれも据えられている。ヴィオルの傍らには彼の近衛騎士、ローヴァンが、エリーズの傍らにはリノンが付き添っていた。
謁見の間の扉を挟んで、二人の使用人が立っている。その内の一人が声を上げた。
「お見えになりました!」
両開きの扉が使用人によって大きく開かれる。国王の近侍、ジギスが一組の男女を連れて現れた。一人は灰色の髭をたくわえた老人で、楕円形の短い筒のような白い帽子と、同じ色のローブに似た裾と袖が長い衣服を着ている。素朴な服だが首周りに様々な色の糸で幾何学的な模様が刺繍されていて明るい印象を与える。浅黒い肌には年相応の皺が刻まれているが、背筋が伸びているため威厳を感じさせた。彼がトルカサスの長で間違いなのだろう。
老人と並んで歩く女性はリノンと同じ年頃のようだった。たっぷりの長い黒髪は乱れないように結ってあり、濃い黄色のレースのように透けた生地で作られたベールで頭の後ろ半分を覆っている。服は老人が着ているものと似てゆったりしたシルエットだが、腰の線が分かるように作られている。服の生地は鮮やかな黄色を主として、胸元や裾、袖口にたくさんの刺繍が施されていた。金色の耳飾りは普段エリーズがつけるものより大きく、歩くたびにゆらゆらと揺れた。
二人はアルクレイド王国の玉座がある段のすぐ下まで来ると、両膝を折って手を合わせ、恭しく頭を垂れた。
「国王陛下、この度のご成婚を謹んでお祝い申し上げます」
老人が言う。しわがれてはいるがよく通る声だった。女性が後に続く。
「私どもトルカサスの民一同、誠に喜ばしく思っておりますわ」
ヴィオルが笑みを浮かべた。
「こちらこそ、遠路はるばる本当にありがとう。どうか楽にして、我が王妃を紹介させて欲しい」
二人のトルカサス人が立ち上がり、エリーズの方を見る。エリーズは玉座を降りて、彼らに対しドレスの裾を持って挨拶をした。
「アルクレイドの王妃となりました、エリーズと申します。お会いできて嬉しいです」
「わたしの名はイゼルク、トルカサスの長でございます」
「私はイゼルクの孫、サフィネと申します」
よろしくお願いします、と言った後、エリーズはリノンに目配せをした。それを合図にリノンが小走りで同胞に駆け寄る。
「おじじ様、サフィネ、久しぶりー!」
昨日、リノンとトルカサスの客人をできるだけ早く会話させてあげたいとエリーズがヴィオルに掛け合ったところ、彼はエリーズの挨拶が済んだ後なら構わないよと許してくれたのだ。
リノンの抱擁を受け、イゼルクは穏やかな笑みを浮かべた。孫を見るような顔だった。
「息災か、リノン」
「元気も元気だよ。おまけに大出世しちゃった!」
次にサフィネに抱きつきながらリノンが言った。
「あなたが王妃さまを御守りする騎士になったと聞いた時は、村のみんなで大騒ぎだったのよ。みんな、リノンを応援しているわ」
「そっかぁ……えへへ、また皆にも会いたいなぁ」
一段落ついたところで、それではとヴィオルが切り出した。
「イゼルク殿、別室へ案内するよ。トルカサスの民の近況について色々お聞かせ願いたい」
エリーズはサフィネに向かい微笑みかけた。
「サフィネさんはわたしがおもてなしさせて頂きますね」
それを聞いたサフィネが目を見開いた。
「まあ、王妃さま自らだなんて、畏れ多いことですわ」
「リノンも一緒ですから緊張なさらないで。わたしも今日、あなたとお話できることを楽しみにしていたのです」
サフィネとイゼルクが揃って深々と頭を下げる。
エリーズはヴィオルと別れ、リノンとサフィネを連れてその場を後にした。
***
エリーズが今日のために用意したのは、王城に数ある中でも小さめのティールームだった。ガラス張りの窓からは自慢の庭園がよく見える。
三人で囲むのにちょうど良い大きさの丸いテーブルの上には、リノンと一緒に考えた品が並んでいた。粉砂糖を雪のように振りかけたケーキやチョコレートを混ぜたクッキー、花を模した形に飾り切りされた生の果物。万が一、サフィネの口に合わなかった時のことを考えて、彼女の故郷の味に近いという野菜の酢漬けを使ったサンドイッチや干した果物も用意した。
だがその懸念は杞憂に終わった。サフィネは菓子や果物を一つ食べるごとに大喜びしてくれた。
「白いお砂糖をたくさん使うお菓子は、滅多に食べられないんです。ふふ、村の皆に知られたら恨まれるかもしれないわ」
「あは、確かに。黙ってればバレないよ」
「喜んで頂けて嬉しいわ。どうぞたくさん召し上がって」
サフィネはリノンと同じ浅黒い肌と黒い髪の持ち主で、琥珀色の瞳が神秘的な印象を与える女性だった。その瞳がエリーズを映し、柔らかく光る。
「お妃さまのことは噂には聞いていましたが、想像以上に素敵なお方ですね」
「でしょお? エリーズは優しくて頭も良くて、とびきり綺麗で可愛いんだよ」
リノンが得意げに言うので、エリーズは赤くなってうつむいた。サフィネがくすくすと笑う。
「よく分かりますわ。先ほどのヴィオルさま、とても優しい目でエリーズさまのことを見ていましたもの。驚きました。ヴィオルさまは私どもにも目をかけてくださるお優しい方ですが、同時に厳格だとも思っておりましたから」
「そうだよねぇ。ほんと違う人なんじゃないかってくらいエリーズには甘々なんだよ。エリーズにおねだりされたら金ぴかのお城だって建てちゃうよ」
「リノンったら、それは言い過ぎよ」
場を和やかな空気が包む。サフィネの緊張もかなりほぐれたようで、明るい笑顔を見せてくれるようになった。それを見計らい、エリーズは彼女に尋ねた。
「あの、サフィネさん、何かお困りのことはありませんか?」
イゼルクとヴィオルも、別室で同じ話をしているだろう。だがエリーズはこの場で、サフィネにもそれを聞いておきたかった。祖父とはいえ長のいる場や、ヴィオルの手前では言いづらいこともあるのではないかと思ってのことだ。
「トルカサスの皆さまのことはリノンから聞いていますし、書物でも学びました。けれどそれだけでは足りないのだと思っています。本当はわたしが直接にこの目で見るべきなのでしょうけれど……今、何かあればお聞きしたいのです。わたしにできることなら、どんなことでも協力します」
エリーズの言葉を噛みしめるかのように、サフィネは目を細めた。そしてふっと微笑みを浮かべ、深々と頭を下げる。
「お心遣いに感謝します。エリーズさま」
彼女が被っているベールがさらさらと衣擦れの音を立てた。
「トルカサスの民が最も尊ぶもの、それは命です。愛する家族や友の命、私どもの血肉になってくれる牛や羊の命、そして水や土にも命が宿っているというのが、私たちの考え方です。かつて、多くのそれが失われるという経験をしました」
戦禍の中、リノンは両親とはぐれそれきり二度と会うことはなかった。サフィネもおそらく、親しい者を数多く失うという経験をしてきたはずだ。
「ですが今、私たちはその輝きを取り戻すことができました。毎年、畑では麦や豆が実り、村の至る所で産声があがります。それらはすべて、ヴィオルさまが私たちが生きることをお許しくださったからですわ。私どもにできることは多くはありませんが、生まれた場所が異なっていても、私たちはヴィオルさまの忠実な民です」
「サフィネさん……」
「ですから、私どもが望むことは何もありません。お与えくださった場所で、すべての命に感謝して生きる、それが私たちの伝統です」
「とても素敵な考えですね……サフィネさんがいま仰ってくださったこと、ヴィオルに伝えます。きっと喜ぶわ」
そこでサフィネはあるものを取り出した。両手に収まるほどの大きさの木箱だ。
「ご成婚を祝う贈り物は不要とヴィオルさまより仰せつかっていたのですが……私からエリーズさまへの親愛の証として受け取っていただけますか?」
サフィネが木箱の蓋を開ける。アルクレイド王国でもよく用いられるゴブレットのような形の器が姿を見せた。両側に持ち手がついており、金色の表面には細かい模様が彫られている。釣鐘型の蓋には数か所の穴が開けられており、てっぺんには扇子のように広がる尾羽を持つ鳥の彫刻がついていた。エリーズはそれを本で見たことがあった。孔雀という鳥だ。
「これは何かしら?」
「香、というものですわ。この中には特殊な炭と、様々な植物から採れる香料を混ぜたものが入っています。これを焚くことで発せられる香りには、邪気を祓ったり安らぎをもたらすといった効果がありますわ。トルカサスの民は、この香をよく楽しむのです」
リノンが身を乗り出して木箱の中を覗いた。
「お、エリーズ、これめちゃくちゃいいやつだよ。結婚した夫婦に贈られる特別なお香なんだ」
「まあ、そんなにいいものをありがとうございます。喜んで受け取らせて頂きますわ」
するとサフィネは急に神妙な面持ちになった。
「エリーズさま、今リノンが言った通り、これは結婚した夫婦にのみ贈られるものです。使用にあたり、二つ守って頂きたいことがございます」
「は、はい。何でしょう?」
「一つ目、必ず夜のお休み前に焚くようになさってください。そしてもう一つ。これを焚いた部屋には、伴侶以外の方を招き入れてはなりません。絶対にです」
なぜなのかまでは説明してくれなかったが、何かトルカサスの民に伝わるしきたりのようなものがあるのかもしれない。ここは素直にサフィネの言うことを守ろうと、エリーズは頷いた。
「はい。お約束します」
それを聞き、サフィネは再び柔らかく微笑んだ。
「ヴィオルさま、そしてエリーズさまの行く道に幸多からんことをお祈りしています。元気なお子を授かりますように」
***
その夜、ヴィオルより先に寝室に戻ったエリーズは早速、サフィネに貰った香の用意をした。彼女に教わった通り、香炉に火を入れて孔雀の彫刻がついた蓋を閉める。程なくして蓋に開いた穴から、白い煙と共に香りが立ち込める。
「いい香り……」
紅茶に薔薇のエッセンスを足したような、甘く深みのある匂いだった。きっとヴィオルも喜んでくれるはずだ。
エリーズは寝台に座り、香炉から漂う香りを楽しみながら夫の帰りを待った。
次第に、エリーズの胸はとくとくと高鳴り始めた。ヴィオルの姿が頭に焼き付いて離れない。早く会いたい、声が聞きたい、触れて欲しい――更には体がじわじわと熱を帯びて、頭がぼんやりとしてくる。
「ヴィオル……」
エリーズは夫の名を呼んでため息をついた。
***
ヴィオルは浮足立つ気持ちで寝台に繋がる扉に手をかけた。サフィネはエリーズのもてなしに大層喜んでいた。きちんと王妃の役目を果たしてくれた妻をとにかく褒めたくてたまらない。
「エリーズ!」
扉を開けたヴィオルの目に映ったのは、寝台の上で膝を抱えて座り、その上に頭を伏せる彼女の姿だった。疲れて座ったまま眠ってしまったのだろうか。
「エリーズ?」
ヴィオルも寝台に腰掛けると、エリーズが顔を上げた。その瞳はいつになく潤んでいる。
「ヴィオル……やっと、来てくれたの」
エリーズがヴィオルの体にしなだれかかる。体温は高く、鼓動が押し付けられた胸越しにはっきり分かるほど激しい。
「エリーズ、一体どうしたの」
明らかに妻の様子がいつもと違う。そこでヴィオルはふと気づいた。寝室に嗅ぎなれない匂いが漂っている。不快ではないが、異国らしさを感じさせる香りだ。
「ヴィオル……わたし、切なくて……どうにもできないの。お願い、可愛がってください……」
艷やかな唇から漏れる、吐息混じりの甘い声。本当なら何があったのかきちんと尋ねるべきだ。だがすっかり食べ頃に仕上がった愛しい妻の肢体を前に、ヴィオルの理性は燃え盛る炎の中に投げ込まれたひと欠片の氷のように一瞬で溶けてしまった。
「ああエリーズ、辛そうだ。すぐに楽にしてあげる」
酩酊に似た感覚にヴィオルの頭は支配されていく。エリーズの唇に食らいつき、もつれるようにして寝台に深く身を沈め――獣の長い長い晩餐が幕を開けた。
***
翌日。リノンはエリーズと顔を合わせるなりにっこり微笑んだ。
「エリーズ、サフィネから貰ったお香、さっそく使ってみた?」
「え、ええ。とても良い香りがして……よく眠れたわ。ヴィオルも気に入ってくれたみたいよ」
「ふーん。よく眠れた、ねぇ……」
リノンはにやにやしながら、エリーズの心を見透かそうとするような目を向けてきた。
「リノン、どうしたのかしら?」
「あは、エリーズって嘘が下手だよねぇ。そういうところが可愛いんだけど」
「わ、わたし嘘なんてついてないわ」
とうとうそこでリノンはぷっと吹き出した。
「あはは。エリーズったら頑張らなくていいよ。あのお香の匂いを嗅いだ人がどうなるか、あたしはちゃんと知ってるから」
「あっ……」
「ほんとは寝れなかったでしょ? はぁー、陛下って色々とスゴいよね」
エリーズの顔にかっと熱が集まる。リノンの言う通り、昨夜はゆっくり眠るどころではなかった。
ヴィオルとは何度も閨を重ねてきたし、エリーズが指の一本も動かせなくなるほど激しく執拗に愛される日も多々あった。だがその時ですら彼は本気を出していなかったのだと思い知らされた。骨の髄までしゃぶり尽くさんとする勢いで求められ続け、今も地に足がついていないような気分だ。もっとも、エリーズ自身もそれを嬉々として受け入れていたのだが。
香を焚いた部屋に伴侶以外を入れてはならない、というサフィネの念押しはこのためだったのだろう。
「トルカサスの風習なの。結婚した夫婦が初めての夜をあのお香を焚いた部屋で一晩過ごすと、ずっと円満で元気な赤ちゃんをたくさん授かるって言われてるんだ」
「リノン、知っていたのならどうして教えてくれなかったの?」
「えー。だって言っちゃったら面白くないじゃん。エリーズがお香を隠して、陛下のお楽しみを奪っても申し訳ないし?」
「もう……」
とはいえ、サフィネも純粋な好意と祝いの気持ちを持って、エリーズに香を贈ってくれたのだろう。いつかまた、彼女と話をしたいともエリーズは思う。
そこでエリーズの頭にふと疑問が湧いた。
「ねえ、もしかして、リノンもあのお香は使ったの? ローヴァンさんと一緒に……」
「んー? それはねぇ……ひ・み・つ!」
「どうして!? 教えてくれたっていいのに!」
「秘密ったら秘密〜」
身軽な小鳥のように、リノンはエリーズをかわして歩き出す。エリーズはおろおろとその後を追っていった。
***
家の中でサフィネがせっせと針仕事に打ち込んでいると、鍵のかかっていない玄関の扉が外から開けられた。現れたのは馴染みの青年だった。
「サフィネ、お前宛ての荷物が届けられたぞ。王さまからだ!」
「あら、ヴィオルさま?」
先日、アルクレイド王国を訪ねた際は特に忘れ物はしなかったはずだが――
「とにかく来てくれよ。すごいんだ!」
興奮した様子の青年に言われ、サフィネは裁縫道具を置いて家を出た。
畑や家畜を囲う牧草地が並ぶ中、村の開けた場所に荷車が停められている。十数人の好奇心旺盛な若者や子供がそれを囲んでいた。
「サフィネ姉ちゃんが来たぞ!」
一人の子供が声をあげると、何人かが動いてサフィネに場所を譲った。
「まあ……!」
荷車に積まれたものを見たサフィネは思わず声を漏らした。真っ白な砂糖がぎっしり詰まった瓶が村中に行き渡るほどの数もある。更には見るからに質の良い布地や絹の糸など、普段の生活ではなかなか手に入らない品ばかりだ。
「一体どうしてかしら……」
「持ってきた人が、王さまからサフィネへの礼って言ってたぞ」
サフィネをここまで導いた青年が言った。
「お礼をされるようなことなんて何も……」
そこでサフィネはふと思い出した。サフィネから王妃エリーズに渡した結婚祝いの贈り物だ。
「もしかしたら、あれのことかもしれないわ」
「あれってなあにー?」
サフィネの横にいた少女が尋ねる。
「ふふ、内緒」
トルカサスの民に伝わる媚薬の香は、国王夫妻の仲を深めるのに一役買ってくれたようだ。
サフィネは周りを取り囲む仲間たちを見渡した。
「さあ、これは皆で分けましょう。白いお砂糖を使ったお菓子が食べられるわ。国王さまに感謝していただきましょうね」
子供たちから一際大きな歓声があがった。




