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研究施設の中に入り、関係者しか出入りを許されていない2階より上の階を目指す。目指すは俺に用意されている部屋よりもさらに上の階にある、島津さんのために用意されている執務室。途中怖い顔をした警備の職員のいる箇所をいくつか通らなければならいが、今の俺は顔パスで通過することが出来る。
どこかしらの産業スパイが『スキル』を使って俺に変装するだとか、俺を何らかの『スキル』でコントロールし研究成果を盗ませるとか、そんなことを警戒しないのか?と毎度疑問に思うが、ここにいる俺よりもはるかに優秀な職員がそんなこと考えないわけもなし。
最終的にはいつも、俺も知らないような方法でそういった悪意ある部外者を選別する術もあるのだろうという考えに至る。結局は、凡人である俺が心配するようなことではないというわけだ。
目的地の部屋の前に来たので扉をノックして中の様子を窺う。廊下の天井に備え付けられているカメラで俺の姿を確認したのだろうか、しばらくして目の下にクマを作った、少し顔色の悪い伊集院さんが出て来て、何も言われることなくそのまま部屋の中へと招き入れられた。
部屋の奥には書類が山積みとなった机に向かいパソコンのキーボードを叩く島津さんと、彼女の書記官らしい女性。そして書類が机の上に山積みされているにもかかわらず、その向かいにある椅子に誰も座っていない机――多分、伊集院さんの席なのだろう――が、鎮座していた。
「檀上君か、用件は……いや、聞く必要もないか。すまないがそこに座って少し待ってくれ、キリの良いところまで片づけたい」
俺のことをチラ見で確認した後は、そのままパソコンのディスプレイから目を離さず俺に言ってきた。そこ、と言うのは、来客用のソファーを指しての事だろう。立ちっぱなしも目障りだろうから、遠慮なく座ることにした。
「あの……お忙しいようでしたら時間を改めますが?」
「いや、気にしないでくれ。どのみち、ここらで休息を入れたかったんだ。伊集院、悪いが彼のお茶の用意をしてくれないか?」
「分かりました」
伊集院さんが隣接している部屋に行き、ペットボトルに入ったお茶を持ってくる。お湯を沸かす時間すら惜しいのかもしれない。お茶を持ってきた後すぐに自分の席に着こうとするが、島津さんに『あっちに行け』といったジェスチャーで手を振られる。
『休息をとって来い』という意味だろう。少し嬉しそうに微笑み「ありがとうございます」と告げ部屋から外に出て行った。足取りがかなり重そうだ。島津さんの護衛は……ま、大丈夫だろう。ここまで来るには、あの厳重な警備を潜り抜けなければならない。余程の事でもなければ不可能であるし、仮にできたとしても小さくない騒ぎにはなる。その間に戻ってくれば問題ないだろう。
しばらくして秘書官らしき女性の方も島津さんの許可を得て部屋から出ていく。その十数分後、満を持してと言うべきかようやく島津さんも俺の座るソファーの向かい側にドカっと腰を下ろし、疲れを吐き出すように目の辺りをマッサージしながら大きく息を吐いた。
「今度新しくダンジョンに出店する予定の店に関しての事だろ?ひとまずは、これだけの企業が出店に前向きだそうだ」
と言い、いくつかの企業名の書かれた書類の束を俺に渡してきた。シンプルにお酒を売る酒店の企業名であったり、チェーンの居酒屋の名前まである。
「そう言った企業には、事前にドワーフの事を伝えている。勿論口外は禁止、秘匿事項としてな。近々、そこに名前の書いている企業の担当が君に会いに来るだろう」
「ありがとうございます。…すみません、ただでさえお忙しいというのに、こんな仕事までお願いしてしまって…」
「なに、気にするな。この程度の軽い仕事、息抜きにはちょうどいい塩梅だ」
軽い仕事、か。俺ならどのような企業なら安心して交渉が出来るとか、仮に契約内容に不履行があった場合どのような対応と取っていいのか間違いなく判断に迷っていただろう。
「……さ、ハヤト。苦労されている島津さんを癒して差し上げなさい」
そう言って、俺の足元に座るハヤトを抱きかかえ、島津さんに渡す。島津さんも特別犬が好きと言うわけでもないが、子犬を見れば人並みに可愛いと思うだろうし、人並みに癒されるだろう。
俺からハヤトを受け取ると嬉しそうに膝の上に乗せ、お腹、頭、背中と言った快楽のツボを的確に撫で、ハヤトもそれに抗うことは出来ないらしく恍惚と言った表情を見せていた。心なしか、俺が撫でた時よりも嬉しそうな表情を……いや、気のせいだな。気のせいに違いない、うん。




