.9 鉄人と鳥人
シェルド・シリアの背中には、巨大なワタリガラスの翼が隠されている。
彼はヒトであって人間にあらず。
亜人、その新規格の第一世代、あるいは第二世代であり、唯一無二の存在。
今からおよそ十年前、南西部の村を原因不明の劫火が襲った。
全ての住人が焼死したが、その遺体は単なる人間ではなく、いにしえを生きた亜人の特徴を示していた。
だが、のちの教導会によって、それは亜人の生き残りではなく、人為的に別の生物を合成されたものだと判断された。
これは魔技興が発行した新聞に掲載され、誰しもが知っている事件である。
しかし、新聞は解明された事件の全容を語ったわけではなかった。
実験場となった村には生き残りが居た。
当時、片手で数え切れる程度の年齢だった男児、それがシェルド少年である。
彼は実験でカスタムされた人間の男女から誕生した、生まれながらの亜人。
その存在は国家、魔技興、教導会の三者でも、ごく限られた人間しか知らない。
「ありがとう。いのちを救われた。貸しを返されてしまったな」
「どういたしまして、ヴィア兄。恩はまだまだ返し切れてないよ」
シェルドは国家の裁定と監視のもと、教導会と魔技興から尋問と検査を受けた。
事件当初は幼児だったということで、事件解決の糸口になる情報は提供できず、検査では「魔導的には才あり」、身体的には「意図して肉体組織を変容させ、肩甲骨の下から翼を生やすことができる」こと以外は人間と同じ、ということが判明した。
人間と同じ骨格バランスということは、翼による飛行は不可能である。
本人は翼で飛んでいるつもりらしいが、実際は無意識下で魔導的な働きかけが起こっており、現代も生きる鳥や虫、いにしえに存在した鳥人や翼竜とは別の仕組み、いわゆる魔術による飛行であった。
飛行魔術は失われた魔術であり、教導会は彼を欲したが、国家による裁定で、残りの人生を魔技興に預けることとなった。
「重いだろう?」「平気さ」
両腕に成人男性一人分の体重が掛かる。
ヴィアの背にトレードマークのリュックサックがあったら、助けるどころか引きずられて、一緒に岩の波に呑まれただろう。
「見られてないか?」「みんな、岩と巨人に夢中だよ」
シェルドは必死に翼を羽ばたかせ、壁際の足場となりそうな狭い崖へヴィアを下ろした。
事件後、非人道的な実験の疑惑は魔技興側へ傾いていた。
それを国家の裁定で不問とした代わりに、魔技興はシェルドを保護する義務を負い、同時に「彼の異能をおおやけにしない、使用しない、解明して転用しない」という条件が課せられたのである。
つまりは、少年の救出の手段は、知られれば彼の保護組織に制裁が加えられかねない行為であった。
「シャツが破れてるぞ」「脱いでる暇がなかったんだ」
翼を肉体の中に隠すと、背中が凍えた。そこに暖かな感触。ヴィアの毛皮の上着だ。
――あの時も、こうして貰ったっけ。
禁忌を冒してでも「兄」と慕う人間を救いたかった理由。
シェルドは魔導技術興業に保護され、成長したのちは広報部から独立した新聞社に就職していた。
新聞社はその正体を知らされずに上層部から彼を託されており、腫れ物のように扱っていた。
いたが……彼が撮影する独特な――まるで被写体を空から見下ろしたような――写真が世間に高く評価され態度を一変させている。
しかし、取材地にて翼を使用した現場を原住民に目撃され、その上に相手がクマ信仰の部族で、ワタリガラス信仰の部族と目下戦争中のところであった。
少年は敵部族の神、つまりは魔物として処刑台の油壷に放り込まれた。
ところが壺に火が放たれる刹那、“魔狼ルプス・ディモ”を彷彿とさせる人狼が乱入し、彼を連れ去ったのである。
それがステラ・アグリであり、また、油壷の魔物が翼の生えた少年だと見抜いたのはフリーの情報屋ヴィア・ヴィルであった。
当時の少年は、魔技興の威光を背に、作法や人心を顧みない稚拙な取材を繰り返していた。
そこに灸を据えられ、同様に亜人である存在に救命され、同業者で商売敵である存在に取材のイロハを叩きこまれたのである。
「事件が弾けた! って感じで良いね。図らずも空撮!」
崖に立つ少年は、魔像機で崩落現場と、歩き出した黒鉄の騎士を撮影した。
「疑われるような写真を撮るんじゃない。救出を手伝いに降りるぞ」
ヴィアは崖を触って確かめたあと、ザイルの鉤を崖へ引っ掛けた。
「あんなの助かりっこないよ」
「魔導士の数名が防御魔術を張ったのが見えた。軍人たちの肉体も岩に負けないはずだ」
「下まで運ぶよ」
「見られたらマズい」
「えーっ。時間が掛かるって」
――バレなきゃセーフじゃんか。誰が困るわけでもないのに。
シェルド少年は肩を落とし、慕う兄に倣って鉤を引っ掛けた。
「良かった、逃げられたのね!」
ステラがつれあいを見つけ、硬い抱擁をする。ヴィアは「それどころじゃない」と言って離れた。
「相変わらず抱き返してやらないんだね。それじゃあ、俺も助けた甲斐が無いなあ」
「シェルドが助けたの? なるほど、上に逃れたのね。わたしも、裏返ってでも掘り出す気だった」
「ステラ姉さんのことも救ったってところかな?」
「そうかも。可愛い奴!」
シェルドにも熱い抱擁が贈られる。
――ステラ姉は柔らかいんだけど、ほかの女の子より芯のほうが硬い感じがするなあ。
彼は未成年のくせに軽薄であった。
「遊んでる暇はないぞ。鉄人が動き出した」
鎧の巨人が足を踏み出すと、瓦礫の足場が追撃を起こす。
作業員たちは救助活動を中断し、慌てて逃げ出した。
「でっかいわね。あれってなんなの?」
「ここで発見された古代文書にあった守護者ですよ!」
赤ローブの男が割って入る。
「あら、生きてたの。警備兵なのに壁の中で寝てたなんて、クビ待ったなしね」
「我々はあれを“魔導生物マジカ・イドル”と呼んでいます。これまでは文献の中だけの存在でした。壁の中にあったら気付かないわけだ!」
「シェルド、鉄人を調べてくれ」
「了解!」
兄貴分の指摘に応じて、少年はシャッターを切った。
赤い瞳が魔力視を絞り上げ、感魔紙に魔力の発光が強調された像が浮かび上がる。
「気持ち悪っ! なんだこれ!」
写された鉄人は全身にぼんやりと紫色の魔力を纏っているほか、人間でいうところの心臓と脳の部分が強く青色発光をしており、更に全身を植物の根のような、つまりは血管のような光を巡らせていた。
「この写真だけで、よおく分かりますよ。これは生物ではなく、人工的に造られた魔力で動く人形です!」
“指”の男が興奮気味に解説をする。
「で、自分たちで造った警備兵を埋めてしまう理由は何かしら?」
「恐らくは、欠陥があるとか、不要になって破棄したとか……。その両方ですかね?」
「両方? 確かに勝手に暴れてるけど……」
鉄の騎士は明らかに作業員を狙って腕を振っている。こぶしが地面に当たると、岩石の破片が辺りに散った。
作業員たちも命は惜しいのだろう、許可も無しに巨大アーティファクトへ反撃を行っている。
軍服姿が魔導小銃を構え、破裂音と共に弾丸を撃ち込むも、鎧に弾かれてしまうようで鉄人の動きは止まらない。
魔導士が両手を掲げて炎を作り出し、地面に突きこまれた腕を猛火に巻くも、これも効果が無いようだ。
「写った青い光は、劣化した魔力ですねえ。心臓部は宙に浮かぶ“神の心臓”の小型版といったところでしょう。古くなった炉が廃魔力を発して、頭脳部分を冒しているんです。自ら濁った魔力を発しているのは、長年瘴気に晒されたせいで、“マジカ・アクティブ”な性質を獲得してるからでしょうな」
「「マジカ・アクティブ?」」
シェルドとステラは揃って首を傾げた。
「強い魔力の影響を受けて、帯魔限界を超えて自ら魔力を放射する性質を獲得した物体のことだ」
ヴィアが解説する。
「どゆこと?」
ステラはまた首を傾げた。
「あれの全身からは、目に見えない強い瘴気が出続けているということです。なんとしても止めなければなりません」
老年の女性の声が割って入った。
紺碧のローブ姿、フードを外すと、凛とした顔立ちの老女が現れる。
「“掌”!」
「部外者にマズいものを見られてしまったわね。あなたも、やすやすと研究成果を話さないで」
「す、すみません」
上司に叱られ首を縮める“指”の男。
「軍部の指揮官がここに来るには時間が掛ります。人命第一です、救助活動を優先させて。作業中は私が動きを止めましょう」
「了解しました。んじゃあ、私は治療班の指揮を執ってきますのでお任せしますね」
赤ローブはそそくさと去って行った。
「部外者は離れていなさい。全力でやります」
老女が鉄人に向かって両腕を掲げると、紺碧のローブが赤い魔力の激しい光に包まれた。
「それは金縛りの魔術ですね。いやあ、こんな強い魔力、見たことありませんよ!」
シェルドは“掌”と鉄人を一緒に画角に収めた。心の中で老婆が繰り返した「部外者」に悪態をつきながら。
――教導会の“掌”と、古代兵器の対決構図。これはスクープ写真だね。もっとも、記事にはオチが付きそうだけど。
「……指一本すら止められない。“腕”や“頭”が束にでもならないと無理だわ」
「束になるほど居るんですか、それ?」
「国軍にだってあれを破壊できるかどうか」
「うちの兵器ならやれますよ。部外者ですけど」
「魔技興が? 私たちでもダメなのに、商売人なんかが敵うはずないわ」
「だったら、これ、どうするんですかねー? ……って、ヴィア兄は何してんの?」
探険好きの男は、何やら黄金に輝くプレートを地面から拾い上げている。
「ケチな情報屋。火事場泥棒はよしなさい。それは王族の副葬品の盾で、魔力的性質を持たないアーティファクト崩れよ」
責任者がヴィアを睨む。
「戦闘中の作業員を全員下げさせてくれ」
彼は責任者を無視し、盾を掲げたまま鉄人のほうへ歩いて行った。
「わたしも手伝う!」
ステラも金の錫杖を握ってそれに続く。
「なんなのあいつら!?」
紺碧のローブが頭を抱えた。
「アイディアがあるみたいです。ヴィア兄の言う通り、軍人さんと魔導士さんを下げたほうがいいですよ」
“魔導生物マジカ・イドル”。古代文書の記述にのみ存在を示されていた防衛兵器。
鎧の巨人の役目は、王族、国民、そしてその財産を守ることにある。
王家の墓を暴く者が現れれば、優先的に排撃しようとするのは当然だ。
宝物を持った盗掘者を捕縛せんと、巨人は鉄のこぶしを向ける。
情報屋のふたりはその猛攻をかわし、逃げに徹した。
「悪くない動き。一般兵以上ね。でも、いつまでも続けられるわけがないわ。ほかの者と交代させて、疲労の治療を」
「その必要はありませんよ。ふたりとも、足腰は鍛えてるほうなんで」
かたや、日常的に巨大で超重量のリュックサックを背負って険しい山道を踏破する男。
シェルドの目には、今日はその重りから解放されている上に、遺構探索とイレギュラーな事件への興奮も得て、テンションも高めと見える。
かたや、人狼の血をその身に流す女。彼女は裏返ってすらおらず、コートも着たままでも、汗一つ掻いていない。
――で、サポートするのは弟分の俺の役目。
新聞屋として培った経験、兄貴分から教わった観察眼。加えて、魔技興純正の魔像機。
巨人の足元に居るふたりからは、詳細な観察が不可能だ。
シェルドはどこか自社の製品に似た、からくりのような動きをする鉄人を、赤い瞳とレンズのふたつで調べ上げる。
力の要りそうな動き、こぶしを使うとか、踏みつけるとかする際には、魔力の流れが強まるらしい。
「また大振りパンチ! 見飽きたわね!」
ステラが足を踏ん張る。恐らく左へ飛ぶ。……しかし。
――腕よりも腰のが強く光った!
「ステラ姉、うしろに飛んで!」
野生の勘か、ステラはそれに即座に従った。
当初に逃れようとしていた先も含めて、鉄の掌が薙ぎ払った。
――今の動きで見えた。あの“腰”は“腰”じゃない。“軸”だ。
一応は人体を模した形状を取ってはいるが、関節部のほとんどは機械的な動き。
模倣が不完全であると同時に、重機としての利点を残しているとみた。
「ふたりとも、そいつは首や上半身が、グルっと一回転するはずだ」
「後ろに回っても無駄ってこと?」
「逆だ。ステラ、やつを挟むぞ!」
ヴィアが鉄人の背後に回る。鉄人は上半身をぐるりと半回転させて彼を追った。
「こっちよ!」
ステラが金の錫杖をふりふり呼び掛けると、鉄人は今度は首だけを回転させて振り返った。
「おや? こんなところに棺桶があるな」
ヴィアが足元の瓦礫を踏みつける。
すると鉄人は、兜の奥の目を真っ青に光らせ、顔と胴体を同時に半回転させた。
「今のは嘘だったんだが、人語を解するなんて興味深いな」
墓を踏みにじる賊へ、鉄の腕が振り上げられる。
あるじの眠りを穢さんとする巨悪への鉄拳制裁。レンズを通さずとも見える全身の青い発光。
しかし、鉄人はこぶしを撃ち込むどころか、バランスを崩してヴィアのほうへと倒れ込んでしまった。
彼は股下をすり抜けて逃れる。
「あはは! 上半身が反対のままパンチしようとするからだよ!」
シェルドは藻掻く鉄人を指差し笑う。もちろん、今の様子もバッチリと魔像機に収めさせてもらった。
――やっぱり、あのふたりは面白いし、尊敬できるね。
シェルド・シリアはあのカップルが大好きだった。
「軍が到着したわ。大砲が見える。ふたりとも急いで撤退して!」
紺碧の老女が声を上げる。
――もうひとり。俺の敬愛するお人が来たね。
シェルドは崖上を見て口元を釣り上げた。
国軍の一団、指揮官の横にはファー付きのスーツ姿の壮年の男が立っていた。その胸には黄金の翼のワッペンが眩しい。
「……みんな、もっと距離を取って! うちの新製品のお披露目だ!」
「撃てーーっ!」
指揮官がサーベルで勢いよく巨人を指すと、横に鎮座していた大砲の筒の中が赤く光り輝く。
次の瞬間、いかづちのような閃光と轟音が大空洞を包み込んだ。
……閃光が消え、視界が取り戻される。
鉄人の倒れていた地面は瓦礫ごとすり鉢状に失われ、ひしゃげた四肢の一部を残して粉微塵となっていた。
それをやすやすと成し遂げた崖上の魔導砲は、一服と言わんばかりに蒸気を吹いており、指揮官やその部下たちは、歓声を上げて子供のように跳ねていた。
「ガーディアンを、たった一撃で……」
声を震わせ崩れ落ちる老女。
「どう? これが俺の尊敬する人たちの力さ。ばあちゃんの言う、部外者ってやつだけどね」
「まるで、太古の魔法大戦。……おとぎ話だわ!」
「これは現実だよ。そして、太古の昔なんかじゃない。今さ」
シェルドは笑いながら腰を抜かした老女に肩を貸した。
過去と組織にこだわる輩に一泡吹かせられて満足だった。
ところが、ふたりが立ち上がった瞬間、大空洞のあちらこちらから轟音が響き、大震動を起こし始めたのである。
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