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.8 湖と空洞

 巨大な湖の底よりも、更に深淵の世界に存在する大空洞。仮称、スぺクルム湖地下遺構。

 そこには小さいながらも、いにしえの王都がある。

 学者がいうには、これは埋まったものではなく、古代にできた空洞を利用してその中に王国を作り上げたものだ。

 青空の代わりに岩の天井が、山や地平線の代わりに岩壁がはだかっており、崖になった降下用の道の眼下には壁と同色の町が広がっている。

 中央の王宮を囲うように、区画分けされて配置された建物と放射状の道は芸術的といえる。

 果てある景観であるが、不思議と息苦しさよりも広大さを感じさせた。


「壁や建物がぼんやりと光ってない?」

「帯魔した地衣類や苔が張り付いてるのだろう」


 ヴィアとステラのふたりは調査団の案内役の“指”に連れられ、少年シェルドと共に揃いのライト付きヘルメットを被り、ピッケルとザイルを携えて足を踏み入れた。

 地面は岩でなく、堆積した石粉と何かの有機物が混合した黒土で出来ている。

 そこには光る苔と同じように、僅かに発光した雑草や、中部や南部でも見かける花が咲いている。

 しかし、それらには地上のものと異なった点があった。


「葉まで白い。葉緑体を持たないのか?」

 ヴィアは屈みこみ、真っ白な野草を観察する。

「その通りですよヴィル氏。この空洞独自の進化を遂げた種で、葉緑体の代わりに魔力の受容体を持つのです」

 赤ローブの男が解説する。


「綺麗だわ……」

 ステラが溜め息をつく。苔や草は天井にも散見され、光る雲の浮く夜空のようであった。


「俺としては、“あれ”が気になるんだけど」

 シェルドが見上げるのは、閉じた空に浮かんだ巨大な球体。

 それはマグマのように赤く光っており、脈打つ心臓のように一定の間隔で魔力の波動を生み出していた。


「あれは、この王国で太陽の役目を果たしていたアーティファクトです。遺されていた文献にもたびたび出現するもので、古代言語で“神の心臓”を意味します」


 圧巻であった。ヴィアもこれの存在を、新聞記事の文章だけで知っていた。

 思わず腹の前へ手をやったが、そこに黒い箱は無かった。フリーの情報屋である彼に撮影許可は下りていない。

 今回の見学では魔像機と同じく、彼のトレードマークの巨大なリュックサックも地上に置いて来ている。


「ガッカリしてる」

 ステラが笑いながらつれあいの腰に抱き着く。


「歩きづらいからよせ。あの球体は、かなりの魔力を発してるな。鏡化現象や水中オーロラの原因か?」


 鏡化現象。

 唐突にスぺクルム湖の水中が発光し、表面の氷の透明度が上がって、空や覗き込む者を鏡のように映し出す自然現象だ。

 これは、水や湖底が精霊を飽和させることで起こると言われている。

 水中オーロラもそれに類するものだという。


「生き物にも影響が出てそうね」

「取引されている魚は普通だった。魚の集まる温度の高い中間層にまでは、魔力が届いていないんだろう」


「でも、あのうわさがあるよ。やっぱり“居る”んだよ」

 少年が言う。

「何がだ?」

「ヴィア兄、まさか知らないの? スぺクルム湖の幻獣の話」


 一年を通して分厚い氷に覆われるスぺクルム湖は、現地人の生活のかなめである。

 穴を開けてそこから魚を釣り上げたり、透明度の高い氷を切り出して飲料水にしたりし、ただ広い平地ということで、その上にそのまま集落が築かれている箇所すらあった。

 そんな人々の暮らしが根付く湖には、幻獣のうわさがあった。


「ああ、水竜ロング・スコリか……」

 魔動船のような巨大な身体に、二対の大きなヒレを持ち、その首は蛇のように長く伸びている。

 古代竜の一種の生き残りと囁かれるそれは、現地人にたびたび目撃されている……らしい。

 実際にそれを感魔紙に写し取った者は居らず、証言者の大抵は酔っ払いで、スケッチもヴィア並みの腕前であった。

 湖畔に教導会や国軍が駐留するようになっても、いまだに物証の上がらない幻獣である。


「あれって魔狼の話よりも嘘っぽいのよね。首を氷の上に出してたとか、その顔が光ったとか」

「ふたりとも信じてないくち?」

「居たら素敵だな、とは思うけどね。……水棲の古代竜は肺呼吸だ。……古代竜が生き延びれるほどの餌はあるのか?」

 ステラはつれあいの口調を真似た。


 一行は黒土と光苔の斜面をくだり、地面と同じ色をした町並みに踏み込む。

 調査は現在進行形で行われており、シャベルやツルハシを担いだ作業員や、箱一杯の遺物を抱えたローブ姿、魔導銃を提げた軍服姿が行きかっている。


「あれって食堂? 南部イモのスープの匂いがするんだけど。ヒツジのお肉入りね」

 ステラが指差す大きめの石造りの建物の煙突からは、煙が立ちのぼっている。


「いちいち地上まで戻るのが面倒でして。物資を持ち込んで居住も行えるようにしてます。……ところで、お嬢さんは鼻がよろしいのですねえ?」

 案内役の赤ローブが鼻を鳴らして首を傾げた。


「わ、わたしとヴィアは南部の出身だから! うちでもよく食べたメニューなんです!」

 ステラはやや慌てて言った。食堂の建物はかなり離れていた。

 その様子を見てシェルドが笑う。


 “指”の男の解説通り、古代王国は発掘作業員たちによって使われていた。

 当時の食堂は現代も食堂として、王宮は現場指揮の中枢と発掘品の保管庫として。

 古代魔導技術を利用したアーティファクトも、研究と保護が必要な一部を除いて、本来の役目通りに稼働している。

 あの宙に浮く“神の心臓”も教導会が再起動したらしい。

 発掘機材と生活用の家具については、国軍が魔技興製のものを持ち込んでいる。

 人工物以外にも、井戸の地下水も生きており、なんと川までもが流れて湖と同種の魚が釣れる。

 地吹雪や低気温に悩まされない分、ここは地上よりも暮らしやすいという。


「王国の人間も時折、地上に出て狩りをしたり、土を持ち込んで菜園を作ったと書いていたな」

「ですねえ。古代人の生きた文化を調べるのも、我々教導会の使命です。それが、魔技興の連中ときたら、アーティファクトに使われている技術ばかりに……おっと、これは失礼」

 “指”の男が魔技興の新聞記者を見て首を縮めた。


「お気になさらず。うちの悪口は聞き飽きてますから」

 少年がすまし顔で返す。彼はなぜか王都の風景や作業員ではなく、案内役の彼を撮影した。


「勘弁してください。我々は我々で過去に囚われたミイラだ、なんてよく言われてますよ」


「過去に囚われたミイラ、ねえ」

 シェルドは王宮を遠い目で見つめる。ふと、歯を見せると赤ローブの腹を指でつついた。

「……ところで、もうちょっと南方にある竜の顎で掘り出してるドラゴンの骨。あれを復活させようとしてるって本当ですか?」


「たましいの散った古代生物の再生なんてできませんて!」


「でも、うわさになってますよ。“指”も中間管理職だから、何も知らされてないだけじゃ?」

 シェルドは笑いながらひとさし指を立て、それから五指を開いてみせた。


 現場指揮官クラスの“指”であるが、ここへ来るまでにいくつもの赤ローブを見かけている。

 この巨大遺構の調査では、更に上の地位の“(たなごころ)”が本部から出張っているらしい。


「下っ端なのは認めますけど、“(たなごころ)”のかただって千切れた指を繋ぎ合わせるのが限界、“(かいな)”の有名な治療術師のかたですら、四肢の切断の完全な再生すらできないのに」

「そのくらいなら、医学者なら魔力に頼らなくても出来るけどね」

「シェルド、仕返しはそのくらいにしておいてやれ」

「了解、ヴィア兄」

 敬礼をする少年。赤ローブは溜め息と共に胸を撫で下ろした。


「実際に、古代文明の魔術なら死者の蘇生はできたんですか?」

 ステラが訊ねる。


「痕跡は残っているのですが、物証が無いのですよ。まあ、生き返っても、もう死んじゃってるんでしょうけど。その痕跡も、現代の大掛かりな魔法陣や結界配置などとは異なりますし、我々から見てもデタラメっぽいというか、部族のシャーマンの儀式のように映ります」

「つまり、試しはしていたけど眉唾ってことですか?」


「今のところはその学説が優勢です。形骸化した様式が残っていただけで、実際には現実的な魔術で蘇生していた可能性は残りますけど。現代の本物のシャーマンもそうしてますし。今でも、たましいが肉体から離れる前に損傷を修復して、心臓を再起動させるきっかけを与えれば、理論上は蘇生ができますが、まあそれは、いわゆる冬眠の延長のようなものですから……」



 ――蘇生術か。永遠の命と並んで、いにしえの権力者たちが見た夢。



 ヴィアたちの横を作業員の一団が通り過ぎる。白骨化遺体が担架に乗せられて運ばれていた。


「この先は、王宮の宝物庫と共同墓地のあった区画になります。埋まってしまっていますが、王族と一般国民が同じ墓に埋葬されていた可能性が指摘されています」

「みんな仲の良い国だったのかしら? 崩落があったんでしたっけ?」

「我々がこの地を見つけたときにはすでに崩れていました。自然災害のたぐいでしょう」


 向かう先の壁は一部がえぐり取られたようになっており、そこだけ光る苔が生えていない。

 ヴィアは貸し出されたピッケルとザイルを触って確かめた。

 掘り出し作業の手伝いも体験させてもらえることになっている。

 魔力の籠ったアーティファクトを発見したとしても、触ることも許されないだろうが、彼は発掘作業への参加と古代の香りを感じられるだけで満足である。


 大空洞の壁際の一角、無数の岩石で埋まった区域。

 そこでは屈強な肉体を持った国軍の兵士や、治療や疲労回復の術に長けた教導会の魔導士、魔技興製の土木工事の機械が活躍していた。


「ありゃ、二世代も型落ち品を使ってるんですか?」

 シェルドがベルトコンベアを見て声を上げた。

 コンベアは苦し気に黒い煙を吐きながら崩落現場から岩を運び出し、別の岩の小山をいくつも作り上げている。


「国軍も予算が足りないんじゃないですかね?」

 そっけなく言う“指”の男。


「旧規格は排除しなくては……ってのがボスの口癖。今頃、地上で最新型の宣伝をしてるんじゃないかな。新しい機材は値段も安いし、瘴気を濾過するフィルターも試験的に実装されてる。地下洞窟で煙を吐きっぱなしなんて、身体に良くないでしょう?」


「我々も瘴気の安定化の魔術は心得てますが、いかんせん人手不足。過労になれば我々自身が瘴気のもとになりますし、それはありがたい技術ですね」

「でしょ? おっさんも魔技興のこと、もうちょっと好きになってよ」

 シェルドがまた赤ローブの腹をつつくと、「まだ三十歳」などと聞こえた。


 ここの発掘現場は、竜骨掘りのものとは打って変わって、ツルハシは無遠慮に打ち込まれ、魔術的な力による岩石の粉砕まで行われている。

 岩の下に眠る施設に到達できたのは、まだほんの端だけで、それも圧壊して瓦礫の山となっており、研究対象までの道のりは遠そうだ。


「発掘というよりは、救助作業っぽいわね」

 オオカミの血を持つ女が、人の頭ほどの岩をよいしょと持ち上げる。


「ステラ姉さんは相変わらず力持ちだね」

 その様子をシェルドが魔像機を構えてシャッターを切った。


「可愛くないところ撮らないでよ。ねえ、ヴィア! これのどこが楽しいの?」

 ステラは、ひときわ大きな岩のテーブルの上で作業するつれあいを見上げて声を掛けた。


「全部だ」

 そう答えるヴィアはピッケルや棒を使い、小さな石の除去作業を手伝っている。


「とっても地味な上に、超肉体労働。これが楽しいなんて嘘よ……って言いたいけど」

 ステラは不満気につれあいの顔を見て、ちょっと悔しそうな表情をしてから笑った。

「夢見る男の匂いね。ほかの連中のよりもとっても魅力的」


「何か言ったか?」「なんにも!」

 ステラは、ぷいとそっぽを向いた。ヴィアは首を傾げる。



 ……視界の隅で、石が転がった。砂粒や小石も小刻みに振動している。



「地震か!?」

「精霊脈や断層は無いって言ってたのに!」

 ヴィアの横に居た作業員が足場の石の山から足を滑らせ、尻もちをついた。


「この震動は……震源が近い。すぐ上だ!」


 崩落現場の壁が更に崩れた。岩だけでなく土も含んだ壁の中から、「何かが手を伸ばした」。


 ヴィアのグレーの瞳は確かにそれを映す。

 伸びた腕は金属製のグローブに包まれており、その先には同じく金属衣装の胴体。

 それは煌びやかな装飾の施された、どこかの王国の騎士の鎧を彷彿とさせる。


 だが、その騎士は、人間数人分ほどの高さを持っていた。


「鎧を着た巨人? そんなものが……」


「ヴィアーーッ! 早く逃げてーーっ!」

 下からステラの悲鳴。


 巨大な甲冑が現れたのは発掘現場の上方、奥。

 再崩落した壁と積み重なっていた岩石が混ざり合い、岩雪崩となって押し寄せ始めていた。


 ヴィアは逃れようと流れに向かって直角を向き、足に力を入れた。

 しかし、その分だけ、足場が沈み、無数の暴力が瞬く間に迫った。



 ――しまった!



 呑まれると思った次の瞬間、ヴィアは岩の濁流に呑まれる作業員や機材、それからなんとか逃れたつれあいの姿を見下ろしていた。



「間に合って良かった!」



 ヴィアの右腕は真上に持ち上がっており、その手を誰かがしっかりと握っている。


「シェルドか。助かった」


 ここは大空洞、岩の空。

 ヴィアを空中へと助け出したシェルド・シリア少年の背中では、黒く大きな翼が伸び、力強く羽ばたいていた。


***

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