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.6 冬の世界



 ――問われた気がした。



 母オオカミを見逃そうとしたおまえが、同族(ヒト)を殺そうとするのか?

 世界の機関どもの駆け引きを、凍ったレンズで見つめるおまえが、諍いの油壷へ火を注ぐのか?


 ヴィアの灰色の瞳に映った炎は何も答えない。

 彼の隣のステラも、いつもよりも離れて座り、沈黙を守っていた。


 タラン・ドラスは彼らの前に姿を現したのち、そのまま立ち去っていた。


 意識を取り戻した狩人ロッサ・テランは「偽の魔狼などではなく、本物の幻獣を追う」と、妹ローシャの制止も聞かずに森へと駆けて行った。

 ローシャは森とふたりを見比べていたが、ステラに言われ、逃げるように兄の背を追って行った。


「食べられるもの、獲ってくるね」


 ステラも丸太小屋の前の焚き火から離れた。残された男が見上げれば、月すらも雲に隠されていた。



 青年ヴィア・ヴィルには、魔狼ルプス・ディモを追う目的こそはあったが、旅そのものの理由は単に、探求心と好奇心を満たすためであった。

 それに都合の良い仕事が情報屋であり、遺構探索や生態調査だった。

 旅先で多くを見るうちに、人の営みが自然を破壊し、精霊を消し、獣を追いやっていることを知り、憤っていた。

 同時に、人々もまた変化による受難と選択のときを迎えているのも理解しており、彼はその狭間で、ただ事実を魔像機の四角いフィルムに写し続けていた。


 馴鹿タラン・ドラスは、清廉な魔力を蓄え、その影響で成長限界が取り払われただけの、ただのシカ類である。

 あれもそうだ。


 だが、馴鹿を見た途端、彼の知識の一ページの中にスケッチされた――太古の昔にはあれが群れを成していたという事実――その像がありありと浮かび上がり、何もかもを押し流してしまったのである。


 ただ立ち尽くしていた。

 つれあいの正体を流布されぬようにと振り上げたナイフも、古代への憧れや自然保護への青い想いを写すためのレンズも忘れて。



 ――どちらでもないんだ。



 問い掛けに対する答えは初めから持っていた。

 どこかの機関に肩入れすることも、自然をないがしろにすることも、ヒトの進歩を諦めることもしない。


 ただ、瞳に映るままに。


 大切なつれあいの危機のためなら、魔に堕ちるのもためらわないのだろう。

 見知らぬ若い娘に対してでも、自然とナイフに手が伸びたことにも少し高揚していた。

 だが、あの幻獣を見たら害意を忘れてしまい、ヴィアはそれで良かったのだと考え直した。

 彼はなんとなくではあるが、人狼の力を使ってでも自分を止めなかったステラも、自分と同意見なのだと感じた。



 ――逃げられてしまったな。



 首に掛けた黒い箱、その青みがかった単眼を見つめる。

 撮れた写真は一枚だけ。人狼に向かって弓を引く耳長の男の画。


 ヴィアは写真を破くと、焚き火にくべた。

 それから、レンズと同じ眼を持つ女が戻ってくるのを待った。



「また写真燃やしたでしょ。その臭いの付いたお肉は食べたくないかな」



 首に巻きつく温かな腕。つれあいの鼻がヴィアの首元で深く息を吸い込む。


「獲物が獲れたにしては早かったが」

「文句を垂れてみたかっただけ。コケモモくらいしか見つからなかった」

 しなやかな指が彼の口へ赤い実を押し込んだ。


「……保存食はまだ沢山ある」

 ヴィアはリュックへ手を伸ばそうとするが、拘束されて身動きが取れなかった。

「今日は何度も裏返ってるんだろう?」

「わたし、射ち殺されるところだった。よく、わたしに追い付いて、見つけてくれた……」

「足腰は鍛えてるんだ」

「古代人のアーティファクト頼りのくせに」


 ステラが腕をほどき、笑った。

 ヴィアは毛皮の防寒具の下に、古代の遺構から発掘された特殊な布地を織り込んだズボンを履いていた。

 教導会の研究者が言うには、その布は当時は包帯として使われていた代物で、魔力に反応して肉体の回復を早める効果があるのだという。

 教導会としては見飽きた布切れであったため、ほかの遺物との交換で量を揃えてもらい、魔技興の機械縫製技術を使ってズボンに仕立てたのだ。

 自身よりも重たいリュックサックを背負いながらも小川を飛び越えたり、人狼を追い掛けることができたのも、これの効果によって鍛えられていたからだ。


 ヴィアは焚き火に雪を掛けて消し、薪に脂を塗って指を鳴らし、火を点けた。


 彼もまた魔導に通じる才がある。

 といっても、教導会で言えば下から二番目の“指”にこき使われる程度だし、正式に訓練しても、せいぜい小さな集落のシャーマンになれるかといったところで、古代のアーティファクトや、魔像機などの魔道具を使用したり、ちょっとした着火ができる程度である。


「食料は右のポケットだっけ? あれ? 左?」

「北部に入ったときに予備の水筒と一緒に真ん中に入れ替えたろう」

「そうだった。だから、わたしの服に燻製の匂いが付いてたのね」


 一方でステラは魔導的に不器用なほうだった。

 村の学校の魔導関連の授業では昼寝をしていたし、人狼となってからは尚更で、成人するころには完全に魔力を扱わなくなっていた。


 ヴィアはそれで良かったと考えている。

 不安定な肉体を持った彼女が魔導士並みの魔力を蓄えたとしたら、心までケモノに染まっていたであろうから。


「……今、わたしのこと見て笑った?」


 オオカミ女は保存用の燻製肉を火で炙っている。

 彼女が生肉を口にすることは見たことがない。


「ひとつ、希望があるんだが聞いてくれないか?」


 肉の咀嚼を止めるステラ。


「……故郷に帰れっていうのなら、帰る」


 叱られたイヌのような上目遣い。


「追いたいんだ」

「やっぱり、殺すの?」


「誰も殺さない。追うのは馴鹿のほうだ」

 黒い箱を手にするヴィア。


「……でも、わたしと居たら、あなたも追われる身になるかも」

「それを防ぐ意味合いもある。逃げた連中をフィルムに閉じ込めたい。馴鹿に矢を向けた現場を押さえれば、人狼の話を狂言だと言い張ることも簡単だ」

「確かに、幻獣の密猟者らしい言い逃れに聞こえるものね」


 ステラは鼻を鳴らし、それから空を見上げた。

「また雪になるわ」

 彼女は残りの肉を咥えると火を消し、靴紐を確認しはじめた。


「焦らなくていい」

「この前の山みたいに積もったら、音も匂いも隠されてしまう」

「あの馴鹿は見たところ、“冬果ての氷河”に面した海岸沿いに生息していたものと同種だ」

「していた?」

「教導会が絶滅認定している。その生き残りだとすれば、春に近付けば決まったルートで北上する」

「でも」

「どの道、北上すれば雪は深くなる。ゆっくり休もう。久しぶりにベッドが使える」


 ヴィアは兄妹の小屋を見た。


「それは嫌。ムカつく臭いがしそうだもの」


「そうか」

 腰を上げテントへと足を向けるも、ステラが彼の手を引っ張った。


「あなただけ小屋を使って。朝起きたら、あなたもヒトでなくなってた、なんてことにしたくないから」

「満月のたびにそう言ってるが、ずっとヒトのままだ」


「今日は特にダメなの!」

 焦げた薪が胸へと投げ付けられる。


 

 雪と風は次第に強くなり、瞬く間に広場と森の草地の境目を隠した。

 春はまだ遠く、冬の世界は今日のふたり――特にステラ――にとっては、酷く寒いものとなった。

 長年のつれあいはそれを良く見抜いており、小屋から出るとテントに被った雪を一度落とし、凍てた心を溶かしてやるために入り込んだ。



 翌朝。外は静かだった。

 深夜は吹雪いていたようであるが、極北クジラの骨と、六角浜アザラシの革で作ったテントは雪の重みにたゆみすらもしていない。


 闇の中、ヴィアが魔導式発熱ランプを起動すると、座り込んだステラが現れた。

「あなたのことで凹んでたのに、あなたに慰められるなんて、立場無しね」

 虹色の糸で髪を束ねながらはにかむ女。


「テントを畳むぞ。その服装では不審がられるから、コートも着ろ」

 毛布代わりの毛皮のコートが半袖の女の頭に引っ掛けられた。


 テントに使用されているクジラの骨組みは、ばらしてリュックに上手く納めなければならない。

 荷物の重量の大半をこれが占めるうえ、設営と解体には大きな手間も掛かるため、状況によっては野宿を選ぶことも多い。

 だが、この頑丈な骨をリュック内に上手く配置することで、リュックを巨大な盾のように扱うこともできる。

 獣の牙爪は言うまでもなく、昨日の帯魔したロッサの矢や軍用の魔導銃の弾ですら防ぐだろう。


 ヴィアが片付けているあいだにステラがコーヒーを沸かし、半分凍った野菜とハムを煮込み、スープの中に硬い黒パンを放り込んだ。


「やっぱり、ふたりは帰って来なかったみたいね」

「ろくな準備をせずに出たのなら、どこかで補給をするだろう。こちらも“アロピアス山脈”を抜ける前に補給をする」


「了解……って、アロピアス山脈!?」


 ステラはスープの匙を落っことした。


 アロピアス山脈は、世界最高クラスの峰をいくつも持ち、前人未到の地を多く含む、世界で最も厳しい永久の冬の世界なのだ。


***

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