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.31 空と大地の狭間で

 風の吹く丘の上で、イツミ・ツニッチの遺骸が生まれたままの姿で曝されている。

 それは決して罰としての辱めではなく、養子シェルド・シリアと、ツニッチ夫人のふたりによる協議のすえに行われたことである。


 イツミは「不幸な事故により、そのいのちを落とした」。

 非人道的な施設を共同管理していた教導会と魔技興はもちろん、それを認め、秘密裏にバックアップしていた国家がそうだと言ったのだ。

 死と非道の真実は覆い隠されてしまったが、地獄の如き実験所は戦いにより延焼し、研究の担い手も、そのほとんどがいのちを落とした。


 シェルドは、イツミの死後、本当に養父に故郷と仲間の死への加担があったかどうかということを調べるよりも、彼の願い通りに生きることと、彼の生き終えたその先をしかと(さきわ)うために、心身を当てていた。

 それこそが、自身の犯した過ちを償う方法なのだと考えたそうだ。


 魔技興の次期取締役候補の死。それは社会に面した部分に限っては穢れの無いものだ。

 だが、誰が不問としようとも、世間や優しき妻が知らずであろうとも、真実を知る少年の瞳には、父の身体とたましいに罪がこびりついているのが見えるのだという。


 北部に暮らす自治住民のワシバ族。大地と共に生き、その生とたましいのなんたるかを知るという、いにしえより同じ暮らしを続ける者たち。

 彼らの古来よりの教えでは、「ヒトは死ねば肉は大地に還り、たましいは空へ昇り、しかるべき時、再び大地に戻り生くる」と言い伝えられている。


 シェルドは父のために、彼らの習わしによる送りをおこなった。

 公式な葬儀自体はすでに済んでいた。

 国家の庇護を受ける国民としての送りも、企業を支える重役としての送りも無論、受けている。

 だが、それらは暖かく誇り高いものであると同時に、どこか酷く空虚だった。


 ひと通りの仕事を終えたイツミの遺体は国法の及ばぬ丘へと向かい、そこでシャーマンとその見習いにより儀式を受け、その身とたましいを正式に分断された。


 陽に抱かれ、風に撫ぜられ、鳥に分けられ、土に沈み、木々の根に染み込む葬送。


 それは夏の季節に行われたはずだが、とても冷たく、空恐ろしさを孕んでいた。

 しかし、近親者のふたりは、ほかの葬儀で埋まらなかった穴が埋まったと語り、自身らも死したのちはそうされたいと語った。



 ワタリガラスが飛び立つ。



「んじゃ、俺たちはこっちだから」

 首都のはずれ。少年は彼方を指差した。

 彼はその丈には少し大きなリュックサックを背負い、肩から真新しい魔像機を掛けて、隣には、丸い眼鏡と旅のマント姿の少女が居る。

 ふたりの衣装には、それぞれを象徴する翼の腕章や竜の紋章が見当たらない。


「わたしたちはあっちね。慣れるまでは、無茶するんじゃないわよ」

 こちらはシャツとショートパンツの女。その横には、巨大なリュックサックの引っ掛かったトーテムポールが佇む。


「大丈夫ですよ。初めのうちは人里から離れすぎないようにしますし、こまめに帰りますから。ミニングさまや、ツニッチさんも心配なさいますし」

 少年のつれあいが代わりに答える。

「いざとなったら翼でビューっと帰ればいいじゃん」

「それはダメ!」

 エレはシェルドを怒鳴る。

 その様子を眺め、ヴィアとステラは微笑み合った。


「ステラ姉さんもお腹が大きくなったら無理に旅を続けないようにね」

 少年は拳骨で殴られて目から火花を散らした。


「そっちより、妻や子供を放ってふらふら旅に出ないか心配なのよね。今のうちに、鎖と首輪を用意しとこうかしら?」

 ステラが意地悪く笑ってつれあいを見る。


「おまえこそ、“待て”や“お座り”が得意なんじゃないのか?」

 ヴィアもまた笑った。


「ヴィア兄がやり返した! エレ、早く行こう。多分、これは雪になるよ」

「雪って、今は夏だけど。南西のほうは冬でもあまり降りませんよ?」

「いいから、いいから。首輪はともかく、花冠のときは絶対に呼んでよね!」

「ちょっと、引っ張らないで!」

 少年は少女の手を取り駆け出した。


 ヴィアとステラは若者たちを見送る。

 初めのうちは少年が手を引き、次第に少女が追い付き、引っ張り返す。お互いにその繰り返し。

 舗装された道が終わり、ふたりはやがて、ヒトや獣の歩んだあとを辿り始める。

 彼らは振り返ることなく、夏の陽炎(かげろう)の中に、幻のように溶け込んでいった。


「……おれたちも行こう」

「そうね。次はどこに行くんだっけ?」

「東にした」

「東には何があるの?」

「オオカミが出たそうだ」

「あっちじゃ、随分と昔に居なくなったんだっけ?」

「そうだ」


 青の瞳と灰の瞳。二対が見つめ合う。


「今度のオオカミの瞳は何色かしら?」

「さあな……」


 恋人たちは少し戯れ、歩き始めた。

 大きなリュックサックが先をゆき、そのあとをおしゃべりな女が続く。



 ――日がいずり、月の沈む方角へ。



 彼らの目指す先には、緑萌え青き獣の猛る山々があり、砂風駆け巡る黄金の丘があり、打ち寄せる白波も待ち受けている。

 抜ける青に浮かぶ雲は、ときには黒く立ち込め、旅人を酷く叩くこともあるだろう。

 そして、過去のままに生き、過去を懐かしみ、未来で世界を塗りつぶし、塗りつぶされる人々にも出会うことだろう。



 ――空と大地の狭間。



 彼らは旅立った。

 遥か彼方へと、長く、永く、伸び続ける道を、その瞳に映して。



***


 おわり


***

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