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.22 掌と趾

「おい、あんた! 力を見せ付けるために殺したっていうのか!?」


 両手が鋭い(あしゆび)に変化していく。止められない。

 シェルドの脳裏に、幼き日の惨劇が写真の如くに現像されてゆく。


「ひと聞きが悪いですね。それらを生き返らせたのは私だ。生殺与奪の権利はこちらにあるんだよ」

「あるもんか! 二度も死なせて……!」


 爪の先がいやに熱かった。見ると、魔力が集中して全ての爪の先が真っ白に白熱している。



 ――自覚はないけど、使える(・・・)



 燃える爪先が宙に光の軌跡を作り出す。


「おっと、危ない」


 容易く回避されてしまった。今度は反対の手を突きこむ。


「危ないと言ったろう?」


 クラティオが薄い光の膜につつまれた。趾は硬い物を突いたように弾かれてしまう。防御魔術だ。


「鳥って、あまり好きじゃないんだよ。よく見ると気持ち悪いだろう?」


 男が笑うと、見えない圧力のようなものに強く押された。後ずさるシェルド。

 横から殺気。更に一歩引けば、目の前を銛が横切った。



「な……!?」



 シェルドの心臓が縮み上がる。銛を突きこんだのは黒焦げの毛皮を着た男だ。

 彼は肌までも焼けこげさせ、不快な煙を上げている。


「落ち着きなさい。それは蘇生術ではなく、死体を操る邪法なの」

 老女の声が響く。


「ミニング女史、邪法とはあんまりですよ。偉大な古代の禁書にはちゃんと待望の蘇生魔術と書いてありました」

 クラティオが喉で笑う。

「それに、鳥の彼のいうように改良もしてやった。本来ならこの禁術も、命令も聞かない廃人としてしか蘇生できない代物だったのさ」


 また銛が突きこまれる。着慣れぬローブに引っ掛かり、態勢が崩される。


「死んでるなら……ごめん!」


 焦げた腕を両手で掴み、爪を立てる。漁師の腕が、脳と胃袋の拒絶する臭いを上げながら切断された。



 ――まだ、ふたり居たはず、それに……。



 シェルドが顔を上げたときにはすでに、笑う眼鏡があった。


「カリタス・ミニング。あなたは治療術が得意なようですが、私はいのちそのものを扱えるんですよ」


 男は少年を見ながら、老女に語る。男の口が大きく大きく歪んでいく。



「それに遠隔発火だけじゃない。凍結魔術だってお手の物です」



 クラティオの人差し指と親指がシェルドの趾を掴むと、燃えるような冷たさが走った。



 シェルド・シリアの瞳がまたたいた。

 そして彼は、趾が氷の粒を煌めかせながら手首から離れるのを見た。



「そうそう、鳥を蘇生してやったときは、動くようにはなったけど、空は飛ばなかったんだ。なんでだろうね?」

 男はそう呟くと右手を軽く突きこみ、シェルドの左胸にタッチした。


 心臓が大きく跳ねた。胸に焼けるような痛みが広がる。

 離されたクラティオの(たなごころ)にはびっしりと霜が付いていた。



「心の臓を凍らせた。禁忌の少年。居てはいけないものは、処分しないとね」



 倒れゆく身体。砕けた氷の天井をあおぐ。凍てついた心臓がいまだに動いているのは錯覚か。



 ――今度こそ死んだ。こんな奴に……。



 ふいに、抱き止められた。優しいぬくもりが胸に広がり、少年は咳き込む。


「インフォルトニー、この子を治療してあげて」

「いいんですか?」

「“(かしら)”にはあとから許可を取ります」


 身体を他の誰かに受け渡される。あまり良い感じじゃない感触だ。

 覗き込んだのは、さっき隠れたパウパーだった。


「手首を繋いであげますね」

 彼はそう言うと、千切れて料理の出汁取りのようになった趾を拾い上げ、手首の切断面に宛がった。


 すると、眩しく赤いいのちの光が起こり、指先に痛みと感覚が戻った。


「……“(たなごころ)”でも指の接合が限界って言ってなかったっけ?」

「死に掛けたのに口は減りませんねえ。詳しい話はミニングさんに聞いてくださいね。“指”からは話せませんので」

 頼りないはずの男が黄ばんだ歯を見せて笑った。



「なぜだ!?」

 一方でクラティオは、癪に障る余裕の表情を吹き飛ばし、叫んでいた。

 彼は全身に赤い魔力を迸らせ、両腕を老女に向けている。



「規約違反です。最初に“指”に昇格した際に聞かされたはずです。規定以上の魔導を行使するには上級魔導士の許可を得よ。それを部外者へ見せるのは“(かしら)”の許可が必要である、と」



「従う必要は無い! 私は“(かいな)”以上の魔導の才がある“(たなごころ)”だ!」

 青ローブの手のひらがこちらへと向けられた。


 しかし、何も起こらない。


「私たちだけの問題ではないと教わったはずでしょう? 他国には私たちほど魔導に長けた組織は存在しないの。兵器転用級の魔術を見せれば、世界のパワーバランスが崩れてしまう」


「戦争になっても、勝てば良いだけの話だ!」

 クラティオは何度も腕を突き出し魔術を試しているようだ。


「魔技興ですら約束を守って、燃料にしか転用してないのに……」

 老女は溜め息をつく。

「なぜだ!? なぜ私の魔術が通じない……!」


 シェルドは魔像機を覗き込んだ。

 ミニングから発せられている赤い光が、クラティオの像を集中的に照らして塗りつぶしていた。


「魔力で魔導を遮断してるんだ……」

「その通り。でも、撮っちゃダメですよ」

 パウパーに注意され魔像機を降ろす。



「万年“(たなごころ)”どまりのババアが……!」


 若き幹部は懐から大型の回転式拳銃を取り出し、両手で構えた。シェルドも良く知る自社製品、四十四型魔導拳銃だ。

 爆発のような発砲音が氷穴を揺らす。

 しかし、弾丸は老女の手のひらに当たると跳ね返り、氷の壁にめり込んだ。


「そんなものに頼って。でも、危険ね」


 老女の両手が「何かを包み込む仕草」をした。クラティオは構わず次の射撃に入る。


 続いて起こった発砲音は、くぐもった――まるで水中で鳴ったかのような――音だった。



 石床に滑る拳銃。赤い魔法陣の上には、真新しい血のしぶきが描かれている。



「ぼ、僕の手があああっ!」

 クラティオは両手首から先を失っていた。真っ赤ないのちがとめどなく魔法陣へと注がれる。


「異端の烙印は別のところに捺さなきゃならないわね」

 ミニングが歩み寄り、血まみれの手首を掴んだ。


「血、血が止まった……」

 崩れ落ちる男。止まったと言うが、手首から先の無いそれは痛々しい。


「なまじ才能があったのが悪かったのね。ツキの無い子」

 クラティオは「僕の手はどこ?」と涙目で老女を見上げた。


「さすがに粉々になったのまでは治せないわ。極北支部長フィクタ・クラティオ。魔力教導会規約、第五七二〇条第八項、第二三四条第二項の違反、および、国家法、廃棄物等処理違反、遺体損壊の罪で逮捕します。大人しく異端審問会と国家裁判所の裁きを受けなさい」


「そ、そんな……僕の手ぇ!」

 真っ赤な両腕が宙を彷徨う。男の眼鏡の下からはとめどなく塩水が溢れていた。


「だっさ……」「そういうきみは、あれに負けたんですけどねえ」

 パウパーに笑われた。


「泣いてないで、あの子(・・・)に魔術を停止するように言いなさい」


 すっかり忘れていた。最初に何やら魔術を支度をしていたエレ・リーパが残っている。

 男はすっかり使い物にならなくなっており、「手、手」と繰り返すばかりだ。


「あなたも、彼が負けたのだから大人しく降参しなさい」

 ミニングが警告するも、丸眼鏡の図書館員は全身を真っ赤に光らせて、まぶたを固く閉じたまま、唸り続けている。

 彼女の両手のひらの中には、小さな紫の玉ができあがっており、玉は手のひらに向かって無数の雷糸を走らせていた。


「ちょっと、聞いてるの? これ以上、現象化させるのは危険よ。早く魔術を停止しなさい」

「うーん、うーん……。もう少し、もっと大きく……」


 エレの手の中で紫の玉が肥大化した。

 シェルドはいつだったか、彼女をお茶に誘おうとしたとき、何やら本を読みふけっていて、最後まで無視され続けたのを思い出した。

 のちに、「私って集中したら周りが見えなくなるタイプで……」などと言い訳をしていたが、それ以降は彼女を誘うことはやめた。


「魔術を停止なさい! 発雷の仕組みが分かるなら、散らすこともできるでしょう!?」


 老女のがなり立てるような警告。


「集中し過ぎてて聞こえてないんだ。さっきやったみたいな、魔導の遮断はできないの?」

「現象化したものは、魔力そのものじゃ止められないのよ。これが弾けたら、洞窟が持たない!」


「へへへ……。これはクラティオさまに褒めて貰えるかな~。この前は検体の豪熊を木っ端みじんにして叱られたけど……あれ?」


 ようやく気が付いたようだ。

 エレの顔は見る見る青ざめ、ミニングと、子供のように泣きじゃくるクラティオを見比べた。


「早く、そのいかづちをしまって!」

「え!? へ!? 無理ですよ! こんなにおっきいのどこに捨てたら!? っていうか、集中が……!」


 エレの手の中の雷球が揺れ始めた。

 魔導大砲の発射を彷彿とさせる音と共に、視界がフラッシュした。



「……ごめんなさい」



 老女の謝罪。光の中、彼女の全身は赤く燃え盛っていた。

 再び、その(たなごころ)が宙を包む仕草をすると、エレの紫の玉が別の光の膜に包まれた。



 ――防御魔術で包んだんだ。でも……!



 音と光が白に消え、激しい振動が身体に伝わった。



 視界が戻ると、老女のうなだれた姿があった。彼女は無傷のように見える。

 その足元では、泣き叫んでいたはずの男が音もなく痙攣しており、シェルドは思わず目を逸らした。


 そして、逃がした視線の先に、“発雷の原因”が横たわっていた。

 彼女もまた、陸に打ち上げられた魚のようにしており、借りもののコートを焦げさせ、いくつもの身体の穴から多くの液体を流していた。



「エレ?」

 シェルドは立ち上がり、機械のような動きを続けるヒトへと近付く。

 彼女の、手入れを怠らなかった美しい金髪が台無しだった。最初に声を掛けたのは、あの髪に惹かれてのことだった。


「どういう経緯でクラティオに加担していたのかは知らないけれど、可哀想なことをしたわ」


 ミニングの言葉が耳を通り抜ける。

 シェルドの赤い瞳は、自分とふたつしか歳の変わらぬ少女を見つめていた。


 いつか、いつか故郷が劫火に包まれた日のことを思い起こす。

 あれは母だったか、父だったか。あるいは他の誰かだったか。


『シェルド。おまえは飛べるんだよ』

 黒焦げのヒトが言う。


 翼が暴れ、ローブを引き裂いた。しかし、その翼が羽ばたくべき空は、厚い氷の遥か上にあった。


「こっちの彼はもう、ダメそうですねえ」

 パウパーの声も素通りする。記憶の中のささやきよりも、うたかためいていた。


 手のひらが疼く。

 それは猛禽の武器だ。こんなものが、誰かを傷付けるほかに、なんの役に立つのだろう。



「お、お願いだ……」



 ……シェルドの目の前で、自身の趾が握り合わされていた。


 ヒトが精霊に祈るように。あるいは神へするように。


 その向こうに居た老女は目を伏せた。


「本当は力を隠してたんだろ? パウパーだって、俺の手首を繋いでくれたじゃんか。お願いだよ、エレが死んじゃうよ」


「死に直結する傷の治療は、第五七二〇条第八項に抵触するわ」

 老女の声は冷たい。


「なんでだよ? 人命優先って言ってたろ?」


「……“いのちも魔力も(おの)ずに(しか)れ”。魔導は全て不自然なものなのよ。それがたとえ破壊でなく、いのちを救う行為や、愛する子の蘇生を願う行為であっても、間違い。教導会は魔力の使いかたを正しく導くために結成されたの。だから私は、人の領分で人を救える立場に残り続けた」



「だったら、エレを助けてよ? ……そうだ、俺を調べても良いよ! みんなには内緒でさ! そしたら、ばあちゃんも飛ぶように昇進できるよ! ここの研究は使えない? ばあちゃんなら、あいつよりも上手にできるだろ?」


 理論も理屈も滅茶苦茶であった。

 両の掌だけは、硬く結んだまま。自分がそうすれば、少女の死の結果を歪められるのだと信じるように。


 少年は泣いていた。“あの日”もそうしたかったが、己の価値も知らなかったし、頼れるものは誰も居なかった。

 あの場にあったのは、同胞の焼けてねじ曲がった身体と、翼で一人だけ生き延びた魔物だけだった。


「お願いだ。知ってる誰かが死ぬのは嫌なんだ」

「あなたの村に惨いことをした犯人は私も知らない。だけど、人の手で行われたのは確か」


「今はそんなことはいいからさあ!」

 趾がミニングの腕を掴んで揺さぶる。



 老女は皺が増えるほどにくちびるとまぶたを閉じ、顔を背けた。



「インフォルトニー!」

 彼女は部下を呼ぶ。



「あー、すみません。さっきの雷で目と耳がやられちゃってまして」

 パウパーは目をぎゅっと閉じて、耳に指を突っ込んで塞いでいる。



「……ありがとう。あの子が死んだのも、あなたたちと同じくらいの年頃だったの」



 ミニングはそう呟くとひざまずき、その掌を少女の胸へと宛がう。

 そして、まばゆい赤が広間を包み込み、分厚い氷の向こうまで深く深く染み入った。

 シェルドには、その中で老女が一瞬、若返ったように見えた。



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