.21 少年と老年
暗闇の中、黒曜の翼が空気を抱き、少年の身体を奈落の底へと導く。
翼の抱き込む空気は氷上よりは暖かい。
眼下の灯りの正体はランプ。床は氷だが、どうも何かの部屋らしい空間だ。
「死体置き場?」
続いて認識した光景に、思わず声を上げた。
少年が降り立ったのは死体の山の上。
同じように亀裂に呑まれたのか、シロクマ、アザラシ、サル、シカ……霜が付いているものの原型はとどめている。
凍っているためか、臭いは控えめだ。オオカミ女でもなければ平気だろう。
――それにしても、シカがここまで来て落ちるものかね?
立派な角の牡鹿だ。シカが自身の角で身動きが取れなくなって死ぬのは、たまにある事故だが、彼らには氷河まで来る用事はない。
サルは北部ではお目に掛かったことがない。
シロクマの存在も奇妙だ。どう考えてもさっき通った亀裂を抜けられる体躯じゃない。
兄貴分が居れば詳しい話が聞けたかもしれないが、「持ち込まれたもの」として認知すべきだろう。
「は、羽の生えた人間!?」
――やらかした!
シェルドは額を押さえた。人工的な空間なのはひと目見て分かったろうに。
今更ながら翼をしまい、声のあるじを見る。
茶色のローブ姿。声は男だったが、フードを深く被っており、顔は知れない。
彼は情けないことに腰を抜かして両手を上げているが、こういう行動をとる奴は目を離せばすぐに態度を反転させるものだ。
下っ端だろうが、困ったことになった。まさか口封じをするわけにもいかない。
シェルドは手袋の中の爪の付け根のかゆみを弄ぶ。
鳥人には翼だけでなく、爪があった。両手両足を鳥類の趾に変形させられる。
シェルドのそれはカラス目のものでなく、猛禽のものであった。
恐らく、両親がそれぞれワタリガラスと猛禽の合成亜人だったのだろう。彼のツートンの髪色もそれに由来すると思われた。
――つっても、殺すわけにもいかないし。
猛禽の武器は使ったことすらなかった。とりあえず、記者の武器でなんとかするしかない。
シェルドは言い訳を考えながら、その辺の何かに引っ掛かった自身のコートを取って身にまとった。
「あなた、シェルド・シリア?」
コートが引っ掛かっていたのは、別の茶ローブの人間だった。
どうやら、空間を照らすランプは彼女の手に引っ掛かっていたものらしい。
シェルドは、その少し老いた女の声に聞き覚えのあることに気付いた。
「掌のばあちゃん? 青いローブじゃなくなってるけど、左遷されたの?」
「あなた、虎穴に入っていながら口が減らないわね……」
冗談は言ったが、少年は再び死んだ心持ちになっていた。
教導会の禁忌の研究施設らしき場所に来て、そこで重役に鉢合わせた。
しかも、翼バレをしたうえに、素の自分のことも知っている相手だ。
「安心しなさい。あなたのほうも訳ありみたいだし」
老婆は茶色いフードを外した。すると、その下には以前に見たときと同じ、紺碧のローブのフードが姿を現した。
魔力教導協会が幹部“掌”級の高年の女性、カリタス・ミニング。
ミニング女史はスぺクルム湖の地下遺構の総監督を務めていた女性で、湖底崩落の事故以来、遺構調査が休止となり、別の任務に就いていた。
異端調査の任。教導会の教えに反する異端者を探し、会の規約や国家の法律で禁じられている禁忌の魔術を使用するものを調査、逮捕する部門。
部門といっても、おおやけに設置されているものではなく、あくまでひっそりと、信頼できる人間に任される業務であり、異端者の潜む現場に紛れ込む危険なものでもある。
「ってことは、やっぱり左遷?」
「私は自ら志願したのよ。あなたの“尊敬する人たち”がマジカ・イドルと戦うのを見たら、身体が疼いちゃってね」
老女はフードを被り直すと口元を笑わせた。
「あのお、“掌”。彼は“あっち側”なんじゃないですか?」
いまだ降参ポーズのままの茶ローブ男が言った。
「バカ言いなさい。彼は平気よ」
「だって、翼……」
「“あれから十年”」
老女が呟いた。
――こいつ、俺のことを知ってたんだ。
「十年? なんのことです?」
ローブの男が首を傾げた。
「翼の坊や、私たちを手伝ってくれない? 異端者の仕業だし、部分的には記事にする許可も出せるかも」
「坊や? もうじき十五で成人なんだけど」
子供扱いに不満を表明する。
「お祝い、できるようになると良いわね。それとも、地上に帰る?」
――……。
「協力するよ。どうやら、恩を売っておかなきゃならないみたいだし」
「ありがとう。でも、その恰好じゃマズいわね。そこで寝てる子のローブを借りましょう」
言われて初めて気が付いた。足元に別の茶ローブの人間が横たわっている。
ミニングはそれを容赦なく剥ぎに掛かった。
――殺したのかな? ……って!
シェルドは思わず後ずさったが、視線をローブの持ち主から外せなかった。
長い金髪の若い女性だ。ローブの下は下着姿だった。彼女は脱がされる際に転がされて、声を漏らした。
「か、代わりにこれ!」
シェルドは茶ローブの代わりに自身のコートを差し出す。
「あら、紳士なのね」
老女は微笑むと、気を失った異端者らしき魔導士にコートを掛けた。
「インフォルトニー、そろそろ腰も治ったでしょう? 行くわよ」
インフォルトニーと呼ばれたローブ男は背中を叩かれ、立ち上がった。
「憶えてます? 地下遺構を案内したパウパー・インフォルトニーです」
彼が茶色のフードを外すと、下から現場指揮官級の“指”を示す赤色が現れた。
――誰だっけ?
そもそも名乗られた記憶もなかったが、シェルドは「憶えてるよ」と言っておいた。
教導会の“指”のパウパー・インフォルトニーはミニングに付いて、諜報の助手をしていると言った。
夏場でも解けない氷山のひとつに実験場があるという情報を元に氷河を探索していたところ、彼が足を踏み外して落ち、それを助けるためにミニングも続いたのだとか。
「よく死ななかったね」
「腰と脚が砕けましたけど、ミニングさんに治して貰いましたから! あ、インフォルトニーだと長いので、パウパーって呼んでくださいね」
「お互いに名前や役職を呼ぶのは無しと言ったはずよ。ったく、頼りないわね……」
高年の魔導士が溜め息をつく。
――頼りないのは、ばあちゃんも同じだけどね。
守護者に金縛りの魔術を行使して無効だった姿しか見ていない。
寄る年波もあるだろう。加えて、養父のイツミは彼女の「目先の人命優先」を嘆いていた。
シェルドは自分がしっかりしなくてはと思う。
それと同時に特ダネと、危険のふところに飛び込んだこと、自分の出自の謎の気配をもない交ぜにして、胸を弾ませていた。
禁忌の地下実験場。それは巨大な氷山を繰り抜かれて造られた施設で、主に生物の蘇生術を試す場らしい。
先程の場所は実験素体の保管部屋で、ほかにもまだ死んで新しそうな人間の遺体や、凍死したと思われる動物が納められている部屋があった。
ミニング曰く、蘇生の見込み順で部屋を分けているのだろうとのことだ。
シェルドは魔像機のシャッターを切り続け、パウパーは死体を突っついて震えあがった。
「ここは書庫ね。興味深い文献が並んでいるのは結構なことだけど……」
「これ、図書館から持ち出されたものじゃない?」
シェルドは棚に収まった書物の背表紙を指差す。竜の紋章、教導会の図書館の管理シールが貼ってある。
「みたいね。ほかにも、本部から消失した禁書もあるわね。内容ごとにきっちりと並べてある」
「異端者は几帳面なんですかね?」
パウパーが言った。
「だったら、ルールも守って欲しいところね。禁書は触らないで、背表紙だけの撮影でお願いできる?」
……シェルドは無視して本を引きずり出し、開いて撮影した。どうせ古代文字だ。
「聞いてるの?」
「その辺の忖度は得意なつもり。写真はあとで、ばあちゃんがより分けてくれればいいよ。そっち側の証拠としても機能しなきゃならないでしょ?」
「助かるわ。証拠として有用なページを開いて行くから、撮り直して貰って良い?」
「了解」
少年と老女は手分けして証拠の確保を行っていく。
「ところで、禁書について詳しそうだけど」
「若いころに色々とね」
「あんたも撮っておいたほうが良いかな?」
冗談めかしてレンズを向ける。
「今日は若作りしてないから遠慮しておくわ」
書庫で情報を確保し、別の部屋を当たる。
実験場は氷山の内部を洞窟のようにくりぬいて作ったらしく、通路は酷く狭いものだった。
パウパーが「この程度なら私でも、ひと月あれば造れちゃいますね」と、手のひらを熱して見せて言った。
「人が寄り付かない、施工が楽、滑落や遭難の多い北部、死体保管の難易度も低い気温……」
シェルドは指折り、条件を挙げる。
「禁じられた遊びをするにはもってこいね。でも、墓守ごっこだけじゃないみたいね」
ミニングが通路の途中で足を止めた。
彼女は壁を注視して「溶かして」と言った。パウパーが進み出て氷壁に手のひらを当て、身体からうっすらと赤いオーラを出してうんうんと唸った。
溶けた氷壁の向こうに空間が現れる。
シェルドは魔像機を通してその部屋を見て、待ったを掛けた。
「マジカ・アクティブだ」
「そうみたいね。強い瘴気の気配を感じる」
シェルドは青い光まみれで像の掴めないファインダーから目を離し、自身の赤い瞳で瘴気の原因を見た。
「うちの、廃タンクじゃんか……!」
部屋の中に納められていたのは、大型の魔導機械に使用される魔力燃料用の使用済みタンクだった。
なぜ、こんなところに。
「魔技興製ですかねえ」
パウパーが呟く。
「そ、そうだけど、これはちゃんと法律に則って処理されるものなんだ。ほら、その証拠に隠さずに翼の刻印をしてるだろ!?」
声が裏返る。
「落ち着きなさい。廃棄物を掘り返して不法に持ち込んだものよ。情けないわね。うちの会は、あなたの会社の魔力伝播性の強い物品を扱う施設の建設に強く反対してたっていうのに……」
ミニングが額を押さえる。
「だ、だよね。異端者が勝手にやったことだ。逮捕しないと……」
老女の手が背をさすってくれた。温かだ。
だが、少年の網膜に焼き付いた翼のマークは消えなかった。
振り返れば、この実験場には教導会の禁ずる魔技興製品が他にもいくつもあった。
禁忌の場でのおこないとはいえ、それは彼の胸に抜けない棘となって突き刺さった。
――大丈夫だ。うちが良い物を作ってるってだけで、こんな実験とは関係ないさ。
「シェルド、しっかりなさい」「う、うん」
背を叩かれた。
「問題は、これを使って何をしていたかよ。蘇生術の研究に莫大な魔力が必要なのは分かるけど、こんなものを使って、まともに生き返るとは思えない」
「むしろ死んじゃいますよねえ。“掌”、あっちに大部屋がありますよ。ちゃんと計算して造らないと崩れるような大物です」
パウパーの案内に従い、次の部屋へ。
大部屋は氷床ではなく、石のパネルが敷き詰めてあり、少し前に妄想した通りに赤い何かで魔法陣が描かれていた。
ご丁寧に火の消えた蝋燭まで配置されている。
「古代文字が書いてあるけど……。魔法陣って意味があるの?」
「陣そのものは魔力の伝導路になるから、使いかた次第だけど、文字は古代文字だろうと人が考え出したもので、自然のことわりとは無関係のものよ」
「この石の床は魔力伝導性が比較的高くて……安価なものですね。資料も実験材料も盗品ですし、安上がりですねえ」
パウパーがぼやく。
「ほかの誰にも会わないし、実験場も随分と狭いよね? 少人数でやってるのかな?」
「そうね。情報だと、たった二人だもの」
「二人……?」
シェルドは首を傾げた。俺たちだけで三人。死体置き場に倒れていた若い女性を引いても数が合わない。
この人数で内部の者に見られたら、変装など無意味だ。
そういえば、ミニングとパウパーは潜入捜査だというのに、堂々と実験場を闊歩している。
声の響く氷穴だというのに、遠慮も無しに会話も……!
シェルドは魔導士たちから距離を取ると、手袋を外して捨てた。両手が見る見るうちに猛禽の趾へと変じていく。
「見せなくていい。しまいなさい」
老女が言った。こちらを見ずに。
「これはこれは、カリタス・ミニング女史」
男の声だ。部屋の奥から、パチンという小気味の良い音が鳴ったかと思えば、薄暗かった部屋が明るくなった。
「フィクタ・クラティオ」
ミニングが薄笑いを浮かべる。
「同格のあいだでも、役職で呼ぶのが習わしでしょう?」
部屋の隅にテーブル。椅子に座るのは紺碧のローブ姿。
「あなたも呼んだじゃないの」
「敬っているのですよ。何十年もずっと“掌”の席を温め続けている大先輩を」
男はフードを外した。眼鏡を掛けた若い顔。
見覚えがある。理由はなんだったか忘れたが、彼はインタビューと写真が新聞に載ったこともある男だ。
「やっぱり、極北支部の“掌”さんが犯人でしたねえ」
パウパーが溜め息をつく。
「大遺構の調査はもうお済みですか? せっかく私が推薦してあげたのに」
フィクタ・クラティオの声には嘲笑が混じっている。
「あなたこそ、次期“腕”の有力候補なのに、どうしてこんな危ない橋を?」
「足りないのですよ。才能だけでは。古代体質の会です。年功序列というものが邪魔していましてね」
クラティオが眼鏡を押さえ、レンズが怪しく光った。
直後、破裂音とともに汚い悲鳴が上がる。
振り返ると、パウパーが黒くなったローブから煙を上げながら転げ回っていた。
「クラティオさま!」
その向こう、入り口から現れたのは、ひび割れた丸眼鏡を掛けた金髪の若い女。
見覚えのあるコートを着ている。
彼女は紺碧のローブの男のもとへと駆け、入れ違いに、ミニングが傷付いたパウパーに取り付いた。
シェルドはシャッターを切っていた。意識したわけではない。職業病だ。
「と、撮られちゃいました!」
眼鏡の女が慌てて顔を隠す。その顔には見覚えがあった。
「もしかして、エレさん!?」
「……う、シェルドくん、ですよね。どうも~」
眼鏡の女が苦笑いと共に手を振った。
彼女はエレ・リーパ。首都にある教導会図書館の整理案内係だ。
情報収集で図書館を利用するたびに顔を合わせている相手で、シェルドだけでなく、ヴィアやステラとも顔見知りの仲だ。
「どうせ、連中は実験素体になる。私が時間を稼ごう。いつものを頼むよ」
男が眼鏡の女の肩に手を掛けると微笑んだ。
「……はいっ! 書架の埃の静電気から編み出した私の魔術、ぜひ受けてください!」
エレは両の手のひらを合わせ、全身に赤い魔力の光を滾らせ始めた。
「ばあちゃん!」
振り返るもこちらの主力は治療中。
「放っておくと死んでしまう。任せたわ」
――任せたって言われても……!
「シェルド・シリアくんだね? 資料は読ませてもらったよ。翼を持ち、古代の飛行魔術を操るそうだね」
クラティオは立ち上がると、ちらと別のテーブルを見た。
それには腹の開かれた男の裸体が横たわっており、トレーに乗った鋭いメスや鉗子が光っていた。
「魔導を扱ってる自覚はないけどね。あんた、禁忌に手を出してるみたいだけど、ひょっとして生物の合成なんかも?」
「そういうのはきみの会社の領分だろう?」
肩を竦めるクラティオ。
「うちはそーいうのは扱ってないっての。守護者みたいな魔導からくりには興味があると思うけどね」
「調査中止の原因になった? あんなコストパフォーマンスと取り回しの悪い物が欲しいのかい?」
「それを小型化したり、改良するのが良いんじゃんか。うちはあんたたちみたいに、ただ昔を振り返って、真似をするだけじゃない。ちゃんと前に進んでるんだ」
「改良してるのはきみたちだけじゃない。私も同じだよ」
クラティオは右手を掲げる。手のひらが激しく発光し、その指が鳴らされた。
岩の崩壊音。あるいはガラスの割れる音。
天井から無数の氷の破片と共に、人影がみっつ、落ちてきた。
それらはゆっくりと立ち上がり、虚ろな瞳でこちらを見た。毛皮の衣装の男が三人。
彼らの力無く垂れ下がった手には銛が握られている。
「クレバスで遭難していた漁師だ。私が見つけてやったんだが、可哀想なことに、すでに死んでしまっていてね」
「死んでるようには見えないけど?」
漁師たちは銛を構えた。獲物に向けられた切っ先が光る。
「禁書から手に入れた蘇生術さ」
青ローブが笑う。
「それで、不老不死にでもなって、成り上がろうって?」
「私は天才なのだよ。“腕”に成り上がるのは腕だけで充分さ。頭を使えば、“頭”になってなれるだろう!」
「困った子ね……」
ミニングが立ち上がり、溜め息をつく。
パウパーは復活したらしく、部屋の外まで走って逃げ、顔をのぞかせて応援をした。
「……エレの電撃魔術の傷を癒したのか。年の功か、多少はやれるようだな。だが、あなたは現場に出てくるべきではなかったのだ!」
クラティオの全身が激しく光る。彼は手のひらをミニングに向けた。
だが、顔を歪め、その手を漁師のひとりへと向け直した。
大炎上。虚ろな人が炎の中で声の無い絶叫を上げた。
「どうだ、視えなかっただろう? 一瞬で人体を発火させる遠隔魔術だ。“頭”でも扱えまい!」
――……燃えている。人が。
シェルドの赤い瞳は、氷穴の広間で燃え上がる漁師ではなく、いつかの故郷を映していた。
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